第1話 後編



 不思議な男だ、とベスは静かな寝息を立てるタクミを見ながら改めて感じた。


 ベスは何度か座る位置を変えて距離を詰めてみるが、タクミはピクリともしない。穏やかに、本当に自室のベッドで寝ているかのようだ。


 運び屋として荒野を駆けている割には、あまりにも無防備な姿に、自然と頬が緩んでしまう。


 元々の性格もあるのだろうが、同時に信頼されているのだろう、と彼女は感じた。もちろん、その信頼を裏切る様な真似をするつもりは端からなかったが、それでも嬉しくはある。


 弟を見守っているような心地にさせられる。


「弟、か」


 ベスは物憂げに、自分の鞄に目をやった。


 彼女に弟は居ないが、妹はいる。タクミを見ていると、妹の姿を思い出さずにはいられなかった。


 そして、だからこそ、鞄の中身は必ずルミズイに届けなければならない。


 その為に、タクミには迷惑をかけてしまった。自分と荷物を届けるだけであれば、何てことはない仕事だったはずだ。


 だが、そこでトラブルの種を撒いてしまった。今でも、ベスはあの場での自分の行いが間違っていたとは思っていない。


 だが、正解でなかった。いや、信条ではなく立場で考えてみれば、間違いだったのかも知れない。


 今のベスはタクミに託された荷物だ。その道中について、目的地に確実に届けられるのであれば、配送者であるタクミの指示にきちんと従わなければならなかったのだ。 


 あの場で自分の信条を優先したがために、余計な揉め事を増やしてしまった。


 だからこそ、せめて休息くらいは、きちんと取らせなければ。今はゆっくりと休んで欲しい。それくらいはさせてやらなければ、申し訳が立たないというものだ。


 火に薪を追加すると、パチンと甲高い音がした。タクミがゴロンと寝返りを打ち、毛布から右手が顔を出し、腕輪が覗く。


 ベスは毛布をかけなおしてやりながら、腕輪を見つめる。


 不思議といえばその腕輪だとベスは思う。


 タクミは、姉の遺したものだと言っていた。その機能に気づいたのは少し前だとも。


 タクミの言葉に嘘はないだろう。ベス自身、数名の継承者と面識があるが、彼らは発現するまでその機能を把握していたものはいなかった。


 だが、情報を聞く限り、彼の姉は別だろう。中央アカデミーの教授の助手といえば、将来は間違いなく教授になる才能の持ち主だ。専攻に関わらず、遺物に関わる機会も、その資料に触れる機会も多い。そのため、その遺物がどういうものなのか、実際に機能させることは適わずとも、理解していた可能性は非常に高い。


 まして、タクミの腕輪はどう考えても武器である。原理はベスにはさっぱりわからないが、銃弾をたやすく防ぎ、人間を一撃で昏倒せしめたのだ。


 当然、発見された場所も大崩壊以前は軍事関係の施設だったはずであり、大よその見当はついていたはずである。


 にもかかわらず、それを持ち出し、タクミに土産として渡している。


 これが単なる遺跡目当ての探掘家というなら、取引にならなかった物品を持ち帰っただけ、といえるかも知れないが、中央アカデミーを卒業し研究者への道を進んでいた者にそんな理屈は通らない。


(あるいは危険を承知で――しかし、な)


 可能性として最も高いのは、腕輪の事を理解した上で、あえてその発見を隠し、遺物を持ち去った事だろう。


 しかし、民間の探掘家ならまだしも、中央アカデミーに所属する者がソレを行う事は重大な違反行為である。


 何しろ、国立の中央アカデミーの調査隊は全ての情報と発見物を報告する義務が課せられているからだ。それに反すれば、よくて追放、最悪、投獄の上死罪もある。


 タクミの腕輪を見てみればその理由は明白である。腕輪を悪用された場合、連邦の軍ですら太刀打ちできるかどうか。できたとしても、半端な被害では済まないだろう。


 銃の機構を解明し、量産し、軍の主要兵装とするまでに、大崩壊以後二十年以上かかっている。その時間を、努力を無に帰しかねない力。


 継承者達が持つ、いや、操る遺物とはそういう存在なのだ。


 だからこそ、中央政府としても、できる限り実態を把握し、可能な限り手綱を握りたいと考えているが、追いついていないのが実情である。


 それだけに、罰則も非常に重いのだ。


 タクミの姉は、一体何を思い、それだけの危険を冒したのか。


 それは、タクミ自身、預かり知らぬ事だろう。当人だけが知っているに違いない。


 そういえば、とベスはタクミの話を思い返す。


 タクミは病弱で、ろくに自室からも出られない時期が長かったと言っていた。ならば、彼の姉は、タクミがこうして外を出歩く事を想定していなかったのかも知れない。


 タクミにお土産として渡せば、大切に自室で保管してくれる。それを狙ったのではないだろうか。


 もしもタクミが病弱なままでいたのであれば、腕輪の事は少なくとも今日まで、現物は存在しないのと同じ事だったのだから。


 そこまで考えたところで、ベスは苦笑し、首を横に振った。


 これ以上は、考えた所で無駄だな、とそう感じたのだ。


 やはり、そのあたりに関する思考は、本人にしかわからないのだ。


 叶う事なら、直接会って話の一つも聞いてみたい所だが、タクミの話では事故で帰らぬ人となったようであるからして、不可能だ。


 一度くらいは、ベスも調査隊の警護で接触があったのかもしれないが。


 ならば、どうしようもない事を考えるのはそれこそ無駄というものである。少なくとも、ベスにとって、考えなければならない事は別にあった。


 タクミをこれからどうするのか、である。


 今は仕事を請けてもらっているし、まずはそれを遂行してもらわなければならない。


 だが、それが済めば立場はそれぞれの所属に戻るのだ。


 つまり、ベスは、軍人として改めてタクミと相対する事になる。


 タクミは無届の継承者だ。しかも、腕輪の機能を目の当たりにしてしまっている。放置はできない。


 幸いな事といえば、タクミに悪用する意思がなさそう、と言う事である。


 そもそも、あの状況までタクミは腕輪の機能に頼る事もなければ、その力を誇示したり利用してどうこうしてやろう、という気持ちを見せなかった。むしろ、本人の目指す所の都合もあってか、極力隠そうとしていたと言ってもいい。


 しかし、それでベスがお目こぼしをする理由にはならないし、してはいけない。


 いけないはずなのだが、それが正解なのか、と問われるとそうだ、と言い切れない自分が今はいた。


 正しいが、正解ではない、そんな気持ちがどこかでひっかかっていた。


 恩義があるからだけではない。タクミと妹が重なって感じられる事、それもあるが、それだけではない。


 タクミを腕輪と共に中央に連れて行き、届出を行う、それだけで済まないのは明白だ。


 腕輪の機能を完全に解明しきるまで、恐らく、タクミの自由はなくなるだろう。


 そこに関係しなければならない事に対して、逡巡しているのかも知れない。


 なんにせよ、ベスはこの先の事を考えるとどこかとても、やるせない気持ちを抱かずにはいられなかった。


 赤々と燃える火を暫く見つめ、ふぅーと大きく息を吐く。まだ夜は長いが、考えがまとまる事はなさそうである。ならば、とりあえず情報を整理だけしておこう、と


鞄から手帳を取り出して座りなおす。


 最優先事項は、ルミズイへの到着だ。タクミと、これからの事は、その時に、話し合ってみるのもいいのかも知れない。


 そんな事を思いながら、ベスは、情報を手帳に書き出していく。


 夜は粛々と過ぎていく。


 タクミが目を覚ましたのは、東の空に赤みが入り始めた頃であった。




 朝食は、昨夜のものと大差ないものしか用意できそうになかったが、タクミはあえて川まで水を汲みにいったりと、時間をかけるよう心がけた。


 ほぼ一晩、火の番をしてくれたベスは、すっかり寝入っていた。


 移動中に寝ればいい、と本人は言っていたが、やはりちゃんと眠れる時間を少しでも確保してあげなければ。自分もできるだけ早く起きようと思っていたのだが、予想以上に深く眠ってしまって、起きた時にはびっくりしたものだ。


 水を汲み上げたところで、タクミはじっと川の水面を見つめると、鍋を傍らへ置き、石を拾う。


 改めて水面とにらめっこをし、ここ、と思った所で石を川へ投げつける。


 少しすると、魚が一匹浮かび上がってくる。


 ベスさんに一品、追加できそうだな、とタクミは魚を掬い上げてから、ようようと焚き火へ戻り、準備を始める。


 といっても、鍋のお湯が沸いたら豆を入れて、塩を入れてスープにし、魚は木の枝を刺して火の傍で焼く。


 かけられるほどの手間もなければ、タクミにはその腕もなかった。


 機会があれば練習するか、と思いつつ、火の通り具合に気を配って時間を過ごす。


 魚も程よく出来上がってきたところで腰を上げる。


 タクミが近づくとベスの耳がさピクリと動き、彼女はさっと起き上がった。


「うん、どうした?」


「食事の用意ができたので。大丈夫ですか?」


「ああ。よく寝れたぞ」


 あくびをかみ殺す様子もないベスに、タクミは感心するしかない。


 とはいえ、無理をしてないわけではないはずだ。野宿も慣れているとはいえ、この短い時間に慣れているとは考えにくい。


 ベッドで寝れるよう、今日中にアケメにつくよう努めよう、とタクミは心に決めながら、ベスにスープをよそう。


 合わせて、魚を差し出すと、ベスは眉をひそめた。


「なんだこれは?」


「魚ですよ」


「わかっている。何故一本しかないのにこちらに渡すのか聞いている」


「僕が寝すぎましたからね。そのお詫びと言う事で」


 ベスは気遣いは無用だといったはずだぞ、と不満そうに告げるも、タクミから魚を受け取った。


「だが、せっかくお前が取ってくれたのだ。いただこう」


 ベスは余す事無く、魚を頭から尾まで綺麗に食べていく。


 タクミはその姿に口元を緩ませながら、自分の食事を進める。


 静かな朝の食事だが、天気同様に清清しい時間が過ぎていく。


 食事の質こそ、我ながら誉められたものではないが、こうして人を交えるのは楽しいものだ、とタクミは感じた。


 食事を終えると、出発の準備に入る。食器類を川で洗い、まとめて荷台に放り込む。


 ベスが腰を落ち着けた所で、馬に合図を送り走り出す。


 やや駆け足気味だが、アケメでベスをちゃんと寝かせるためには、それくらいで丁度いいのだ。


 リカー森林へ差し掛かるところで、ベスがふとたずねてくる。


「そういえば、巨獣が出るという話があったが、大丈夫か?」


「恐らくは。基本的には夜行性ですし、基本のルートで巨獣と接触した例はほとんどありませんからね」


 二年ほど前に雨が少なく、餌に困ったのか昼夜問わず、歩き回ってかなりの被害が出たため、ギルド側でこのルートを当面の間避けるよう通達が出された事があったが、それ以外に日中に接触したという報告はたかが知れている。


 その内半分くらいは、縄張り争いで負けたオスがうろついていた、と言うものであり、よほど運が悪くない限りは接触はないだろう、とタクミはベスに告げる。


 むしろ、熊の方が厄介かも、と付け加えた。


「ガウニ一家か」


「動物の方です」


「……なるほど」


 ベスは神妙な面持ちで頷いた。


 こちらも実際に接触した例は知れているものの、どうしても縄張り周辺を通るため、時期が悪いと子連れを相手にしなければならなかったりするので、どんなに慣れていても油断は出来ないのだ。


 とはいえ、さすがに今のは言い方が悪かったな、とタクミは苦笑する。


 つられるように、ベスも頬をかきながら笑いをこぼした。


 鳥のさえずりや動物達の営みの気配を感じながら、みずみずしい木々と爽やかな朝の日差しの中を、馬車は穏やかに進んでいく。


 獣道を間借りしたようにはなっているが、馬車や馬が数多く通って踏み固められ、草もほとんどないので、高原の中の森林だが、道に迷う心配もない。


 森林を抜ければ、パルヴァ山西の中腹に出られるので、そのまま下れば、後はルミズイまでの難所はなかった。


 静かな道中、響くのは馬の蹄と馬車の車輪の音くらいか。


 森林のルートも折り返したくらいだな、と思った矢先、違和感を覚えたのとベスが声をかけてきたのは同時だった。


「タクミ」


「ええ、静かすぎますね」


 森に入ったばかりの頃には鳥の声を始めとして胴部たちの気配があちこちに感じられたが、ここにきて、その気配が完全に消え去っていた。


 自分達以外、全ての動物達が消えてしまったようなシンと静寂が澄み渡っている。


 どう考えても、異常である。動物の気配がなくなる事自体はおかしくはないが、小鳥のさえずりさえ一つ残らずとなると只事ではない。


 ベスは耳と鼻をしきりに動かしながら周囲を見回るが、あまり収穫はないようだった。


 タクミが指示を出すよりも早く、馬の歩きもゆっくりになっていく。


 これはいよいよ妙だと思ったところへ、ベスが肩を叩く。


「止まってくれ」


「わかりました」


 タクミが手綱を引くと、馬は待ってましたと言わんばかりにピタリと止まる。


 直感だったが、ベスの指示が今は正しいと感じる。ベスはじっと、右方向の木と草の最中へ視線を送り、鼻を動かす。


「十五メートルくらい先、この臭いは鹿か。呼吸は荒いから、手負いだ」


「妙ですね」


 タクミはベスの指差す方をみやりながら首を傾げる。


 この状況で、手負いの鹿が一匹だけ。


 何かに襲われて群れからはぐれた可能性はあるが、だとしても、その手負いを狙うほかの動物の気配がないとはどういう事なのか。


 あるいは、とタクミは考える。


「仲間が助けに来るのを待っている、でしょうか」


「どっちが、かな」


「両方でしょうね」


「熊の可能性は?」


「本物なら、そういう狩はしません。一家でも、こんな回りくどい事はしないでしょうね」


 とにかく、とタクミは口元に手を当て、奥歯をヒクヒクと噛み締めながら、あれこれ考えをめぐらせる。


 今、とてもよくない状況である。それだけは確かだった。馬の方も、このまま進むのを拒む気配すらある。


 その時、ベスが不意にうずくまると、地面に耳を当てた。


 どうしたのか尋ねるよりも先に、彼女は口に指を当てたので、タクミは経過を見守る。


「何かが近づいてくる。数は三。足は――あるようなないような、だが、擦っているような――よくわからんな。初めて聞く」


「足があるようなないようなって、まさか」


 タクミはその言葉でピンと来る。ほぼ同時に、少し先の茂みが揺れ動く音が聞こえてくる。


 近い。ベスが顔を上げようとしたので、あわててタクミはそれを制した。


「ベスさん、動かないでくださいっ」


「むっ」


 ベスは指示に従いその場に身を固める。


 途端に、影が地鳴りを引き連れて、タクミたちの十メートルほど先へ躍り出た。


 それは、立ち上がったヘビとでも言うべき存在だった。


 鱗に覆われた長い胴体の先についた三角の頭はタクミの頭の遥か上方にあり、チロチロと覗く舌、地面に接した腹部は尾に近い方にがっしりとした足を持ち、お腹を地面にするようにしながらも大地を蹴って進んで行く。


 その数、三。そのヘビのような存在は、一瞬、止まると、タクミ達の方へ顔を向ける。薄い膜が張ったような、とても見えてるとは思えない目が二人と一頭に向けられる。


 しばしの間、にらみ合いのような状況になる。やがて、三匹はさっとベスが示した手負いの鹿がいる方へ向けて走りさった。


 その速度は、馬よりも遥かに速く、その巨体はあっという間に見えなくなってしまった。


 ベスがゆっくりと体を起こすと、埃を叩きながらタクミに尋ねてくる。


「今の巨獣は?」


「コシダカパイソンですね」


「見た目通りだな」


 周囲に気を配りながら、ベスが馬車へと戻ってくる。


 タクミも、まったく妙だと思いながら、周囲を見回す。


 コシダカパイソンはこのパルヴァ高原のような高地の涼しげな森林に生息している巨獣で、腰を浮かせたような独特のスタイルからその名前が付けられている。ヘビの仲間と見られており、移動方法は腹をするようにして直進するのだが、その際、足で地面を蹴る事で加速し、驚異的な速度を発揮するのが特徴で、馬より速いとされており、狙われたら立ち向かうしかない、とよく言われている。


 肉食で極めて獰猛だが、人間を好んで狙う事はない。


 と言うよりも、過去の調査で目がほとんど機能していない事がはっきりしており、大きな音や震動に向かう習性がある事、そして血の匂いには強烈に反応する事がわかっており、特定の獲物を好むわけではないのだ。


 そのため、先ほどのタクミ達のように完全に動きを止め、息を殺す事で、高い確率で襲撃を回避する事は可能だった。もっとも、激しい出血を伴う怪我でもしていれば話は別だったが。


「今のうちに行きましょう」


 鹿らしき悲鳴が聞こえてきた所で、タクミは馬を走らせる。


 ガラガラと車輪が音を上げるが、あの三匹は捕食の真っ最中だ。


 ここで飛ばせば狙われるかも知れないが、思い切り走らせなければそうそう感知される事はないだろう。


 そもそも、最初から狙いは鹿だったきらいもあるので、注意を惹かないように移動すれば問題はないはずだった。


「見た目はなかなか愉快なヤツだったな」


「こういう高地にしかいない独特な姿なのは間違いないですね」


「巨獣の中では小型な部類だったが、その辺も関係しているのかもしれんな」


「いえ、あれは子供ですね。大体全長で二〇メートルをゆうに――」


 タクミはいいかけてようやく、先ほどの違和感の正体に気づき、はっと振り返る。


 ベスも既に気づいたのか、すっと目を細め、ほぼ放置同然になっていた荷台のライフルを手に取った。


 馬の緊張が手綱から伝わってくる。


 近い。


 進行方向に倒木を見つけ、スピードを緩めようとしたその時、ベスが叫ぶ。


「行け!」


「ッ!」


 左方向への発砲音に合わせて、タクミは馬を一気に駆けさせる。


 ベスの目と鼻の先で赤い飛沫が上がり、倒木が木々の中へと吸い込まれる。倒木と思われたそれは鱗に覆われた、コシダカパイソンの尾だったのだ。


 馬車はそのまま道を通り抜けた。


「見事な擬態だったな、目いっぱい飛ばせ」


「やってますッ」


 ベスはさっと身を翻すと、荷台の上へ移り片膝をついて銃を構える。


 タクミがつられて振り返ると、口の端から獲物の血を滴らせた、先ほどの三匹とは比べ物にならない、それこそ大木のようなコシダカパイソンの顔が、すぐそこにまで迫っていた。


 あの口にかかれば、この馬車ごと全員一呑みだ。


 ベスがライフルを発砲する。二発、三発。レバーが何度も引かれ、薬莢が荷台へ落ちる音が淡々と続く。


 タクミは脇目もふらず、集中する。道を外れるわけには行かない。


 それこそ、相手に餌をやるようなものだ。それに森の出口は崖になっている。タイミングを間違えたらまっさかさまだ。


 ベスがうまく射撃しているのか、コシダカパイソンの唸りが行ったり来たりしている。


「口を撃っても、なまじ致命傷とはいかんか。タクミ、ヤツの弱点はないのか」


「目が一番の弱点のはずです。あとは、鼻も弱い、と言う人は多いですね」


「鼻か」


 タクミが答えた直後、ベスが今まで以上の速さで立て続けに発砲する。


 カンカンカンと薬莢が小気味よく落ちてくる。


 ひときわ大きな咆哮と共に、パイソンの気配が遠ざかる。


 ベスがこちらへ向き直った。


「やりました?」


「鼻頭に打ち込んでやったら確かに大きく怯んだな。だがそれだけだ。またすぐに向かってくるぞ」


 ベスは銃に弾丸を込めながら、周囲を警戒する。タクミも気を配るが、馬を走らせる事にも注力しているので、どうにも散漫になりがちだった。


「せめてダイナマイトがあればな」


「さすがに、その類はギルドでも用意できませんね」


 ダイナマイトは強力な破壊力があり、確かにコシダカパイソンでも吹き飛ばせるだろうが、いかんせん、入手には強力な制限がかかっている。


 ギルドも、運び屋向けに銃器はある程度用意してくれるが、さすがにダイナマイトは不可能だった。


 しかし、今、ダイナマイトがあれば確実にこの場を切り抜けられるだろう。


 ならばいっそ、止まって腕輪でという考えがよぎる。すると、ベスがそっとタクミの肩に手を当てた。


「タクミ、お前は自分の仕事を第一に考えてくれ。私は馬の世話は不得手だからな。お前の背中は守ってみせるさ」


「わかりました」


 タクミはふうと息をついて、道に集中する。


 ベスは何やら考え込んでいたが「今から少し外す。お前は進め」と告げてきた。


「え?」


「振り返るなよ。なに、必ず追いつくさ」


 いきなり何を、と思う間もなく馬車が軽くなる。タクミは瞬間、止まりそうになるが、ベスの言葉を信じて進む事を選ぶ。


 その時、ズシンとした鈍い音が響き、タクミはついと振り向く。


 そこにベスはいた。いたが、それをベスだと、咄嗟に判断できないほど、彼女の気配は、全く別物になっていた。




 耳と鼻がずっと警戒を伝えている。


 感じる、もうすぐ追いつかれる。


 ベスは、覚悟を決めるとタクミに声をかけた。


 必ず追いつく、その言葉は本気だ。だが、絶対ではない。場合によっては嘘つきになってしまうだろう。


 それでも、荷物は守れる。


 タクミは進む、進んでくれるはずだ。


 だからこそ、後は嘘つきにならないよう、ここで後方の安全を確保する。


 それが今、自分のやるべき事だ。


 ベスは大きく二回息を吐き、自分の中で、己を切り替える。


 丸い瞳孔は縦長に変化し、一気に視界が、今まで以上にはっきりする。そして、髪を始めとして毛がざわざわと逆立つ。その一本一本から、ありとあらゆる周囲の情報が、ベスの体中に伝えられる。


 空気の流れ、温度の変化、それら全てが余す事無く、彼女の体に情報として満ちていく。


 来る。その直感と共に、彼女は荷台から飛ぶ。


 馬車を狙い、先回りして木々の隙間から器用に飛び出して来た影を、彼女は蹴り飛ばす。倒れこんだ影は勢いそのままに木々を薙ぎ倒していく。


 AHとして埋め込まれたキツネのバネを始めとした特性と、軍人として鍛えられた肉体は、数百キロをゆうに超えるコシダカパイソンを一撃の下に叩き伏せたのだ。


 ベスは銃を構えたまま、ふわりと着地する。タクミが振り向いた気配を感じ、彼女は苦笑する。


 全く、振り向くなと言ったのに。


 あまりこの姿は見られたくはなかったな、と思いながら、彼女は倒れ伏すコシダカパイソンに銃を向け、一歩ずつ近づく。


 気を失っているならそれでよし、失ってないならその時はその時。


 ベスは閉じているのか開いているのかわからない、コシダカパイソンの目に照準を合わせる。


 そして、振り返ると同時に引き金を引く。


 唸り声と共に、子供のコシダカパイソンが後ずさった。


「やってくれる」


 ベスはそう呟きながらさっとその場を飛びのく。


 眼下で脇から飛び出してきた二匹がお互いの頭を衝突させた。


 親子とはいえ、仮にもヘビが集団で狩をする、その行為をベスは少々の驚きと感心でもって見つめながら、近くにあった木に張り付くように着地する。


「ふっ!」


 ベスは木から一気に跳ねる。


 二匹は目を回している。親と子供一匹に狙いを絞る。彼女はまず、先程銃弾を叩きこんだ子供目掛けて蹴りかかった。


 ぐらりと相手の体が揺らぐ。


 反動を利用してライフルを背負うと、腰から拳銃を引き抜く。


 さらに左手の爪を伸ばし、指を揃えて相手の首筋へ叩き込む。


 パイソンの子供は体をくねらせてベスから距離をとろうとする。組み付いていれば、その柔軟な動きから抜けられてしまったかもしれないが、ベスの左手は深々と指の先まで突き刺さっており、びくともしない。


 ベスはパイソンの目に拳銃を銃口ごと叩きつけると、引き金を引く。


 弾装が回転すること六回。全ての弾を打ち付けると、パイソンは声を上げる間もなく地面へ崩れ落ちた。


 目から脳へ、拳銃ではあってもこの距離で撃ち込めば確実に届いている。


 絶命したのを確かめるように、ベスはゆっくりと左手を引き抜いた。


 拳銃に弾丸を装填し直しながら、ベスは跳ぶ。コシダカパイソンの尾が、彼女の居た場所を空振っていく。


 拳銃とライフルを持ち替えながら体勢を立て直し、木の枝へと降り立つ。


 匂いか音か、両方か。目がほとんど機能していないとは思えぬほど正確にパイソンの口はベスの方を向いて追ってくる。


 確かに速い。だが、それは駆け足の話だ。ベスはそう心の中で呟くと、ぐっと体をかがめ、枝を蹴る。


 メキメキと音を立てて枝が折れる。


 次の瞬間、彼女は既にパイソンの正面へ降り立っていた。


 そこからさらに一歩。ベスはパイソンの背後の木の枝へ。


 パイソンも気配を察知して体を動かすが、全く追いついてこない。


 木々を利用し、縦横無尽に駆けるベスの速度は、それ自体がもはや弾丸であった。


 完全に動きに翻弄されるパイソンの体がベスに対し真横になる。その瞬間を、彼女は待っていた。


「っ!」


 ベスは渾身の力でもって宙を駆ける。


 木を蹴り、一気にパイソンへ肉薄。勢いそのまま、その目にライフルの銃口を押し込んだ。


 大きな唸り声を上げて、パイソンは体を右へ左へとよじらせる。ベスはその勢いを利用してくるりと地面へ。そしてタイミングを合わせて、再び宙へ。振り抜いた蹴りがライフルの銃床を捕らえる。


 ズブリ、と銃身が肉に減り込む感触が伝わってきた。


 一際大きな悲鳴とも言うべき咆哮と共にコシダカパイソンが倒れこむ。


 ベスはパイソンに組み付くと、素早く銃の引き金を引く。


 相手の体がビクンと跳ね上がる。さらにレバーを引き、三発、四発。それに合わせてパイソンの体が地面を叩く。もはや発砲の衝撃に反射しているだけか。


 ライフルを引き抜くと、パイソンの体が今一度痙攣し、動かなくなる。


 あと二匹。


 ベスは半身を引いて振り向く。目を覚ました子供のコシダカパイソンの顎が目の前を掠めて行く。


「むっ!?」


 反撃に移ろうとしたベスは咄嗟にライフルを盾にする。


 衝撃に足が浮き上がった。


 もう一体の尾が、先程のパイソンの陰から襲い掛かってきたのだ。


 数メートルほど飛ばされたが、ベスはなんなく着地する。


 しかし、ライフルは綺麗に今の一撃でひしゃげていた。


「ふん」


 逆手に持ち替え、迫るパイソンの尾を弾き返すと、ベスはそのままライフルを放り捨てる。


 ふー、と息をつき、彼女はぐっと身を前にかがめる。


 目が切れ上がり、口も細く前に突き出す。爪はさらにするどく、体全体に金色の毛が逆立っていく。


 地面に両手こそつかないが、前傾の姿勢とあいまって、人の形をした狐へと、彼女の意識までもが変わっていく。


「正直、この姿は気が昂ぶるので好きではないんだ」


 ベスは誰にともなくそう呟く。だが、二匹のコシダカパイソンは一瞬、身を固まらせた。


 子供とはいえ、いや、子供だからこそか。本能が反応したのだろう。


 ベスは唇を舐めあげようとした舌をひっこめる。


 だからこの状態になるのは好きではないのだ。狩の感覚に血が沸き立つから。


 狩は軍人の仕事ではない。軍人の仕事とは、治安を維持し、国を、民を守る事なのだが、この姿をとるときは、それを忘れそうになる。


 ゆらり、と一歩を踏み出す。


 コシダカパイソン二匹は起こした上体をぐっとのけぞらせ、後ずさった。


「いい判断だ」


 だが、と彼女は内心で呟く。


 この一歩で、私の間合いだ。


 ベスは手前の一匹に狙いを定め、大地を蹴った。


 相手も意を決したように大口を開けて、突っ込んでくる。


 ベスはその鼻先に爪を突き立てる。相手の勢いと共に深々と突き刺さった。


 衝撃にパイソンが逃げようとするが、ベスは鼻先をそのまま掴み、地面へ引きずり倒す。


「ヘビは狐に狩られるものだと、よくよく覚えておくのだな」


 そのまま爪を引き抜き、無防備になった相手の首へと食らい付いた。


 突き出た口吻、そこに光る牙と爪で、皮を裂き、肉を千切る。


 パイソンは右へ左へ体を暴れさせるが、ベスは振り解かれる事なく、着実に相手の体を毟り取って行く。


 もう一体がようやくベスへ喰らいかかったのは、先の相手が完全に動かなくなってからだった。


 ベスが素早く身をかわすが、飛びかかってきた勢いそのままに、その長い体でとぐろを巻いて締め付けにかかる。


 だが、その拘束はコシダカパイソンののたうちによりあっという間に解けた。拘束と呼ぶまでもない、とベスは、己の爪についた血を舐める。


 とぐろを撒く、その動作に合わせてベスはただ爪を立てただけなのだが、コシダカパイソンは己の身に何が起きたのかをまるで理解できていない様子であった。


「お前の親であれば、私の爪の方が負けていただろうな」


 コシダカパイソンはベスの足音に腰を引く。ジリジリと後ずさり、さっと身を翻す。


 だが、ベスはその尾をがしりと掴む。


 ああ、自分は何をやっているのか、と脳裏によぎる。逃げようとした相手を捕まえて処そうなど、軍人の本分を逸脱しすぎている。


 しかし、それも一瞬。気の昂ぶり、狩への歓喜に塗りつぶされた。


 最後に感じた自嘲と共に、ベスはただ気の向くまま、パイソンを引きずり倒すと、そのまま力任せに相手の巨体を振り回し、地面へ叩き付けた。


 グシャリ、と柔らかくも鈍い感触が両手から体中に走り抜ける。


 腹を天に向けて痙攣するパイソンの首元へベスは淡々と近づく。


 名前を呼ばれたような気がしたが、彼女は止まる事なく、相手の喉笛を三度に分けて食い千切った。




 タクミは、結局出来事の一部始終を目撃する事になってしまった。


 ベスの気に当てられてすっかり馬が萎縮してしまっていた事もあり、どちらにせよほとんど進めなかったのだが、それ以上に、ベスの、というよりはAHの戦いにすっかり目が奪われてしまっていた。


 仕事を追えたベスが口元の血を手で拭いながら、歩いてくる。


 タクミははっとなり、ベスへ駆け寄り、荷台から引っ張り出した毛布をかけた。


「ん、ああ、すまない」


「いえ、こちらこそ。すみません、行けと言われていたのに」


「いや、結果的には、助かったな」


「え?」


 タクミが顔を上げた矢先、ベスは額に手をやりながら、もたれかかってきた。


 慌てて受け止める。思ったよりも軽いな、と瞬間よぎる。


「すまん、少々疲れた」


「ええ、ゆっくり休んでください」


 やはり、あの短時間の休息では疲労が残っていたのだ。


 タクミは肩を貸してベスを荷馬車へと連れて行く。


 一端、あおりを下げて腰掛けてもらい、その間にもう一枚の毛布を荷台へ敷く。


 無いよりはマシなはずだ。ベスはその場へ身を横たえた。


「それじゃあ、出ますよ」


「ふふ、頼む。まったく、情けない所を晒してしまうな」


「まさか。おかげで助かったんです。ベスさんこそ、今はゆっくり休む権利がありますよ」


 馬のほうもだいぶ落ち着いているようで、滞りなく、歩き出す。


 少々時間は使ってしまったが、元々の日程に余裕はある。ベスを宿に泊まらせたい所だが、急いで却ってベスの負担を増やすわけにも行かない。


 ベスが起きてから速度を上げるように少々行程を変更し、のんびり馬を進ませる。


 道がいいわけではないので、座っていても下から突き上げる揺れが何度もやってくるが、駆け足よりはマシだった。


 これで駆け足だと、車輪が跳ねて、ベスは休息どころではないだろう。


 着実に森林を進み、パイソン達の血の匂いも段々と薄れてくる。


 少しずつ、道も下り始め、タクミも余裕を取り戻していく。


 このまま行けば、今日中にアケメには着けるだろう。宿が取れるかどうかは微妙な所だが。


 それと、報告もしなければならない。コシダカパイソン自体は、熊と同じで、リカー森林を抜ける以上、完全には避けられない相手だが、親子連れで、しかも親の方は人間を完全に狙ってきた。これは、滅多な事ではない。


 今回、タクミ達が恐ろしくツいていなかったのかも知れないが、それでも、そうした危険が出てきた事はギルドに報告を入れて全体に注意を促さないと、後々思わぬ被害を生みかねない。


 手続きも書式も少々面倒だが、報告を怠った事が後でバレれば、その方がよほど面倒になるので、きちんと町に着いたらやらねばならない。


 そんな事に考えを巡らせていた所へ、ベスが突然体を起こした。


「追われているぞ」


 タクミ言われて後ろへ意識を向ける。


 最初はわからなかったが、森の奥から確かに鳥達が勢いよく飛び立ち、木々が風とは違う揺らぎに震えているのが伝わってくる。


 何より、段々と、血の臭いが濃くなって来た。


「信じられん、なんてしぶとさだ」


 タクミにはまだ、追ってくる気配が感じられるだけで、その正体を見極める事は出来なかったが、ベスの言葉で確信する。


 出てきたのは、ベスとまったく同じ感想だった。


「アレで生きてるなんて」


「だが、この気配は、他に考えられん。それとも、もう片方の親か?」


「それはないですね。コシダカパイソンは、交尾の際にメスがオスを食い殺すそうですから」


 タクミは返事をしながらも、ほぞを噛む。ものすごい勢いでこちらに向かってくる。


 子供を倒された怒りだろうか。なんにせよ、接触するまでもう時間は少ない。姿がこちらの視界に入った。


「うっ――くそっ」


 体勢を整えようとしたベスがふらりとその場に崩れ落ち、膝と頭を抑えた。


 これ以上、ベスに無理をさせられないし、もとよりタクミにそのつもりはなかった。


「しっかり捕まっていてください」


 タクミは素早く道を外れる。馬車なのでそこまで細い道は通れないが、それでも開けあるた道よりは時間が稼げるはずだ。


 ガラガラと馬車は激しく揺れながら、木々の隙間を疾走する。


 タクミはさっと振り返り、参った、と内心で頭を抱えた。


 先程よりずっと距離が縮まっている。森に入った事で、こちらはスピードが若干落ちているが、それでもかなりの速度だ。


 だが、コシダカパイソンは柔らかい体を駆使して、木々の隙間でも速度を落とす事無く向かってくる。


 その姿は、ある種の執念すら感じさせた。


 タクミは腕輪に火を入れる。


 甲高い音と共に、青白い光が右腕で瞬く。


「おい、タクミッ」


「わかってます。撃ちはしません」


 制止するベスにタクミはそう返す。


 光球を撃てば、また一眠りする事になるが、今日はそういうわけには行かない。


 ベスの体調にくわえて、ここはまだガウニ一家の縄張りである。万が一追われているとなると、すぐに倒れるような真似はできないし、するつもりも無い。


 だが、コシダカパイソンとはここで後腐れなくお別れしなくてはならない。


 タクミは腕輪に指示を送ると、腕輪はひとりでに形を変えていく。


 そしてパイソンの方に目掛けて右手を突き出す。


 ここだ、と思った瞬間、馬車がガタンと一際跳ねる。


 腕輪からはかけらのように小さな杭が二つ飛び出し、森の木に突き刺さった。


 参った、とタクミは顔をしかめる。


 馬車のショックで狙いよりも高く刺さってしまった。


 ならば、とタクミは腕輪を操作する。パイソンはもう目前まで迫っている。


 腕輪を先程の杭に向けるが、瞬間、パイソンが頭を大きく上げる。


 全く間の悪い、と内心苦笑し、大口を開け、一気に食らいかかって来たパイソンに向けて右手を振るう。


 腕輪から細い光が縄の如くほとばしり、鞭となってパイソンの鼻先を打ち抜く。


 大きく上体を仰け反らせたその隙をタクミは逃さない。


 腕輪を突き出すと、一筋の光がパイソンの遥か後方、先程木に突き刺さった杭へと伸びる。


 光が杭を捕らえると、杭と杭の間に新たな光が走る。


 タクミが腕を引くと、杭はするりと木から抜け、こちらへ向けて飛来する。


 再び鎌首をもたげたコシダカパイソンを両脇からすり抜け、杭は腕輪へと収まった。


 タクミはそのまま手綱を引いて馬車の速度を徐々に緩める。


 その機を逃さずタクミ達を飲み込まんと大口を開けたパイソンの頭が、そのままズルリ、と地面へ吸い込まれた。


 パイソンは頭だけになったあとも何度か口を動かし、タクミ達を睨み続けていたが、やがて完全に動きを止めた。


「やった、ようだな」


「ええ。狙いを外した時はちょっと焦りましたが、大丈夫そうですね」


 その後も慎重に様子を伺ってから、タクミは馬車を走らせる。


 何度かジグザグに向きを変えて、元の道へと向かう。


 もはや追って来る気配は微塵もなくなっていた。


 ようやく肩の力を抜き、本来の道へと戻る。


「身体は大丈夫か?」


「僕よりもベスさんこそ休んでいてください」


 ベスの問いに、タクミはそう返す。


 先程、腕輪の力を使いはしたが、ああして使う分には体力の消耗は少ない。光の弾丸を撃たなければ、影響は少ないのだ。


「そうか。大丈夫そうだな」


「ええ。もう少しでこの森を抜けて山も下りますから、それまでゆっくり休んでください。その後、休憩します」


「了解だ。お言葉に甘えさせてもらうとしよう」


 ベスは今一度後方を振り返り、それから荷台へ横になる。


 タクミは、予定の遅れを気にしながらも、しかし急ぐ事なく、ベスの休憩の邪魔にならぬよう注意しながら進んで行く。


 リカー森林を抜け、山の麓に出ると、昼をすっかり回っていた。


 すっかり寝入ったベスの姿に、タクミは口元をわずかに緩めつつ、山を振り返る。


 とりあえず、あれ以降追われている気配はなかった。


 山から伝わってくる気配も静かでのどかなものである。


 まるで、あの騒動がなかったかのように。


 ここから先は、難所があるルートではない。滞りなく進めればいいな、と考えながら、タクミはアケメの街へ向け、馬車を走らせるのだった。




 山を下り、川沿いで昼食を取った後は休憩らしい休憩も取らず、ひたすら道なりに進み、タクミ達は日が傾きかけた頃、アケメの町へ到着した。


 アケメは街道の宿場町であり、いくつかのルートがここで集合している事もあって。ルミズイの手前では最も大きい規模を誇る。


 日が傾きかけ、これから夜に向かうとは思えぬほどに活気に溢れていた。


「賑やかなものだ」


「大きい宿場町ですからね。むしろこれからの方が賑やかな所もありますよ」


 通りを見回しながら、タクミはさて、と考える。


 やはり人が多い。


 食事や酒宴がぼちぼち始まってくる頃合である。果たして空いている宿があるかどうか。


 だが言っても始まらない、と宿を探すために馬車を走らせる。


 宿自体は見渡せばそこら中にあるのだが、満室の所が目立つ。


 あちこち探し回り、ようやく通りを外れたアケメの街でも寂れた区画に一軒、空き部屋を見つける事ができた。


 建物も設備もだいぶ古い所だが、施錠可能でシャワーも室内にあると言う事で、お誂え向きではあった。


 タクミはベスを部屋まで送り、翌日の迎えの予定などを確認する。


 ベスはふと首をかしげた。


「お前も一緒ではないのか?」


「ベスさん、さすがに申し開きができなくなります」


「しかし、他に部屋はなかったではないか。まさかお前だけここまで来て野宿というのは、自分が許せん」


「そこは大丈夫です。僕は野宿より多分にマシな場所にアテがありますから」


 タクミはベスの申し出をなんとか丁重にお断りする。


 アテがあるのは本当だ。ただ、ベスを連れて行くわけには行かないだけである。


 ギルドの支部がある町には必ず、ギルドがメンバー向けに寝泊り用の建物を確保してくれているのだが、広間に雑魚寝である。男所帯で各人、雨風をしのげて眠れればいい、という状況なのだ。


 その空間に、ベスを連れ込めば、一騒動起こるのは火を見るよりも明らかだ。


 しかしベスは未だ口には出さずとも、どこか承服しかねるといった様子でドアの前に立っていた。


「予定通りなら、明日にはルミズイに着きますから、ベスさんはこっちで休んでください。シャワーも使っておいた方がいいんじゃないですか?」


「む――」


 ベスもさすがに思い至る所があったのだろう。わずかに眉を寄せ、不承不承と言った形でようやく引き下がった。


 改めて翌日の合流の時間などを確認する。


 食事は管理人が簡単なものでよければ用意するとの事でお願いしてある。


 ここからルミズイであれば、日が昇りきってからでも十分到着できるのでその頃で調整を行う。


 打ち合わせを終え、タクミはまだ気が引けている様子のベスに「おやすみなさい」と挨拶をする。


 こういう時はスパっと区切りをつけるに限る。


 ベスもつられたように「ああ、何から何まで、すまない。ありがとう」と告げた。


 ドアが閉まるのを確認し、タクミは一階へと降りていく。


 ちょっとした広間となっている一階の隅にある台所で作業をしている管理人へ声をかける。


 この宿の管理人である初老の女性は鍋をかき回しながら、柔和な笑みで応えた。


「遅い時間に飛び込ませてもらって、ありがとうございます」


「いえいえ。せっかくですから、あなたも泊まってらしたらよろしいのに」


「こっちにもちょっと都合がありまして」


 タクミは言葉を濁しつつ、改めて礼を告げる。


 飛び込んだだけでなく、余り物でよければといいつつ、食事まで用意してくれようと言うのだから頭も下がる。


 鼻をくすぐるスープの香りに心惹かれるが、用事もあるので、タクミは改めて礼を告げて宿を後にする。


 外に出ると、もうまもなく、日は落ち切りそうであった。


 通りからも外れており、日が暮れれば道は見えなくなってしまうだろう。


 早い所用事を済ませよう、とタクミは馬車を走らせる。


 ふと、気になって振り返る。


 かつてはここが町の表通りだったのだろう。道は、今の大通りに比べれば狭いがそれでも立派な広さである。


 町の開発と共に、ひっそりと寂れてしまった区画。そこに静かに立つ宿。防犯が決して良いとはいえないが、どこか心地よく感じられた。


 しかし、ベスはどうだろうか。明日には目的地である。せめてゆっくり休めてくれればいいのだが。


 そう思いながら、タクミはまだまだ騒がしい通りへと身を滑り込ませて行った。




「あちゃぁ・・・・・」


 参ったぞ、とタクミは閉め切られた陸送ギルドアケメ支部のドアを前に呟く。


 支部は明かりもなく、人気もなかった。陸送と言う仕事の都合上、ギルドは開くのが早く閉まるのも他の商店などに比べれば遅いのだが、さすがに日が完全に暮れ切ってしまうと厳しいものがあった。支部を管理する職員にも、生活はある。遅くまで残って居る事は多くはない。


 コシダカパイソンの件を報告しようと思ったのだが、出直すしかなさそうである。


 ベスを迎えに行く前に来るしかないな、とタクミは馬車へ戻り、ギルド所有の宿泊所へと足を向ける。


 ちらっと食事をしようかと通りがかりの酒場に目をやるとすっかり盛り上がっていた。


 中には見知った顔も居る。今から店に入ると、とっ捕まって、とてもではないが明日のベスの迎えに間に合わなくなるだろう。


 タクミは早々に退散する。食事はパンと干し肉になりそうだった。


「ん?」


 タクミはついと振り返り、首を傾げる。


 通りはすっかり暗くなって、酒場の周辺以外は明かりもなく、何も見えない。


 視線のような、違うような、何か感じるものがあったのだが、酒場からの騒ぎ以外、そこには何もなければ誰もいる様子はない。


 気のせいか、とタクミは取り出しかけたナイフを袖にしまいこむと、パンをほおばりながら宿泊所へと向かうのだった。




 ふぅ、とシャワーを浴びてベスは息を吐いた。濡れた髪をタオルでふきながら、外を眺める。


 おかげさまで、明日は問題なく目的を果たせそうだ。


 だが、まったくもってタクミの事が気がかりであった。


 本人がアテがある、と言っていたので、それは信頼しているが、ここよりも恵まれているわけではないだろう。


 運ばれている身としては、運び主であるタクミを差し置いて、ちゃんとした宿でこうして寝泊りするのはやはり気後れしてしまう。


 気遣いはありがたく受け取るとして、何か改めて礼をしなくてはならないな、と考えながら、コップの水を飲み干す。


 だいぶ迷惑をかけてしまったしな、と嘆息しながら、ベッドへ身を横たえる。


 明日にはルミズイへ到着する。タクミの処遇も改めて思案せねば、と考えるとやはり気が沈む。


 こんな気分で明日を迎えるのは望ましくない。さっさと寝て、一端気分を落ち着けよう。


 ベスは顔に腕を当てて目を閉じる。


 途端、ギシッ、と軋んだ音にベスは飛び起きる。


 下だ。ベスは音に集中する。人数は複数。荒々しく、とても客の足音とは思えない。


 そして何より、迷う事無くこちらへ向かってくる。ベスはとっさに銃を手に持ち、カバンをベッドの下へ押し込んだ。


 シャワー室へ身を滑り込ませ、戸の影から外の様子をうかがう。


 足音は間もなく、彼女の部屋の前で止まった。


 ベスは握った拳銃の撃鉄を引き起こし、ドアへ銃を向ける。


「銃を下ろしてもらおうか」


 太い声が、ドアを揺らして届く。ベスは顔をしかめた。


 威圧感が、ひしひしと伝わってくる。仲間を引き連れているとはいえ、これだけ堂々と、しかもこちらが銃を構えている事を知って尚、声をかけてくる余裕。


 ベスはゆっくりと窓の外へ目を向ける。


 暗闇の中、うっすらとだが、確かに見える。窓の向こう、建物の屋根に一人うごめく影を、彼女は見た。


 一瞬、外の相手をやり過ごせれば、という考えがよぎる。


 ベスは僅かに銃を下に向けつつ、外の相手の様子を伺う。


「そのままこちらへ放れ」


 ドアの向こうから、見計らったように新たな指示が飛ぶ。


 ベスは大きく肩を落とし、無造作に拳銃を放り投げる。


 ガチャッと鈍い音が響き、合わせるようにドアが開く。


 現れたのは、ベスの予想に反して、カッチリとスーツをまとった細身の男だった。髪から靴に至るまですべてが整えられた、これからパーティーにでも出かけるような、そんな雰囲気すらある。


 その分、明らかに膨らんだスーツの左胸が異彩を放っていた。


「ガウニという男は道理をわきまえた大熊だと聞いたが、蛇の間違いだったようだな」


 両手を上げ、抵抗の意思が無い事を示しつつ、そう言ってみる。


 だが、相手は眉一つ動かさず、窓脇に置かれていた椅子をベスの前に突き出した。


「座れ」


 外からもしっかり狙われている。今更、この程度で反発するほど無駄な事はない。


 ベスは大人しく椅子に腰かけた。


 男は両手を挙げたままの彼女の体を一通りチェックしてから右手を上げ、拳を開く。


 合わせて、いかにも脛に一つや二つで済まない傷のありそうなカウボーイ姿の男が部屋へ入り、ドアの左右に立つ。


 ベスはそこで、わずかに肩をすくめた。三人が出てきてなおドアの向こう、暗がりの中に強烈な気配がなくならない。


 どうやら、目の前の男は、大熊ではなかったようだ。


 暗がりから、ひと際大きな気配がゆっくりと現れる。その姿を見上げながら、ベスはなるほど、と内心で頷く。


 これは大熊だ。


 蓄えらえた髭に、太い手足、見上げるほどの巨体。どれをとってもと形容せざるを得ない。


 顔を知らない人間でも、大熊の異名を聞いていれば、目の前の男をガウニ=ミーシカだとたやすく理解できるだろう。


「話はついた、と思っていたのだがな」


 ベスはそうつぶやく。とたんに、手酷く頬をはたかれた。


 ベスはスーツの男をにらむが、相手はただ静かに、感情をほとんど感じさせる事のない瞳で、じっと彼女を見下ろしていた。


「ガフ」


「は――申し訳ありません」


 あきれ顔のガウニに、ガフと呼ばれたスーツの男は背筋を正して頭を下げる。


 肩を叩かれたガフが一歩下がり、ベスは改めてガウニ=ミーシカを正面から見上げた。


「どうにも、手が早くていけねぇ」


 言いながら、ガウニは耳を押すようにして、ベスを一瞥するとどこに向けてか話しかける。


「間違いないか――ああ」


 ベスはめまいを覚えずにはいられなかった。


 このガウニという男、無線通信を使っている。話している相手はおそらく外の狙撃手だろうか。


 無線通信は軍でも研究が進んでいる崩壊前の技術で、改めて実用化の目途はついている。


 だが、民間への情報は徹底的に遮断している。にも拘わらず、この男はその技術を今、利用しているのだ。


 漏れた、と言う事ではないだろう。どこかで、道具を見つけ、そしてなおかつ、その使い方をこの男は理解できたのだ。


「人違いじゃ申し訳が立たねえだろう」


「はい」


 ガウニの言葉に、ガフは改めて頭を下げた。


 ベスの方へ向き直ったガウニは、素早く差し出された椅子に腰かけると、髭を何度も撫でながら、ベスを上から下までじっくりと観察してくる。


「さて、なんだ。話はついた、だったかな?」


「そう理解していた」


 ガウニが右手を開くと、ガフが素早く懐から一枚の紙を取り出して手渡す。すぐに、タクミが置き土産にした小切手だとベスは察した。


 ガウニは小切手をひらひらと振り「俺はこいつを受け取っちゃいない」と告げた。


「それは、そちらの都合だろう」


「さて、どうかな?」


 ベスは小さく息を吐き、すっと目を細める。


「間違いなく、それは詫びとして渡されたものだ」


「ウチの仲間のケガについてか、それとも、俺の顔に対してか?」


「それは――」


 言い淀むベスの口元に、ガウニが小切手を突き付けてくる。


「まあそうなるな。アンタの置き土産でもあるまい」


「ならば聞く必要もないだろう」


「何事も確認だ。それに、こいつの処遇はアンタ次第だからな」


 ベスはガウニの言葉に思わず眉をひそめた。


「こっちとしては貰うものは貰っている。それ以上は必要としていない」


「では、一体何を求めていると?」


「通行料は確かにもらっているし、それにとやかく言うつもりはない。だが、俺の部下を叩きのめした件は別だ」


 その言葉に、ベスはますます眉を顰める。


 そんな彼女の様子を意に介した様子もなく、ガウニは席から立つと、小切手をガフに差し戻し、顎をさすりながら話を続ける。


「さて、そこでアンタに聞かなきゃいかん事がある。聞いた話じゃ、アンタと一緒にいた運び屋の兄ちゃんは部下の指示に従ってたそうだ。だが、アンタは銃を抜いた。で、結果的にアンタの代わりに兄ちゃんがうちの部下を叩きのめしたって事になってるが?」


「――相違ない」


「結構」


 そこまで言われて、ようやくベスも相手の言いたい事が見えて来た。


 確かに、ここから先は自身次第だな、と彼女は先に腹をくくりながら相手の言葉に耳を傾ける。


「つまり、兄ちゃんの行動は荷物を守る為の自衛の範囲と取る事もできるわけだ」


「私はあくまでも相乗りさせてもらっていた立場だ。彼に依頼したのは荷物だけだ」


「――部下の話じゃ、あんたも荷物の一部って事らしいが」


「仮にも馬車に乗せた相手を無碍にする者はあるまい。まして運び屋なら当然だ」


 ガウニはベスの言葉に何度も頷いて見せる。


「あんたは、あんた自身の意思でうちの部下に銃を向けた。そしてそこに兄ちゃんの責任は一切介在しない」


「そう考えてもらって結構だ」


 これしかない、とベスは返事をする。


 自分を運ぶ事も仕事の一部として認めてしまえば、ベス個人の意思であったとしても関係ない。


 その責任はすべてタクミに行く。


 事実はそうだ。だが、それをベスがここで認める事などできるはずもなかった。


「となれば、当然部下が叩きのめされた落とし前をつけるべきは――」


「私になるな」


 タクミは第一に荷物を守らなければならない。そして、たまたま同席していた依頼人とガウニの部下が衝突しそうになれば、部下側を援助するわけにはいかない。


 タクミは部下を打ちのめさなければ、『運び屋として荷物を完璧に守る』事はできなかったのだ。


 となれば、その状況に追い込んでしまった、原因を作ってしまった者こそが糾弾されなければならない。


 ガウニの望んでいる結論はそれだけだ。恐らくそこにはタクミと言う継承者を相手にするのは分が悪い、と言う大きな打算もあるだろう。


 真っ先にタクミではなくベスの元へ来た事からしてもそれは読み取れる。


 同時に、ベスにとってもそれしか選ぶ道もないのだ。


 ここでタクミにすべての責任が行けば、ガウニとタクミが衝突する事は必至だ。


 彼女には何としても、期日までにタクミに荷物を運んでもらわなければならない。


 万が一にもそんな事があってはならないのだ。


 ガウニはそんなベスの様子に満足したのか、ガフに顎で支持を出す。


 ガフは小切手をテーブルの上に置いた。


「明日、兄ちゃんはこの部屋へ来るな?」


「ああ、そういう約束になっている」


「なら、これで兄ちゃんと俺たちは貸し借りナシだ」


 ベスは目を閉じてそうだな、と相槌を打つ。


 タクミは察しがいい。小切手と置いて行かれた荷物を見れば、為すべき事を理解してくれるはずだ。


 ベスの背中を取ったガフが「縛りますか」とガウニへ支持を仰いだ。


「必要はねえ。その姉ちゃんも覚悟は決まってるようだ」


「支度の時間は取ってもらえるのかな」


「構わんよ」


 ベスは静かに両手を上げて立ち上がると、ガフに声をかける。


「ベッドの下にカバンがある。それを小切手と一緒においてくれ」


 ガフはガウニの承諾を得て、ベスの頼み通り、カバンを引っ張り出してテーブルへ置いた。


 ベスは片手でカバンに手をやり、蓋をわずかに浮かせた。


「これでいい」


「なら、大人しくついてきてもらおうか」


 ベスは促されるまま、ガウニの横に控えていた男たちに両脇をふさがれて廊下へと出る。


 夜の宿は静かなものだ。動く気配は自分たちだけ。


 階段を降り、広間へ出る。


 主の部屋からは僅かだが、人の気配がする。寝ているのだろう。


 とりあえず、一派が手荒な真似をしていない事がわかっただけ、彼女はほっと安心する。


 馬止には馬と、ベスと同じような耳を持つ、犬系のAHが控えていた。


 彼女たちの臭いを追って、ガウニたちをここまで導いたのは彼だろう。


 合わせて、向こう側の闇から現れたのは、窓越しに彼女を狙っていたであろう、狙撃手。タクミが叩きのめした太っちょである。


 それで痩せぎすの姿がない理由を、ベスはなんとは無しに察した。


「信じるかは自由だが、アンタの命を取る気はない」


 後を追うようにして出てきたガウニがベスにそう告げる。


 その隣では、ガフが麻袋を用意している所だった。


「今は信じるしかあるまい」


「いい心がけだ」


 ベスは促されるまま、犬のAHの馬へ同乗する。


 次の瞬間、彼女は麻袋をかけられ、視界を完全に遮られる。


 あとはなされるがまま、連行の途へと着くのだった。




 朝一番、待ち構える形でギルドにコシダカパイソンの件をタクミは報告する。内容が内容なので、報告も滞りなく処理してもらえたものの、さすがに朝駆けでいい顔はされなかった。


 受付のしかめっ面を思い出して苦笑しつつ、タクミはベスのいる宿屋へとやってくる。


 宿の主は朝食の準備をしている所だった。簡単に挨拶をかわし、階段を上がり、通路を目にしてタクミは「ん?」と首をかしげる。


 なんだか、妙な感じがする。


 その正体にタクミはベスの部屋の前に来た所で気づく。


 土だ。ベスの部屋の前だけ、明らかに土が多く落ちている。複数の人間がたむろしていたかのようだ。


 しかし、とタクミはドアに耳を当てる。


 中に人の気配がない。


 試しにノックし、ベスに呼び掛けてみる。


「ベスさん、おはようございます」


 返事はない。


 ノブに手をかけると、鍵はかかっておらず、すんなりとドアが開く。


 不審に思いつつ、部屋の中へ入る。


 部屋はもぬけの殻だった。食事はしたのだろう。隅に食器が寄せてあったが、ベッドは使われた形跡が全くない。そしてテーブルの上にはベスの鞄がおかれている。  


念のためシャワー室とベッドの下も確認するが、やはり誰もいない。


 何かあったのかは明白だが、何があったのか。


 その時、タクミは鞄の蓋がわずかに開いているのに気づく。


 ありえない、と言う考えが頭をよぎる。あれだけ大事に抱えていたカバンを手放しただけでなく、蓋まで開けていくわけがない、と。


 それならば、と僅かに逡巡しながらも、彼はカバンの蓋に手をかける。


「これは――」


 中を見たタクミは思わず蓋を閉じた。それからもう一度、ゆっくりと蓋を開ける。


 中身を見たタクミは、おおよそを察し、苦笑してしまう。


「まったく」


 一つ仕事が増えてしまった。


 鞄の蓋を閉め直し、タクミは腕輪に手をかける。


 急いで用事を済ませなければ、と。




パン、と銃声にも似た音が響き、直後に襲い来る衝撃にベスは歯を食いしばった。


「あぐっ!」


 ジンジンとした痛みが延々と体中を走り抜ける。肩で息をするたびに、腕を吊るロープがギシギシと音を立てた。


 もう何度目になるのかもわからない。まともに数えたのは五、六回である。


 これを百回か、と思い返し心の中で笑いをこぼす。遠くなりそうな気もおかげで少しは楽になったようにすら思える。


 瞬間、新たな鞭が彼女の体を刻み付けた。


「ぐっ、あっ!」


 息が止まる。のけぞった顎が空気を求めて開いていく。


 痛みに耐える訓練はしてきた。だが、それはあくまでも負傷をものともせずに相手を制圧するような、戦闘時において動き続けられるようにするためのものだ。


 一方的に、それも無防備に殴り続けられる事を想定したものではない。


 それでも、とベスは気力を絞る。どんな状況であろうとも、自分がここで気を失うような事はあってはならない。


 これは、言ってしまえば罰だ。タクミの指示に従わなかった自分の蒔いた種である。ならば、きちんと清算しなければならない。


 もしここで気を失えば、それはエリザベス=ヴィクスンと言う人物が、己が終わる事と同義だ。


「うぁっ」


 風切り音と衝撃にベスの体がまたも揺れる。声を上げるだけで呼吸が苦しい。


 いかに自分が覚悟を決めても、体と心がだんだんと離れていくのを、否応なくベスは感じていた。


 その時、プシュと独特な音を立てて部屋のドアが開き、すガウニが姿を見せる


 ベスは呼吸を落ち着かせながらその姿を追う。


 監視役のガフとガウニは言葉を交わしており、打ち手もその内容を気にしているのか鞭を止めていた。


 その隙にベスは改めて周囲を見回す。逃げ出すつもりも手段もない。ただ、そうすれば少しは意識が楽になるようだった。


 ボタン一つで開閉するドアに、リノリウムの床。外とは全く違う、湿度も乾きもない空気。


 その光景、感覚はベスにとってよく覚えのあるものだった。


 ここは、かなり高度な技術を用いて建造されている。扉の分厚さなどを加味すれば、間違いなく、軍の施設だ。


 しかし、とベスは思う。正確な位置はわからないが、連れてこられるまでの距離と方向でおおよそ、今自分がいる場所は把握している。


 その周辺に、彼女の記憶では軍の施設は存在していない。


 仮に廃棄された施設だとしたら、それこそ脅威だ。今は十分に基地が機能している。そうできるノウハウを、このならず者たちは所有しているのだから。


 だが、今の彼女にはそれをどうする事も出来ない。ただただ、タクミの為に、託した荷の為に、今は情報を集めながら耐えるのみだ。


 背中は相変わらず燃えるような熱さと痛みが広がっているが、呼吸は落ち着きつつあった。


 そこへ、グイと肩を掴まれ、強引に振り向かされた先に、大熊ことガウニ=ミーシカの顔が現れる。


「呆れたもんだ」


 開口一番、ガウニはベスにそう告げる。しかし、その表情はむしろ感嘆の色が伺えた。


「まだ起きてるとは、さすがと言うべきかな」


「生憎と、この程度で寝こけるほど、ヤワではなくてな」


 ほとんど強がりではあったが、ここで弱音を吐くほど、ベスの心は折れてはいなかった。


 口元にもなんとか笑みを浮かべる彼女に、ガウニは大きなため息を吐いて頭を掻きながら踵を返す。


 ガウニはガフに改めて耳打ちをすると、部屋の奥にドスンと腰を下ろす。


 その時を待っていたとばかりに、鞭打ちは再開された。




 しなる鞭、軋むロープに女のうめき。三重奏を聞きながら、大熊ことガウニ=ミーシカは顔には出さずとも、すっかり参っていた。


 せいぜい耐えて十回かそこらだろう、とたかをくくっていたが、なんとすでに五十を超えて折り返しとガフに説明された時には、言葉に詰まったものだ。


 ガウニは別に嗜虐嗜好があるわけではない。鞭打ちされている女にも告げた通り、あくまでも目的は見せしめに過ぎない。


 だからこそ、当初の予定では、気を失ったらそれでしまいにして、適当な集落に放り出すつもりでいた。


 そもそも、見せしめとはいえ命を取るのは上策ではない。


 あまり簡単に、まして堅気の相手の命を奪うと、その後も同様にしなければ示しがつかなくなる。


 だが、あまり多くの死を重ねると、最初こそ人々は恐れるが、理不尽な簒奪の果てに恐れを怒りに変えるのだ。


 その先に待つのは、勝ち目の薄い保安官や警察、軍との戦いである。


 はっきり言ってしまえば、何の旨味もない。公権力との戦いに自尊心を満たす者がいないとは言わないが、ガウニ自身はそうではない。


 だからこそ、彼は配下の者に、特に堅気相手には無闇な殺生はご法度にしてきた。


 故に、今彼はさすがに焦りを感じていた。


 女とはいえAH。しかもかなり鍛え込まれた相手である。そこらの市井の人間に比べたらはるかに頑丈な体をしているのは間違いないが、それでも五十を越えて鞭を打たれれば、何かの拍子にコロリと行く危険がある。


 だが、刑を命じた以上、まさか優しくやれ、などというわけにもいかない。それこそ、自身の沽券に係わるというものだ。


 ガフには再開前に、改めて気を失ったらそのまま放り出すという旨は伝えた以上、他にやる事はない。ドスンと腰を落ち着けて成り行きを見守るだけなのだが、どうにも据わりが悪くて仕方がなかった。


 やがて、鞭の音も少しずつ弱まっていく。今まで百回まで耐えた者はいないのだ。当然、打つ方も百回を打った経験はない。


 さすがに七十を超えると、鞭を打つ彼の部下にも疲れが見え始めていた。


 だが、ガウニはその様子に、これで女がショックで死ぬ確率も減るか、と少しばかり気が前向きになる。


 その時、壁にもたれかかっていた犬のAHであるジョンがさっと身を起こし、右手を上げる。


 瞬間、その場にいる者たちの間に緊張の空気が流れる。


 ガウニは、腕を組んだまま特に何も言わず、成り行きを見守る。


 ジョンが銃に手をかけると、他の者たちも臨戦態勢に入る。


「三つ数える。その間に出てこい。出なければ、撃つ」


 ジョンの言葉は、天井、そこにある配管に向けられていた。


「一つ――二つ――」


 三つ、とジョンが数えるのと、同時に、通気口のカバーが落下する。続いて、人影が一つ。ストン、と落ちた。


 帽子を押さえて立ち上がる青年の姿に、若いな、とガウニは内心で呟く。


 恰好は荒野で生きる者として変わった所はなかったが、それだけに右手にはめられた腕輪がやけに目立って感じられる。


 部下たちが一斉に銃を構える中、真っ先に声を発したのは、鞭を打たれていた女、ベスであった。


「バカな、なぜ――」


 驚きのあまり、目を見開き声を詰まらせた彼女を一瞥し、青年はまっすぐにガウニを見やり、帽子を軽く浮かせて会釈をする。


「どうも、お騒がせして申し訳ない」


 向けられた銃口をまるで意に介する様子もなく、真っ直ぐにガウニを、彼だけを見据える青年はさらに続ける。


「僕の荷物を返してもらいましょうか」


 瞬間、彼らの世界は光に包まれた。




 予想より重い。とても本人には言えないが。


 そんな事を考えながら、完全に気を失ったベスを半ば引きずるようにして、タクミは通路をのそのそ進む。


 意識のない人間を運ぶのはかくも大変である、と言う事を一歩一歩かみしめさせられる。


 ベスの痕跡を追ってこの建物までたどり着けたまではよかったが、犬系統のAHが彼らの仲間に居る事は想定しそこねた。


 正面を避けて、適当に通れそうな所を利用し、人の気配が多い場所を目指したものの、結果的に侵入にはあっさり気づかれてしまった。


おかげでいささか手荒な真似をする羽目になってしまい、ベスも気絶させてしまった。


 果たして追ってくるのが先か、自分たちが脱出するのが先になるか。


 とにかく、可能な限り急ぐしかない。通路の案内に従い、タクミは進む。


 外から来た時も感じたが、とにかく広い。


 ガラナの倉庫が二つくらいは収まりそうだ。案内がなければ確実に迷子になっていただろう。


「ん、んん――」


 着実に歩を進める中、タクミの背中でベスが小さく呻き、身をよじらせる。


「あ、目が覚めました?」


「っ!」


 タクミが声をかけると、彼女はさっと彼の背中から飛び退く。


「タクミ、お前っ――」


「今は待ってください。後でいくらでも聞きますから」


 振り向きざまに、文句の言葉を並べようとした彼女を制した。


 ベスが目を覚ましたと言う事は、一家の面々も遅かれ早かれ気が付くと言う事だ。


 ここでベスの文句を聞いている時間ははっきり言ってない。


 ベスもそれを理解してるのだろう。それ以上はこらえて続けなかった。


「とにかく、まずはここを出ましょう」


「わかった。方向はこっちでいいんだな」


「えっと――僕の後についてきてもらっていいですか」


 先を行こうとするべスを制し、タクミは改めて走り出す。


 ベスの体調も気になる所だったが、十分に彼の走りについてくる。


 角を曲がり、階段を一気に駆け上る。二階分を上り、踊り場にあったドアを開ける。


 中は非常に蒸し暑い状況だった。ゴウンゴウン、と低い音が断続的に鳴り響いている。


「機械の部屋、か?」


 ベスは興味深げにきょろきょろと周囲を見回しながら、彼の後についてくる。


「なにか、空気を流しているようだが――」


「ベスさん、出ますよ」


 タクミは部屋の奥のドアの前に立つ。空気が、すぐ向こうが外だと雄弁に語っている。


 硬質な、金属製の扉は完全に閉じ切っているように見えたが、引手と思われる部分に手を当てると、タクミの腕輪が一瞬の輝きを放つ。


 次の瞬間、シュッと小さな音を立てて扉が横に開く。


 夕日が一気に差し込み、思わず手をかざす。ベスも同様にしながらゆっくりと外へ出てくる。


 タクミは腕輪を起動し、何度かさするようにして、目的のものを表示させる。


 腕輪から空中に放たれた光はぼんやりとだが、地図のような図形を描き出す。


 その中に一点、赤い点が表示される。


「スゴイものだ。その点は?」


「馬です。腕輪の一部を置いてくると、こういう風に表示されます」


 森の中に隠した馬の場所を確認し、タクミはベスとともに改めて走り出す。


 その途中、ベスがふと問いかけてくる。


「タクミ、お前は先の建物に来たことがあるのか?」


「初めてですよ」


「なら、迷わず外に出れたからくりを教えてもらいたいな」


「通路に緑の表示があったのは気づきましたか?」


 ベスは若干の間を開けて思いあたったのか「ああ」と頷く。


「あれに昔の文字で『非常口』って書いてあったので、それに沿って出たんです」


「――崩壊前の字が読めたのか」


「たまたまですよ。姉に教えてもらったものですから」


 そう答えると、馬の姿が見えた事もあって、ベスはそれ以上問いかけてこなかった。


「荷台は、ないのか」


「速度重視です。乗って下さい」


 一瞬、ベスの顔に影が差すが、彼女はすぐに跨り、タクミにしっかりと捕まった。


 行きます、と声をかけて馬を走りださせる。


 とにかく速度が命だ。一刻も早く、この山を下りなければならない。


 振り返ると、ガウニ一家のアジトが、静かに立っている。


 半分ほど土に埋まったような状態にも見える、四角く無機質な、石とも土ともとれぬ無機質な質感の壁が、崩壊前のものである事を静かに物語っていた。


 同時に、何の騒ぎも伝わってこないのが気味悪くもある。


 ベスが目を覚ましてから、すでに相応の時間が経っている。全力で追ってくると思っていたのだが、建物から伝わってくるのは静寂そのものだ。


 嫌な静けさに後ろ髪をひかれつつ、タクミは一気に来た道を引き返していった。




 タクミ達が山を下り始めた頃、ようやくガウニ=ミーシカは目を覚ました。


 すぐそばでは、ガフが直立不動で彼が起き上がるのを待っていた。


「どれだけ経った?」


「あの男が現れてから一五分ほどです」


 まったくやってくれたものだ、と半ば感心しながら、彼は周囲を見やる。


 残っているのは彼とガフだけだった。


「ジョンは?」


「追跡を始めています。他の者には準備に取り掛からせました」


「結構。相変わらずいい手際だ」


 いささか大げさな気もするが、ガフの記憶が確かなら、あの小僧が使ったのはフラッシュバンと呼ばれる、光と音で相手を気絶させる類のものだ。


 だが、本来それは使い捨ての投擲だが、あの小僧がそんなものを使った素振りはなかった。


 となれば、報告で聞いた遺物と思しき腕輪のなせる業だろうか。


 あれを自在に操るような継承者を相手にする以上、こちらも相応の用意をしなければならない。


 ガフは意図を組んですでに手はずを整えてくれている。


 本当なら、あの女の心意気に免じて、事が済めば放逐するつもりだったが、アジトにまで潜入された挙句、逃げられましたでは済まされない。徹底的に追い詰めとっちめるのだ。


 ぐいと立ち上がると、ガフが静かに頷き、そっと彼の帽子を差し出してくる。


 ガウニはかぶり直して告げる。


「時間が勝負だ。急ぐぞ」




 獣道を一気に抜けて、山を飛び出す。


 行く時にあらかた、面倒そうな獣には躾をした甲斐もあってか、こうして下りでは特に動物たちに悩まされる事はなかったのが幸いだった。


「休憩は挟みますけど、このまま目的地まで向かいますよ」


「ここは、ヴァシー山だったのか」


「ええ。僕らが通った通路とは反対ですけどね」


 もともと彼らの本拠はこの辺だろうとは思っていたが、想像以上に山の中だったのには驚いた。


 おかげで、登る時は想定以上に時間を食ってしまった。


 それでも、今から走り続ければ、ベスの求めた頃合いまでには目的に到達できる、とタクミは馬のスピードを上げる。


「よく、私が連れ去られた場所がわかったな」


 ベスの言葉に、タクミは腕輪を起動させると、上段を回転させ、目当ての場所へ。


 腕輪の先端から発せられる光を地面へ向ける。


「見えますか?」


「これは――」


 光に照らされた地面を腕輪越しに見たベスには、タクミと同じものが見えているようだった。


 足跡である。今は山を下り、荒野のど真ん中。数多の足跡が重なっているが、その一つ一つを明確に、線でかたどったように腕輪の光は浮かび上がらせているのだ。


「これで宿から怪しい足跡を追ってきました」


「なるほどな。世話をかけた。礼を言う」


 しかし、と下げた頭を上げて続けようとしたベスをタクミは制す。


「僕が引き受けた仕事は、ベスさん。あなたをルミズイまで連れて行く事です」


「それはわかっている。だからこそ、そうならないようにしたはずだ」


 そう、そこだ。とタクミは思う。


 タクミは確かにあの時、宿屋でベスの荷物を見て、その意図をはっきりと理解した。


 ベスがなぜ、明日までに是が非でもルミズイにつきたかったのか、というそのわけを。


 しかし、だからこそ、タクミはベスを絶対に連れ戻さなければならなかった。


「ウェディングドレスとあの薬だけを届けて、妹さんがどう思うか、もう少し考えてください」


 ぴしゃりと、タクミは馬の脇に括り付けたベスの鞄に手を置いて告げる。


 薄々は、ベスから雨を降らす魔法の話を聞いた時点で感づいてはいた。


 狐のAHには、結婚式の碑には雨を降らせる風習がある。そんな言い伝えが、一部の地域では伝承されていると、かつて姉から聞かされた話が頭の片隅に残っていたからだ。


 そして、ベスが姿を消し、残された鞄の中身がそれを確信に変えた。


 鞄を開けて真っ先に目に飛び込んできたのは例の薬。そして、花嫁衣裳だった。


「僕は、引き受けた以上は必ず届けます。そして僕が引き受けた仕事は、晴れの舞台に無用な悲しみを届ける事じゃありません」


 ベスの身に何が起きたのかもおおよその検討はついた。鞄の真意も。


 そして、ベスを連れてく事も依頼には入っていたが、ベスは依頼主だ。依頼主が途中で意向を変えたというのであれば従うのもやぶさかではない。


 しかし、もし、もし万が一タクミがベスを迎えに来ず、そのまま鞄を妹へ届けたらどうなるだろう。


 出席するはずだった姉の旅道具まで一緒に入った鞄だけが届けば、その身に何かがあったのだ、と誰もが同じ立場なら思うだろう。


 晴れの門出にいきなり身内の悲報に接する事になるのだ。


 それを想像したら、とてもタクミにはベスを迎えに来ないという選択などできなかった。


 ベスは何か言葉を返そうと口を開いたが、小さく「すまない」と告げてうなだれた。


「いえ、そもそも僕の落ち度です。ベスさんをこんな目に遭わせてしまいました」


「なに、それこそ身から出た錆にすぎん。お前が気にする事など何もない」


「それなら今度こそ――」


「ああ、誓おう。ルミズイにつくまで、お前の指示は絶対、だな」





 日も暮れた大地を、月明かりを頼りに目的地までひた走る。


 ルミズイの手前にある低い山を除けばあとはひたすら平地である。


 ベスはといえば、さすがにあれだけの事をされていたのだ。すっかりタクミに体を預けて寝入っている。


 一応、落ちないようにロープを腰と肩に回しておいたが、これならその心配はなさそうだ。


 目的地を静かに目指す中、背中から聞こえる寝息に、タクミは彼女が眠る前に交わした会話を思い返していた。


「そういえば、どうして式にはベスさんだけ来たんですか?」


 それはふと口をついて出た、単純な疑問だった。ベスの妹が嫁ぐとなれば、ヴィクスン家にとっても大事のはずだ。さすがに彼女たちの職業柄、一家総出というわけにはいかないだろうがベス一人だけが式に出席するというのもいささか奇妙ではあった。


 ベスは苦笑しながら「妹は、しばらく親と折り合いが悪くてな」と答えた。


「もしかして、軍人にならなかったからですか?」


「まさか。その点、あいつはのびのびしたものだったよ。まあ、もし私がそう言いだしていたら、状況は変わっていたかもしれないな」


 ベスが軍人になる事で、ヴィクスン家の跡継ぎは特に問題がなく、彼女の妹は結構自由に育ったらしい。


 しかし、そうなるとどうも折り合いが悪くなる理由が見当たらない。


もっとシンプルに「日程が合わなかった」と言った答えが返ってくるのかと思っていたのだが、折り合いとなるとあまり深く聞かない方がよさそうだ。


「そろそろ三歳くらいか」


「――なるほど」


 何とはなしであっただろうベスの呟きがきっちり耳に届いてしまい、タクミは思わず頷く。


ベスが「おっと」と口に手を当てて、参ったな、と頬を掻く。


 取り立てて珍しい話ではない。いや、ありふれた話と言って良い。


 しかし、年配者にはいい顔をしない者が多いのもまた事実だ。


 まして、ヴィクスン家は古くからの家柄。色々としがらみがあるのは容易に想像がつく。


「相手は申し分ない、外洋調査船の航海士でな。軍も調査計画には絡んでいるので、顔を合わせる機会はそれなりにあって、惹かれるものがあったのだろう。あいつは、海に憧れもあったしな」


 彼女も妹もヴィクスン家である以上、中央、つまり内地の産まれだ。タクミほどではあるまいが、海を見る機会は限られていただろう。


 海への憧れや興味という点でベスはタクミに妹の影を見る部分があったのかもしれない、と少しばかり合点は行く。


 航海士と言えば、よほどの事がない限りいずれは自分の船を持つ立場だ。調査船ともなれば船乗りとしてはエリートであるし、船乗りたちとの「つなぎ」としてもヴィクスン家にとって悪い縁談ではないだろうに、正式にコトが決まる前に、というのはやはり外聞がよくなかったという事だ。


「相手は長い間外洋に出ている。好き合うものが戻ってきた束の間の逢瀬だ。自然な事だろう。父も母も今となっては認めているが、半ば追い出す形になってしまってな」


「虹の魔法はその点を解決してくれる、という事ですね」


「さすがに気づくか。その通りだ。ヴィクスン家では嫁入りの際には虹をかける。そういうしきたりでな」


 素直ではない、と言うのも違うのだろう。ヴィクスン家の主として、ベスの両親には両親の立場がある。かつての諍いに対して、少なくとも彼女の妹を自らの家の一員として認め、出席はせずとも祝福する事を示すにはうってつけの道具だ。


 ベスの口ぶりからして、彼女自身は妹の件については、最初から憤りはほとんど感じていなさそうだ。だからこそ、両親ではない。姉である彼女が選ばれたと言った所だろうか。


 多少無茶はしたが、そういう事であれば、ベスを迎えに行った更なる甲斐があったというものだ。


 男女の機微についてははっきり言ってよくわからない自覚はある。


 だが、好いた者同士が式を挙げ、それを祝福する事については当然の事だろう。まして、姉として妹を祝おうといならば尚更だ。


 だからこそ、必ず、送り届けなくてはならない。仕事として引き受け、そしてその仔細を知った以上、これは彼にとって何よりも大事な事だった。


 やがて、ベスがうつらうつらと頭を振る感覚が伝わってくる。


「すみません、長話をさせてしまいました」


「なに、構わんよ。だが、さすがに、休ませてもらおうか」


「明日のためにもそうしてください」


 そうして、彼女が完全に眠りにつくまで、時間はかからなかった。


 そこから、馬を休ませがてらスピードを落としてベスかの体を可能な限り固定して、走り出したのはもうだいぶ前になる。 


 一日余裕を見ておいてよかった、とタクミは改めて思う。


アケメは当に超えた。このペースなら、日の出にはルミズイが拝める計算だ。式までにはベスを届けられる。


ベスを起こさぬよう気を付けながら、タクミはひたすら、目的地に向けて突き進んだ。




月が闇を照らす中、草木同様、昼間の喧騒はどこへやらですっかり寝静まった街道の宿場であるアケメの町に、ぽつぽつと灯りが灯りだす。


 鈍く一定の間隔で響く音に合わせて大地が震えているため、何事かと窓が開けられていく。


 やがて彼らは遠くにうっすらと蠢く巨大な影に気が付いた。


 その影はみるみる内に近づいてくると町の中へ侵入。大通りを力強く駆け抜けていく。


 月明かりに浮かび上がるその姿は、まさに鎧をまとった巨獣とでもいうべきものだった。四本の足で進む、長い鼻を持つ鋼鉄の巨獣。後に、保安官の聴取で彼らは口を揃えてそう告げる事になる。


 アケメの町には等間隔にならんだいくつもの巨大な足跡が遺されていた。




 登り始めた太陽が、最後に超えた山間を超えて辺りを照らしていく。


 進む先には小さくだが鐘楼が見える。


 ルミズイの代名詞とも言える大鐘楼。港町であるがゆえに、遠方の船からも確認できるシンボルとして建てられたものだ。


 日の光を背に受けてひた走っていると、ベスがタクミの肩を掴んだ。


「右だ!」


 挨拶をする間もなく、彼女の声にタクミは進路を一気に変える。


 瞬間、轟音と共に先ほどまで居た辺りが爆発を起こす。


 飛んでくる礫にも構わず振り向くと、砂埃の中、巨大な穴が開いているのが見えた。


 馬の方もかなり動揺しているようだが、なんとか走るのは継続してくれていた。


「またくるぞ、左によけろ!」


 ベスの指示で、左に一気に馬を向ける。先ほど同様に、激しい音と衝撃を伴い、地面に大穴が空く。


「――つ、止めろ!」


 手綱を目いっぱい引いて馬を停止させる。視線の先、十メートルほどの所で、地面が三度爆発する。


 停止しなければ、完全に巻き込まれていた。


 馬が前足を振り上げて戦慄くが、振り落とされないようになんとかこらえる。


「なんなんだ、もう」


「まさか連中にも継承者がいたのかっ」


 馬をなだめつつ、ベスの呟きにつられて振り向いたタクミは目を丸くする。


 小さな山が歩いている。鋼鉄の山が。


 器用に動く四本の足に支えられて歩く様は虫を思わせる、山から伸びた巨大な円筒からは煙が上がっていた。


「まさか、あれは――」


「戦車だ」


 ベスも苦々しく呟く。


 戦車、文字通りの戦闘用の車両だ。タクミは話には聞いた事はあったが、実物をお目にかかるのは初めてだった。


 製造方法は完全に失われており、遺跡からしか見つからない、巨大な砲を備え、どんな道も踏破して敵や建造物を粉砕する為に作られたと考えられている、古代の兵器だ。


 銃弾はもちろん、爆弾でもびくともしないその車体を含めたあらゆる部分の製造方法は一切不明。車両自体は遺跡からしか見つかっていない為、操縦方法もはっきりしない部分が多く、動かすことができるのは継承者のみと言われている。


 タクミはあえて動かず、様子をうかがう。


 どうやら、まだ命を取る気はないようだ。それならこうして動きが止まった時点で次を発射している。


 と言っても、先ほどまで直撃させる気で打ち込んできているのも事実。


 おそらく、こちらがベスを抱えているのを前提に「当たっても仕方がない」くらいに思っていたのかもしれない。


「ベスさん、すみません」


「構わん、迂闊に動かんのは正解だ」


「うん?」


 ある程度近づいてきた所で、戦車が急に動きを止める。


 そして、戦車の上部からむくりと、ガウニが姿を現す。


 彼が口元に何か機械を寄せて話すと、砲撃ほどではないがその声が大きく響く。構造はタクミにはわからないが、拡声器がどこかについているようだ。


「いい子だ。そのまま大人しく投降してくれるなら命まではとりゃしねえ」


 今は無理に振り切ってどうこう、というわけにはいかない。タクミはじっとガウニの方を見つめてその動きを注視する。


 投降の意志ありと判断したのだろう。ガウニがなにやら足元に声をかけると、戦車の真下に台座が降りてくる。


 その上に乗っていたのは、巨大な車輪を回転させて人を乗せて進む、戦車とはまた違う鋼鉄の道具。


「バイクだと?」


 降りてきたニ台の車両にベスは眉をひそめる。


 思いがけず実物を見る機会がやってきて、タクミはあれがそうかと一瞬見入ってしまった。


「そいつに武器を捨てて別れて乗るんだ。妙な真似をしたら撃つ」


 うまくやればもう少し撃たない方が高くなるかもしれないが、五分五分かな、とタクミは思う。


「タクミ」


「それはなしです」


 ベスが肩を叩いてくるが、一蹴する。もはや片方だけでどうにかなる問題ではないし、分乗の指示が出た時点で、その交渉の余地はないだろう。


 かといって、このまま従うわけにもいかない。


 何としても、ベスを町まで届けなくてはならない。同時に、町にこの騒動を持ち込んではいけない。


 タクミは改めて、ルミズイの町を眺め、戦車の方へ向き直る。


「やむを得ないな」


「何?」


 小さく呟いた言葉は、しかし、ベスの耳にはしっかり届いてしまっていた。


 とはいえ、それでやる事は変わらない。


 タクミはすぐにベスに思いついた内容を説明する。


 彼女は眉根を寄せて「うむぅ」と口ごもる。


「撲の仕事は、貴方を確実に現地に届ける事です。そして、今はこれが最良の手段だと思っています」


「そこまで言われたら、こちらは何もない。それに、到着まで約束通り、お前の指示に従おう」


 ベスの了承も無事に取り付け、タクミは改めて覚悟を決める。


 急場しのぎでいくらか運も絡むが、背に腹は代えられない。


 ベスが鞄に紐をかけて背負う。


「いつでもいいぞ」


 タクミはバイクと戦車を見据え、機を伺う。


 ここだ、と一気に戦車に向けて馬を走らせる。


「ぬおっ」


 拡声器からガウニの声が漏れる。


 戦車は撃ってこない。いや、撃てなかったというべきか。


 狙いを正確に定めていたなら、一気に近づけば確実にズレる。


 そしてそれを直したとしても、範囲内には既にバイクが入っている。タクミ達に近づこうとした為、ほぼお互いに射線上だ。


 その一瞬で十分だった。タクミは腕輪を起動して光弾を三発、地面に向けて叩き込む。


 戦車とタクミ達の間に盛大に土煙が立ち込める。さらに左のバイクへ一発を打ち込む。


 バイクは大きく転倒に、運転手は勢い余って地面を転がっていく。


 その間に、馬を飛び降りたベスが右のバイクへ飛び掛かった。


 押し倒すようにして相手を引きずり落ろし、一撃で昏倒させる。


「くっ!」


 倒れたバイクに近づいたベスが体を仰け反らせて倒れ込む。


 戦車からではない。立て続けに数発が離れた林の中から飛んでくる。


 タクミは馬を降り、腕輪から光の帯を走らせる。帯はバイクに絡みついた。


「っせえの!」


 大きく体を回転させると、帯に引きずられたバイクが円を描いて宙に浮かぶ。


 そのまま林に向かってバイクを投げつける。


 放物線を描いて飛んでいくバイクに向け、さらに光弾を打ち込む。


 バイクが粉々に吹き飛び、林の中へ破片が降り注ぐ。


 まもなく、ライフルを抱えた小太りの男が林の中から飛び出してくる。


 遠目からだが、通行料を取ろうとしていた片割れなのが見て取れた。タクミは太っちょにも光弾を打ち込んだ。


「ベスさん!」


「掠めただけだ、問題ない」


 ベスの肩に銃弾の掠めた後がくっきりとついていたが、彼女は気にせずバイクを引き起こす。


 車体にまたがり、先端についた棒を握ると、何度か回すようなしぐさを見せる。


 とたんに、ブオンブオンと激しい音が鳴り響いた。


「タクミ」


 ベスの呼びかけに、頷いて返す。彼女は何か言いたげだったが、それ以上は振り向く事もなく、バイクでルミズイの町めがけてて飛び出していった。


 土煙が晴れる。正面には、ガウニの戦車。しかし、先ほどまでの山のような高さで虫のように歩く姿から一遍、地面に腰を据えた、小屋のような状況で、そこにいた。


 あの足は畳めたのか、などと思った矢先、戦車が動き出す。


 大砲の砲身が持ち上がり、正面に居たはずのタクミを無視してその背後に狙いを定める。


「っ!」


 閃光と爆音。続けて衝撃。タクミの体は襲い掛かる爆風に吹き飛ばされる。


 地面を転がりながらも、なんとか体制を立て直すと、大きく腕を振るう。


 まだ間に合う、まだ、見えている。


 腕輪から飛び出した光の帯が走り去るベスに向かう砲弾を捉える。


「っせえい!」


 千切れそうになる右腕を抱えこむようにして地面へ倒れ伏す。


 砲弾は光の帯に絡めとられ、タクミの動きに合わせるようにして、ベスに届く事なく落下した。


「次だっ」


 戦車からガウニの声が零れ出す。


 離れていくベスには、ここからはもう砲弾は届かない。そして、この後も届かせるわけにはいかない。


 タクミは起き上がると、帽子をかぶり直し、戦車と相対する。


 戦車の砲身は、今度はタクミに狙いを定めていた。


 右手を突き出すのと同時に、砲撃音が轟く。


 ただただ、強く、強く意識を集中させ続ける。


 巨大な砲弾。目と鼻の距離。吹っ飛んでいる。バラバラだ。痛みを感じる余裕もない。土煙に変わって自分の体が雨になる。それが、あるべき姿だ。


 だが、砲撃音が消えたその時、静寂が一帯を包み込んだ。


「っふ」


 思わず、タクミの口から安堵の息が零れ出す。


 自信はなかったが、やってみるものだ、と。


 腕輪から広がった淡い光によって、砲弾はタクミの眼前で完全に静止していた。


 いささかしびれる感覚はあったが、問題ない。そこへさらにもう一発。轟音。しかし、二発目の砲弾もまた、腕輪の光の前に動きを止める。


 察しはついていたとはいえ、改めてみると大きい弾丸だ。とても人に向けて撃つようなものではない。


 無理もない事ではあるが、ガウニの怒りは相当である。


 キュルキュルと独特な音を立てて、折りたたまれた戦車の左右の足元で鋼鉄の帯が回りはじめ、タクミに向けてその巨体が向かってくる。


 戦「車」の由来はこう言う事か、と思い至り、意識を二つの回る帯へと向ける。


 静止していた砲弾が一転、淡い光を纏って戦車の帯に向かって撃ち出された。


 砲弾は正確に戦車の動く帯を撃ち抜く。衝撃に巨体が半分浮きあがる。


 目に見えて帯はボロボロとなり、ぐるぐると回る巨大な歯車のようなものが剥き出しになり、その場でうなり声をあげて戦車は歯車を回し続けていた。


 歯車は間もなく動きを止める。


 先ほどガウニが出てきた上部の蓋がガチャリと開く。


「っ!」


 タクミはとっさに二歩ほど下がると、左袖の下からナイフを滑り出させて構える。


 瞬間、蓋の下から飛び出した黒い影と共に衝撃が襲い掛かる。


「ほう」


 黒い影が感心の声を上げる。


 タクミの眼前には、ナイフを突き立てようとしたAHの姿があった。


 そしてその背後には、こちらの動きを抑えた事を確認して出てくるガウニと側近の姿が見える。


 押し込まれそうになるのをぐっとこらえながら、タクミは目の前の、犬のAHに声をかける。


「ジョンさんでしたっけ? 僕はガウニさんに改めて相談したい事があるんですがね」


「俺は貴様を引きずって戻る用がある」


「なるほど、っと!」


 押し込まれた拍子に、タクミのナイフがポキリと折れる。


 護身用の小型と、相手の大型で一撃耐えただけでもマシか。


 素早く身を引き、足に突き立てられそうになった所を回避する。


 しかし、ジョンは追撃してこず、タクミの様子をじっとうかがっていた。


 どうやら腕輪を警戒しているようだ。


(生憎と、そろそろ余裕がないんだよな)


 悟られぬようおくびにも出さないが、タクミは内心でそうごちる。


 あの砲弾二発をはじき返したのはなかなか負担が大きかったらしい。


 これ以上使えば、確実に気を失ってしまう事は自分自身が一番よくわかっていた。


 ジョンがナイフを構え直す。


 来る。


 相手が姿勢を下げた。瞬間、視界から消える。


「がっ⁉」


 後頭部に強い衝撃が襲い掛かり、視界で明滅する。


体が揺らぐ。


 だが、そのままタクミは勢いを利用して相手を後ろに蹴り上げる。


「うぐっ」


 手ごたえはあった。地面に転がりながら背後を向く。


 ジョンの姿はない。


 直後に脇腹を蹴り飛ばされ、体が宙を舞った。


 地面に叩きつけられて、空を仰ぐ。ジョンが素早く馬乗りになり体を押さえつけて首元にナイフの刃を押し当てた。


「なかなか頑丈な奴だ」


 蹴り上げられた口の血を拭いながら、呆れたようにジョンが告げる。


「観念のしどきだな」


「そうですね」


 タクミはジョンに笑って返す。


 彼は目を見開き、己の左足に目をやる。そこには、小さなナイフの刃が突き立てられていた。


 折られたものを先ほど倒れた拍子に拾っておいたのだ。


 気が剃れたその一秒で十分だった。タクミはナイフをはねのけ、相手の襟をつかむと、強引に引き寄せて頭突きをお見舞いする。


「ぐおっ」


 揺らいだジョンを押しのけ、逆に押し倒すとさらにもう一撃、頭を打ち込む。彼の腕力で殴るよりよほど効果的だ。


 力が緩んだ所でナイフを奪い取り、遠くへ放り投げる。


 立ち上がりざまに気休めだがジョンの顎を蹴り上げて、ガウニと側近と思しき一人へ向かっていく。


 側近がガウニを庇うようにして発砲するも、弾丸は脇腹を掠めて飛んで行った。


 タクミが両腕を広げるも、相手は発砲を止めない。


 しかし、弾丸は全て当たる事はなかった。


 顔、足、肩を弾丸が鋭く滑っていく中で、タクミは確実にガウニ達へと歩を進める。


 ガウニが側近の肩を叩いて、発砲を止めさせる。


 広げた腕を戻して腕輪に手をかけた所で、タクミは左肩に衝撃を受け、もんどりうって倒れた。


「起きな」


「一応、僕はそこまでやり合う気はないんですけどね」


 見事に撃ち抜かれた左肩を庇いながら、タクミは体を起こす。


「こんだけやってくれて、よくも言うぜ」


「不幸な行き違いが重なっただけ、と言うわけには」


「いかねえな」


「でしょうね」


 わかり切っていた事だ。そもそも、それが通る状況なら今ここに戦車は存在していない。


 だからこそ、綺麗さっぱり終わらせるためには、これしかない。


 タクミはゆっくりと立ち上がり、腕輪をガウニの足元に向けて放り投げる。


「こいつは?」


「今は手袋がないもので」


 ガウニは腕輪を拾いあげ、銃をしまう。


 彼はマジマジと腕輪を観察し、何度も顎をさすり上げた。


「どこで手に入れた?」


「貰い物です」


 何か考え込むように、ガウニはタクミと腕輪を見比べると、大きく息をつき、改めて銃を抜いた。


「これで終わる話だな」


「証人がいて、それで示しがつきますか?」


 ガウニは側近の方を向いて肩をすくめる。


「お前が勝てばそれでチャラだ。だが、こちらが勝ったら? 結果次第でお前は死ぬ。だが、それで終わりじゃ勝敗は無意味。さて?」


「その腕輪をもって、ルミズイへ行ってください。彼女は、大人しく従います」


「保証は?」


「僕にはどうしても今日、彼女を運ばなきゃいけない理由があったもので。彼女は前も、ついていったでしょう?」


 ガウニがじっと思案を巡らせるのを、タクミは待つ。


 向こうには旨味の少ない提案なのは間違いない。そして、ボチボチ自分は限界だ。だが、相手にはそれを悟らせないようにはしている。


 彼がこのままやり合うというリスクをとるかどうか。


 最後の賭けだ。


「ガフ」


「はい」


 側近――ガフが前に出る。


「動かせる程度に手当してやれ」


「はっ」


 言うが早いか、ガフは戦車に戻ると、木箱をもって戻ってくる。


「膝をついて」


「どうも」


 木箱の中には包帯などの応急処置用の道具が一式揃っていた。


 弾をタクミの左肩から取り出し、空いた穴になにやら詰め物をして、上から周辺に薬を塗り、ガーゼを当てて包帯を巻いていく。


「骨に異常はないはずなので、痛み止めを入れました。すぐに効くので、しばらくは違和感なく動かせます」


 タクミは左肩を軽く回してみる。包帯で少し硬い感じはするが、銃で撃たれた感覚は全くない。


「確かに」


 タクミの反応を受けて、ガフはガウニの下へ戻る。


 ガウニはそんなガフに「渡してやれ」と告げる。タクミの足元へ、ガフのガンベルトが放り投げられた。


 タクミはそれを拾い上げ、銃を確認する。一発あれば十分だろうに、ご丁寧にきっちり回転式の弾倉が埋められていた。


「異論はあるまい」


「もちろんです」


 三人で互いに歩み寄る。


 ガフに腕輪が渡されるのを確認し、二人はお互いに十歩下がる。


 タクミはベルトを締めると、ガウニに倣って銃からわずかに手を離す。


「お前、名前は?」


「タクミ=アラハです」


「俺の名前はガウニ=ミーシカだ。さて?」


 お互いの名乗りが終わると、ガフが大きく咳ばらいをする。最後の通告だ。


 青空に、ガフがコインを高く放る。


 静かに、ただ静かにコインは舞う。キラキラと、幾度となく天の光を二人の間に届けていた。


 静寂に耐えかねたように、林から鳥が飛び立つ。翼の影が大地に被る。


 羽音と木々の揺れる音が消えた。


 コインが落ちる。


 銃声が静寂を切り裂く。


ガウニの手には白煙を上げる拳銃が、タクミの手には、何も握られていなかった。


 左肩を抑えて、タクミは片膝をつく。


「抜き損ねか。とはいえ、ツいてたな。お前が生きてりゃ、あの姉ちゃんに用はねえ」


 わざとのくせによくも言う、とタクミは思わず頬を緩ませる。


 先にベスを今日届ける必要については臭わせておいた。今回の件からガウニも何か察するところはあったはずだ。


 だからこそ、敢えて彼はタクミを生かす部位を狙ったのだ。


 ベスにはもう手を出す気はない、と。


「ガフ、連中を叩き起こして、兄ちゃんを連れて帰る準備をさせろ」


 だが、ガウニの言葉に、立会人のガフは反応しない。信じられないものを見るように大きく目を見開き、ガウニの足元を見つめていた。


 不審に思ったガウニもつられて視線を落とすと、彼のズボンの裾がパックリと口を開けていた。


 振り返った彼の視線の先にあったのは、地面に突き刺さったナイフとその切っ先でもがくムラサキサソリの姿だった。


「お前—―」


 ガウニは、タクミの方を向いて言葉を失っていた。


「最初から僕は別に、貴方に勝とうとか思ってはいませんでしたよ」


 タクミは静かに、そう笑いかける。


 銃の速さでは勝てない。だからこそ、普段は腕輪が邪魔で抜かない右袖のナイフで勝負に出た。といっても、最初からガウニをケガさせるつもりは微塵もなかった。


 ベスを何とかルミズイまで送り届けることができれば、ガウニがこの決闘で自分を生け捕りにして、後で半殺しでチャラになればそれでよかったのだ。


 あとはただ、彼女が確実に町に届く。その為の時間を稼げさえすれば。


 そして今、その目的は、完全に達成された。


 澄み切った空からポツポツと、タクミに仕事が終わった事を知らせる粒がやってくる。


「雨?」


「この天気で――?」


 雨脚は徐々に強まり、地面の色を濃く深く変えていく。


 タクミは天を仰ぎながら膝をつく。


「ベスさん」


 まったく、我ながらよくもった方だ、と改めて笑いが零れる。


 腕輪の使い過ぎに加えて、二発の頭突きに二発の弾丸。決闘時に気を失わなかったのは奇跡的だ。


「兄ちゃん、あんたの勝ちだ」


 ガウニが告げたその言葉はしかし、もうタクミにはほとんど聞こえていなかった。


 指示を受けたのか、腕輪をもってガフが近づいてくる。


 受け取ろうと何とか手を伸ばしたタクミだったが、しかし、その手は届かなかった。




「完敗だ。一から出直しだなこりゃ」


 降りしきる雨の中、ガウニは決闘での敗北を認め、ガフに腕輪を返すよう伝えた。


 本当に大した、そして厄介な相手だった。こちらの戦力は、全員生きてるとは言え叩きのめされた挙句、早撃ちもしてやられてしまった。


 銃の抜き勝負の経験がないのは明らかだったが、まさかあんな隠し玉で来るとは。その上、ムラサキサソリから命を救われてしまった。


 腕輪を渡された時は、あとはどうにでもなると思っていたが、甘かったらしい。


 ガフもそんなガウニの心を知ってか知らずか、ただ静かに、そして恭しく彼の言葉に頭を下げ、タクミへ歩み寄っていく。


(町まで送ってやるか)


幸い、バイクは一台生きている。この兄ちゃんの馬も探してやってもいいかもしれない。


そんな事を考えながら、タバコを加え、雨で火が付かない事に思い至った矢先だった。


銃声が轟いた。


 とっさにガフの方を見ると、ガフも固まったまま、その場に立ち尽くしていた。


 見れば、あのタクミと名乗った青年が胸から血を流して倒れ込む所だった。


「誰が撃った⁉」


 銃を抜いたガウニの問いかけにガフは首を横に振る。当然だ、コイツが撃つわけがない。


 改めて周囲を見ると、林の方から近づいてくる者がいる。


「へ、へへへ。やった! やりましたよオヤジィ~!」


銃口から煙を上げるライフルを掲げて、太っちょの部下が駆け寄ってくる。


「ガフの兄貴、危なかったですね!」


 大手柄だ、と言わんばかりに目を輝かせている部下を前に、ガウニは額に手を当てて大きく溜め息をつく。


 状況をまるで理解していなかったのは致し方ないが、まさかそこを勘違いして彼を撃つとは。


「このバカが」


「え?」


 ガウニの吐き捨てた言葉に、太っちょはキョトンと目を瞬かせる。


 その脳天に、ガフが銃弾を叩き込む。一発二発三発。倒れ込んだ太っちょにさらに三発。いくら射撃が下手な彼だろうとこの距離で外すことはさすがにない


 モノ言わぬ肉塊へと一瞬のうちに変化した部下、いや元部下に対し、ガフの弾丸だけでは怒りは収まらず、彼は何度も何度もその足を叩き込んだ。


「この、バカが‼ 何べんっ、俺の顔にぃ! 泥を塗りゃあ、済むんだ‼」


「申し訳ありません。私の教育不足です」


「ここまでアホだと見極められずに引き入れた、俺の失態だ、クソっ!」


 ガウニはひとしきり太っちょを蹴り飛ばした所で、ドスンとその場に腰を下ろした。


 ガフがすぐにタクミの様子を確認するも、首を振った。


「ダメです」


 ガフは、子供のいないガウニが自分の子供代わりに育てて中央で医者の教育まで受けさせた。そのガフがダメだと言うのだから、手遅れなのだ。


 どうにもならない。本当に、余計な事をしてくれたものだ。


 あの姉ちゃんが知ったら、ぶち殺されてもおかしくないし、奴さんへの手出しをかけた決闘だった手前、文句も付けづらい所だ。


 そんな事を思いながら、降りしきる雨に身をゆだねる。


 雨がやみ、ふと顔を上げると、大きな虹がルミズイの町に届かんばかりに空にかかっていた。


 その時、不意にガウニは脳裏によぎるものを感じ、ガフを呼ぶ。


「腕輪を貸せ」


 ひったくるようにして、彼はタクミの腕輪を手にとり、改めて観察する。


 先ほど受け取った時も、どこか見知った感覚があった。


 初めて見るはずだというのに、彼の脳裏にはずっと何かが引っ掛かっている。


 昔から、彼はこうだった。知らないはずの事、初めて見聞きするものに、見知った感覚がついて回った。


 やがてそれは明確な情報となって立ち上がってくる。彼が戦車を動かせるのも、操作方法が、その頭の中に呼び起されたからに他ならない。


 その時と同じ感覚が今、腕輪に対しても沸き起こっていた。


 ガウニはタクミがこの腕輪で行った事を一つ一つ、思い返していく。


 そして、彼の頭に腕輪の情報が形となって浮かび上がる。


 彼は大急ぎでタクミに駆け寄ると、右腕に改めて腕輪をはめる。


 強引にいじくり回していくと、腕輪が淡い光を放ち出す。


「――なんとか、なったか」


 ガウニは腕輪が動き出した事で人心地をつく。


 ガフが横からそっとタクミの様子を覗きみて、眉をしかめる。


「親父、これは――そんな、バカな」


「まったく、どこで貰ってきたんだか」


 呆れたような、それでいて安堵したように、ガウニは大きくかぶりを振って笑みをこぼすのだった。




 時を告げる鐘が、ルミズイの町全体へ響き渡る。


 もうすぐ十一時か、と手元の針を止めて、ベスは窓の外を見る。


 のどかな場所だ。穏やかな海に、道を行く人々。中央とは違う。ゆったりとした時間が流れている。


「あれだけ見たがっていたというのに、いつまで寝てるのやら」


 ベスは傍らのベッドで眠るタクミに向けて呟く。


 彼女の妹の結婚式から二日。ガウニ達の手で町へ運び込まれたタクミはずっと眠り続けていた。


 最初に見た時は完全に死んでいるとしか思えないほどにボロボロだった。心臓付近に弾丸を受けた痕もあり、呼吸をしているのが不思議な状態だった。


 ガウニの言葉を信じるならば、と言うよりもこの状態では信じるしかないが、腕輪の力だという。


 あのガウニも、間違いなく継承者だった。それも、記憶、情報を持っている。中央でも何人か確保しているが、珍しいタイプだ。


 そのガウニの言う事には、


「何がどうやってそうなってるのか。それは俺にもわからん。だが、あの腕輪はあの程度の損耗なら直しちまう。あの腕輪は、武器であり防具であり医療器具だ。それもとびっきりのな。あんたも軍人ならその意味はわかるだろう」


 との事だった。


 大崩壊前の事はわからない。ただ一つ言えるのは、腕輪は武器などと言う生易しいものではなく、一人の人間を一個の軍隊とも呼べる存在に変える道具だという事だ。


 姉の形見だとタクミは語っていた。一体彼女がどこでコレを手に入れたのか。そして、なぜそれを秘匿してまでタクミに預けたのか。


 もちろん、今はある程度は想像がつく。この腕輪は医療器具を兼ねている。体が弱かったというタクミがここまで頑丈になったのは腕輪の効果である事は疑う余地はない。


 だとしても、腕輪をタクミが継承できる保証はどこにもなかった。その上、遺産である腕輪を届け出もせずに持ち去るという重罪を犯してまで、賭けるに値する行為だったのか。


 今のベスにはそれを判断できるほどの材料もなければ、知見もない。


 だからこそ、ただ、彼とまた生きて会えた事に今は感謝するのみだ。


 とはいえ、ベスもあまり長く留まる事は出来ない。式への参加も終わった以上、中央に戻らねばならないのだ。


「礼を言わずに去らせる真似は、させてくれるなよ」


 ベスはタクミの頭をそっと撫で、縫物を再開する。今の彼女には、恩人の事を帰還後に報告するという考えはなかった。


(今回は特別だ)


 結局、翌日も、彼は目を覚まさなかった。


 さらに翌日。九時を鳴らせる鐘が響き渡る。


 宿の部屋に、未だタクミは眠っていた。テーブルの上には、やや不格好だが繕われた服が畳まれて置かれており、その下にはベスの感謝の書置きと当面の宿代が挟まっていた。


 十一時の鐘が響き、窓が開けられる。宿のお上が、ようやく空いた部屋の掃除に取り掛かる所であった。




 青くきらめく、空を反射しているとしか思えない美しい水が行ったり来たり。ザァーンと心地よい音を立てる。


 石畳の道をタクミは足取り軽く進んでいく。


 海。巨大な水たまりとはまるで違う。広大な水の平原。


 ついに、寝物語で聞かされた世界の一端に触れる事が出来た。


 その喜びを噛み締めながら、海を見つめて歩き続ける。 町の外れまで行っても尚、この海は続いているという。


 ここに魚達が行き、その魚達を求めて、鳥や人や、他の生き物たちがこの海辺に生きている。


 腰を据えればいつまでも観ていられそうな、魅力的な世界がそこには広がっていた。


 動く絵画でも見ているようだ。


 とはいえ、四日間も寝て過ごしてしまったので、もう何日も留まるわけにはいかない。所属支部外まで出張してきたのに、往復予定日を大幅に超えてしまっているのだ。ギルドの昼休みが終わる頃には顔を出し、仕事の完了を報告して帰路に着かないとアレコレ言われてしまう。


 手紙によればベスの方で支払いの手続きなどは済んでいるようなので、まだなんとかこうしてのんびり海を拝む事が出来ているのだ。


 途中でパンとコーヒーを買い、町の外れへ来たところで、今度は反対側へ向けて歩き出す。


 海沿いの道をひとしきり歩いて、その景色を胸に焼き付ける。


 ほどなく、一三時を告げる鐘が鳴り響いた。


 ルミズイの陸送ギルド支部へ顔を出し、仕事の完了報告を行い、報酬を受け取ると、帰路に着く準備を始める。


 食料などを一通り荷袋に詰め込み、馬小屋へ向かう。


 そこには、見知った顔が覗いており、待っていたとばかりに顔をタクミにこすりつけてくる。


「はは、悪かったね。無事でよかったよ」


 ガウニ達とやり合った際に逃がした相棒が元気な姿を見せていた。


 ベスの手紙では、一度は死なせてしまった詫びと言う事で、ガウニ達が探して連れてきてくれたという。ケガもなさそうなので、一安心だ。


 馬具をつけ、荷袋をぶら下げると、馬小屋を後にした。


 町の入り口までくると、相棒に跨り振り返る。


 名残惜しいが、これで海とは暫くお別れだ。本当はもっと堪能したい所ではあったが、ギルドに所属する以上、折り合いをつけねばならない事はあるものだ。


 いざ、と手綱を握り進めと合図を出そうとしたその時、


「運び屋さん」


 不意に声がかかる。振り返ると、ブロンドの結った髪を風になびかせて、コートの女性が鞄を片手に立っていた。


 目深にかぶった帽子から、うっすらと碧い瞳が覗く。


「僕を呼びましたか」


「ああ、すまない。急で申し訳ないが、運んでもらいたいものがあるんだ」


「そういうのは、ギルドを通してもらえますか」


「それが引き受けてもらえなくてね」


 タクミは帽子を指で押し上げ、彼女を見下ろし、苦笑する。


「なおさら、お受けできませんね。ですが――」


 タクミは荷袋をずらして、馬具に隙間をつくり、ポンポンと叩く。


「友人と途中まで同行する、と言う事でしたら構いませんよ」


「なるほど。それならば、お言葉に甘えるとしよう」


 タクミの案内に、彼女――ベスは素早く馬に跨った。「行ったのかと思いましたよ」


「馬車に乗り遅れてしまってな」


 そういう事にしておきます、とタクミは笑って返す。


 おかげで、ちゃんとお礼を言う機会もできたというものだ。


「ベスさん、ありがとうございました。なんだから、色々とお手数をおかけしてしまいましたね」


「なに、こちらこそすまなかった。元をただせば私の失態だ。式には無事参加できたのは、感謝しても足りんくらいさ」


「では、今回はこれで清算と言う事で。出発しますし、友人として載せてますけど――」


「もちろんだ。運んでもらう間は、お前の指示は従うとも」


「それじゃあ、行きますか」


 タクミは相棒を走らせ、帰路に着く。


 姉との記憶に新たな色を与えてくれた海が遠ざかっていく。


 ルミズイの町が遠くになった所で、ふとベスが告げる。


「目的地を伝えたか?」


「……聞いてませんでしたね」


 ベスが吹き出し、大きく笑う。タクミもつられて笑い出す。


 晴れやかな笑顔と共に、荒野の中へ駆けぬけていく。


陽光を受けて、腕輪が優しく輝きを放っていた。

 


                                                                                          ≪了≫



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荒野の継承者 長崎ちゃらんぽらん @t0502159

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