弩級戦艦大直進
吟野慶隆
弩級戦艦大直進
ディスプレイには、白と黒のツートンが映し出されていた。水平線から下は、真っ黒な海で、水平線より上は、真っ白な霧で、塗り潰されている。
ボアラ・モーシンは、海洋を航行している最中である戦艦の、総合指揮室の中にいた。通常は座れない艦長席に腰かけている。
彼女は、真剣な面持ちで、目の前にあるディスプレイを見つめていた。そこには、船首付近に設けられているカメラから送られてきた映像が、リアルタイムで表示されていた。もし、何か、障害物の類いが姿を現したなら、それを回避するため、即座にコントロールパネルを操作する必要がある。それゆえ、ひどく緊張していた。
「まあ、その障害物のサイズ次第でもあるのだけれどね……小さければ、わざわざ避けずとも、左右に撥ね退けて、進められるから。なにせ、こっちは、巨大戦艦だし」
ボアラは、そんな独り言を、意識的に呟いた。心の中に留めておくより、口に出したほうが、緊張が和らぐような、そんな気がした。
現在、彼女は、フルフリング合衆国の保有する戦艦「ラッシャー」に乗り込んでいた。全長は約二百メートル、全幅は約四十メートル。甲板は、明るい茶色に、各種の設備や、船体の喫水線から上部は、暗い灰色に、船体の喫水線から下部は、暗い赤色に塗装されていた。
「でも、できることなら、たとえ、サイズが小さかろうが、念のため、障害物の類いは、回避しておきたいわね……なにしろ、こちらは、軍の研究部門が開発した、新型の爆弾兵器、『ヘルベント』を積んでいるんだから」
ラッシャーは、ごく一部を除いたほとんどの機能が、高性能なコンピューターシステムによって制御されている。そのため、極端な話、乗員が一人しかいなくても、まったく支障なく航行することができた。
「ヘルベントは、設計段階において、ちゃんと、耐衝撃性が考慮されていて、よっぽど強いショックを受けない限り、炸裂することはない、とは聴いているけれど……それでも、障害物にぶつかるのは、怖いわ。なにしろ、ヘルベントの爆発の威力は、とんでもなく強い、っていう話だから……もし、今の状態で作動したら、わたしも巻き込まれるに違いないわ」
さすがに、艦内にいる人間が一人だけでは、各種の緊急事態に対応できない可能性が高いため、通常であれば、もっと多くの人間が乗ることになっている。ただ、今回は、ヘッドロング基地を出発する直前、そこを、クリーヴ団の中隊が襲ってきたので、彼らと戦う必要があった。そのせいで、この任務に取り組む予定だった隊員たち、約百名のうち、ボアラ一人しか乗り込めなかったのだ。
「早いところ、ヘルフォレザ基地に行って、ヘルベントを降ろしたいわ……もっとも、無事に着けるかどうか、わからないけれど」彼女は、半ば自棄になって、ふふっ、と小さく笑った。「なにせ、今、この艦は、あの、悪名高い、ショーヴィン海域の中にいるのだから……」
ショーヴィン海域は、特殊な濃霧が、時季や時間帯を問わず、常に発生していることで有名だった。その霧の中に、航空機だの船舶だのが入ると、途端に、各種のレーダーが、まったく機能しなくなってしまうのだ。
「それにしても、クリーヴ団のやつら、本当にしつこかったわねえ……。ラッシャーがヘッドロング基地を出発した後も、武装したモーターボートで追いかけてきて。なんとか、オートパイロットを解除して、艦を、もともと設定されていたルートから外れさせて、ショーヴィン海域の霧の中に突入させることで、振りきられたけれど……」
現在、ボアラは、ラッシャーを、ひたすら、西に向かってまっすぐ進ませていた。そうすれば、いつかは、ショーヴィン海域の外に、ひいては、濃霧の外に出られる、と判断したためだ。ヘルフォレザ基地自体、ヘッドロング基地から見て、だいたい西のあたりに位置していた。
「濃霧の外に抜けさえすれば、すぐにレーダーが復活する……そうなったら、オートパイロットを有効化できるわ。だから、とにかく今は、ショーヴィン海域から脱出することが、最優先なのよ」
ボアラは、そんな独り言を呟きながら、ディスプレイを睨みつけていた。各種のレーダーが、まったく機能しないため、ラッシャーの航路上に障害物が存在するかどうか、については、船体に設けられているカメラから送られてくる映像を目視して判断するしかないのだ。
「随伴艦の類いがいれば、いろいろと楽になったんだろうけれどね……追っ手を振りきるために、ショーヴィン海域に突入することも、なかったかもしれないし。ただ、ヘッドロング基地における、クリーヴ団の中隊との戦闘が、とにかく激しかったせいで、けっきょく、出発できた艦は、ラッシャーだけだっ──」
そこまで独り言を呟いたところで、ぴーっ、ぴーっ、という音が鳴った。それは、静かな総合指揮室の中に響き渡ったため、ボアラは、思わず、びくりっ、と肩を震わせた。
直後、ぽん、という電子音とともに、ディスプレイの右上隅あたりに、メッセージボックスが出現した。そこには、「外部から通信を要請されています」「応答しますか?」という文と、「OK」「CANCEL」というボタンが表示されていた。
「通信……? こんな所で……?」ボアラは、眉を顰めた後、はっ、として、目を瞠った。「もしかしたら……わたしたちと同じように、濃霧の中にいる船からかもしれないわ!」
そう言うと、彼女は、「OK」ボタンを選択した。その後、メッセージボックスの内容は、「通信を開始しています」という文に切り替わり、それからすぐ、「通信中です」という文に切り替わった。ボックスの後ろには、相変わらず、船外のリアルタイム映像が表示されていた。
「こちら、ラッシャー。どうぞ」
「ラッシャー、こちら、プランジド。どうぞ」若い男の声だ。
「こちら、ラッシャー。いまどき、機械の音声でなくて、人間の肉声だなんて、珍しいわね。まあ、わたしが言えたことじゃないけれど。どうぞ」
「こちら、プランジド。今は、通信用のコンピューターシステムが、メンテナンス中でね。普段なら、何から何まで、すべて、それ任せなんだが。
そんなことより、貴艦が、こちらに衝突する可能性がある。進路を変更してくれ。どうぞ」
「こちら、ラッシャー。衝突の可能性の件、了解したわ。じゃあ、そちらが進路を変更してちょうだい。どうぞ」
「こちら、プランジド。それは無理だ。貴艦の進路を変更してくれ。どうぞ」
「こちら、ラッシャー。こちらは、フルフリング合衆国の保有する戦艦よ。そちらが進路を変更して。どうぞ」
「こちら、プランジド。いや、そんなことは、絶対にできない。貴艦の進路を変更してくれ。どうぞ」
「こちら、ラッシャー。こちらは、フルフリング海軍が世界に誇る、最新型の巨大戦艦よ。兵装としては、40mm機関砲を三基、700mm6連装魚雷発射管を五基、100口径単装速射砲を八基、自動迎撃用の10連装ミサイル発射管を十基、搭載しているわ。一年前、カリーン共和国と戦った時は、たった一隻で、相手の一個師団を、完膚なきまでに壊滅させたのよ。
そちらが進路を変更しなさい。どうしても変更しない、って言うんなら、こちらは、実力行使に出る用意があるわ。どうぞ」
「こちら、プランジド。こちらは、スラステッド連邦、ブリスタリング半島の、プランジド灯台だ。どうぞ」
そう相手が言った次の瞬間、ディスプレイに映し出されている濃霧の中から、ぬっ、と灯台および陸地が現れた。
ラッシャーは、旋回だの減速だのを、ろくに行うこともできず、灯台に、どがしゃあん、と衝突した。灯台は、ばきばき、がらがら、めきめき、その他形容しがたい無数の擬音語を発しながら、傾いていくと、海面に突っ込んだ。ばっしゃあん、という音が辺りに轟き、大きな飛沫が生じた。
灯台は、小さな正方形をした陸地の上に建てられていた。ラッシャーは、そこに乗り上げた。それでも、勢いは収まらず、艦は、ごごごごご、という地響きを立てながら、直進し続けた。
その奥、数メートル離れた所では、堤防が設けられていた。堤防は、ラッシャーの進路と直交するようにして、左右に広がっていた。艦は、それにも衝突した。
どっごおん、という音が轟いた。艦は、その後も直進し続けると、堤防を貫いて、陸地に突入した。
そのあたりでは、地面が、海面より、とても低くなっていた。さらには、かなり昔に地殻変動か何かでも起こったのか、急勾配の下り斜面のようになっていた。
ラッシャーは、そこを滑り下り始めた。どどどどど、という轟音や、ごごごごご、という轟震が、辺りに響き渡っていた。
堤防から少し離れたあたりには、洋館が建っていた。それの大きさは、小学校の校舎より一回り大きいくらいで、見た目は、とても豪華で、風格は、歴史的な価値の高さを感じさせるものだった。
艦は、洋館の中央部に衝突し、そのまま突き破った。それは、どんがらがっしゃあん、という音を立てて崩落し、瓦礫の山と化した。
その後も、ラッシャーは、斜面を滑り下り続けていった。洋館から少し離れたあたりでは、超高速鉄道の高架線路が設けられていた。それは、右方より伸びてきていて、艦の進路と交わる地点あたりから、右方へ、きつく曲がり始めていた。
ラッシャーは、それの土台のうち一本に衝突した。どっごおん、という音を響かせて、土台は粉砕され、どんがらがっしゃあん、という音を轟かせて、高架線路の、その部分が崩落した。
その数秒前には、鉄道車両が、高架線路の上、崩落により途切れる部分のすぐ近くにまで、やってきていた。運転士は、即座に異常事態に気づいたが、ブレーキを作動させるよりも先に、車両は、時速六百キロで、宙へ飛び出した。
鉄道車両は、落下した後も、慣性により、地上を滑り続けていった。ショッピングモールを貫通し、グランドホテルを貫通し、空港ターミナルを貫通し、着陸直後の旅客機を貫通し、遊園地の観覧車を貫通し、大聖堂を貫通し、鉄道博物館を貫通し、銀行を貫通し、古代遺跡を貫通し、世界平和記念像を貫通してから、ようやく停止した。
その後も、艦は、斜面を滑り下り続けていった。高架線路から少し離れた所では、車道が、ラッシャーの進路と直交するようにして、左右に通っていた。それの、艦の進路と交わる地点あたりの路肩には、タンクローリーが停められていた。
ラッシャーは、その車両に衝突し、どがしゃあん、という音を轟かせて、押し潰した。荷台のタンクは、紙屑のごとく損壊し、そこに入れられていた燃料は、洪水のごとく流出した。
数秒後、その燃料が、どっかあん、という音を轟かせて、爆発した。
ラッシャーのコンピューターシステムが、艦じゅうにアナウンスを流した。「艦底に攻撃を受けました。これより迎撃を行います」
その後、十秒も経たないうちに、十基ある10連装ミサイル発射管は、セットされていた全ミサイルを発射し尽くした。
合計、百発のミサイルが、ラッシャーから飛び出していった。それらは、すぐさま、周囲に着弾し始めた。高級マンションを爆破し、オフィスビルを爆破し、幼稚園を爆破し、州庁舎を爆破し、刑務所を爆破し、下水処理場を爆破し、フルフリング合衆国大使館を爆破し、大学病院を爆破し、感染症研究所を爆破し、原子力発電所を爆破した。その他にも、さまざまな物が、ミサイルの直撃を受けた。
タンクローリーが停められていた所から少し離れたあたりには、ほぼ垂直な絶壁が聳えていた。それは、ラッシャーの進路と直交するようにして、左右に広がっており、二十メートルほどの高さを有していた。それの上、崖の近くには、簡素な造りをした駐車場が設けられており、そこには、巨大なダンプカーが一台、停められていた。
数秒後、ラッシャーは、絶壁に正面衝突した。どごおおん、という轟音が、辺りの大気を揺るがした。ごごごごご、という激震が、辺りの地殻を揺るがした。
それらの衝撃により、ダンプカーが、ずりずりずりずり、と動きだした。そして、十数秒が経過したところで、その車両は、崖を越え、落下し始めた。
しばらくして、ダンプカーは、ちょうど真下にいたラッシャーに激突した。艦体の、その部分が、どがしゃあん、という音を轟かせて、潰れた。
一秒後、ラッシャーの内部、そのあたりに置かれていたヘルベントが、炸裂した。秒速数百キロメートルの爆風が、摂氏数千万度の爆炎が、地球の表面を、一平方ミリメートルの例外もなく、襲い尽くした。宇宙の中、地球の近くに浮かんでいた、各種の人工物も、すべて、巻き添えを食らい、粉々に消し飛ばされた。
地球は滅亡した。
〈了〉
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