④退勤後(ゲンさんの名前のみお借りしました@かこ様)

※かこ様の「リノとゲンとラヴォさん」

https://kakuyomu.jp/works/16816700428890508718/episodes/16816700429331294747)のその後になります。名前のみお借りさせていただきました。


 夕刻、国立植物園は閉園時間となった。

 退勤したラヴォは雨に濡れながら帰宅することとなった。ホルスロンドは毎日のように雨が降るが、たいてい傘を要するほどではない。ただし今日は少し強く、湿気もあった。


 フラットの前で外套を脱ぎ、体を冷やさぬよう、帰ったらシャワーを浴びようかなどと考えつつ扉を開けた。


 「只今帰りました」といった矢先、目の前で「おかえりなさい」と出迎える声にラヴォはやや驚いた。 

 目の前には中くらいの雌羆。現在同居中の精霊アーサリンである。

 彼女はタオルが入ったバスケットの持ち手を鼻で押し、ラヴォの足元へ運んできた。


「案の定濡れて帰ってきたわね。さ、タオルを持ってきたから拭きなさい。靴も拭かせてもらうわよ」

「ありがとうございます。……ぼくがそろそろ帰ってくるって分かっていたようですね」

「わたし、鼻も耳も利くの。イーゴリにイダ、大家はもちろん、あんたの足音も覚えているのよ」


 アーサリンは得意げに言うと、そばに置いていた布巾で脱がれたラヴォの靴を拭き始めた。屋内は土足だが、マットで靴底をきれいにしてから上がるのが暗黙の了解だ。もっとも、ラヴォの場合は足元の開放感を求めてスリッパに履き替えている。


「靴くらい自分で拭きますのに」

「やりたくてやっているのよ。わたし、ものが綺麗になるさまをみるのが好きなの」


 彼女は明るく応え、綺麗になった靴を仕舞った。ラヴォははじめ、彼女の器用な所作に驚いたものだ。


「イーゴリくんは?」

「部屋で武器の点検中よ。あいつは暫く出てこないし、夕飯は作って良いわ。あ、そうそう! イダからの置き手紙もあるわ。今日は夕食要るみたいだから、用意してあげましょ」


 フラットの食事は当番制だ。

 ここにいない労働者ことイダはほとんど外食ゆえ、現在はイーゴリとラヴォが交代で調理を担当している。


 しかし今日は違った。アーサリンが持ってきた置き手紙にはまあまあ綺麗な字で「今日は夕刻に戻ってきます。よろしくおねがいします」と書かれている。


「こんなこと初めてよ。あいつ、寝るとき以外ほとんど戻ってこないの。夕食が要るなんてこともなかったし。……まあ風呂とかの掃除はしてくれているみたいだけど」


 ラヴォも入居から二週間経ったにもかかわらず、一度顔を合わせたきりだ。余程仕事が忙しいか、他の理由があるのか。何方にせよ詮索するつもりは無い。


「では、今日は多めに作りますか」


 部屋着に着替え、夕食の準備に取り掛かった。はじめは米を鶏肉、ローズマリー、ブロッコリーと一緒に炊くところからだ。

 アーサリンは机を拭き、マットや食器などの用意をしている。


 調理の間、ラヴォの脳裏にあったのは植物園の入口で会った魔具を付けた女性と、「ゲンさん」と呼ばれたカワウソ(口調からしてオスだろう)のことだった。


 ラヴォは故郷の対岸から流れてきたカワウソを見たことがあるし、生態についても最低限の知識がある。ゆえにただのカワウソであればさほど関心を抱かなかった。


 彼の関心の的は精霊「ゲンさん」が、割と流暢なイルミン語を話していたことだ。


「今日、何か良いことがあったのかしら」

「良いことですか?」


 米を浸す間にサラダの準備をしていたところ、ソファで本を読んでいたアーサリンが尋ねてきた。


「帰ってきたとき、あたしの方見て何か考えているようだったのよ」

「……それは失礼しました」


 無意識に彼女を凝視していたことに、ラヴォは顔を熱くした。相手は熊の姿とはいえ女性なのだ。無闇に見詰めるのは不敬だと激しく内省した。


「別に良いけど。で、何か思うことあったんでしょ。やましいことじゃないのは分かっているわよ」


 僅かに冷や汗をかいたラヴォはアーサリンに促されるまま、植物園にいた少女とカワウソ型の精霊について話した。アーサリンは本を閉じてソファの背に顎を乗せ、じっとそれを聞いていた。


「僕の故郷にも精霊はいましたが、彼やアーサリンさんのように流暢に話す個体はいませんでした。彼らはあくまでも人の文明の外で生きていたのですよ。だから、珍しくて……」

「そうね。イーゴリは精霊の駆除を生業にしているけど、人語を操るやつなんかいないわよ。居るとすればあんたの予想通り、長年人と関わった個体でしょうね」


「アーサリンさんは、イーゴリくんから学んだのですか?」

「あたしははじめから知っていたわ。妙なことに、理由は自分でも分からないの」


 遠い目をしたアーサリンに、ラヴォは相槌を打つことしかできなかった。彼女が頭を振って再び本に視線を戻したときだ。下から鍵が開く音と足音が聞こえた。


「イダね」


 アーサリンは鍵を開けに玄関へ向かおうとしたが、ラヴォは思うところがあってそれを引き留めた。既にサラダを作り終え、ご飯も用意している最中。久しぶりに顔を合わせるイダに挨拶に向かう余裕があるのだ。ここはきちんと出迎えるべきだろう。


 エプロンを外したラヴォは玄関の鍵を開けに行き、アーサリンはイーゴリの元へ向かった。

 扉の先にいた同居人、イダ・シャーウッドはそろりと扉を開けると、巣穴の外を確認するハリネズミのように顔を出した。


 イーゴリほどではないが長身のイダが控えめに入るさまはやや滑稽であった。


「あ、お、お久しぶりです……!」

「お久しぶりです。そして今日もお勤めご苦労さまです。ちょうど夕食を作っているところなんです」


 ラヴォは外套を受け取ってハンガーに掛けた。

 何故な上々嬉しそうなイダは、拙い手つきで靴を拭いてスリッパに履き替え、ラヴォの背を追うように居間へと入った。


「ら、ラヴォアニァさん……あの、僕、手伝うことありますでしょうか」

「仕事帰りなのですから、ゆるりとしてください。あと、ラヴォで良いですよ。長いですから」

「あんたも帰ってきて早々に支度したじゃない」


 アーサリンはイーゴリを連れてソファに戻っていた。

 彼女がイダの足元へ駆け寄ると彼は身を縮め、拙い挨拶をした。イーゴリに至ってはぶっきらぼうに返した程度で、見向きもしない。


「ラヴォ。何か任せてあげなさい」


 アーサリンの言葉にラヴォはいささか戸惑った。

 一方で困惑中のイダは助けを求めるようにラヴォの顔を見詰めている。二者の求めることが実質同一であると悟ったラヴォは、イダと目を合わせると穏やかに言った。


「では、洗い物をお願いしたいのですが」

「は、はいっ!」


「イーゴリ、あんたは私の分の水と茶を用意なさい」

「……あぁ」

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