2-4 信じ合う友情だけじゃ、やってけない?

 真面目そう、ともすれば地味な生徒も多い雪坂ゆきさか高校において、あきは派手めな女子だった。他校の生徒とも積極的に会う華やかなグループにも出入りしているらしい。そもそも最初は「歌う部活が合唱しかないから入ったけど、ほんとは軽音とかやりたかった」みたいな姿勢だった、今では合唱のことも好きになっているようだが。

 私も最初は近づきにくかったが、同じパートで歌ううちに自然と仲良くなった。高校生のお小遣いでも手軽に可愛くなれるアイテムを教えてくれたりもする、ファッションの師匠みたいな人である。


 しかし希和まれかずとは反りが合わない。希和は明を怖がっていたし、明も希和を積極的に避けていた。人間どうし合わないのは仕方ないし、部の練習にまで影響するような不和ではなかったのだが。


 一回だけ、私は希和のことで明と喧嘩になったことがある。



 まだ一年生の頃、同期の女子部員で遊びにいったときだ。春菜はるなは家の用があったらしく、私と結樹ゆきと明の三人で集まった。

 買い物の帰りに立ち寄ったファミレスで、結樹がトイレに立ったとき、明は出し抜けに希和のことを訊ねてきた。


詩葉うたはさ、飯田いいだのことってどう思ってるの?」

「どうって……大事な友達で部活の仲間、だけど」

「そうじゃなくて……いや詩葉にはそうなんだろうけどさ。付き合う気はあるのって話」

「それは……私はまだ、そういう仲にはならないでいいって思ってるけど」

「今はって何、後で好きになる予感とかあんの?」

「ううん。私、男子のこと好き~ってなった経験ないからさ。よく分かんないんだよ」


 あまり深掘りされたくない話だったので、あえて視線を逸らしてジュースを啜る。明はしばらく黙っていたが、また話を続けた。


「ごめん、この話されるの嫌かもしれないんだけどさ。やっぱりウチは気になっちゃう、だって飯田は間違いなく詩葉のこと好きよ、女として」

「うん、そう思われてるかもってのは察してるよ。けど、だからってすぐに決着つけなくていいんじゃない?」

「気持ちは分かるよ、ただでさえ部活内カップルは面倒になりそうだし、友達距離がベストってのはウチも思う。けどそれなら、詩葉はもうちょっと飯田と距離取った方がいいよ。今の距離は近すぎる」

「近いって別に、ベタベタ触ったりとかしてないじゃんお互い」

「そうじゃなくて接し方の話。気を許しすぎ、色々預けすぎ、ガードゆるすぎって言えば分かる? だって警戒心とかないでしょ、アイツに対して」

「それは……明ちゃんからしたら半年前に会ったばかり、かもだけどさ。私は中一から知ってるし、嬉しいも辛いも一緒に経験してきたんだよ。今さら、心の距離を置くとかしたくない」


 明は困ったように溜息をつく。

「……あのね詩葉、イヤな言い方するけどさ。詩葉はなんか、迫ればカラダ許してくれそうな気配あるんだよ。ちっちゃくて明るくて、ロリ系っていうかさ」

「子供っぽいのも弱そうなのも自覚してるけど! 飯田くんはそう受け取ったりしないよ。私がこだわりだすと面倒くさいってのも、我が強いのも知ってるし……そもそも、今まで一度も言わなかったよ。触らせろとか遊んでくれとか」

「そりゃ昔はね? けどもう高校生だよ?」


 そのときの明は、すいぶん大人に見えた。私と違って男子との交際経験も豊富だし、初体験だって済んでいるらしい。希和のことは私の方がよく知っているかもしれないけど、同年代の男子のことなら明の方がずっとよく知っている。


「好きな子と、ただ一緒にいるだけで楽しいとか、ありがとうって言われるだけで満足とか。もうそういう時期は過ぎてるんだよ。

 それに君たちだって、昔より一緒にいる時間は長いんでしょ? だったら飯田からしたら、もっと深い付き合いしたいって思うでしょ」

「そんなの……」


 言い返せなかった。

 恋愛なんて早いと言える、そんな時期じゃないことは分かっている。

 いずれ希和から告白されるかもしれない、それも分かっている。


 明からの教示は続く。

「ウチが飯田に感じ悪くしたり、アイツに聞こえるところで彼氏の話するのはさ。ウチを恋愛対象に見られたら困るってアピールなのよ。結樹だって上司みたいな接し方するし、そもそもハッキリ【男として見てない】言ってるらしいし。春菜とか他の先輩も、そんなに馴れ馴れしい距離じゃないよね。陽子さんと中村先輩が仲良いのだって、結局は付き合うはずだよ。

 合唱部で、ってかウチの周りで詩葉だけなんだよ。横から見てて付き合いそうって思えるような、友達にしては近すぎる距離で男に接して、友達のままでいたいって言ってるのは」


「……飯田くんは、ちゃんと私の気持ちを大事にしてくれる人だよ」

「好きだから付き合おうって、付き合ったならヤらせろって言われてさ。詩葉はちゃんと断れるの? 好きになってくれた人に嫌われたくないとか、友達を傷つけたくないとか、そういうタイプでしょ詩葉は。それはアイツも分かってるの」


 言い返せない。

 彼は私を大事にしてくれている、その気持ちを裏切るのが怖いのだって確かだ。裏切られるのが怖いのは彼も同じだから、この関係はすぐに変わらない。ずっとそう言い訳して、答えを先延ばしにしてきた。


「ウチは別に、飯田のこと悪い奴だとは思ってないよ。真面目だし、下品なこと言わないし、仲間想いなのは確かだと思ってる。昔はシンプルに地味でダサくて嫌いだったけどさ、いいところがあるのはウチなりに分かってきた。

 けど、十代の男なんだよ。やっぱりアイツにも欲はあるんだよ。仲良くされたら期待しちゃうし、信じられたら調子乗っちゃうんだよ。

 実際、今だってそういう状態だよアイツは。部活って関係に甘えて、詩葉相手に期待膨らませたり盛り上がったりしてるの、見てて分かるし……正直、キモい。詩葉が可哀想。だから詩葉は、ちゃんと壁つくってほしい」


 周りに聞かれないように、明の声は普段よりも低く抑えられている。珍しいそのトーンが、真剣さを際立たせていた。

「それに、普段から下ネタで盛り上がってる奴らよりさ。女子だらけの環境で、性欲がバレないように取り繕ってる奴の方が、何考えてるのか分からないし爆発したときはヤバイと思う。詩葉がそれに傷つけられるの、ウチは許せない」


 ――落ち着け、詩葉。

 明は私を心配してくれているんだ。

 私が悪だと言われている訳じゃないんだ。

 大人の男女の論理からすれば、明の方がずっと正しいんだ。


 なのに。

 頭が茹だったように熱くなって、叫びたくて堪らない。

 その怒りを明にぶつけるのが間違いだと分かっているから、手に爪を立てて必死に耐える。


「――え、ちょっと詩葉、ごめんて」


 明の焦った声と、目の感触で気づく、また私は泣いているらしい。

 困ったな。ちゃんと言い返して、分かってもらって、希和の名誉を守るのは、友達の役目なのにな。

 また、泣くしかできないや。


「詩葉、どうした」

 結樹の声、肩を抱かれる温度。


「ああ結樹、ごめん、ウチが変なこと言った」

「変って……明はちょっと待ってて。詩葉、行くぞ」


 一人で行けると意地を張ろうとしたけど、ロクに周りも見えない状態で店内を歩いたら迷惑だろう。結樹にちゃんと連れていってもらった方がいい。

 トイレに連れていかれ、顔を洗う。せっかくのお出かけだからと頑張ってみたのに、ひどい顔だった。


「ありがとね結樹、先に戻ってて」

「……そう、話は明から聞いていい?」

「うん。結樹にも聞いてほしい」


 訳もなく手を洗いながら、感情を整理する。


 希和は勿論、明だって大事な友達で仲間だ。ふたりとも嫌いになんてなりたくない。仲間どうしでずっと仲良くするなんて無理だと知ってるけど、それでも、あそこまで言われるのは苦しい。憎み合いが当たり前の世界だとしても、せめて好きな人たちの間では見たくなかった。


 けど、多分、それは私の甘えなのだろう。

 もう、遅いんだ。好きな人に好意だけで接していればいいのは子供だけだ、私たちはもうそんな年齢じゃないのだ。それを実感して、余計に胸が痛む。


 涙が収まったところで席に戻ると、明がすっと立ち上がった。

「詩葉、ごめんなさい」

 固い挨拶が嫌いな明には珍しい、丁寧なお辞儀。

「……いいから、顔上げて」

 私が腰を下ろすと、結樹が話を進めた。


「明から話は聞いた。詩葉、何か言いたいことは?」

「うん……明ちゃんが心配してくれるのは分かる、気をつけた方がいいのも分かる。

 それでもね、あんなこと言われるのは苦しい……私は私で、ちゃんと考えるから。嫌なことは嫌って言う、困ったらみんなにも相談する。だから、私の大事な友達を、侮辱しないで」

 喉が詰まりかけたけど、なんとか言えた。改めて明が謝ってくれて、気分も落ち着いてくる。


 一通りの儀式が済んだのを見てから、結樹は話を進める。

「忘れたいかもだけど、ちゃんとハッキリさせとくぞ。

 まず詩葉、お前が友達想いなのは知ってるけど、飯田にそこまで感情移入しなくていい。あいつだって、陰で女子から警戒されてることくらい承知してる……そもそも詩葉は、」

「他人のことで動揺しすぎ、でしょ?」

「そう……まあ、優しさの裏返しなのは分かるけど」


 結樹から何度も言われていることだ。自分の面倒も見きれてないのに他人の心配しすぎだ、と。


「それで明、心配は正しいけど言い過ぎだ……後、大人しい奴ほど危ないみたいな話? あれは完全に偏見だろ、自分で思うのは自由だけど人に押しつけるな。それにアイツみたいな行儀の良さが部活に必要なのも確かだろ」

「うん、それは分かってるし、反省してる」

「その上で。飯田が変な気を起こすリスクだけど、そんなに心配することはないよ。あいつは合唱部にできた自分の居場所を守るのに必死だ、部にいられなくなるような真似はしない。部の人間関係そのものが安全装置になる……それに、」


 結樹は少しだけ苦い顔をしてから、


「飯田はさ、好きな女がいたとして、自分から踏み出せる男じゃないよ。

 正面から伝えられるほどの自信もないし、卑怯な手に出る度胸もない」


 旧友としての的確な評価を下してみせた。


 多分、結樹の言う通りなのだろう、と私は思いながら。


 あんなに信頼しあってきたはずの結樹も、希和の良心を信じきってはいないんだと気づいて、それがまた悲しくなった。

 希和はいつも私に自信を持たせようと心を配ってくれるのに、私は彼の自信のなさに甘えている。それを受け入れかけている自分も、なんだか悲しかった。


 男女でも友情が成り立つに決まってるじゃないか、ずっとそう思ってきたのに。そんな問題が盛んに語られる理由が、自分にも分かってきてしまった。


 それでも、だからこそ。せめて私は、友達としてできる範囲で。私自身の気持ちを曲げない範囲で。

 彼が彼自身を誇れる手助けをしよう、そう決めていた。

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