2-3 ピュアとは、大人とは
二年生最初の試験は、思っていたよりも好調だった。一年生の後半で苦戦したときは、このまま成績が下がるようなら部活も考え直そうと親から言われていたので、一安心である。やはり、元気をもらえる人に恵まれたのが大きい。
合唱部では、文化祭に向けた準備が本格化してきた。
文化祭――
例年、合唱に詳しくない人も素直に楽しい、それでいて個々の技術の向上にもつながる企画を立てている。
今年の演目は「ドレミの歌・雪坂スペシャルバージョン(仮)」である。
元から合唱部では、発声練習に「ドレミの歌」を取り入れていた。全員でのユニゾンから始まり、ランダムにソロを割り振ることでそれぞれの歌い方を聞き合うのだ。自分のソロが急に回ってくる緊張感や、毎回違う組み合わせが起こるワクワク感から、みんなに愛されている基礎練習である。
この練習をさらにアレンジすることで、ダンスや楽器演奏まで加えた賑やかなステージにしよう、というのが今回のコンセプトだ。今の三年生、特にアルトの
そして、その発端となったのが。
「ほんと……皆さん凄いことになってますよね……」
「まあ、みんなこういうのが大好きだからさ。他校より感動させたいって気持ちも強いけど、私たちにしか出来ないステージをかまそう! って熱もすごくて」
私が答えると、陽向はふむふむと頷き。そして思い出したように笑みを零す。
「私たちが出会ったときも、そんなステージでしたよね」
去年の演奏会である、終演後に陽向と初めて会った日だ。
「ねえ……あれは本当に大変だったんだけどね。そのおかげでヒナちゃんが入ってくれたから、全部最高の思い出だよ……いや、私じゃなくてみんなのおかげだけどさ」
慌てて付け足すと、陽向の両手に頬を挟まれ、見つめられる。
「私が感動したのは、
「えへへ……相変わらず直球だなあ」
陽向にじっと見つめられながら贈られた言葉に、もう隠せないくらいに頬が緩む。身近にファンがいるの、心身の健康にいい……
*
この企画では合唱以外にも多くの要素が取り入れられているのだが、私にも新しいチャレンジが割り振られていた。ミュージカル調の台詞である、出典の映画をイメージした「歌のお姉さん」的な語りを担当することになっていた。
“ さあ、今度は歌と一緒に、楽器の音色で遊びましょう
それでは皆さんいきますよ、いち、に、さん、はい ”
その後には木琴・鉄琴・鍵盤ハーモニカも交えた演奏が続く。曲の表情が一変する大事なシーンだ。
最初に言い出したのは部長の
お芝居のように語りかけよう、という当初のアプローチは難航していた。そこで
「――うん、仕上がってきたよ! けど【さん、はい】にもっとアクセント置こうか。あと【いきますよ】の最初が下がってて聞き取りにくい」
「はい、直します!」
そして今、私は中庭で松垣先生の個別指導を受けていた。先生は基本的にポジティブなムードを崩さないが、不備は逃さない。理想と現状とのギャップを常に意識させてくれる人だ。
「じゃあもう一回いける?」
「先生のお手本、もう一回いいですか」
「はいよ、」
声色は勿論、息の吸い方や表情の動きまでしっかり脳に刻み、リテイク。
「いいよいいよ、言ったこと全部できてる!」
「ありがとうございます! 先生のおかげ……」
「じゃあ最後は、もっと感情こめて。今の詩ちゃんなら技術の土台ができてるから」
感情のない音楽は響かないけど、感情だけでも美しくはならない。基礎があり、技術があり、その上に感情が乗ることで聴き手の感動につながる――というのが、松垣先生のモットーだ。
「はい、イメージします……お姉さん……」
身近なお姉さんといえば結樹……はちょっとドライすぎる。子供たちに音楽を教えるというより、刀を持たせた子供たちの先陣に立って突撃する方が似合うだろう。実際は運動苦手だけど。
そもそも歌うのは私なのだ。私が誰かを導く姿を描くんだ――陽向が私に感動してくれたみたいに。陽向がもっと小さい頃の姿を想像してから、その子を導く自分を描く。
そして歌ったテイクに、松垣先生は満面の笑み。
「それ! 今の! 自分でも出来てるの分かったでしょ?」
「はい、すごく気持ちよかったです!」
「そうそう、じゃあ忘れないうちにもう一回」
壁を越えたと実感したところで、先生と共に音楽室へと戻る。
「やっぱり詩ちゃんに任せて正解だったよ、ピュアな魂が声に映えてて……あ、【ピュアな子】って言われるの嫌?」
先生に問われ、少し考える。
「明らかなイヤミじゃなかったら良いですよ。例えば仲良い子に、ピュアなところが好きって言われれば嬉しいです。ただ、」
不器用だけど純真な女子、というイメージを周りに持たれているのは察しているし、迷ったらそのイメージで通すようにもしている。昔は「何にでも首突っ込んでは騒ぐ、うざい奴」とか思われていたから、それよりはよほど良い。けど、それに葛藤がないわけじゃない。
「ただ?」
「ピュアとか純粋って、幼さとか未熟さの裏返しだと思うんです。ちゃんと心が大人になれていれば、そう思われることないじゃないのかなって」
「ああ、なるほどね……」
私の答えに、松垣先生はしばらく唸ってから。
「確かにさ。女の子は……というか人間みんな、悪意とか狡さに敏感になった方がいいんだよね。教師として言うのは心苦しいけど、人を疑うのは社会で必要なこと。けどね、」
校舎へと向かう私たちの横、運動部の生徒たちが一心に筋トレに励んでいる。
「こうやって人と話していて。実は私は嫌われているのかもな~、とか。人の歌を聴いていて、歌っているこの人は実は音楽とか好きじゃないのかもな~、とか。そういうの気にするの、先生は嫌なんだよね」
「……だから、ピュアさも必要、ってことですか?」
「必要とまではいかないけど、そういう人がいてくれたら嬉しいって話。先生は合唱部みんなのことが大切だけど、初めて会った日から詩ちゃんのことは印象に残ってたの。それはきっと、詩ちゃんが純粋な心で音楽と仲間に向き合っていたから、なんだよね。この人たちとここで歌うのが大好き、そんな気持ち」
先生の言うような感情は、確かにずっと抱いている。ただ他の人と比べようがないので、自分が特殊なのかは分からない。
「私がみんなと比べてどう、みたいなのは分からないですけど。先生がそう思ってくれたなら私は嬉しいですし、張り切って歌えますよ」
「うん、詩ちゃんのそういう所を応援してるよ。ずっとそんな心で歌ってほしい……というか、歌い続けられる人生であってほしい、かな」
少し陰を覗かせる先生。音大出身ともなると、音楽を嫌いになってしまった人も知り合いにいるのかもしれない。
音楽室に戻ると、耳慣れない英語を唱える一団がいた。
「ヘイ、調子はどうだいラッパーチーム?」
節をつけながら訊ねる先生に、明は顔を上げて「気分じょう・じょう・じょう、だぜ奈々ちゃん!」とノリノリで返す。明は基本的に教師のことが嫌いだが、松垣先生のことは姉のように慕っている。さすがにフランクすぎる気もするが。
中村先輩も顔を上げて、真面目に説明を返す。運動部の方がしっくり来そうな大柄な人だ、直属の後輩である希和とは正反対。
「
「なるほどね、ここに関しては先生も指導しづらいから。格好よく仕上げてくれればオッケーよ」
「ドレミの歌スペシャル」のアレンジの一つ、英語ラップである。音階の英語名であるAからGのアルファベット、その各文字から始まるフレーズで合唱部を表わす……という歌詞を希和が作り。明と中村先輩が歌うことになっている。
発想が斜め上すぎるが、決まれば格好いいのは間違いない。希和は悩んでいる最中らしいが、なんだか楽しそうだった。
「じゃあ飯田、ゆっくりめに喋るから判断して」
「うん、お願い」
明が実演し、希和が直す方向を考えている。やや事務的ながらも二人が共同で取り組んでいる姿に、少しだけ泣きそうになった。
同期ソプラノ、
彼女は希和のことをよく思っていない、なんなら一時期は「嫌い」と明言していたのだ。
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