漆 雀に鴉

 最近は講義をすることもあって、僕の考えを伝えられる機会が増えた。

 嬉しいことだけれど講演に来るのは画学生ばかりではない。用語ひとつにしても、わかってもらえるように話すのは結構骨が折れる。一段落したら頼まれていた講演の原稿も用意しておかなくては。


 僕は日本人が構想し制作したものは、すべて日本画として見られる時代が来ることを信じている。描き方や構図が西洋画に寄っていたとしても、日本的なものであるならそれは日本画なのだから。


 当面の僕に一番厄介な問題は距離のことだ。あの遠近法というやつは、どうしても日本画の面白味と衝突して犠牲になってしまう。

 この考えはうまく伝えたいから、よくよく考えなくてはならないな。言葉は便利なようでいて、そうではない時があるから難しいものだ。


 講演と注文の絵を描く。その日々を過ごす僕の元に一通の手紙が届いた。


「千代さん、巽画会たつみがかいで審査員をすることになったよ」

「まあ、それはそれは」


 若手画家による会で巽画会というものがある。最近では文展登竜門とまで言われていて、四十一年からは東京府知事が審査員を任命している。


 僕も審査を任されるようになった。

 若手に面白い絵を描く人が増えてきたから、意欲的な作品を見られるのは審査の楽しみのひとつなのだ。描いた気持ちに報いるためにも丁寧な審査しなくてはならないぞ。

 千代さんはちょっと押し頂くようにしてから手紙を仕舞う。


「絵も描かれるんですか」

「うん、何にしようかな。この季節に落葉でもないしね。いろいろ考えてはいるけれど」


 僕らが話しているところに、パタパタといくつも足音がやって来る。


「父様、お散歩行こ!」

「ぼくも!」


 秋成も駿も僕のところに飛び込んでくる。


「あっ、こら。父様に寒いのはよくないかもしれないだろう」


 ふたりを怒る春夫は頬をふくらませる。

 この子は少し駆け足で大人になろうとしているのかもしれない。そんなに心配しなくてもいいんだよ。

 僕は大丈夫だと言って立ち上がり、春夫の頭を撫でた。


「駿も行くなら、その辺を少しだけ回ろうか」


 賑やかに飛び出す秋成を追って春夫も部屋を出る。千代さんに支度をしてもらった駿と手を繋いで僕も外に出た。


「夕飯までには帰ってくるようにしてくださいね」


 気をつけて、と言う千代さんに手を振る。

 駆け出す春夫と秋成につられて駿が僕の手を引っ張った。


 外はまだ寒いけれど、気の早い梅がほころび始めている。福寿草ふくじゅそうの黄色。空の青。少しずつ広がる薄茜うすあかねゆう。子どもの声。ああ、世界は綺麗だ。


 ねぐらへ帰る途中らしく雑木林の上で雀と鴉がかまびすしい。

 先を駆けていた二人が慌てて戻ってくる。


「父様、カラス」


 春夫は鳴き声の大きさに驚いたのか小さい声でそう言った。


「鴉も雀も家へ帰るんだね」


 僕を見上げて春夫はまた小さな声で聞く。


「カラスは、雀食べない?」

「この辺りは食べ物があるらしいね。お腹が空いてなければ食べないよ」

「えっ、食べるの」


 秋成の声が鴉の鳴き声に重なる。

 どうしたわけか今日は鴉が騒ぐ。

 さっきから子ども達の顔が不安そうだ。怖がる駿が抱っこをねだる。


 捕食される恐怖は持っていても相手が飽食していればそれは薄れてくるだろう。彼らが満足している現状ならいいだろうが、それはとても不安定なものだ。


「雀も鴉も仲良くすればいいのに」


 ああ、そうだね。春夫が言うように、そうあれたら世界は優しい。


「僕はカラスみたいに大きくて強いのがいいな。ちょっと怖いけど」


 秋成の言うことも確かにそうだ。


「仲良くできたらいいけれど、上手くいかない時もあるからね。強くなるのはいいかもしれない。でも、何のために強くなるかは考えなくちゃいけない」


 人を傷つける強さではなく守るための強さならいいだろう。けれど、その二つはとても近いものだから。


「前を向くための強さなら、あっていいと思う」


 皆がキョトンとする。


「ごめんごめん、ちょっと難しかったね。僕も皆で仲良くしようって言えたらいいなって思うよ」

「そっか! それなら僕とくいだよ!」

「秋成はいつも元気だものね。元気で明るいから皆、秋成が大好きだよ」


 えへん、と胸を張って秋成はにこにこ笑う。


「ぼくは? とうさま、ぼくはすき?」

「もちろんだよ。駿は可愛いし、いい子だからね」


 広げた小さな手が僕の首に回される。そんなに抱きついたら苦しいよ。

 抱きつかれたまま僕は春夫に目をやる。


「春夫、いつもありがとう。ごめんよ、僕が弱いから春夫にも心配かけてしまって」

「ううん、父様はすごいよ! だって病気をやっつけて目も見えるようになったんだもん」

「そうだよ、父様はすごいよ」


 すごいすごいと言う春夫と秋成につられて駿も手を叩く。


「ありがとう。それじゃ、またがんばって絵を描かないといけないな」

「うん、父様の絵好き」

「ぼくもすき」


 秋成も駿も、そう言ってくれて嬉しいよ。


「父様、疲れるまで描いちゃ駄目だよ」


 もう、本当に春夫はしっかりしてるなあ。


「さあ、雀も鴉も帰るから僕らも帰ろう」


 家へ帰ろう。

 帰ったら、絵を描こう。



 老いても若木を伸ばす柳。これがこの木の生きたいと思う力なのだ。奔放ほんぽうに伸ばされた枝に止まる雀。もう一本の老柳おいやなぎには鴉が一羽止まっている。目線は雀達に向けて。

 背景は描かず、ほんのりと薄茜の夕暮れの色を広げる。


「わあ、スズメがいっぱい」

「そうだね、駿の雀も描いてあげよう。どこに描こうか」

「ぼくみんなといっしょがいいの」


 まだまだ甘えん坊の駿は、とびきり多くの雀と一緒に。


「それじゃあ、駿の雀はここだね」

「あれ? 父様何してるの」


 駿の雀を描くんだと言うと、秋成も描いてほしいと言う。


「僕は枝の先のほう。もしカラスが来たら、みんなより先に友達になろうって言うんだ」

「秋成はすごいな」

「えへへ、春兄は? 春兄ならどこにする?」


 子ども達はそれぞれの性格そのままの場所を指す。この絵はこんな見方ができるんだな。


「そうだね、春夫ならどこがいい?」

「僕は皆を見守れるところがいいな。何かあったら教えてあげられるもの」

「春夫らしいなあ」

「父様と母様は?」

「そうだな……できあがったら探してごらん」


 後で千代さんにも聞いてみた。そうしたら鴉の後ろを指差して言った。


「ここなら何があってもすぐに飛んでいけそうですから」


 同じ事を考えてて、思わず笑みがこぼれた。

 自分の中に鴉を見るか雀を見るか、画面の主役は見る人次第だ。そんな見方で面白く感じてもらえたらそれもいい。


 巽画会に出展した六曲一双の屏風、『すずめからす』は銀牌第一席を受け、宮内省にお買い上げいただいた。

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