2-6 眩しい君が、遠ざかる
その達成感をエンジンに、月末のコンクールへ向けて猛烈な追い込みが始まっていた。
*
その日の昼休み。教室でうとうとしていた私は、覚えのあるメロディーに気づいて顔を上げる。コンクール自由曲のアルトパートだが、今は部活の練習時間ではない。
探してみると、中庭の隅。
細かなやりとりまでは見えないが、奏恵先輩の指導にはかなりの熱が入っているようだ。結樹も猛烈に食らいついているのが分かる、ここから声をかけたりしたらダメな空気だ。
しばらく見つめていると、別の教室の窓から同じように彼女たちを見下ろしている影に気づく。同期で別クラスのアルト、
「はるちゃんお疲れ、アルト何かあったの?」
廊下で合流した春菜に訊ねる。
「特に大きな問題って訳じゃないんだけどね。昨日の結樹ちゃん、奏恵さんに指摘されること多くて。放課後の練習までに直そうとしてるんじゃないかな?」
奏恵先輩は、部員の中で一番音楽に詳しい人だ。ひとりひとりの声を正確に聴き分けられるし、コーラスのアレンジだってできる。それゆえに合唱の粗にも敏感だし、厳しい指摘も多い。良い先輩には間違いないが、私は少し苦手だ。希和に至っては、はっきり相性が悪い。
「そっか……奏恵さん、ゴールド取るって張り切ってるしね」
「うん。それに奏恵さん、結樹ちゃんへの思い入れは特に強いから。自分の立場を継いで、部をビシッと引き締められるのは結樹ちゃんだろうって」
「二年生だとそうなるよね。香永ちゃんとかも有望そうだけど、いきなり後輩に任せるのも悪いし」
色んな意味でリーダーらしい人が多かった先輩たちに比べ、結樹が常にリードしているのが私たちの期だ。精神的・実務的なリーダー適性と音楽面のスキルは別とはいえ、下手な人にはついていきたくないのが人情である。結樹が目立って下手ということは全くないが、本番までに追い込んでおきたいという焦りは想像できた。
「それに結樹はな……無理しちゃうくらいの理由、あるからな」
あまり考えないようにしていたことだが、つい私は口に出してしまう。奏恵先輩の彼氏は真田先輩、結樹が好き――強く尊敬している男性、その人だ。
この二人はただのカップルではない。かつて奏恵先輩は親に虐待されていたらしく、今は親から離れ祖母と暮らしている。その大変な時期に奏恵先輩を助けていたのが、古くから付き合いのあった真田先輩たちの家族だ。今でも半分夫婦のように、支え合って生きているのが分かる。
二人をよく知るからこそ、引き裂いてはいけないと分かる。結樹が真田先輩を慕う一方、恋の相手として諦めているのにはそんな事情があった。
そして。ただ諦めるのでは収まらないのが結樹である。
慕う彼に恥じないように、そして彼が愛する奏恵先輩に報いられるように、ひたすら結樹は努力を続けてきた。結樹が奏恵先輩からできるだけ多くを継ごうとしているのも、彼への想いが根底にある……後半は私の推測にすぎないけれど。
美しい想いだ、美しい努力だ。けど、そうやって頑張る結樹は、あまり私の方を向いていない。私が結樹に憧れて歩み続ける日々の中、結樹はずっと別の誰かに焦がれている。
そもそも私が勝手に憧れているだけで、友達の分際で望みすぎだとは分かっているけれど。
「まあいいや、後で私たちも頑張ろうね」
なんだか春菜に当たってしまいそうだったので、その場を去ろうとすると。
「詩ちゃん、」
春菜に呼び止められる。
「大丈夫だよ。結樹ちゃんは、ちゃんと私たちを見てるから」
春菜は控えめなようで、人の感情に聡い。ときには今みたいに、隠そうとした一面すら拾いにくる。
「……うん、ありがとう!」
バレてるのは恥ずかしいけど、分かってもらえるのは嬉しい。今度こそ笑顔を見せて、私は教室に戻った。
*
コンクール直前の、練習後の時間。私たち二年生は、次期の役職を決める話し合いを開いていた。吹奏楽部ではより多くの役職があると聞いているが、小規模の雪坂合唱部では正副部長のみを公式に決め、他は「得意な人」で回すことになっている。
話し合いとはいえ、もう決まっているようなものだった。二年生の五人が席についたところで、結樹が口を開く。いつも通りの始まり方だ。
「じゃあこれから、次期役職を決めていきます……まずは部長、立候補もしくは推薦がある人」
結樹の問いかけから一拍置いて、
「はい、
「結樹さんを推薦します」
次いで春菜と私も「賛成です」と発言。
「他にやりたい人いたら譲るし、なんなら誰かの立候補も期待してたんだけど……」
当の結樹はバツが悪そうだったが、他四人を見回してから手を挙げる。
「では私がやらせていただいて、宜しいでしょうか」
今度こそ全員で拍手。収まるのを待って、結樹は続ける。
「次に副部長です、立候補または推薦がある人」
少し迷ってから、私は手を挙げる。
「……はい、詩葉」
結樹は驚いたようだが、すぐに指名してくれた。
「はい。希和くんを推薦します」
またもや、春菜と明から賛同。結樹も頷いて、希和に視線を移す。
「……いや、良いし納得なんだけど。結樹さんから指名されるものだとばかり」
以前なら希和の言う通りだっただろう。だからこその、私なりの前進だ。自分がやるほどの勇気はないし結局は予定調和だけど、せめて自分が関わった跡は残したかったのだ。
希和も承認を経て、本題は終了。しかし結樹はもう少し話を聞きたいらしい。
「一応、みんながどうして役職を避けたのか、あるいは私たちを推薦したのかも聞いておきたい……詩葉は?」
「中学から見ていて、結樹とまれくんのコンビが安定しているのは知ってるから。結樹は思い切りがよくて主張も強い。まれくんの考えすぎな所と合わせていいバランスになると思う」
「うん、私は【団子の
「三年も前のネタを掘り返さない!」
中二のとき、結樹と希和のコンビを「熟慮の飯田、断行の武澤」と評した先生がいたのだ。しかし当時の私は元の四字熟語を知らず、聞き間違えて「団子ってどういうことですか」という失言をかましたのだ……けど結樹も覚えててくれたんだ、嬉しい。ともかく、私からの説明を続ける。
「あと去年の新聞の件で分かったけど、まれくんはいい意味で恥を知らないというか」
「言い方!?」
希和の抗議に笑いが起きる。確かにちょっと、口が滑った。
「ごめんごめん、だから……まれくん、他の人の立場のことはよく考えるけど、自分がどう思われてるかあまり気にしないからさ、よそに会いにいくときは便利だと思う。私は人の顔色ばっか見ちゃうから、向いてないし」
正確には、以前は伸び伸びやりすぎて後で辛かった、だから今は敏感になっている、だ。結樹ならその辺の事情も分かるだろう。
「分かった、春菜は?」
「二人が向いてるって点は詩ちゃんと同じ。後、私は結樹ちゃんが忙しいぶんパートのことに集中したいから。先生いないときにピアノ弾くの、私もできるし」
春菜は耳がいいしお手本も上手い。今は先輩に譲ることが多いが、いずれは指導役としても伸びるのだろう。
「うん、確かに春菜には音楽面を任せたい……で、明は? もっと色んなことチャレンジしたいとか言ってたけど」
「ウチ、
「いつからタレントになったんだよ……まあ確かに、明を他の先生に会わせるのは私も不安」
こうして話し合いは迅速に終わり、私たちは帰路につく。途中、明からこんな言葉が。
「けど結樹はマジでリーダーキャラが安定だよね、政治家とか考えたことないの?」
「憧れないっていえば嘘だよ。けど庶民からなるには厳しいだろうし、あんなのプライベートぼろぼろじゃん? 私は薬局薬剤師になって、仕事も子育ても趣味もバランスよくやるってビジョンがあるの」
結樹の将来の目標は、出会った頃からこんな感じだ。ご両親は「もっと大きな夢を語っていいのに」「独身のままでも構わないぞ」とも思っているらしいが、結樹自身は堅実派である。そのために苦手科目にも力を入れているし、高校生としては模範的すぎるくらい模範的だ。見習いたい。
しかし結樹から将来の……結婚や子育ての話を聞くと、胸がざわついてしまう。私以上に大切で特別な「家族」になる人に、嫉妬してしまう。親友が離れるのが寂しいなんて、大人が言うものじゃないって分かってるのに。
中学で出会ってから、ずっと結樹を目標にしてきた。性格も雰囲気も正反対なりに、強さを見習おうとしてきた。
けど、その終わりだって遠くない。これから大事な本番なのに、もう高校生活の終わりの心配をしてしまっている。
……振り切るには刺激が必要だ。
「ねえ、はるちゃん」
「なに?」
「私の背中に気合いを入れてほしい、バシンと」
「……それ、本気で叩いていいの?」
「うん!」
「よ〜し……喝っ!!」
結構痛かった。
私と近い小柄な女子なので油断していたが、春菜はかなり力持ちなんだった……祖父と山歩きしていた成果、とか何とか。
「ごめん詩ちゃん、痛かった?」
「だい……じょぶ、大丈夫、ビシッと来たよ。よっしゃ、燃えてきた!」
空元気でいい、今はとにかく前を見よう。
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