陸 僕らは並んで秀さんの卒業制作を見る

「第三?」

「はい」


 僕が第三教室を選択したと言うと、そこにいた皆は揃って不思議そうな顔をした。


「雅邦四天王は第二教室で安泰だと思ったんだがねえ」


 下村さんが言うと西郷さんも、うんと頷いた。

 その四天王っていうのは、秀さん、下村しもむら観山かんざんさん、西郷さいごう孤月こげつさん、それに僕の四人なんだそうだ。雅邦先生が教えている学生の中でも抜きん出ている、なんて言われているらしい。


 三人はともかく年下で学年も下の僕が混じるのはどうかと思うんだよなあ。烏滸おこがましいというか面映おもはゆいというか。本当は嬉しくて自慢したいんだけれど、それを表に出すのはさすがにね。

 秀さんはそんな僕の肩を叩いて力強く言った。


「まあ、何にせよ描くのには変わらん。しっかりやれよ」

「はいっ!」


 僕は先に教室を出たので知らなかったけれど、その後、秀さんが言ったそうだ。


「しっかりやらなきゃいかんのはこっちだぜ」

「横山さん?」

  ──────────

 西郷にいぶかしげな顔を向けられ、横山は苦く笑った。


「なあ、下村君、西郷君。あいつの校友会臨時大会で選ばれたやつ見ただろう」

「『鎌倉時代かまくらじだい闘牛図とうぎゅうのず』か。あれはよかったなあ」


 西郷が言うと横山は渋い顔のまま頷く。


「あれで改めて先生方の目に留まったんだろう。あえての橋本雅邦より川端玉章ってことだ。写生を基礎として制作を進めるようにってことなんだろうぜ。他で修行しろってことじゃねえか」

「彼は怖いよねえ、侮ってはいけないよ」


 寒気を感じたように肩を抱いた下村に横山が問いかけた。


「下村君? どういうことだ」

「私はね、小さい頃から描いていて師匠に画号もいただいているし、正直、美校では誰よりも描けていると自信を持っている。あの時も一席だったから二席は誰だろうと思ったんだ」

「当然そうに言うんじゃねえよ、言い返せねえだろ」


 横山のふざけた口調には、隠しようもなく妬心としん羨望せんぼうが混じる。

 そもそも校友会での賞牌しょうはいは、開校以来の全生徒の全作品を対象にしていた。当然、下村の他作品、横山や西郷の絵も含まれる。その中から選ばれるものだったのだ。


「聞いたら二席は日本画を描き始めたばかりの子だって言うじゃないか。あれの前に描いたのは雅邦先生の模写のような絵だったらしいよ。それが今度は、やまと絵の細かい表現に色彩の豊かさ。これってどういうことだい」


 そういえばいつも仏画や物語絵の模写していた、と西郷が言う。下村がそれに頷いた。


「描けるようになるまでが早いんだ。狩野派の次は土佐派です、みたいにさ。まるで試験を重ねて論文でも書いてるような描き方に見えるよ」

「なるほどそれは怖い。でも本人が意識しているかどうかはわからないが、彼が描く時は実に楽しそうなんだ。羨ましくなるくらいだよ」

「西郷君、のんきに言ってる場合じゃないよ。私達は先輩なんだから負けるわけにいかない。彼の前を行かなくては」


 下村の言葉に、横山は目を光らせた。

  ─────────

「負けてられん。四天王なんて浮かれてたら置いていかれるぜ」


 秀さんはそう言って、また目の色を変えて描くようになったんだと下村さんが言った。

 僕らは並んで秀さんの卒業制作を見る。目の色を変えてなんて言うからどんなに荒々しい絵かと思っていたら、その絵の中では皆が笑っていた。

 この『村童そんどう観猿翁 えんおうを みる』と題された作品からは秀さんの気持ちがあふれ出るようだ。見ていると自然に笑顔になってしまう。猿回しのおきなは雅邦先生だし、村の子ども達は同期生の幼顔おさながおを想像して描いたんだそうだ。


「やあ、どうだい? 俺の絵は」

「秀さん」


 悪戯小僧のように笑う秀さんに、対する下村さんも口の端をきゅっと上げる。


「卒業制作の中でも最高点だったそうだよ」

「そうなんですか! それはすごいですね。ああ、でも納得だなあ。すごく気持ちがこもっていてこちらまで笑顔になります」


 僕が言うと下村さんがにやにやしながら秀さんを見た。


「ただねえ」

「あっ、こら! 言うなよ」


 慌てて止めようとする秀さんをまあまあと西郷さんが邪魔をする。


「この人、学科がまるで駄目でさ」


 じたばたする秀さんを制した二人が首席卒業とはいかなかったよと揃って笑った。

 がっくりと肩を落とした秀さんはため息をつきながら頭を掻く。


「まあ、その、なんだ、ちょっと絵に集中しすぎてな……ああ、とにかく! 俺はこれで一足先に卒業だ。お前さん達は俺より断然上手いんだからこれからも精進しろよ」


 この笑顔が見られないのは寂しくなるなあ。


「卒業後はどうするんですか」

「京都府画学校で仕事が決まってる。仏画の研究もしてえなあ」

「秀さんもがんばってくださいね」

「おう、もちろんだ!」


 秀さんがいつものように朗らかに旅立ったのはそれから少し後のことだった。

 僕らは写生をし、模写をし、課題の絵を描く。秀さんがいなくてもやるべきことは待っていてくれない。学ぶべきことはたくさんある。

 それでも下村さんはため息をついた。


「ううん、あの人がいないと張り合いがないなあ」

「賑やかでしたもんね」


 それだけじゃないぞと下村さんは少し厳しい顔になる。思わず背筋が伸びた。


「横山さんはね、ここの四年間の学校教育だけで画家としての基礎を身につけて、その技術でもって仕事にいた初めての人なんだ」

「そうか、美校の授業がいかに理にかなったものか、いかに身につくものかの証明っていうことなんですね」


 秀さんは自分からああした、こうしたとは言わなかったけれど、弟子入りして絵を習っていた人が多い中でこれはすごい成果だ。


「まあ、彼の吸収も早いのだがねえ。身近にものすごい早さで追いかけてくる者がいるっていうのは嬉しいが怖いものでさ。横山さんがいる間は結構な緊張感があったんだよ」

「私は描き始めた時期が少し遅かったし、横山さんは得難えがたい目標だったよ。いや、今でも目標だな」


 そう言った西郷さんは下村さんと頷き合う。秀さんは好敵手というやつなんだな。


「次は私たちが君の目標にならなくてはいけないねえ」


 ふたりの言葉がありがたい。寂しがってなんかいられないと僕も大きく頷いた。

 そしてこの人たちは自身の卒業制作で有言実行したのだ。


 下村さんは『熊野観花ゆやかんか』という能楽から取った画題で描いていた。物語や芝居を絵で表す、やまと絵という描きかたなのだけれど、その伝統的な絵の中に新しい表現を加えて自分の絵にしてしまっている。

 こういうのが得意なんだと自分で言えるのはすごいな。小さい頃から描いていると自分の絵というものができてくるんだろう。


 そして西郷さんの『俊寛しゅんかん鬼界ヶ島きかいがしま決別けつべつ』は、宮内省がお買い上げになられたのだそうだ。

 雅邦先生の薦めもあって西郷さんは研究科に残ることが決まった。

 僕はまだふたりの足元にも及ばない。こんな人たちと一緒に絵を描けるなんて僕は幸せ者だな。いろんなことを見て習っておこう。参考になるものがいっぱいあるんだ。


「私は来年から教授方だからよろしくねえ」

「美校の先生になるんですか!?」


 下村さんはふざけてふんぞり返ると威張った口調で言った。


「ふふん、来年からは下村観山先生と呼んでくれたまえ」

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