第6話

 散る花びらが桃色のカーテンを広げた。肌寒い風が強く吹いた。

 駅のホームにアナウンスが鳴り響く。間もなく到着するであろう新幹線に今日ばかりは遅延して欲しいと願った。

 私にはブカブカの大きな上着、握った手は大きく温かい。


「もう少し、このまま時が止まって欲しいとか言ったら不謹慎だよね」


 彼は言った。


「……うぅぅ」


 溜めた涙が溢れ出る。彼は私の涙を拭う。


「大丈夫?」


「だいじょばない……」


 自分で決めた道だから、ここで引き下がれない。でも寂しいものは寂しいのだ。

 ずっと過ごしたこの街を離れ、都会で生活するのだ、しかし数年もすれば帰ってきてこちらで働くことができる。それでも離れることが嫌だ。


「なんか、いろんなことを思い出すよね」


 彼はそう言った。私は涙を拭う。


「例えばどんな?」


「1番印象深いのはあの日君に話しかけられたことかな」


「いつだっけ、それって」


「バイトで初めて出勤が被った時かな?」


「あー、思い出した」


「はじめましてのはずなのに、こんにちは!って言われた時は笑っちゃった」


「いや、仕方なく、恥ずかしい……」


「その時からかな?君のことが気になってたのは」


「同じ歳だしね、仲良くなるのは早かったもんね。それに君はずっと仕事してたし、よく会ってたから」


「まあ、週5でシフト入れてたからね〜」


「死ぬほど働くなと思ったよ」


「こっちも一人暮らしでお金必要だったからね」


「それもそうだよね」


「いろんなところにも行ったよね」


「私はあの桜が未だに忘れられない」


「俺はベタだけど浴衣姿が忘れられない」


「……ありがとう」


「君は相変わらず照れ屋で感情表現が下手だねぇ」


「こればっかりは治りません」


「それでも俺は可愛いと思うよ?」


「顔から火が出そう……」


「照れてる顔もさらに可愛いけどね?」


「どんだけ好きなんよ」


「……正直俺が養ってあげるから行かないで欲しいと思うくらいには寂しいし、それを思うくらいには好きだよ」


「……うん」


「でも、それは傲慢じゃん」


「欲張りさんだもんね」


「まあそだね。欲しいものは手に入れたい主義なところはある」


「私のことも?」


「絶対に俺の彼女にしたかった」


「えぇ、そんなに?」


「うん。そんなに」


「具体的にどの辺がいいと思ったの?」


「容姿も性格もどちらも良いと思うよ?」


「具体的には?」


「俺に弱いところ」


「……なんか腑に落ちないな」


「まあ、完全に俺の主観だからね」


「なんか特にここは!的なのは?」


「弱いけど強がってて、それでどうしても無理になって俺に頼ってくるところ」


「……ごめんなさい」


「いいよ、それくらい俺も迷惑かけたしこれからもかけるかもしれないし」


「……これからは減るじゃん」


「……そうだねぇ」


 しばしの無言。


「寂しいなぁって思う反面、頑張れって気持ちも強いんだよね」


「うん……」


「だから俺は引き止めれなかったのかもね」


「私ね」


「ん?」


「正直内定取れて、良かった反面東京に行かなきゃいけないって思った時に離れるのが怖いから内定取り消そうかなって思ったの」


「うん」


「好きで好きで堪らないこの街と、家族と、友達と、君と、離れたくないなぁって。ずっと考えてたんだ」


「うん」


「でも君が言ってくれた言葉に背中押されたというか」


「どんなのだっけ……」


「経験としてできることは全部しておくべきだって」


「あぁ。そうだね」


「だから、行こうと思ったんだ」


「いろんな道がある人生、自分でこれと決めることなんて怖いことでしかないんだと思う、俺もそうだし。だから背中を押そうと思ったのもあるかな」


「その言葉に助けられました」


「変に素直だからね」


「バカにした?」


「可愛いなと思って」


 彼の笑顔を見るたびにぐっと心が痛くなる。こんな私をずっと愛してくれてそばにいてくれるこの人がこれから先遠くにいることが果てしなく怖く苦しい。


「私がこの道を選ばなければどうなってたかな」


「ラプラスの悪魔みたいに、ことの先が決まってるわけじゃないから何とも言えないかな」


「ラプラス?ポケモン?」


「数学者。聞いたことない?」


「んー、わかんないかも。どういう意味?」


「リンゴを宙で手放したら落ちたり、ビリヤードの玉をキューで打ち出す速度や角度など物理的なステータスがわかれば未来どうなるのかが予測されるってこと。つまり結果が計算によって予測できるものって考え方」


「それだと、人生の結末も予測できるんじゃない?人がどう過ごして〜とか考えてみたら」


「いや、不確定性原理ってのがある以上不可能だよ」


「なんか今の会話、賢かったね」


「まあ、なにが言いたいかというと、未来は数学的に解明できないから、予想してもわからないよねって話」


「じゃあ、どこかでまた今日みたいな出来事が起こってたかもしれない?」


「そうだね、起こらないかもしれないし、起こってたとも思うよ」


「そう考えると寂しいね」


「でも改めていろんなことを思い出したりもできるよ」


「いろんなこと?」


「初めて会ったときも、君と付き合えたことも、喧嘩した日も、笑い合った日も、俺はすごく幸せだったんだなって君がいなくなるまで気づかなかったのかもしれない」


「うん……」


「だから、この瞬間にも俺は君にありがとうって思えるんだ」


「うん」


 溢れる涙が止まらない。


「これから先、きっと俺も寂しいと思うし辛いと思う。でも君は新しい世界を広げるために都会に行くんだよね、それはすごく不安だと思う。だから俺は思うんだ、今泣くと君に失礼かなって」


「……」


「頑張っておいで、俺はずっと待ってる」


「うぅ、うぅぅ」


 嗚咽が混じり苦しそうな声が漏れ出る。

 新幹線が到着して、扉が開いた。乗りたくないな。


「いってらっしゃい」


 彼は目にいっぱいの涙を溜めて笑顔で見送ってくれる。


「……行ってきます」


「うん。大好きだよ」


 柔らかい笑顔とその言葉がさらに涙が止まらない。

 閉まるドア、走っていく新幹線、動きに合わせて歩き出し手を振ってくれる彼。私も手を振り返す、果たして見えているのだろうか。

 そうして新幹線は彼を置いて走り出して行った。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 あの日から何年経ったのだろう。

 この街の景色は大きく変化したのか。大きなビルが立ち、思い出の場所もきっと姿そのままだが若干の変化があるだろう。

 あの時とは違う気持ちで違う環境で。私は帰ってきたのだ。


 駅のホームに桜の花びらが舞い込む。風に揺れ、陽の光に照らされた桃色の花びらは一枚一枚が幻想的な風景をうつしだす。


「おかえり」


 背後からの声に振り返る。

 あの時と街は変わった、気持ちも変わった、きっと私自身も変わったのだ。

 でも、だからこそ変わらずにあるものもそこにある。


 低めの声と、私よりも大きな体。あの時と変わらず優しい笑みがそこにはあった。

 私は溢れる涙を堪え満面の笑みを浮かべ、口を開く。


「ただいま」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恋の話 柊 綾人 @EGOIST96maru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ