第5話

「君ってさ、重いよね。俺には無理」

 誰からも言われたその言葉に私は笑ってそっかと言い残しその場を去る。

 何度繰り返しても何度経験しても押し寄せる涙が止まらない。心臓を掴まれるように、喉の奥を塞がれるように、視界が霞んでいき、息が詰まる。


「う、うぅぐ……」


 押し留めてたものが溢れ出た。喉の奥から絞り出てくるその声と、溜まりに溜まった涙がボタボタと落ちる。

 歩く足元がおぼつかない、震える指先が止まらない、笑う膝が力を失い、私を支えることすらできないほどに。


「……大丈夫?」


 そう声をかけてきたその男性は黒のパーカーのフードを目深に被り、タバコの煙を吐き出した。


「……はい」


 涙を拭い、声を抑える。ただ足に力は戻らない。


「ふーん、ならいいけどこの辺痴漢多いから早く帰ったほうがええで」


「痴漢……?」


「せやで、この辺であんたみたいな女ん子を狙う変態がウロウロしてるらしいねん。せやから俺はこの辺で問題起こされたらかなんから、早帰りやーって声かけ回ってんねん」


「……関西弁ですか?」


「あ、せやな。すまんな、聞き取れへんかった?」


「いえ、問題はないんですが」


「せやったら良かったわ。何や自分なんかあったん?」


 関西弁の彼は私にティッシュを差し出した。


「えっと、大丈夫です、化粧もつきますし」


「知ってるわ、やからティッシュ渡してんねん。これならポイできるやろ?」


 怪しい、の一言に尽きる彼。


「あの、私もう帰りますんで、本当に迷惑かけました」


 深々としてその場を去ろうとする。彼は「ほなら気をつけて帰りや」とだけ言うとその場をわたしより先に離れた。

 どこか不思議な雰囲気をか持ち出していたような彼の姿はもうない。私は未だに震える足で家まで帰る。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「あら、またおうたね」


 翌日。コンビニで買い物中に後ろに並んでいた人から声かけられた、それは彼だった。

 目元を見ていないから断言するのは難しいが、か持ち出す雰囲気と関西弁。パーカーのフードではなく今日はキャップをかぶっていた。


「あ、昨日はどうも……」


「いやいや、どうも言うてるけど俺実際に何もしてへんで?あれから無事に帰れた?」


「はい、大丈夫でした」


「そか。それなら全然。レジ空いたで?」


 私はレジに進む途中にあるホットの缶コーヒーを手に取った。そしてお会計を済ませた。

 お店を出て彼を少し待った。彼もすぐに店から出てきた。


「あの、昨日はご心配おかけしたみたいで、これお礼です」


「え?いやええよ。ほんまに何もしてへんねんからそんな」


「いえ、でもこれくらいしないと」


「んー、ほないただきます。ありがとうな。お礼と言っちゃなんやけどあそこに公園あるやんか、そこで少し駄弁らへん?」


 彼が指差した先にはちっちゃな公園がポツンとあった。


「あ、はい。立ち話もなんですし」


 私と彼は公園のベンチに腰掛けた。


「ほなコーヒーいただきます。最近肌寒いからホットなんほんまによかったわぁ」


「……今日はフードを被ってないんですね」


「ん?あー、あれな。俺って別にいかつないやん?やからいかつい奴が来たときに、うわ!危ないやつ来おったで!って思わせるためのカモフラやねん」


 彼はケタケタ笑いながらコーヒーを飲んだ。私も袋から水を取り出し一口飲んだ。


「こんなん聞くのは野暮ってのはわかってんねんけど、昨日泣いてたんはどしたん?」


「……振られちゃいました」


「……そか、ホンマすまんな。こんなこと聞いてしもて」


「いえ、私の方が悪いんです。重たい女だから連絡しないと不安になるし、ずーっとそばにいないと怖がりだし……」


「個人的な話してもええ?」


「え?」


「俺はそんなのめっちゃ嬉しいで?だってそんだけ俺のこと思ってくれてんねんなーって思えるやんか。やからその人は見る目ないんちゃうかな?知らんけど」


「あ、知らんけどって本当に言うんですね」


「言うなぁ、大阪やなくても関西やったら基本言うてるわ。……知らんけど」


「あ、また」


「やめてや!恥ずかしなぁ!もう気にしてまうやんか!」


 彼は帽子を取りワシワシと髪を解いた。赤くなった耳が可愛い。


「まあ、自分のしてきたことは返ってくんねん。こんちはーって感じやわ。やから君が振られたのなら、その子も誰かに振られるし、君が好きやと言うなら、誰かも君に好きやと言うねん。世の中のサイクルや」


「……なるほど」


「何もそんな難しい話ちゃうねん。思いが重いのは心ん中が誰よりも優しいっちゅーことやと思うよ?いつか君もそんな愛情を受け止めてくれる人に会える。それは間違いないわ」


「なんか、励ましてもらっちゃいましたね」


 しばしの無言。彼が腕時計に目をやる。


「やば!こんな時間やん!すまん、俺帰ってしやなあかんことあんねん……」


「いえいえ、全然私は大丈夫ですよ」


「ほんまにすまんなぁ、呼び止めといて。また会えたら今度は俺が奢るわな!じゃあ!」


 彼はそう言うと小走りに走っていった。

 私ももう一口水を飲み帰ろうとした。


「あ、ケータイ」


 ベンチに携帯が落ちていることに気づいた。私はまた夜にあの道なら彼に会えると思いその携帯を預かることにした。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「はぁ、はぁ、はぁ」


 夜道は危険がいっぱいだ。変な人がうろつくから、犯罪に巻き込まれやすいから。

 私は身を持って体感した。誰かにつけられてると思い振り返らずに走ろうとした時、誰かに腕を掴まれた。咄嗟に持っていた鞄で叩いて逃げてきて、どこかもわからない場所に至る。


「はぁ、はぁ、ねぇ、待ってよ」


 声の主が近づいてきた、その顔はよくみたこともある、私をあの時に振ったあの元彼だった。


「いや、謝りたくて。なのにすぐ逃げるから。なんで?」


 じわりと近づいてくると同時にじわりと後ろに下がる。

 震える指先が止まらない、呼吸がだんだん速くなる。


「な、何で今になって、謝ろうなんて」


「酷いこと言ったから、もう一回やり直そう?大丈夫、俺となら大丈夫だから」


「ううん、無理、怖いから、離れて」


「何でそんなこと言うんだよ、なぁ、新しい男でもできたのか?なぁ!」


 爛々と光るその眼光に吸い寄せられ睨みつけられた蛙のように足がすくむ。


「何とか言えよ!」


 大きな声にびくりと体が震える。


「やだ、助けて……」


「助けなんか来ないよ、だから、ほら、こっちにおいで?」


 腕を掴まれ引っ張られる。


「やだ、やだやだ!誰か!助けて!」


「なっにさらしとんねんボケぇ!」


 体が突き飛ばされた。後ろの民家の外壁にドンっと背中が当たる。

 そこには昼間にあった彼がいた。元彼の後ろから走ってきて、引き剥がしてくれたのだろう。もう少し優しくとも思えたが、安心感からかへたりとその場に座り込んだ。


「はぁ、はぁ、なんか声する思ったら、キッショい嫉妬に狂った男かいな。はっきしいってダサイで?自分」


「な、誰だよ!お前!」


「あぁ、俺か?お前に自己紹介したないんじゃキッショい。強いて言うなら『アホ撲滅委員会会長』やな」


「ふざけやがって!何なんだよ!」


「気に入らへんか?俺も気に入らへんわ。なんならあれやな『正義の味方』でどない?」


 彼はパーカーのジップを下ろすと、私にパーカーを渡してきた。小声で「それ被って俺の後ろから動かんといてや」と声をかけてきた。


「お、俺のこと舐めてんのか!殺すぞ!」


「おい、お前なんて言うた?殺す?ほんまに人殺そうとした事もない人間に殺す言われても、怖ないねん!」


 彼はそう言った瞬間に、殴り飛ばした。そして元彼はゴロンとアスファルトに転がると怯えるように逃げていった。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「あの、本当、ありがとう、ございます……」


 足のすくんで動けない私をその場で一緒に座って待ってくれてる。


「変なところに出くわしてもうたし、しゃーないと言えばしゃーないわな」


「何でお礼を言ったらいいのか、わからなくて、ただ怖くて怖くて」


「アホやなぁ、せやから言ったやんか!早帰りやって!何フラフラしててんな」


 怒りながらも優しく頭を撫でてくれる。


「あ、スマホを……」


「ん?スマホ?あ!せやスマホや!俺スマホ無くして探してんねん、知らんよな?」


「あの、ここに」


 ポケットからスマホを取り出しそのまま渡した。


「えぇー、持っててくれたん?ほんまおおきに!大きい声出してごめんな」


 彼は深々と頭を下げた。


「なんか大きい声してましたけど、大丈夫ですか?」


「あ、大丈夫ですー!ただ痴話喧嘩してみたいなもんで、あれ?大家さん!なにしてはりますの?」


「あぁ、君か。君にも手伝ってもらってる通り、不審者に対する警戒だよ」


「夜分にお疲れ様です。この辺は大丈夫そうやし、警察もおりましたんでなんとか大丈夫ちゃいます?」


「そうか、それなら私も帰るとするよ。彼女さんか?ちゃんと家まで送るんだよ」


「はい!送りますわ!」


 大家さんと呼ばれてたおじさんはその場を去っていった。


「ほな俺らも帰ろか。あいつまだあるかも知れへんし、俺もついていくわな」


「あ、ありがとうございます……」


「なに、そんなん気にしやんとき。こんな可愛い子置いてそそくさとは帰れへんからな」


 冗談で言ったのか、それとも本気なのか。

 私の恐怖をその一言で彼は消してくれた。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 あれから数週間が経った。あの事件以来私は仕事の終わりも夜道を歩く際は彼がそばにいてくれる。


「あの、これいつものお礼です。なんか気持ち程度だけど」


「別にかまへんのに。え?手作りクッキー?」


「はい、あ。手作り無理な人?」


「いや、そんな事ないねんけどな。なんか人の作ってくれたものが久しぶりすぎて、言葉にならへん」


「じゃあ、私はここで。ありがとうございました」


「こちらこそおおきにな。また明日」


 彼はそう言って帰っていった。

 それから数分が経ち、彼からLINEが届いた。


「クッキー美味しい」


 そんな少年みたいな彼に私は笑った。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 人に情をかければ情で返される。自分の行いが返ってくるように、悪い事もいい事も返ってくるのだろう。私は身を持ってそれを実感した。

 きっと、それが人のサイクルなのだろう。優しくされた分、私も優しさで返す。それが彼と私の接し方。でもいつかこの関係が変わるとするのなら、それはいつの話なんだろうか。でもきっと、行いが返ってくるのなら、いつの日か彼からもその答えが返ってくるんだろうと待ち続けようと思う。

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