⑤猫(かこ様の設定を一部お借りしました)

*かこ様「リノとゲン*雪https://kakuyomu.jp/works/16816700428890508718/episodes/16816927860640007078」よりリヨン豆の設定をお借りしました。


 肌が粟立つ晩夏の下。

 休日のラヴォニアニナは父から譲られた車を点検するため、首都にある車屋へと来ていた。

 相変わらず、前時代的なデザインの車はとても悪目立ちしたもの。お陰で店主に「次からはこちらから伺おうか?」と気を遣わせる始末で申し訳ない。結局この件は追加料金を払うことで収まったが、ラヴォは車の処遇について改めて悩むこととなった。


「だが車検や安全を考慮したら買ったほうがいいと思うな。おすすめはホルスロンド・モーター社のマーニー! 座席はやや狭いがその分荷物がよく入るし頑丈。足場の悪い土地でも十分走れし、無骨な分値段もリーズナブルだ!」

 店主はやや興奮気味に、喋々しく話す。

 確かにデザインや機能性よりも、耐久性の方が都合が良い。

 里帰りを考慮すれば易易と手放せるものでなく、かといって新車を買うほど使うものでもない。新卒のラヴォは決して高収入ではないがゆえ、どうしても金銭を天秤に掛けざる得ない。


 一方で常にしかめっ面をする空だが、今日は少し機嫌が良いようだ。顔色こそ悪いが、一度も泣いていない。朝から一度も石畳みが濡れていないのだ。洗濯物の乾きも良きことだろう。そう考えれば、ここで悩んでいるのもばからしくなる。


 車検の間、ラヴォは気分転換もかねて付近の公園へと逍遥に出ていた。

 公園を囲うように立つ広葉樹は白い庭を築き、陰った足元には苔たちが身を寄せ合っておしくらまんじゅう。靴の底から伝う綿を踏む感触は、故郷の湿地を思い出す。平日の昼前ゆえ人通りは少なく、聞こえるものは車が走る音と、木々がさざめく音だけ。本を読むには丁度良い環境だろうと、傍にあるベンチに腰を掛けようとした時だ。

 うなう、うなうと赤子の泣き声に似た声に、ラヴォは俄かに顔を上げた。

 深く考える間もなく辺りを見回し、街道の向かいにあったガゼボに目を向けたところ。燻しチーズのような猫がこちらを見ていた。体はそこそこ大きく、若い成猫と思われる。


 ところで帝立動物保護協会の尽力により、ホルスロンド国内には捨て犬や捨て猫がほぼ存在しないと聞いている。厳しい飼育条件や遺棄した場合に発生する罰金や懲役刑は、安易に癒しを求める人間を徹底的に排除するためだ。イーゴリのような例外を除けば、集合住宅暮らしにペットは無縁である。


 となれば眼前の猫は逃亡した個体か、或いはそのせがれか。

 前者の割に首輪もなければ、毛はあまりきれいではない。後者ならば付近に親がいる可能性が高い。ベンチに腰を降ろしたラヴォはじっと猫やその周辺を観察しているが、飼い主か家族らしき影はまるで見当たらない。

 チーズ猫はラヴォから逃げぬばかりか歩み寄り、なにかをねだるように足にしがみついた。野良ならばそのうち立ち去ると思われたが、どうにも違うようだ。

 「捨て猫だとしたら、困ったものです」

 そう思ったラヴォは猫と共に車屋へ戻った。

 そして店主に事情を話したところ、やはり数日前から公園をさ迷っていた個体であった。


 「近くに動物病院があるよ。そこだったら保護団体にも繋がっているから、大丈夫だと思う。僕の車で送るから、診せてやってくれないか?」

 そんな店主の申し出もあり、猫はただちに病院へ送られることとなった。

 廃棄予定の箱に入った猫は、助手席に座るラヴォの胸に何度も登ってきた。余程人肌が恋しいらしいと頭をなでていると、彼はごろごろと喉を鳴らした。


 くだんの動物病院は車で十分ほど南にあった。

 やや小さいが新築の病院のようで、茶褐色の木材が目に優しい。院内には既に三組の患者がおり、院内に置かれた新聞や雑誌を読んだり、愛犬と話して過ごしている。受付を済ませたラヴォは四半時後に名を呼ばれ、箱入り猫を抱えて診察室へ入った。そしてその直後、刹那、目が飛び出しかけた。


 診察室には同居人の一人、イダ・シャーウッドが立っていたのだ。

 裾までぴんと伸びた白衣に細身を包み、顔は青いアイシャドウと口紅で薄く彩られている。イーゴリから労働者とは聞いていたが、よもや獣医師とは思っていなかった(そしておそらく、イーゴリたちも知らなかったのだろう)。

 イダも同居人との遭遇に苦笑し、少々震えた声で「診察台こちらへどうぞ」と言った。


「体の大きさや歯の状態から察するに、推定二歳のメスですね。避妊手術は済ませてあるのですが……」

 彼は蜘蛛糸に触れるような指遣いで猫の性別や年齢、健康状態を確認していく。


「遺憾なことに、捨て猫みたいですね。日はそんなに立っていないようですが。体が汚れていますし、何より首輪の跡があります」

 そう言ってイダが首元を指すと、確かにそこだけけもの道のように凹んでいる。


「成猫ですのに」

 ラヴォはいかにも落胆した声で言った。

「長く世話をしても、環境や金銭的な理由などで捨てる人はいます。駄目だとわかっているけど、ストレスのあまり、追い詰められて間違ったことをしてしまうのです」

 イダは慣れているのか、或いは心当たりがあるのか、淡々と述べた。

 眉を読んだラヴォはそれ以上何も言えなかった。最後にイダが猫を保護団体に預ける旨を伝えるなり、潔く病院を去ろうとしたときだ。ふとイダが背後から呼び止め、僅かに憚った様子で言った。

「今日の夕食は、どちらでしたっけ」

「イーゴリくんですよ。仕事がつつがなく終われば、いつも通りの時間にできているかと」

「そうですか、ああ、引き留めてごめんなさい。それだけ気になったので」

「お気になさらないでください。ではお仕事、頑張ってくださいね。夕食を用意してお待ちしていますので」

 イダが照れくさそうに見送ったのは、多分気のせいではあるまい。

 初対面時の固まり具合を考えれば、関係は右肩上がりだ。集団生活の上で良き変化であると、ラヴォは少々嬉しくなった。


 改めて店主と合流し、車検から戻ってきたころには夕方近くになっていた。

 「イダくん。今日は疲れているかもな」と思いつつ、ラヴォは上着を脱いで、軽く身を清めた。


「ただいま戻りました」

「おかえり」「おかえりなさーい」

 居間まで戻るとエプロン姿のイーゴリが調理に勤しみ、アーサリンはソファで本を読んでいた。豆でも煮ているのか、居間には緑野菜特有の青いにおいが充満している。素朴で優しい味が特徴的なイーゴリの料理に、よく合いそうな匂いである(味が薄めという点は、アーサリンに合わせているのだろう)。

 ところでイーゴリの傍にあるざるの中に、目玉並みに大きな豆があげられている。

 彼らは今朝、害獣駆除の依頼のため始発に乗ったのだ。出先で買ったか、貰ったものだろう。


「豆、ですよね。ずいぶんと立派ですが」

「リヨン豆よ。依頼人が旅先のお土産ってたくさん分けてくれたの。それでどうやって調理しようかって、電車の中で相談してたわ」

 キッチンを覗き込むと、リヨン豆を使ったポタージュスープとポテトサラダが用意されていた。オーブンには莢を皿にしたグラタンが入っており、濃厚なチーズの匂いと混ざってよく食欲をそそる。


「既に塩茹でしたのがあるけど、食べてみる?」

 アーサリンは一口大に刻まれ、小鉢に入ったリヨン豆をラヴォに差し出した。

「ありがとうございます。……うん、これは炊き込みご飯や揚げ物にも合いますね。癖がないので、使い勝手は良さそうです」

 頭の中でレシピを考えながら、ラヴォは茹で豆を咀嚼しているときだ。アーサリンは黒豆のような鼻を胸元に寄せてきた。


「今日、イダに会ったのね」

「やはり分かるのですね」

「わたし、犬よりもずっと鼻が利くもの。上着を脱いだ程度じゃ隠せないわ」

「今日、車検の待ち時間に捨て猫を見つけたのです」

「で、動物病院で出くわしたのね」

 アーサリンは自信満々に言うものだから、ラヴォは刹那言葉を詰まらせた。


「彼が獣医師と存じていたのですか。それとも獣臭から」

「会うたびに犬猫の匂いがしていたもの。まあ人見知り相手に詮索する気はなかったから、聞かずにいたけどね」

 彼女がラヴォの膝に飛び乗ると、彼に背を向けて『ホルスロンド民話集』を再読した(子ども向けなのか、読みやすく印字されている)。まるで子に読み聞かせる姿勢だ。紅茶を淹れたイーゴリはどっかりと座り、「邪魔なら言えよ」とだけ言った。ただ、アーサリンの重力は、暖かなぬいぐるみのようで悪くないのだ。ゆえに気にならないと伝えると、イーゴリは浅い溜息をついた。


「今日はイダくんに面倒なことを任せてしまった気がします」

「それも仕事なら、気にすることじゃねえだろ」

「本来ならば、ええ。ですが今度、彼が休みの日にお菓子でも渡そうと思います」


 「お人よしだな」と、イーゴリは口に出しかけた。

 ただ、アーサリンが肯定的な態度を示したこと。そして彼の善意に傷はつけられないと、言葉を引っ込めた。代わりにラヴォに紅茶を差し出して、イダが返ってくるまで寛いでいた。

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