手紙 三十と一夜の短篇第67回
白川津 中々
■
里見さんには確かに申し訳ない事いたしましたが、僕にだって気持ちがあるのです。
そんな言葉から始まる手紙を目で追う。
香織は素敵な女性でした。僕なんかには過ぎた妻だったと今でも思います。本当に、僕とは不釣り合いでした。
ですが、だからといってそれを奪って、好きなように扱っていいという道理にはならないのではないでしょうか。分不相応な伴侶を娶る事が罪だというのであればその償いは受けましょう。しかし、それ以上の罪過を背負う事に僕は到底承服できません。里見さんは、そんな理不尽を、人の身でありながら僕に罰を下したのです。
彼の言葉はよく覚えていて、「香織ちゃんな。俺に惚れてんだ」と酒の匂いを漂わせながら得意気に言っていました。その時の僕の心境を想像してみてください。愛して止まない妻が毒蛇の手に掛り心変わりしてしまった事を知ってしまった僕の心境を、どうぞ考えてみてください。僕は目の前出されたお酒に手も付けず無言でいましたが、里見さんはずっと笑ってどんどんと酔っていくのでした。その様子は随分下品に見えて、こんな男に香織が手懐けられてしまったと思うと、理性が飛び、お酒を飲んでいもいないのに体中の血が熱くなっていくのを感じるのでした。
けれど、僕はなにもできませんでした。笑っている里見さんの声を聞き、耐えるばかりでした。
僕にもう少し勇気があればその場で拳を振るって喧嘩をしていたかもしれません。ですが僕にそんな気を起こす気概はなく、また、そうした意気地のなさが、このような結果を招いてしまった遠因なのでしょう。僕はその場を立ち去り、どこかの路地裏で涙を落としました。
それから少し経って香織が僕の下へとやってきました。
戻ってきてくれたのかと笑顔を作りましたが、ぬか喜びでした。金の無心でした。
なんでも、貴方のせいで私が得られるはずだったお金が失われたのだから、それを補填しなければならないとの事でした。これもまた里見さんの入れ知恵だと考えると、やるせなく、途方に暮れました。結局僕は彼女に五十万円を渡し、今後も月に十万円ずつ振り込む約束をしました。金などどうでもよかったのです。僕にはもはや、生きる目的がありませんでした。
仕事を辞め、貯金を崩しながら香織に金を送り、部屋の中でぼうっとしていると友人が訪ねてきてくれました(彼は僕ら三人の共通の友人でした)。そこで、やめてくれればいいのに、里見さんの事を話すのです。
「新しい女つくったんだってさ」
香織は捨てられたと言っていました。一人になって、金がないから僕に金をせびっているのだと分かりました。ではどうして僕ともう一度やり直してくれないんだろうと考えましたが、やはり里見さんの洗脳が強く、彼女の中での僕は明確な敵として存在しているのだろうと結論付けました。里見さんが死ねば、その魔法も解けてなくなると支離滅裂な思想が生まれ。恐怖しました。僕は狂気に蝕まれていると実感したのです。
僕は里見さんのところへ向かいました。どうして香織を捨てたのかと聞くと、「飽きたからだよ」と感情のない声が届きました。僕がこんなにも焦がれている香織を指して、飽きたと。
気が付けば僕は里見さんの首を絞めていました。最後の最後まで、彼は謝罪の言葉を口にしませんでした。
僕は里見さんの死体をバラバラにして公園に捨てました。すぐにニュースになって、犯人探しが始まりました。きっと僕は捕まってしまうでしょう。でも別にいいんです。香織のいない人生なんてどうでも。これから僕は、当もなくどこかへ行って、しばらくはホテルで暮らして、お金が無くなったらホームレスでもして、その時がくれば死のうと思います。途中、警察に捕まるのも良いでしょう。なにはともあれ疲れ果てました。これから先どうなろうとも、どうでもいいのです。
最後に、もしこの手紙をどなたか読んでいただけたのであれば、どうぞ燃やしてください。なぜこんなものを残したのかといえば、偏に香織への未練に過ぎないのです。僕はこの手紙に、彼女と僕自身の人生への執着を込めました。こうして事件の概要を書き綴って、自分なりに納得したかったのです。自身で捨てる事ができなかったのは、恥ずかしながら未練が残っているからだと思います。この手紙が見つかった頃には、何もかもすっかりと断ち切られていればいいなと願います。それでは、さようなら。
南条 仁
何かないかと探ってみたら出てきたこの手紙、もっと早くに見つけたかった。もしお前が捕まる前に読めていたなら最高に面白かったのにな。
南条お前、俺が里見と香織を誑かした事、最後まで知らずに刑務所に入ったんだ。香織が金の無心に来たのも俺が行けといったからだよ。面会の時、どれだけ全部俺が仕組んだ事だと言ってやりたかったか、お前には分からないだろう。あの時、香織が捨てられたって知った時の顔ときたら傑作だったぜ。お前が娑婆に出てきたら全部白状してやる。その時が、楽しみだ。
手紙 三十と一夜の短篇第67回 白川津 中々 @taka1212384
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