弐 水鏡

 まず学生に知ってほしい基本的な日本画の考え方がある。

 日本画の輪郭りんかく線というものは考え方の線、つまり『こころもち』を表現するための線ということだ。例えば、真面目だとか、滑稽こっけいだとか、偉いだとか、そういうものを表現するために必要な線、ということになる。

 線ひとつひとつの重要性や描き方、それを知った上で描くことは大事なことだ。絵画として表現することができるのはそこからなのだ。

 よし、授業はここまで。


 一年近く講師をやってきたけれど学生にきちんと講義の意図が伝わっているだろうか。それをいつも考えながら話している。皆に良い絵を描いてほしい。そのためには僕も学び続けなくては。もっとたくさんの絵を描いてできることを増やそう。

 さて、ここからは僕のための時間だ。


 今は日本絵画協会の共進会に向けて制作を始めている。かなり大きな作品になるから教場を借りて描いているんだ。

 会派や団体を問わず出品が可能なところだから、どんな意見や評価がもらえるか怖くもあり楽しみでもある。


「やあ、菱田君」

「溝口さん」


 僕はちょうど校庭に咲いていた紫陽花あじさい幾枝いくえだか拝借してきたところで、手を振りながら近づいてくる溝口さんにぺこりと頭を下げた。


「お久しぶりです。博物館のお仕事ですか」


 溝口みぞぐち禎次郎ていじろうさんは秀さんと同じ一期生で、今は帝国博物館に勤めている。


「それもあるんだが。なあ、菱田君。君はいつもあんな描き方なのかい」

「ええと?」

「さっき通りかかってね、描いているところを見ていたんだ」


 うわあ、見られていたのか。あれは画面の高さが八尺はっしゃくもあるから僕だと伸び上がらないと描けない。いい意味で言ってくれたのなら嬉しいけれど、背が低いのにあんな大きな絵とか言われたら嫌だな。

 僕は紫陽花の枝を意味もなく、くるくると回した。


「人物を描くのにあまりにもさくさく描いていくから驚いたよ。下絵も簡単にしか描いてなかっただろう」

「あ、そっちですか」


 やれやれ、悪評ではなかったか。


「そっち?」

「なんでもないです。色々やってみて構図が決まったので後は描くだけでしたから」

「そう、なのか……その紫陽花はどうしたんだい」

「この絵に添えるんですよ。今回は天女衰相てんにょすいそうを主題にして描こうと思っているんです。紫陽花は色が変わって最後には色が抜けて枯れてしまうでしょう。だから天女の美も終わる時があるっていうことと関連付けて表現しようと思っているんですけど」


 言いながら、教場に置いた画面の横に紫陽花を立てかけ溝口さんを振り返った。


「けど?」

「ちょっと失敗したかなって」

「どの辺がだね? これはいいじゃないか」

「見る人に主題が伝わりにくいかもしれないんです。水面のところなんですけど……西洋画では水の上も水に映ったのも、どっちも立派に描いていたんです。でもこれは違うじゃないですか」


 僕は水に映ったほうを汚く衰えた感じに描いている。こういう表現で僕の描こうとしてることがわかってもらえるだろうか。

 そこが心配だと言うと絵を眺めながら溝口さんは腕を組む。


「水面が鏡になって未来の姿を映すってことだろう。それこそが主題に通じるんだし、そこまでわかりづらくはないと思うがなあ」


 考えをわかってくれる人がいるのは嬉しいものだな。先輩を愚痴につき合わせたようになってしまったけれど、それでもその答えを聞いてほっとする。


「ありがとうございます。すみません、お仕事中だったのに。話を聞いてもらえて少しすっきりしました」

「そうか、それはなによりだ。共進会に出すんだろう。楽しみにしてるよ」

「はい、がんばります」


 どちらにしろ日本画は描き直しができない。僕の描きたい絵、表現したい主題はこれなんだから『水鏡みずかがみ』はこのまま描いていこう。

 絵筆を取りあげ画面に紫陽花を描き入れ始める。


「菱田君」


 何故か戸惑ったような声がした。


「はい、なんでしょう」

「その大きな絵に下絵もなしでそのまま描くのかい?」

「そうですけど。そのために花を取ってきたんですから」

「だ、大胆ていうか無造作っていうか……じかに描く人を初めて見たよ」


 下絵があってもなくても描いてしまえば変わらないんじゃないか? 今の、この「こころもち」を描き込みたい。焦っているわけではないけれど、画面に花が描かれて見えて気持ちが走る。ここは大ぶりな花のかたまり、こっちは枝を下げて、ここは色を落として、もうそんな風にできあがっているのだから。


「写生と同じじゃないですか」

「それはそうなんだが」


 僕がそう言うと、溝口さんはなかば呆れたような顔でかぶりを振っていた。

 自分のこころもちを描くのはもちろんだけれど意見をもらえるのもありがたい。腹が決まると筆が進む。僕は勇躍して仕上げた『水鏡』を日本絵画協会第三回共進会に出品した。

 ……のだ、けれど。


「菱田君は何をへこんでいるんだね」


 頭の上で観山さんの声がする。机に突っ伏していた僕はのろのろと顔を上げた。


「陛下にもご覧いただいたのに。もっと高い評価ならよかった……」


 そう、この共進会の作品は今上陛下にも御覧いただいたのだ。もっと前向きな批評がほしかった。


「そこかい」

「観山さんは特別銀牌ぎんぱいですもんね!」

「いやいや、簡単に追いつかれても困るから。長年描いていて、あっさり君に負けたら私の立つ瀬がないだろう」


 やんわりした観山さんの口調に、甘えてねていることを自覚して恥ずかしくなる。そう、これはただの愚痴だ。

 だけど女性が立っているだけっていう評はないと思うんだ。いったいどこをどう見てくれたんだろう。主題がわからないなら説明もするけれど、絵から汲み取ってはくれなかったってことだからなあ。意味を見出せないということは僕の描き方がおかしかったのか。


「おっ? どうした、拗ねてるのか」


 秀さんにも子どもかと、ふくれっ面をつつかれた。


「『水鏡』、銅牌どうはい七席だったろ? 大したもんじゃねえか」

「ありがとうございます。順位は結果だからいいんですけど、批評家にはもっときちんと評してほしかったんです」


 近頃の批評家連中は西洋画が好みらしい。今回は特にそんな気がする。だから余計に変な絵だと言われるのかもしれないな。絵画に線があるのは不自然だとか、どうでも日本画というものが気に入らないような話しぶりだった。

 批評をするならひとつの意見にかたよらず広い視点で見てほしい。良さはもちろん、欠点に見えるところでさえ、それぞれの絵画が持つ特徴なのだから。


「だいぶ評価が西洋画に寄っていたでしょう? 例えば描き方ひとつ取っても、西洋画はこうだと言うならわかりますよ。だけど全てがこうあるべきって言うのは堅苦しすぎませんか。僕ならもう少し柔軟な見方をしますね」


 日本画が線で表すことの意味や必要性も深く読み取ってほしいと思ったのだけどなあ。それが変だと言われてしまうなら今まで描かれてきたものは全部おかしなものなのか。

 それは単なる誹謗ひぼうではないのか。


「 俺もミオさんに賛成だぜ。あれは揚げ足取りみてえな言い方だったろう」

「全部の線を取っ払え、だったかな。確かにいきなりそう言われても困るよねえ」


 観山さんがこんな風に言うのも珍しい。続いた言葉も意外に挑発的だった。


「日本画ではできないと思われているみたいだ」


 やっぱり考えていることは皆一緒だな。批評家がそこまで言うなら僕らだって黙っちゃいない。それなら次は輪郭線をなくして描いてみせよう。その描き方でも西洋画にはならない。こころもちが日本画である限りそれは日本画として成り立つ。

 それでもなにか言うなら言ってみろと、だんだん僕の負けん気が頭をもたげてくる。


「こらこら、私達は教える立場だっていうのも忘れないでくれよ」


 観山さんが助教授の立場で釘を刺す。この人の怒り方は画風と同じだな。怖い目をしているのに穏やかさでくるんでしまうんだから。

 ああ、もっと時間があったらなあ。本当にやることがたくさんある。授業の準備もあるし作品の構想も練りたい。僕がふたりいたらいいのに。

 授業と絵を描く日々の中、美校に不穏な気配が漂っているのを僕はまだ知らなかった。

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