1-3 見つけたい、彼との恋路
その日の夜、
私は食事の傍ら、テレビのニュースについて両親が話すのを聞いていた。社会勉強のためでもあるけど、「世間」「大人」の考え方を知っておかないと危ない、という理由が一番大きかった。親に変に思われるのは避けたいので、自分からはあまり口を出さない。
姉妹や兄弟がいれば、こういう時間ももっと楽しかったかなと、たまに想像したくなる。結樹みたいなお姉ちゃんがいたら最高だし、希和みたいな……彼はどっちだろう。兄らしい雰囲気ではないけど、頭いい弟がいても困る。ともかく、いたら楽しい。
ニュースでは、若手の女性社長が特集されていた。同年代の女子目線を鋭敏に察したファッションブランドとして、注目を集めているらしい。業績も順調で、経営者としても評判とのことだ。
感心した様子の母は、父に訊ねる。
「お父さんの会社でもどうなの? 最近、女もリーダーにって言われてるじゃない」
「なんとか頑張っちゃいるし、女性社員に任せて成功したプロジェクトも出てきてるがな……ただでさえ人手がギリギリの所で、もっと増やせって言われても急にはキツい」
「ねえ、ずっとこんな不況で少子化じゃあねえ」
父は会社でそれなりの地位についている、らしい。たまに街で仕事関係の人に会うと、みんな父を尊敬している、ように見える。一人っ子ということもあって勉強にもお金をかけてくれている、私の好きなことへは消極的だけど。お父さんとしては距離を感じるけど、社会人としては立派なのだろう。
「けど
母に心配そうに言われ、私はご飯を呑み込んで答える。
「うん、分かってるよ。けど優秀な女の子も周りにいるから、そういう人が活躍できたらいいなって」
「ねえ、
社会で活躍するのに、男も女も関係ない――最近はそう聞くことが増えたし、私だってそう思う。
けど、それは強くて優秀な人たちの話だ。結樹みたいな女性の話だ。要領が悪くて感情に流されやすくて甘えたがりの、私みたいな人間にはあまり関係ない。私は、誰かに頼って生きていくしかないのだろう。
……ということを、母も考えていたようで。
「そういえば詩葉、
「うん、だって部活仲間だし。今日も結樹と三人で帰ってきたよ」
「そろそろ仲は進まないの?」
「言ったでしょ、部活の間はそういうこと考える性格じゃないんだよ、私も飯田くんも」
母はしきりに、私と希和の仲を気にしてくる……放っておいてほしいが、仕方ない。ひとり娘と親しい唯一の男子である、くっついてほしいのは親心だろう。
「飯田くん……どんなのだっけ」
父は私の交友関係をほぼ覚えていないので、個人名が出るたびに説明が必要になる。部活の仲間、中学からの親友、示す言葉は色々あるけれど。
「すごく真面目で頭いい子よ……ほら中学の文化祭で、選挙についてスピーチした彼」
「ああ、あの……ありゃ学校じゃモテないだろうが、社会で出世するのはああいう男だ」
「ねえ、ああいう子がいいパパになると思うのよ、今の時代」
親ウケするのは、こういう所だ。確かに長所ではあるし、私も立派だとは思うけど、ほんの一面だ……まあ、「あんな奴とは距離を置け」と言われるよりは、よほどいい。
「モテないとか言ったら可哀想でしょ、お父さん……実際、そうだけどさ」
内心で希和に詫びながら、父に話を合わせる。
「とにかくお母さんは、詩葉にはああいう男の子がピッタリだと思うから。他の子に取られちゃダメよ……ああいう彼と地元で結婚して、孫の顔まで見せてくれたら、それがお母さんの一番の幸せ。詩葉も大人になれば、そう思うはずだからね」
母に言い聞かされ、とりあえず頷いておく。実際、希和に対する母の見立ては間違ってもいないのだろう――娘の私のことは、分かっていないみたいだけど。
私のせいだとは分かっているけれど。母はずっと模範と現状を比べて私の方向を決めている。私がどうしたいか、それを一番に考えてくれた母は遠い昔にしかいない。
けど、母の言うことも分かる。
自分では覚えてもいない、遠い昔。家族で車に乗っていたとき、すぐ近くで大型車の暴走が起きた。すぐ前の車が巻き込まれて、乗っていた人は亡くなった。
ほんの少しの巡り合わせの違いで、私は死んでいたかもしれない。そもそも私は戦争もない時代に生まれて、大きな災害に遭うこともなく生きてきた、幸運な人間なんだ。
運よく生きていられる私は、生きられなかった人のぶんまで、立派に生きなきゃいけない。もらった命を、子供に繋がなきゃいけない。
どう生きたい、が見つからない私だから。結局、どう生きるべき、に甘えてしまうのだ。
*
明日の準備をしたところで、早めにベッドに入る。これから大事な勧誘期間だ、体調がブレやすいぶん睡眠はしっかり取りたい。
けど今日は、やはり希和のことが引っかかった。さっき話題に出たせいかもしれない。
……また、試してみようか。
目を閉じる。彼の姿や気配を思い出す――いつも顔を合わせている通りだ。
彼と手をつなぐ――物を渡すとき手が触れ合うくらいは経験ある、問題ない。
彼に抱きしめられる――緊張はするだろうけれど、慣れればリラックスできる、はず。
キス。この辺りから違和感が大きくなってくるけれど、それは誰とも経験がないからだろう。慣れれば、きっと。
その先。ジャージの下、胸元と足の間に、手を当てる。
人には見せない肌に触れられること。
私の中に、入ってくること。
実感のない中で、思い描くと。
「――――うっ」
だめだ、気持ち悪い。
目を開けて飛び起き、深呼吸。親を起こさないように静かにキッチンへと歩いて、水を飲み干す。胸のむかつきは、多少は収まってくれた。
ベッドに戻り、今度はちゃんと眠ろうとして。
「……ごめんね、」
希和が知るはずのないことを、それでも謝らずにはいられない。
誘われてもないのに、彼との体の関係を想像して気持ち悪くなるだなんて。友達に、仲間に、することじゃない。最悪だ。そもそも彼は、どれだけ仲良くなったとしても、できるだけ体が触れないよう気を遣ってくれているのだ。その良心を私が裏切ってどうする。
けど、気になるのだ、不安なのだ。私が彼に向けるはずの感情が、見つけられるのか。
可愛いと感じること、触れたいこと、一緒にいて心が躍ること。
希和から向けられる感情に、それらが含まれていることは分かる、男子から女子に向ければ、それが恋愛に発展することも知っている。
けど。それらは、仲の良い女子に私が向けるものと、それほど違わない。女子どうしで交わしあうのは友情の一環だ、なら男子からであっても友情になり得るだろう。
友情と恋愛を分けるものがあるとすれば、男女に特有の行為だろう。つまりはキスでセックスだ。それを望むなら、異性としての好きだろう。
希和は大事な友達だ、心強い仲間だ。離れたくないし、近くにいられると幸せな人だ。そもそも彼以外、大切に想える男性もいない。
けど。どうしても、体で結ばれることが受け容れられない。恋仲になると想像できない。周りの女の子が次々と大人のステップを上がっていく中、私は踏み出す気持ちすら湧いてこない。明はもう経験済みだというし、結樹だって同じ部活の真田先輩のことを気にしている……もっとも真田先輩には部内に彼女がいるのだが。
私の体つきが幼いのと一緒で、心も幼いからだ。時間が経てば、彼を男性として好きになれる。
昔はそう信じていたし、今もそう考えようとしている。けど、もう高校も二年目だ、その言い訳も弱くなっていく。
結婚せず独りで生きていく女性が増えた社会、になったとしても。私はそれほど強くない。男性に守られながら生きていく他ないのだろうし、その相手として希和は申し分ない。他の女子には人気がない彼だけど、私には男子の外見なんてそれほど気にならない。完璧な人だとは思わないけど、嫌う理由はない。
なのに。
友情をどれだけ伸ばそうとしても、恋に辿り着く気配がない。
好きになりたいのに、恋仲になるのが私にとって一番と分かっているのに、どうしても望めない。
心が落ち着かなくて、机の引き出しを開ける。中学の修学旅行で、結樹と撮った写真だ。京都の時代劇テーマパークで、結樹は侍の、私は町娘の扮装をしている……結樹には「二人で侍をやろう」と言われたのだが、格好よさで勝てる気がしなかったのだ。実際、結樹の侍姿は泣くほど格好よかった。いや、泣くのは自分でも予想外だったけど。
女子にしては高めの身長。鋭い、ときに怖くも見える目つき。いつも整えられた長い黒髪。たまに私に触れてくれる細長い指。
全部、昔から大好きだった。最近は、大人の女性らしい曲線も目立って、どんどん綺麗になっていく。それを感じるたび、これまでとは違う好きが芽生えていく。
多分、その正体は母性なのだろう。自分の母との距離が冷たく遠くなっていくのを埋めるように、大人らしくなっていく結樹を求めている。その肌に全身を預けて、甘やかされたいと願ってしまう。流石に本人には言えないけれど。
結樹への気持ちを恋と呼べたら、恋と呼んでいいのなら、どれだけ楽だろうか。
実際に、同性を愛する人がいることも知っている。その人たちが幸せになってくれたら、と願ってもいる。
けど、私はそうだと思われるのは、怖い。怖いというか、ダメだ。
前にテレビで、同性愛者の特集が組まれていたことがあった。
確か両親は、職場でもそういうことを意識しなければいけない、みたいなことを話していた気がする。
けどその後。
「……だが、身近にいたら付き合いづらい連中だな。それに親不孝だろ、やっぱり」
さっきまでの話は建前だとでも言うように、父は洩らしていた。
「だめよお父さん、あの人たちだって大変なんでしょうし」
父をたしなめた母は、その後。
「……なおらないのかしらね」
憐れむような口調だった。
それ以来。私が同性愛をどう思っているか、周りに言わないようにしている。私もそうかもしれないなんて、なおさら言える訳がない。結樹への好きは、友達の好きで、尊敬の好きだ。恋だと考えてしまったら、私はここにいられない。もう、一緒にいさせてくれない。
――しばらく結樹の写真を見つめてから、またベッドに潜る。両手を絡めて、結樹の温度を思い出して、手をつないだつもりで目を閉じる。今度は、無事に眠気に沈んでいけそうだった。
明日、また結樹に会える、隣にいられる。
希和だって友達のままだ、体の付き合いだなんて考える必要もないし、彼が迫ってくる心配もきっとない。
それに、あの女の子にだって会えるかもしれない。
大丈夫。
みんなとの心地いい世界は、すぐに消えたりしない。
今はまだ、行き先なんて決めなくていい。
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