3-1 君がそばにいる、強さ
程なくして終業式になり、補講という名目での授業の延長戦が始まった。
補講は午前中で終わるため、午後は部活の練習になる。コンクールは終わったばかりで、演奏会の予定もないので、
部活全体はいい流れができていたと思う。二年生は勿論、一年生もそれぞれが自分の役割を積極的に探している。結樹と松垣先生のコミュニケーションも、上手くいっているようだ。
しかし私は、どうにも落ち着けなかった。元から女子部員との間合いに無頓着すぎたこともあり、距離の取り方を意識すると止まらないのだ。幸いにも、
ただ、結樹とはどうにも、平静に接することができない。これまで、友情と恋慕をごっちゃにしすぎた好意を向けてきたのだ。向けていい気持ちと行動、その正解が掴めない……正解なんて無いのかもしれないけれど。
そして
そうして大きな事件にはつながらないまま。補講が終わり、さらにしばらく続いた合唱部の活動も夏休みに入った。
親の方針もあり、あまり外遊びはできないのが恒例だが、今回ばかりはそれが幸いした。校外で結樹たちと会っても、どう接すればいいか困るだろう。
けど、陽向だけは別だ。
休みのうちに陽向と納得いくまで話し合って、自分の過ごし方を立て直さなければ。
*
名実ともに夏休みになったある日、私は陽向の家を訪れていた。
見るからに高そうなマンションには気圧されたが、陽向の雰囲気を考えると納得だった。陽向は一人っ子で、お母さんは海外で働いているため、お父さんと二人暮らしだという。そのお父さんも今日は仕事なので、陽向と二人きりである。陽向の親なら悪い人だとは思えないが、どう見られるか心配しなくていいのは楽だ。
「さあ、どうぞ」
「お邪魔します……」
陽向に迎えられ、彼女の部屋へ。
ついつい私物に目が行ってしまう、特に本棚。マンガも小説も少ない代わりに、ファッション誌が多い。次いで料理の本、そして大人が読みそうな本が目につく……経済や国際情勢の解説書だったり、明らかに高校レベルを越えた英語の本だったり。飾りではなく、実際に読んでいそうなのが陽向だ。
以前に見た結樹の本棚とは対照的である、親と一緒に揃えているという歴史系の小説や雑誌がズラリと並んでいた。結樹はそうした分野に進学する予定もないので完全に趣味である、その意味で陽向は実用主義なのかもしれない。
そしてドレッサーも立派だった。肌も髪も綺麗だなと前から感じていたが、天然に甘えている訳でもなさそうだ。
私服の陽向は初めてだったが、夏らしいノースリーブのフリルブラウスはすごく似合っていた。メイクまで丹念になされていて、褒めたい所は随所にあるけど、同性愛を自覚した後なので言いづかった。陽向は言われても喜んでくれるのだろうけれど。
しかしこうしたセンス、やはり年下に思えない。私が制服だから余計に、だ。親には遊びにいくと言いづらかったので、部活があることにして外出してきたのだ。
ただ。部活は嘘だけど、遊びというムードでないのも確かだった。
「さて、
どうも陽向の中では、私とは常体で話すのが自然らしい。とはいえ、一応は後輩なのも気にしている。
「もう敬語じゃなくてもいいよ、ヒナちゃんのこと年下だって思えないし、年下でも仲良かったらタメでオッケーだし」
陽向は現状、世界でたったひとり、秘密を分かち合える仲間だ。あまり壁は作りたくない。
今回の目的も、その秘密の共有である。私は急に同性愛を自覚して混乱しているので、改めてじっくり陽向と話すことにしたのだ。
「で、私の最近は……あの日ほど酷くはないけど、やっぱりまだ落ち着かないし、結樹と上手く話せないかな。自覚しちゃった分、結樹に失恋しちゃってたことが、すごく痛い」
同性愛の自覚だけでも相当な衝撃だったのに加えて、ここ数年ずっと一番近くにいた人への向き合い方が覆ったのだ。もちろん今だって結樹は友達として大事にしたいけれど、自分の中に溜め込んできた望みを捨てるのは簡単ではない。
私が希和に背負わせてしまったのもこんな感情なのだろうか……とは思うが、それを考え出すとパンクしかねない、ひとまず置いておく。
「自分のこと、認めてあげられてる?」
陽向はじっと私を見つめながら訊ねる。真剣だけどプレッシャーは感じさせない、そんな不思議な眼差しで、迷子になった私の心を探してくれる。
「認めてか……元々、自分に嫌な所が沢山あったから。そういうのも含めて、女の子が好きってこと、まだ受け入れられては、ないかな。けど、納得はできてるよ」
女性だけを愛する自分を肯定できるか、と聞かれれば否だ。男性も――希和を好きになれた方がよほど楽だろう、と今でも思う。とはいえ、自分の心に嘘をつくにも限界が来ていた。
陽向はさらに、私の認識を紐解いていく。受けたことはないが、カウンセリングに来たような雰囲気だった。
「納得っていうと、詩葉さんの中で違和感みたいなものはあったのかな」
「うん。いつになっても、男の子のこと好きにならないなって……不思議というか、焦りというか」
「女の子ばっかり気になることには?」
「そうだね……思い返せば、あれもこれも恋だったんだなって気づくけど。そのときはずっと、これも友達としての好意なんだって思ってたから」
幼稚園のときは、仲良しの女の子と離れるのが嫌で、帰る時間のたびに泣いてごねていたという。小学校に上がってからも特に強く執着していた女子はいたし、その子が少しでも悪口を言われるたびに大騒ぎしていた気がする。で、中学からは結樹だ。
「そっか……私もなんだか分かるな、昔の詩葉さんみたいな気持ち」
私の回答を聞いて、陽向は安心したようだった。同性愛を理由に傷つけられて、悲しい結末に追い込まれてしまう人がいるのも知っている。私がそうなってしまう可能性も心配していたのだろう。今のところは大丈夫だ、明日も今日の続きを生きていたい。
「私からもヒナちゃんに聞きたいんだけどさ。私が……レズビアン、だってこと、前から分かってたの?」
「確信はなかったけど、そばで見てると何となく察しはついたんだよね」
「他の女子への目線、とか?」
「詩葉さんがそんなにギラギラな目してた訳じゃないよ、安心して。勘で察した、としか言いようがないかな……後、やっぱり、仲間が身近にほしかったからさ」
あの日の陽向の急な登場、その理由も少しずつ掴めてきた。
しかし、その後の陽向の質問は意外な方向からだった。
「じゃあ、一つ確認しておきたいんだけど。
これでお互いに、女の子が好きだってことが分かりました。その上で、詩葉さんは、これまでみたいに私と触れ合いたいって、思えますか?」
私にとって、そしてきっと多くの女子にとって。女性どうしで触れ合うのと、男性と触れ合うのは、全く意味が違う。これまでは明確にそう思っていたし、それは今も変わらない。
けど今の私は、特に陽向との間では、「女どうし」は一般的な意味合いに留まらない。恋が芽生える、体を求め合う、そういう可能性のある関係なのだ。以前みたいに何も気にしないままは、難しいだろう。
同性愛者どうしだからって、誰でもすぐに興奮したりする訳じゃない、それは分かる。
そのうえで、陽向の性的な興味が私に向いていると仮定してみる。目を閉じて、乏しい知識なりに想像してみて、考えがまとまる。
陽向は、内心がどうであれ、私の気持ちを大事にしてくれる人だ。
それに、どちらの意味でも――友情を交わすにしても恋を向け合うにも、すごく素敵な女性だ。
何より。触れて励ましてほしいときに、私の本心を隠したまま他の女子とこれまで通りに触れ合えるか……というのも難しい問題だ。ちゃんと本当のことを言えている陽向だから、遠慮しないでいられる。
目を開いて、陽向に伝える。
「触れたい、触れてほしいってのは確かで。けど、それより切実に、私はヒナちゃんのあったかさが欲しいです」
陽向は頷いて、私へ掌を差し出す。私もゆっくりと手を伸ばし、ぎゅっと握る。
ひとりじゃないよ、私は絶対に味方だよ――そんな想いが、言葉よりもまっすぐに伝わってくる。きっと私は、性愛とは関係ないところでも、大事な女性とは手をつなぎたいのだ。
「私がスキンシップにこだわる理由、詩葉さんにも聞いてもらっていい?」
手をつないだまま、陽向が切り出す。不思議な言い方に思えたが、とりあえず頷く。
「私ね、かなり重度のマザコンなんだ。うちのお母さん、普段は海外で働いてて。私を妊娠してから、しばらくは日本で育ててくれたんだけど。保育園くらいからずっと、家にいる日の方が珍しくて。だからお母さんと一緒にいられる間、ずっと……多分、詩葉さんが引くくらいべったり、私は甘えっきりで」
マザコン、引くくらい、という言い回しとは裏腹に。陽向は恥ずかしがる様子もなく、ありのまま誇るように、お母さんのことを語っていた。
「お父さんはお父さんで、すごく頑張って面倒見てくれていて、それに不満はないんだけど。それでも、お母さんじゃないとダメな部分……お母さんが撫でてくれて、抱きしめてくれないと、満たされない心の部分が、ずっとあるんだ」
陽向からの母親への感情は、私にも覚えがあった。
昔の私は、母に対して猛烈な甘えん坊だった。一人っ子で、父にはあまり構われなかったせいか、母がそばにいることを求めすぎたのだろう。母も、きっと忙しかっただろうに、いつも優しい笑顔で応じてくれた。私の思い出の中かでは、だけど。
しかし小学校に上がってしばらくすると、甘やかし続けるのはまずいと、母も考え出したらしい。私の感情の起伏が激しいのは、精神が幼すぎるからだと心配したのかもしれない……それは今の私も否定できないが。
ともかく、少しずつ「このままでいい」が減って、「こうするべき」が増えていった。私の心が反発するのと同時に、体の距離も離れていった。私が周囲の女子にくっつきたがっていた背景には、同性愛もあったのだろうけれど、母との記憶も関わっているのだろう。
そんな思い出をなぞりながら、陽向に答えた。
「……だから、かな。ヒナちゃんが抱きしめてくれるときね。ずっと昔、お母さんにそうしてもらってた頃のこと思い出すんだ。今はもう、取り返しつかないくらいすれ違って、そんなことできないんだけど」
陽向の手の力が、少し強まる。私は変わらずそばにいる、と誓うように。
私の心に応えるように、欲しい言葉を、求めた温もりを、陽向はすぐに私へ贈ってくれる。今の私が一番に必要としているのは、間違いなく彼女の存在だ。
必要、だからこそ。
どうしても確かめておきたいことがある。
立ち上がって、陽向の隣へ。テーブルも隔てず目の前で向き合う。
「私にとってヒナちゃんは。立場は後輩だけど、お姉ちゃんみたいで、ときにお母さんみたいで……ヒーローみたいで。いまの私が、一番、支えに思える人です。
なら、ヒナちゃんにとっての私は、何ですか……どうしてこんなに、私に真剣に向き合ってくれるんですか」
陽向は、先輩である私を熱烈に慕ってくれた、仲間である私を強固に信頼してくれた。それはとてつもない喜びで、今でも支えだったけれど。
それらが、もし、もし私への恋愛感情に基づいているなら、ちゃんと知っておきたかった。私なんかじゃ陽向に釣り合わないのは知っているけれど、いつだって陽向は私の想像を越えていくのだ。
結樹への気持ちは消えてない、諦めるほかないと言い聞かせても燻っている。けど、もし陽向が私を求めてくれるなら、断る選択は私にない。こんなに大事な人に、離れてほしくない。
だから。ちゃんと、陽向の気持ちを確かめたい。
陽向はしばらく迷いを浮かべてから、まっすぐに私を見返して答えた。
「大事な仲間で、大好きな友達だから。そんな人が、自分と同じ、人に言いにくい悩みに直面していたら、全力で助けたいって思うでしょう」
まずは、友情を理由に。
そして陽向の手が伸び、私の頬を撫でる。
「それに、ね。こんなに可愛いくて素敵な人が、自分と結ばれ得る側だって知ったら。絶対、悲しい思いなんてさせたくないじゃない」
今度は、愛し合う性を理由に。
どちらか、ではない。陽向は、私との間にある絆の形、その全部で私を支えようとしてくれている。
「だからまずは。詩葉さんが、自分のことを、結樹さんのことを、受け入れる所から始めよう」
私がなりたい私へ、優しく導いてくれる。
大切に想われていることが嬉しくて、確かに力になってくれることが心強くて、不意に涙がこみあげてくる。
せめて涙は呑み込みながら、陽向へ体を寄せる。今の私に返せるのは、純粋な親愛だけだ。
「うん、お願い……ヒナちゃんがいて、良かった」
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