2-2 守りたい、友達の距離

 翌日。

 約束通り、私は希和まれかずと放課後の教室に残っていた。

「それで詩葉うたはさん、何やるの今日。数学?」

「数学は塾でやってるから英語で……一応、苦手じゃない教科って設定だから維持したいの」

「設定守るのは大事ね、で?」

「長文みてもらいたいの。あの先生のテスト、教科書の問題以外に新しい長文も出すでしょ? 私あそこが取れなくて」

「いいけど、どの問題?」

「これ、私が家でやってる問題集。コピー取ってきたから、時間決めて一緒に解いて、それから詰まったところ聞きたい」

「了解……目安は十五分ね、じゃあ早速いこっか」


 高校生の男女がするには色気のない会話、なのだろうけれど。私にとっては心地良かった、希和のこういう真面目さは好きだ。

 私たちはすぐに黙って、問題に取り組む。教室を出ていく女子グループがからかうような目を向けてきた気はするが、無視。私も彼も、恋愛沙汰には縁のない側だとイメージされているだろうし、たとえ勘違いされても彼となら構わない。親密らしい空気を出しておけば、他の男子にちょっかいを掛けられることも少ないだろう――という心配があるほどモテる訳でもないが。


 今日はあまりいいコンディションではない。けど、結樹ゆき陽向ひなただって別の場所で頑張っているはずなのだ、みんなに恥じないくらいには私も励みたい。


 十分ほど経ったところで、希和がシャーペンを走らせる音が止まった。やはり、私よりは格段に早い。しかし彼は終わったとは言わず、静かに英文を読み返しているようだ。

 本番を意識して、時間ギリギリで最後の空欄を埋める。やや勘頼りになってしまったが、「白紙は降伏と同じ」という結樹のモットーに従ったのだ。


 見計らったように希和が呟く。

「時間だね……どうする、休憩取る?」

 トイレに行くほどではないが、集中した分どっとダルさに襲われていた。

「ね、一分くらい休もう……」


 机に突っ伏して目を閉じる。こういうとき、結樹が髪を撫でてくれたら最高なのだけど、ここに居ないし居ても断られそうなので想像で我慢だ。けど陽向なら喜んでやってくれそうだな……そもそも陽向は甘える方じゃなくて甘えられる方が絶対に似合う。「えらいですよ詩葉さん」と甘やかしてくれるのを脳内再生すると、思わず笑い声が漏れてしまった。


「え、何? 夢?」

 希和に怪訝そうに突っ込まれる。

「いや、起きてる……けど夢っちゃ夢だね、ヒナちゃんに甘やかしてもらうの妄想してたから」

 本人は勿論、他の女子部員に言ったら引かれそうだが。希和は大体「女子同士はそういうものだろう、よく分からんけど」という粗い解像度で受け取ってくれるので、こういう話もしやすいのだ。


「ええ……ほんとに好きねえ、月野つきのさんのこと」

「うん、めちゃくちゃ大好き。朝起きてしんどいときもね、今日もヒナちゃんに会えるぞ~って思うと元気出てくるから」

「しんどいって、どっか具合……ああ、いや。日々大変ね、女性陣」

「まあね」


 女子の事情も察してくれるあたり、彼はそれほど無遠慮ではないのだろう。そもそも彼は普段から、しんどそうな作業を進んでやってくれる――というか回される人だ。本人が意識しているかはともかく、さりげなく助かっている。

 とはいえ、体の話をすると「けど男子は分かんないじゃん」というオチになるのは見えているし、お互い気まずくなるだけだろう。もっと色々言えたら楽そうだけど、曖昧なままにしておく方が無難そうだった。


 ――けど陽向なら、全て打ち明けた上で労ってくれる間柄になれそうだな、という考えが浮かぶ。さすがに甘えすぎだぞ、詩葉。


「よし、チャージ完了……答え合わせしよっか」

 私が言うと、立ち上がってストレッチ(らしい謎の動き)をしていた希和も席につく。

 お互いの答案を交換しての答え合わせだ。自分の苦手をごまかさないために、私たちは人に採点してもらうことにしている。私へ答案を渡しながら、彼は付け足す。

「前も言ったけど、解答の和訳はできるだけ見ないようにね。どこが分からなかったか覚えとこう」


 希和はスペルミスを除いてほぼ満点だった。相変わらず英語は強い、そして相変わらず字が汚い。読めることは読めるが、あまり気持ちよくはない……ということは散々指摘されているので、今は言わないでおこう。


「まれくん、最近は分かりやすい訳にしてるんだね?」

 そう言うと、希和は「仕方ないし」と眉をしかめる。彼は「モロに翻訳っぽい日本語」が嫌いで、場面に合わせた自然な言い回しの和訳にするこだわりがあった。その気持ちは教師にも伝わっており、たまにセンスを評価されてもいるのだが、「学校英語でやられると困る、採点する身にもなれ」と文句を言われていたのだ。

 ちなみに、前に私が「それより字を読みやすくしなよ」と言ったら拗ねていて、ちょっと可愛かった。


「はい、詩葉さんの。まあまあ良いんじゃない?」

 一方の私の答案は、やはり間違いが目立っていた。解釈の選択問題も間違っていたし、和訳も不完全。

「なんとなく思ったんだけど。詩葉さん、解釈で迷ったときって【みんなが賛成しそう】な選択肢にしてないかな? ここもそう」

「あ~……確かにそうかも。けど、文章ってそうじゃないの?」

「気持ちは分かるけど、小説のキャラとか論説文でみんなが言いそうなことばっかり書いてあったらつまらないじゃん? 人と違うことこそ主張とか感情で映える訳だし」


 希和が何やら早口になってくる、彼はこの手の理屈っぽい話が昔から好きなのだ。しかし昔に比べ分別がついたのか、彼はすぐに話を戻す。

「ごめん、脱線した。とにかく現代文と同じで、自分の感想じゃなくて文章から読み取れることが正解って話……じゃあ最初から内容を追っていこうか」


 私が考えていた訳を彼に聞いてもらい、詰まったところで細かく文法を見る。彼はちゃんと「授業でやったアレがコレだよ」と示してくれるので、広く復習ができるのだ。「長かったら逆接の後から読むと早いよ」「代名詞が来たら焦らず、ちゃんと拾ってから進んで」といった攻略法も教えてくれる。

 この教え方は、私にとって他の誰より合うものだった。この高校に受かったのも、受験期に彼が面倒を見てくれたから、かもしれない。結樹を追いかけたから、が一番だろうけれど。


「やっぱり先生より分かりやすいよ、まれくん」

「それは嬉しいけど……授業で言われてないことって僕も言ってないはずだよ?」

「そうなんだろうけど、あの先生の話ってなんか聞きづらくない?」

「どうだろ……しょっちゅうトーン上がるから、寝かけてたりボーッとしてても意識戻ってくるじゃん、だからやりやすい印象」

「私それが嫌……おじさんが声張ってるの苦手なのかな。政治のことも知らなきゃってニュース観てても、非難しあってるの観ると気分下がるんだよね。自分が責められてる訳じゃないのに」

「ああ、そういうね……」

 その点、希和はだいたい穏やかだし、大声で突っ込んだりするときも棘がないのでいい。何を言っても重く響かないと、彼自身は悩んでいるようだったが。


 そうして希和と復習するうち、最近の授業で扱った文法はかなりカバーされていた。彼は全て分かっている様子だったので、私に合わせる形になってしまったのだろう。

「ごめんね、私が足引っ張っちゃって」

「いや全然。英文読むのフィーリングに頼ってたから、僕も基本の復習できて良かった」

 私を一方的に「助けてもらう側」にしない、そういう気遣いはやっぱり嬉しい、だから照れ隠しもしたくなる。


「何それ、感覚で英語読める高校生なんか嫌いだし」

「……月野さんも多分そうだと思う」

「そうじゃん! ごめんヒナちゃん許して」

「はいはい……どうする? 結樹さん来るまで」


 それぞれ学校で勉強してから、帰るときに合流する手筈だった。電車の時間から逆算して、五分くらいは余裕があるだろう。

「んん……ちょっと休みたい」

「そ、お疲れ」


 彼は手早く荷物を片付け、机の位置を直すと、自分の席に戻って本を読みだした。席を立つ気配もないので、気を抜いて休むことにする。


 私の苦手を補ってくれるところ。

 歩調を合わせて、一緒に向き合ってくれるところ。

 自分の得意を威張らないところ。

 一方的なサービスじゃなく、対等な助け合いだと位置づけるところ。

 放っておいてほしいときには、そっと近くにいてくれるところ。

 こうやって隙を見せても、つけ込まないところ。

 どこまでも、私の気持ちを考えてくれるところ。


 全部、好きだ。

 人生のパートナーになってほしい男性は、こういう人だ。こんな支え合いが、きっと大人になっても続けられる。


 それでもやっぱり、今の私の感情は恋じゃない。

 もし彼への好意が恋なら、いま私は彼に触れてほしいはずだ。勉強を教わる途中には撫でてほしい、終わったらご褒美のキスがほしい、机で寝ていたら寄り添ってほしい、そういう気持ちが湧くはずなんだ。

 けど今の私はそのどれも嫌で、そのどれも起こそうとしない彼だから良かったのだ。


 同時に。彼がそれらを望んでいることも察しはつく。キスやハグまでいかなくても、ちょっとすり寄ってみたり、手をつないでみたりすれば、男子は喜ぶんだと思う。言葉よりずっと、いいお礼になるんだと思う――他の男子はともかく、希和にとっては。


 分かるからこそ、したくない。私の体を、彼からの好意を、力関係の天秤に乗せたくない。乗せたら最後、今の距離は守れない。もっと近づくか、取り返しつかないほど遠ざけるかしかできない。


 希和に。カラダ目当ての下心がないとは言わない、けどそれだけじゃないのも確かだ。中学のとき、外見のせいで苛められていた――男子の性的な関心が全然向かないような女子のことを、彼はずっと庇っていた。見返りなんかなく、彼は困ってる人に優しくできるだけだ。


 彼だって、色んなことに気を配って、我慢して、今の距離を守ろうとしてくれているんだ。私と、部活まで含めたみんなとの関係を。

 だから私も、これ以上は踏み込まないでいよう。付き合い方を選ばなきゃいけなくなったら、そのときに考えればいい。


 微睡んでいると、聞き慣れた足音がする。

「お待たせ」

 結樹の声だ……せっかくだし結樹に起こしてほしくて、もう少し寝たふりをすると、先に希和が答えていた。

「結樹さんお疲れ、物理の調子はどうですか」

「やっぱり先生とのマンツーは効くよ、これで私も太刀打ちできそうだ」

「ここから巻き返せそう?」

「中国大返しばりに巻き返すぞ」

「そりゃ何より、国家安康で君臣豊楽だね」

「この流れでそれ出すの邪悪すぎないか?」

「鳴かせてみようとしたホトトギスが逃げちゃったタイプじゃないの、あの家は」


 二人で何やら盛り上がっている、たぶん歴史ネタだろう。私はついていけないので諦めているが、こうした会話は聞いているだけで楽しい。


「さて……寝てる奴を起こす前に帰るか」

「いや置き去りにしないで!?」

 結樹の声に、慌てて飛び起きる。結樹は私を待たずにすたすたと歩き出してしまったので、早足で追いかける。その後から、「転ばないでね」と希和がついてくる。


 ずっと。ずっと。

 こうやって友達でいられたら、幸せなんだけどな。


 卒業する頃は変わっちゃうんだろうな。


 けど、まだ二年ある。

 あと二年、大切に過ごそう。

 きっとその先で、納得のいく向き合い方が見つかるはずだ。

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