伍 掴めそうなのに掴めない
御料地の辺りを散歩するのは気持ちがいい。歩いていると木々の様子を興味深く感じる。幹の力強さや葉の色の加減。この面白みを描いてみたいとずっと思っていた。今がその時なのかもしれない。
視点の工夫をしてみよう。遠くから眺めるのではなく自分をその場に置く。起伏のある林の中、上から見下ろすように。
もちろん描きあげた時は納得して出した。悪くないとは思うのだけど、なにか違う。なんだろう……
「これ、ちょっと狭くないか」
「狭い? 掛け軸だからですか」
僕の呟きを拾ったのは木村君だ。
絵の大きさの問題なのだろうか。どうにも気になって仕方がない。
「私は面白いと思います。これ目の前にある斜面を降りていけそうですね。木々も力強いし陽の当たる場所は広く見えますし、奥行きも感じます」
「視点の面白さは出せたと思うんだ」
例えばこれに鹿を描くとする。同じ構図でも存在するものの居場所を確保しなければならない。そのほうが奥行きも広さも感じられるだろう。
「そうやって考えると、なにかこう気になってしまうんだよなあ」
「ええと、もう少し視野の開けた場所を描きたいってことですか?」
首を傾げた木村君は捻り出すように言った。
「多分そうなんだろうな。屏風にしてみようか」
やはり『木の間の秋』のような描き方がいいのかもしれない。目線を平地に下げて、正面からの空間を描こう。見た目の距離感はそのままに、自身と木々が同じ場所に
それなら近くの木々ははっきり見える。木の重なり合う様子、纏わりつく苔、木肌の緑と青。木々の根元までしっかり描けばその場に立てる。開けた場所はその木々の先にあるのだ。
二曲
その屏風の前で腕を組む僕の横に観山さんが立つ。
「前の作品も難しい顔をしていたようだが、今度はなにを唸っているんだい」
「林の奥に向かって光が集まるように描いてみたんです。ほら、『木の間の秋』もそうだし、西洋の風景画にも道の続く先に光がある描き方のものがあったでしょう」
「ああ、そういう意味なら奥行きは出ていると思うよ。なにが引っかかっているんだね」
「ううん、なにが引っかかっているんでしょう」
しばらく観山さんと話してみたけれどしっくりくる答えが出ない。
あれからずっと考えている。
絵のことを考えるのは楽しいけれど、もう少しで掴めそうなのに掴めないのがもどかしい。
「よう、調子はどうだい」
「秀さん、いらっしゃい。このとおり元気ですよ」
最近はよく家に来てくれる。描けるようになるまで待っていてくれた時間を埋めるかのように、気さくに立ち寄ってくれるんだ。
「
「大丈夫です。千代さんもついててくれますし無理はしてません」
「よろしい」
ふんぞり返って
「秀おじちゃん、おかしいよう」
「なんだよ、春坊だって笑った顔がぐちゃぐちゃだぞ」
そう言って秀さんは春夫をくすぐり出す。
きゃあきゃあと歓声をあげて、子どもたちが僕も僕もと寄ってくる。
「そら! 秋もくすぐってやる」
「負けないもん! 僕もおじちゃんをくすぐっちゃうからね」
「ぼくも!」
秋成と駿にくすぐられて秀さんが参った参ったと降参する。
ちょうどいい頃合いで千代さんが茶を持ってきてくれた。
「さあさあ、皆少し静かにね。今度は父様の番ですよ」
「じゃあ、お外に行ってくる!」
飛び出す子どもたちを見送って、いつもうるさくてすみませんと千代さんが笑った。
秀さんは穏やかに笑って茶を口に運ぶ。
「本当に調子良さそうでよかったよ」
「文展も近づいてますからね、調子悪くなんてしてられません」
僕がそう言うと少し困ったように顔を
「あまり気負うなよ」
そうは言うけれど今回は新派、旧派合同で行うことになった。三回目にしてようやく体裁が整ったのだし、力も入るっていうものだ。
「秀さん、もちろん出すんでしょう」
「おう、
秀さんのひと言であの時の様子が甦る。大変なこともあったけれど外の世界はとても刺激的だった。
「いいですね、作品を見るのが楽しみだなあ」
空気も文化も何もかもが違う世界。それでもそこに人がいて僕らと同じように生きていた。
また行ってみたい。遠くの世界の知らないものに触れてみたい。
「ミオさんはどうだい」
僕は遠くの世界に行ってみたい。
「木立の様子を描こうと思ってるんですけど……」
前に描いた『落葉』だと林の途切れた先までしか行けない気がする。
もっと、遠くへ行きたい。
……そうか。
同じ主題で描いていたけれど描きあげてみると欲が出た。引っかかっていたのはやはり距離のことか。
「秀さん」
「なんだ」
「ありがとうございます」
「あん?」
「掴めた、と思います」
うん、と頷いて秀さんはニッと笑った。
「俺もミオさんの絵、楽しみにしてるぜ」
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