1-2 友情と特別の、行き先
それから半年後、二○一三年四月。
合唱部には、退職された以前の顧問に代わる新しい先生が来て、それをきっかけに部員間での呼び方が変わったりした。
入学式の後、合唱部は基礎練習に加えて、翌日からの新入生勧誘へ向けた打ち合わせを行った。
その帰り道。高二になった私は、馴染みの同期と電車に揺られていた。
私と、
「明日から勧誘で、また私たちも先輩になるのか……とりあえず悪い奴が入らないといいが」
本気で心配なのか、結樹の眉には皺が寄っている。結樹、
「僕は後輩というか、単に仲間が入るって感覚だけどね」
希和が答える。喩えるなら草食動物、小柄で眼鏡で弱そうな外見の通り、彼はだいたい腰が低い。そのくせ芯は強いというか、物怖じせずチャレンジする所もある。
「威張らないのは
「手厳しい……僕だってちゃんと頑張りますよ」
結樹と希和、二人は中学の行事の運営で知り合って以来、ずっとこんな感じだ。姉と弟、あるいは上司と部下。けど結樹がいつもリードしている訳ではなく、お互いの長所を活かしあって色んな仕事をしてきた。たまに私も一緒に。
結樹は私が独占したい、という気持ちは確かにある。けど、希和といるときの結樹は、私の前とは違う雰囲気を見せてくれるのだ。ドラマの女刑事みたいな堅さだったり、私には分からない趣味で盛り上がっているときの柔らかさだったり。
それに、この二人は付き合ったりはしない。結樹が明確に「飯田は男としてどうこうって相手じゃない」と言っているし、希和もその気らしい。私が仲間外れになる心配も、結樹を取られる心配もないので、この三人でいるのはずっと好きなのだ。
「けど、優秀な男子に来てほしいのは確かよ? 今は強力な先輩たちいるけど、男子ひとりになったらパート分けも地獄でしょう」
新二年生で唯一の男子、希和はやはりそこが不安だ。他校は分からないが、うちの合唱部は常に男子が少ない。パート分けでも苦労が絶えないのに、他部の男子からはハーレム扱いされて困る……と希和はよくぼやいている。実際、少なくともこの学年でハーレム状態になることはまずない。「飯田は男じゃない、おじいちゃん」という
それはともかく、仲間の不安を放っておくにもいかず私も答える。
「まあ私たちだって、元は女子だけだったんだからさ。きっと男子も入ってくれるよ。ねえ、まれくん?」
新顧問の松垣先生は、部員をファーストネームや愛称で呼ぶことにこだわっていた。その影響で、希和が「まれくん」と呼ばれるようになったのも最近のこと。男子の名前呼びは小学校以来だが、やっぱり四音節は舌に馴染む。
「僕はケースがレアでしょう、取材先に吸収される記者はそんなにいないって」
希和の入部経緯はちょっと変わっていた。
高校入学当初、彼は部活ではなく委員会だけに入っていた。報道編集委員会、校内新聞の担当だ。彼は元から人に話を聞くことや、文章を書くのが好きだった。
しかし。委員会としても初の部活動密着記事に、新入りの彼が立候補。案が採用され、彼は合唱部の取材に来た……よく聞くと「
そして、取材として部で過ごし先輩たちと仲良くなるうちに、自分も歌いたくなったと入部してきた。初心者で苦手は多いけど、努力家だし視点が面白い。
「けどまれくんが先輩だったら過ごしやすいと思うよ、どこも怖くないし」
私の本音。やはり高校生にもなると男子への近寄りがたさは増してくるのだが、彼なら平気だ。部の先輩にはガッシリした人や王子様らしい人もいて、彼らの方が人気なのも知っているけど、私はちょっと避けている。
「それは舐められやすいと同義なんだけどねえ……」
希和の苦笑い。確かに彼は、他の男子には揉まれていることも多そうだった……直接は知らないけど、小学校時代はひどくいじめられていたとも聞く。あまり思い出したくない話だろう、話題を変えよう。
「それに、格好いい先輩なら結樹がいるもん! 男子はもちろん、女の子もいっぱい来るよ!」
自信たっぷりに宣言すると、希和はぷっと笑って、結樹は面倒臭そうに顔をしかめた……私にとって最大の真理なのに……
「私で部員が増えるなら歓迎だけどな……そんな奇異な趣味してるのは詩葉くらいだ」
奇異、奇異かあ……確かに私はちょっと重すぎるかもしれないけど。泣くほど感激するのは私くらいかもしれないけど。現に部の先輩も同期も、結樹のことはしょっちゅう褒めているのだ。
「え~、結樹が先輩だったら最高だよう……むしろ私が結樹の後輩になりたい」
「後輩にって、留年宣言か?」
「やっぱなし! 結樹と一緒に卒業できないのやだ!」
学力の話は笑い事ではない。中学の頃、結樹も希和も私よりずっと優秀だったのだ。何とかして結樹と同じ高校に行くべく必死に勉強したし、躍進のおかげで高校での部活も親に許してもらっている。とはいえ、成績が落ちると部活にも影響が出かねない……最近では文理も別れたので、結樹に勉強を聞ける機会も減っているのが辛い。
やがて電車は、結樹の最寄りに。
「じゃ、お疲れ」
いつも通り、てきぱきと席を立っていく結樹に手を伸ばす。
「結樹、また明日ね!」
結樹は振り向かないまま、けど手は伸ばし返してくれた……いや、振り払ったのかもしれないけど、最後のタッチはできた。温度を覚えるように、触れ合った指を手で包む。帰宅してからも頑張れるように、おまじないのような癖だ。
結樹を見送ったところで、希和が言った。
「心配しなくても、詩葉さんは良い先輩になるよ。ひたむきに真摯に頑張る姿はお手本になるから」
前から私が言及していた不安についてのフォローである。まっすぐ言葉にして伝えてくれるのは嬉しい――のだが、今はその裏にある感情を探ってしまいそうなので、話題の方向を変える。
「うん、まれくんもだよ……そういえばさ。合同演奏会のときのあの子、ちゃんと受かったかな?」
半年前、終演後の私たちに声をかけてきた女子中学生である。こうして話題に出すだけで気分が明るくなるくらい、私はずっと励まされてきた。他の部員に話してもみんな喜んでいた、その子にもうすぐ会えるかもしれない!
「受かってると思うよ、ずいぶん意思の強そうな子だったし。宣言――約束した君を裏切るもんかって必死になるタイプだと思う」
「だよね。楽しみだな、また会えるの……あんなにきりっとした可愛い子が隣にいたら、ずっとドキドキしそうじゃん?」
「僕に同意を求められても困るけどさ」
さらりと受け流す希和。合唱部の女子部員の間では頻繁に「かわいい」が飛び交うが、彼はいつもそこから距離を取っている。そういう話題に食いついてくる男子がいるのも、何となく分かる。
「ともかく、やる気のある人に入ってもらえるのは僕だって歓迎だよ」
ポジティブな言葉とは裏腹に、何か引っかかったようなニュアンス。その違和感を振り払いつつ、私も前向きに締めくくる。
「私も頑張らないとね、あの子が好きになってくれた私たちでいられるように」
一緒に電車を降りてから、希和と別れる。ひとりになってから早足で進む数分間、ここも彼と一緒だったら気が楽だろうと思う。けど、そこまでするのは「友達」らしくはないとも分かる。
希和は私を好いている、大事に想っている、それは確かだ。
同時に。彼からの感情の根っこは友情だと、ずっと思ってきた。だって恋愛なんて、もっとギラギラして強くて分かりやすいものだろう。もっと近づきたい、関係を塗り替えたい、それが恋だろう――彼からそれは感じない、この穏やかな距離をずっと守ろうとしている。私だって、今の距離が一番いい。
けど。
少しずつ。周りからの反応も踏まえながら、少しずつ。
彼が私に向ける想いの特別さを、無視できなくなってきた。
嬉しくない、訳じゃない。
けど、今が壊れるのは、どうしても怖い。
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