荒野の継承者

長崎ちゃらんぽらん

第1話 前編

仕事から戻ると、姉は枕元でよく話をしてくれた。旅先で見聞した様々な事を。


 いつもいつも、その話が楽しみでしょうがなかった。彼女が戻ってくる日は、お話を聞かなければ眠れなくなるくらいに。


 段々と成長するに連れ、聞くだけでは物足りなくなっていた。


 世界を見てみたい、そう思った。


 だから約束した。もっと自分が大きくなったら一緒に旅をしようと。


 姉は優しく笑って、昔から伝わるおまじないをしてくれた。反故にしたら針を飲むという、なかなか過激なおまじないを。


 しかし、約束はついに果たされなかった。


 最後の出発から、もう五年。




 草木も眠りについた時刻。夜を住処とする者達が蠢く時間にノイズの如く、煌々と浮かび上がる炎を囲み、罵声と怒声、鉄の音が響き渡る。


「畜生、畜生ッ。撃て、ぶっ殺せ!」


 ばたりと、三人目が大地に倒れ伏すのを横目に、集団の長であるジャック=スミスは取り巻き達にそう命じる事しか出来なかった。


 炎すら照らせぬ闇の向こう。うっすらと浮かぶのは青白い輝き。


 アレだ、アレが全ての元凶だ。


 ジャックはそう毒づきながら自慢の早撃ちを叩き込む。


 仲間達も続けて暗闇に浮かぶソレに向けて弾丸を発射するが、まるで手応えは無い。


 むしろあざ笑うかのように軽やかにソレは揺らめく。


(なんだ、何なんだ。俺達は今、何を相手にしてるんだ!?)


 回転式の弾倉に弾を込めなおしながら、ジャックはそう己に問い続けた。


 荒野で銃を伴侶に好き勝手生きるようになってもう何年になるだろうか。その首にかかった賞金は二十万メリゴ。このオセアニ=メリゴ連邦の平均年収並、いっぱしの荒くれ者を名乗るには十分な額である。


 体にいくつもの風穴を開けられながらも今日までこうして生き延びてきた彼は、自分をツイてる男だと確信していたし、牛泥棒を働いてカウボーイの放ったライフルで、商売女と手下以外相手にしてくれないほど派手に下あごをふっ飛ばされて尚、生きていた事実は紛れも無い強運だ。


 そんな彼が今、得体の知れない恐怖に背筋を凍らせられていた。


 この大地には化け物と呼ぶにふさわしいのはいくらでも居る。大サソリ、ツノウサギ、沼鯨。どいつもこいつもあまり関わり合いたくないが、それでも銃さえあればどうにかなると思える。


 だが、目の前のこいつはどうだ。銃がまるで効いているようには思えない。


 一瞬、雷が落ちたかのように夜が吹き飛び世界が白く包まれる。


 闇が戻ると、ついに四人目が声をあげる間もなく倒れ伏した。


 これだ、この光が放たれると手下が倒れる。いつもの彼であれば突撃してでも敵をぶっ殺す所だが、出来無い理由がそこにはあった。


「ひ、ひいいいいいっ!」


 あまりの惨状に恐怖を抑えきれなくなったのか、みっともない声をあげて残った手下の片割れがライフル銃を放り出してソレから背を向けた。


「テメエ!」


 ボスを置いて逃げる奴に容赦する理由はない。ジャックは素早く、腰に差していたもう一つの拳銃を引き抜き、制裁を加える。


 十人以上の賞金稼ぎを返り討ちにしてきた早撃ちが火を噴く刹那、彼の狙いは大きく外れ、明後日の方へと銃弾が吸い込まれて行く。


「なっ、なんだこりゃ!?」


 ジャックは己の眼前に広がる光景に目を見開く。


 ソレが浮べるのと同じ輝きを持った光の蔓、否、光の帯が彼の拳銃に絡みつき、彼の狙いを逸らしたのだ。


 帯が放つ輝きが一際強くなるや、強大な破裂音が周囲に響き渡る。


 悲鳴が後に続いた。


「があああああっ!?」


 ジャックは指先がなくなった左手を押さえてその場にうずくまる。


 拳銃が暴発したと理解したのはそれからだった。


 だが、と強烈な痛みと混乱の中でも彼は状況を理解しようと努めていた。


 銃は彼にとって相棒であり、妻であり、半身だ。手入れを欠かしたことは一度も無く、信用の置けない商人から弾を買った事もない。


 だと言うのに、何故、どうして暴発が起きたのか。


 それを理解する間も無く、彼の頭上を「うわあああああっ!」と言う叫び声が駆け抜けた。


 顔を上げると、先ほど逃げ出した手下が、光の帯に拘束されて宙を舞い、必死の銃撃を続けていた最後の手下の頭上に激突するという、クスリをやったときのような光景が繰り広げられていた。


(なんだ、なんなんだよこれはッ)


 ジャックは持てる限りの悪態を心の中で吐き散らかして立ち上がり、少しでも闇に紛れようと砂を蹴り上げながら炎から離れる。


 だが、五歩と行かぬ所で彼は地面へ口付けをする羽目となった。


「ぐぶっ!?」


 違和感を感じた足に目をやれば、伸びてきた光が彼の足を絡め取っていた。


「くそっ」


 必死に重心を落とし、何とか匍匐で前に進もうとするが、抵抗むなしく、彼の体はずるずるとソレに向けて引きずられていく。


「ぐぐううう」


 獣じみた唸り声をあげて食いしばるが、まるで自分の体重が消えてしまったかのようにずるずると彼の体は焚き火の側まで引き戻されていく。


 最後の抵抗とばかりにソファ代わりにしていた倒木にしがみつく。


 コレには効果があったのか、地面を踏む音が少しずつだが近づいてくる。


 あの青白い光が夜の帳の中をゆっくりと進んでくるのが見て取れた。


 ソレの正体を見極めるべくじっと凝らした目を、ジャックはまたも見開く。


 突然、青白い光とは別の光が閃く。その正体を、ジャックはよく見知っていた。


「くそったれ」


 こんな所で俺のツキは終わってしまうのか。ギリギリと歯軋りをするが、光の帯の引く力は変わらず、身動き一つろくに出来無い。


 そしてそれは、放たれた。


 せめてもの抵抗とばかりに睨みつけたジャックの鼻先を掠めて、放たれたものは彼がしがみつく木へと突き刺さる。


 小ぶりのナイフ、その刀身がジャックの顔を映し出していた。


(外した――いやっ)


 ナイフが突き刺さったのは木ではなかった。


 その刃先では、人差し指ほどの大きさだが人間には即死の毒を持つムラサキサソリが末期のダンスを踊っていた。


「へ、へへ」


 まだ十歩以上ある距離で寸分の狂いなくナイフを投げてソレは、こいつを仕留めた。


 目の当たりにした事象に、ジャックの口からは乾いた笑いしか沸いてこない。


 不意に、足首が熱を感じる。あの光の帯が徐々に輝きを増し、彼の足首に熱を与えている。


(たかが荷馬車強盗の予定が、なんてザマだ)


 己が過ちを悟った時にはすでに遅し。直後に襲いかかってきた体中を駆け抜ける激痛に体を震わせ、彼は己のツキの終わりを感じながら意識を手放した。




 今日も悪くない一日となるように、と誰にともなくお祈りをしてから合図をすると、ガラガラと音を立てて馬車は軽快に走り出した。


 晴天の下、陸送ギルドの焼き印がされた馬車は順調に進む。街道と言うだけあって、轍が残っていて、迷う心配もない。


 だが、それは同時に退屈な道程でもある。


 ギルド支部間における定期連絡便は、拘束時間の割に合わない報酬も相まって、基本的に所属三年以内の新人の仕事だ。タクミは五年目で、ベテランとは言えないが、本来では任される仕事ではなかった。


 たまたま次の仕事を見繕いにギルド支部へ顔を出したのが運のツキ。本来の担当者が大サソリに襲われて病院へ担ぎ込まれたと言う報告が入った所に居合わせてしまったら、引き受けないわけには行かなかったのだ。


 タクミを主管する東部中央支部から西方管区ガラナ支部への道のりは約二年ぶりだが、記憶と変わった所は轍が深くなった事くらいだろうか。元々流通の街道で道は拓かれており、それが却って殺風景さを強めていた。


 時折聞こえる鳥や動物達の声もなかなかに種類があって楽しませてくれるのだが、それでも退屈ある。定期連絡便と言う仕事の性質上、寄り道も出来無いとあっては、欠伸の一つや二つ出ると言う物だ。


 空を仰ぐと、右手にはめた腕輪がキラリと太陽を反射した。


 その時、馬のいななきが響き渡る。


「うん?」


 共鳴しないように手綱を握り直して、後ろを覗き込むと、盛大な土煙を上げて馬が走ってくるのが見えた。


 客馬車の速度ではない。無論、荷馬車であるわけもない。


「丁度いいや」


 タクミは微笑む。


 旅人のようだし、挨拶がてら、少し話相手になってもらおう。瞬きの度に大きくなる黒い立派な馬に向けて突き上げた手を振って声をかける。


「お~、い?」


 それは一瞬だった。あっと言う間に、彼の馬車を黒馬は追い抜いて行く。


「随分お急ぎだ」


 あまりの勢いに驚きながらも目で追いかける。


 ローブを纏った操者が、がくんがくんと馬の背中で揺れながら遠ざかっていく。


 暴走してる、と気付いた時には、操者が宙を舞っていた。


「おっとぉ!?」


 綺麗な弧を描いて落馬した操者を前に、タクミは慌てて馬を止める。


 大急ぎで馬車から飛び降り、どうどう、と自分の馬を宥めながら、倒れてピクリともしないその人物に歩み寄る。


「あの、大丈夫ですか」


「くっ、待てえ!」


「うわわっ」


 ガバッと置きあがったその人は、走り去っていく黒馬に憤慨の声を上げた。


 あまりの声の大きさに彼はたじろいだ。


 女性だった。フードを下ろした操者は紛れも無く、美しいブロンドを結った女性である。


「何て事だ。おい、君」


「あ、はい」


 宝石のような碧い瞳できっとにらみつけられ、彼は腰を引いたまま返事をする。


「追ってくれ!」


「はい?」


「私の馬を追ってくれ!」


 ぐんぐん遠ざかる黒馬を指しながら、女性はタクミに告げる。


 彼は思わず目を見開いて、首を大きく横に振った。


「無理です、無理無理」


「その馬車はお飾りか!?」


「いや、馬車ですから」


 全力疾走するあんな立派な馬を馬車で追いかけても追いつける可能性はない。まして、こちらは商品を積んでいる。そんな速度で走ったらとんでもない事になる。


 だが、女性は納得しないらしく、もはや点ほどにも見えない馬を指してがなり立てた。


「頼むから追ってくれ。礼ならいくらでもするから、あの馬がいないと困るんだ!」


「お金の問題じゃなくて」


「カバンを取るだけでも構わん!」


 どうやらよほど大切なものを積んでいたようだ。なかなか切羽詰った様子にタクミはたじたじになるが、はたと彼はある事に気付いて馬が走り去った方を指す。


「カバンって、あれですか」


「え?」


 指の向いた先を見て、彼女は固まる。そこには革製のカバンが土塗れになって落ちていた。


「あ、ああああっ!」


 驚きの声を上げ、女性は駆け寄っていってカバンを開ける。


 中身は無事だったらしく、胸を撫で下ろしたのが背中からでもわかった。


 馬車を引いて歩み寄ると、埃を払いながら女性は立ち上がり、タクミに頭を下げた。


「すまなかった。取り乱したとは言え、失礼な事を言ってしまった」


「いいえ。荷物が無事だったなら何よりです」


「それで、だな。その」


 タクミが笑い返すと、彼女は肩をすぼめてぐるぐると髪の毛をいじくる。


 急にしおらしくなった彼女の態度に、ユウキは馬車の席をポンと叩いた。


「どうぞ。次の町まででよければ」


「いいのか?」


「まさか置いていけませんしね。旅は道連れですよ」


 女性は口をすぼめて顔を赤らめつつ、申し訳無さそうにそっと彼の隣に腰を下ろすのだった。




 エリザベス=ヴィクスン。降って湧いた同乗者は、日の光を浴びて金色に輝く髪をたなびかせてそう名乗った。


 タクミは、ヴィクスンと言う姓に聞き覚えがあり、はたと、彼女の頭から小さく覗く一対の三角形を見とめて、その理由を思い出す。


「ひょっとして、エリザベスさんって、あのヴィクスン家の方なですか?」


「ん、ああ。だが、気にするな。私はむしろ面倒をかけている身。気兼ねなく、ベスと呼んでくれ」


「では遠慮なくそうします」


 面白い事になったな、とワクワクする気持ちが膨れ上がる。


 ヴィクスン家と言えば、中央政府の元老も務めるこのオセアニ=メリゴ連邦では並ぶものがないとされる名家。


 大崩壊以前から連なると言われるアニマノイドヒューマンの血筋で、新暦の始まりを支え、人とAH族の橋渡しを担ったまさに名門。


 中央に行った事のないタクミでもその名前を知っていた。


「でも、そうなると、ベスさんって軍人ですか?」


「いかにも」


 誇らしげに、ベスは頷く。


 ヴィクスン家は代々、軍人の家系である。大崩壊による文明衰退から、新暦発布までの間、AHならではの身体能力を活かし、混乱を鎮静、中央を始めとする街の施工管理等を行った始祖達に習い、嫡子は軍役に就く慣わしがあると聞いていたが、事実のようだ。


 なるほど、と返しつつも、ついついタクミの首は傾むいていく。


「どうかしたか?」


「えっと」


 口ごもる彼に、ベスはむっと唇を尖らせた。


「一体なんだ。聞きたい事があるならはっきり言えばいい。濁すくらいなら顔に出すんじゃない」


 ここまで言わせてしまうとは、と己の失態にそっと目を逸らし、頬をかきながらおずおずとタクミは告げる。


「馬の扱い方がですね」


「うっ」


 今度はベスが声を詰まらせる番だった。彼女は僅かに頬を染めつつ、くるくると髪をいじくりながら「苦手なんだ」と消え入りそうに呟いた。


「の、乗る訓練はしたし、乗るだけなら問題ない。ただ、普段は、その、乗らないからな」


「馬は使ってないんですか?」


「ああ。私が所属している部隊は遺跡管理が主だからな。哨戒は足が基本さ。区画内の移動にはバイクを使う事もある」


「バイクですか。羨ましい話です。一度見てみたいです」


 再びタクミの目が輝く。ベスの話は何から何まで、次から次ぎへと気になる言葉が飛び出し、聞き飽きる事がない。


 崩壊前の古代文明が残した遺産の一つ。それがバイクだ。ランプや暖房用のものとは全く違う燃料によって動く、機械仕掛けの二輪の車。馬の何倍もの速度が出るとされている。


「風を切るなんて言われてますけど、実際どうなんですか?」


「そうだな。それはさすがに誇張があるが、風になったようには感じられる」


 その感覚を思い出したのか、ベスは顎を僅かに上げて目を閉じる。


 その微笑みがあまりにも心地よさげだったので、タクミもそれに倣った。


 荷物があるので目を閉じれはしなかったが、頬に沿って流れていく空気をはっきりと感じる。


 バイクであればこれがもっとずっと速く、強く感じられるのだろう。


 なるほど、確かにそれは爽快かもしれない。


「いつか乗ってみたいですね」


「難しいだろうな」


「ですよね」


 バイクはその性能から、中央政府が運用について厳しく制限している。燃料や機械の仕掛けについて詳細は秘匿されている。


 考古学者の間では、バイクに使われている技術や燃料自体が、大崩壊に繋がる原因だったのではとされているほどで、大崩壊自体の原因や旧時代の歴史が判明するまで、タクミのような小市民がバイクに触れる機会はないと考えるのが妥当だった。


「そもそも、私とて、所属上たまたまだ。研究を兼ねて運用させてもらっているに過ぎない。だが、中央に来る機会があれば声をかけてくれ。実物を見るくらいは調整できるだろう」


 肩を落とすタクミに、ベスが提案する。


 タクミは喜びを乗せて期待させてもらいます、と返事をするが、直後にある事に気付き笑顔を引きつらせて頬をかく。


「どうした?」


「いや~、ははは。僕もまだまだ駆け出しなので、中央に行くのなんていつになる事やらと、気付いてしまいました」


 中央への配送はそれこそ、政府だけではなく元老など、名だたる家々が絡む事が多い。取り扱う荷物も、当然重要性が高いものが増え、普段以上にささやかなミスも許されない。


 それだけに、ギルドでも十年程度を目安としたベテランにしか請負の許可を出さないのだ。


 再びうな垂れるタクミの肩を、ベスは力強く叩く。


「そんな事は気にするな。このエリザベス=ヴィクスン。恩人を忘れるような事はない。お前が中央に来たならば、声をかけろ。必ず笑顔で迎えてやる」


 淀みなく堂々と胸を張って言い切る彼女の姿は、降り注ぐ日光とあいまって、とてもまばゆく見えた。


「うん、どうした?」


「あ、いえなんでも」


 気付けば大口を開けて彼女を見つめていたタクミは慌てて正面に向き直る。


 初めてのタイプだった。今まで出会って来た誰とも違う。いい人はたくさん見て来たが、清々しさを覚えたのは今回だけだ。


 何か高鳴るものを感じながらも、それを押し留めるように馬車の操縦に意識を向ける。


 手から手綱へ、そして馬へと彼の呼吸が届いてしまう。下手に高ぶった意識が行くと馬もそれに応えて、積荷に良くない影響を与えかねない。


 どうにかこうにか心を落ち着かせる。馬のペースは特に変わる事なく、のんびりと道を進んで行く。


 今回はさほど顔に出さずに済んだのか、それとも何か違う解釈をされたのかはわからないが、ベスはそれ以上追及してこない。


 ただ、何やら思案顔でタクミをじっと見つめてくる。誤魔化せた、と言うわけではないようだ。


 こういう時は話題の転換に限る。そう思った矢先、ベスの方が、話は変わるがな、と切り出した。


「実はずっと気になっていたんだ」


「何ですか?」


 彼女はおもむろに背後を指差す。


「うむ。答えたくなければ別にそう言ってくれて構わんのだが、アレはなんだ?」


 タクミは彼女が向けた指先を追う。そこは荷台の最後尾よりもさらに後ろ。引きずられるズタ袋だった。


 時折ふがふがと言う声や袋そのものが生きているかのようにぶよぶよと馬車とは無関係に蠢いている。


 タクミはああ、と軽く頷き、そっと耳打ちする。


「野獣です」


「捕まえたのか」


「ええ。運がよければ多少は稼ぎに加えられるかと思いまして」


「やれやれ、なんとも。私の想定以上にお前はたくましいようだ」


 ベスは驚くやら呆れるやら。大きく頭を振るが、どこかその声は楽しげだった。


 タクミもつられて笑い返す。


 そのままどこか心地よさすらある静寂を重ねて、ガラナの町へと無事に二人は到着したのであった。




 ガラナの町は、一大倉庫街である。運び屋達の陸送ギルドやブラックキャット運送を始めとした各業者はもちろん、専属ではない貸し倉庫業者も居を構えており、ここからまた各方面へと荷物が運ばれていくのだ。


 その為、旅人達の姿はほとんど無く、タクミにとっては同業者達が数多集い、良くも悪くもガヤつきに溢れた馴染みやすい場所だった。


 彼らの邪魔にならないよう、タクミは路地の端へと馬車を止める。


 すくっとベスが立ち上がる。


「世話になったな」


「いえ、こちらこそお会い出来て光栄でした」


「お前は恩人だ。そんな堅苦しくなくていいと言っただろう」


 クスリと微笑みながら、彼女はカバンを抱きしめて馬車から飛び降りる。


 タクミは町の中央の方を指差して彼女に次げる。


「町の中央に保安官事務所があります。その斜向かいが巡回馬車の案内所です。こんな町ですから、あまり回数はないですけど、今日の便が出るなら、間に合うはずです」


「何から何まで助かる。ありがとう。それでは、息災でな」


「ベスさんも」


 タクミの言葉に敬礼を返し、ベスは中央へ向けて歩き出す。


 それを見送りながら馬に合図を送ろうとした矢先、ベスの声が届く。


「タクミ」


「あ、はい」


「次は中央で会おう。必ずだ」


「わかりました。楽しみにしています」


「ああ、私もだ。それではな」


「ええ、またいつか」


 確かな約束を交わし、今度こそ二人はそれぞれの目的地へ向けて歩き出す。


 名残惜しさに振り向くが、既にベスの姿は無かった。


 早く果たせるように努めようとタクミは心に決めて、静かにギルドの支部へ馬車を進める。


 陸送ギルド西方管区ガラナ支部は倉庫と一体となった建物が特徴である。


 倉庫と隣接している所は数あれど、一体となると珍しい。


 三年ぶりの建物は大して変わる事無く、ガラナの町の南西に鎮座していた。


 ここでは保管と仕分けだけでなく、倉庫街と言う建物一つ一つが広く作れることを活かして馬車のメンテナンスも行われている。


 タクミは門をくぐり、左胸につけた蹄と車輪を組み合わせたギルドの紋章のバッチを警備担当者に示し、裏に掘り込まれた登録番号を告げる。


 確認を取った警備担当者は腕を振って倉の入り口を開けるよう指示を出す。


 タクミは担当者に軽く頭を下げてから素早く馬車を滑り込ませた。


 中に入ると、倉番達がせっせと仕分けをしている姿が飛び込んでくる。


 次から次へと日中は定期的に荷物が入って来るため、倉番達は呼び止めない限り作業を止める事は無い。


 タクミは適当に一人をとっつかまえると、リストを渡す。


「よろしく」


「はいよ――うん、こいつは違うのか?」


 倉庫番は真っ先に馬車が引きずる動くズタ袋に目を留める。


 タクミはああ、と手を横に振った。


「気にしないで。私物だから」


「そうか」


 リストと積み荷のチェックが終わると、申し合わせたように倉庫番達が集まり、リストに沿って目的地や種類別に分別されて荷物が次々と下ろされていく。


 あっと言う間に荷台は空となった。


「何かすぐ積んでくのか?」


「いや、定期便で来ただけだし。こっちもあるから」


 タクミは相変わらずもぞもぞしているズタ袋を指して続ける。


 すると、ついでとばかりに彼らは荷台へズタ袋を放り込む。


 むごご、と言った音が漏れるが誰も気にした様子はない。


「後は見繕ってからだね。また用があれば顔を出すよ」


「あいよ」


 用事がなくなるとわかるや、すぐに倉庫番達は元の作業へと戻って行く。


 先に来ていた馬車にはあっと言う間に荷物が積み込まれていく。


 相変わらずの目まぐるしさだな、と感嘆しながら、タクミは馬車を進め、隣区画の整備場へ入る。


 技師達がせっせと車輪を始めとした馬車全体の整備を行っている。鉄を叩く音が心地よい。


 整備場の端では、馬がブラッシングをされたり、健診を受けている姿が目に入った。


 その中から目当ての人物を見つけたタクミは馬を進めて馬車から降りて一礼する。


「どうも、ご無沙汰しています」


「ん、ああ」


 作業場の様子を見渡していた無精髭の男性は厳しい表情そのままに、鋭くタクミを横目で見据えて頷いて返す。


「暫く見なかった顔だ」


「そうですね。こっちに来る仕事が少なかったもので」


「まあ、お前さんの管轄は向こうだしな。んで、その珍しい用事ってのはそのトンだお荷物かい?」


「いえ、これはまた別ですね」


 もぞもぞと蠢く荷台の袋を指す男性に、タクミは首を横に振り、事情を説明する。


 定期便を引き受ける羽目になってからここまでの顛末を、ベスの件は除いて説明すると、男性は白髪頭を描きながら喉を鳴らして唇を釣り上げた。


「まったく、お前さんは人が良いというかついてないと言うべきか」


「ついてる事にしておきましょう。おかげでウォーレンさんの所へ顔を出せましたから」


「へっ、少しは言うようになったじゃねぇか」


 ウォーレンは舐めた指で眉をなでつけて適当に受け流しながら、馬車へ目を向ける。


 途端に、気だるげな様子はどこへやら。すっと細められた瞳はそれ自体が精密な機械のように馬車の状態を読み取っていく。


「右の車輪が歪んでるな。相棒の方は、ふむ。蹄鉄は交換したばかりか」


「さすがですね。馬車の方は少しガタつきが気になってたんですよ。気持ち左に寄るような感覚もあったんですが」


 やはり顔を出しておいて正解だったと、タクミは馬車と馬をチェックするウォーレンの姿を見ながら舌を巻いた。


 彼はこのガラナ支部の技師長であり、馬車整備と馬の管理一筋でやってきた、支部最長老なのだ。


 いささかとっつきにくい所があり、若手が苦手意識を持ちやすいが、その知識と技術は本物であり、タクミは彼から多くの事を教わるために一時は足しげく定期便をこなしたものであった。


「わかってて放っとくんじゃねえ。ったく、手前で直せと言いたい所だが、見ちまったもんはしかたねえな」


「ありがとうございます。ウォーレンさんにお任せできれば安心です」


「調子のイイ野郎だぜ、まったく」


 まんざらでもなさそうにウォーレンは油と技術が沁み込んだ皺深い手で顎をさすると、手早く馬から馬車を取り外す。


 馬車はウォーレンに、馬は呼び止められた他の技師に預けられる。


「飯は食ったのか?」


「いえ、これからです」


「少しゆっくりして来い。その頃には終わってる」


「ええ、野暮用もありますから、そうします」


 タクミは荷台からズタ袋を引きずり落とす。一際大きな音が袋からこぼれるが、気にも止めない。


 ウォーレンも僅かに肩をすくめるが、何を言うわけでもなく、若手の技師の手を借りてさっさと作業に取り掛かるため、その場を離れた。


 タクミは彼らを見送り、作業が始まったのを確認すると一礼し、ズタ袋を引きずりながら倉庫を一旦後にするのだった。




 ガラナの倉庫街を、タクミは中央に向けて進んで行く。


 煉瓦造り、木造、高床式などなど、それぞれの用途に合わせた倉庫が雑多に並ぶ街路は、縁の無い者からしてみれば迷路そのものだろう。


 なるべくわかりやすい所で降りてもらったが、ベスは無事に案内所につけただろうか、と考えながら進むと、一際広い通りへと出る。町の中央へ到着したのだ。


 行き来するのはほとんどが運び屋や業者の人間と言う事もあり、観光地や交通の要衝地よりも荒々しい熱気と吐息の渦が押し寄せた。


 その中を掻き分けるようにして、タクミは十字路の西角に居を構える保安官事務所のドアを叩いた。


 返事は無いが、ハナからそんなモノは期待していない。銃弾が飛んで来る可能性を限りなく低くするための儀式のようなものだ。


 ノブを握って押してみるが、立て付けがだいぶ悪くなっているようで、隙間が開いたと思ったらそのまま動かなくなってしまう。


「ふむ」


 二、三回押しても手応えがないのでドアを蹴って開ける。


 瞬間、コップが飛んで来た。


「失礼しまーす」


 避けたコップがズタ袋の上に落ちた音がしたので、タクミは大きめに挨拶をする。


「失礼するなら帰りやがれ!」


 保安官はタバコをふかしながら、テーブルに投げ出した足を震わせている。


 煩雑に置かれた書類もグシャグシャである。


「じゃあ、用が済んだらさっさとお暇させていただきます」


 随分とご機嫌斜めな様子に、タクミはそういってズタ袋を引きずり込みながらもついと尋ねる。


「何かあったんですか?」


「ああ? 何もねえよクソッ」


 そう言う事か、とタクミは内心大きく頷く。とどのつまり、彼は不貞腐れているのである。


 ガラナの町の保安官は、倉庫街と言う特性上、人の移動が多く、根っからのガラナ町民はほとんどいないため、最寄のマラカ市から派遣されてくる。


 マラカ市は農業が盛んで、街道沿いほどではないにせよ人の交流も多い。それだけに、保安官の出番となる事も多いのだが、ここガラナではそうも行かない。


 ガラナの町で起こる問題は酒場での喧嘩だけと言っても過言ではない。


 ごくごく稀に倉庫へ盗みを働きに来る者もいるが、そうなればもはや保安官が出てくる幕ではない。


 そもそもこの町の往来で出歩いているのは、無限にも思える荒野を己の腕一つで駆け抜けて物を預かり運ぶ事に誇りや自負を抱く運び屋達だ。


 タクミ自身も含め、決してお行儀がいいとは言えない身の上だが、それだけに、預かった、預けられた荷物に現金以上の価値を抱いている。


 そしてそれは、そんな運び屋達を支える倉庫街で働く全ての者に通じている。


 この街で盗みを働くと言う事はすなわち、彼らの尊厳を踏みにじる事と同義。


 発覚したら最期。どこの管轄の荷物だろうと関係ない。


 例え地の果てだろうと追いかけて、彼らは荷物を取り返すのみならず、盗みを働く“ふてえ野郎”を二度とお天道様を拝めなくなるまでとっちめるのだ。


 保安官がそもそも盗みがあった事を知るのは示しが付いた後と言うのがザラなのだから、基本的にガラナで保安官の仕事は三つしかない。町の往来を眺めて日がな過ごし、喧嘩があれば仲裁し、それでも言う事を聞かなければ留置部屋で酒が抜けるまで寝かしつける。それだけである。


 正義感であれ名誉であれ、何やら、とかくある種の熱意を持って保安官になってみてガラナに配属されると、気持ちのやり場がないのだ。


「それは失礼。じゃあ、これ、お願いします」


「ああ? ここはゴミ捨て場じゃね――」


 タクミが少々手こずりながらズタ袋をこじ開けていくと、保安官は大口を開けて駆け寄って来る。その瞳は先ほどまでとは一転、輝きに満ちていた。


「ふぐぐぐぅっ!」


 ズタ袋から現われたのは、人間だった。両手は後ろで、両足ともども縛り上げられ、口にも布がかませてある。


 体中擦り傷だらけで、その目は真っ赤になって涙も枯れ果てたようであった。


「こ、こいつは!?」


「昨夜、強盗されそうになったので」


「いやいやいや、経緯はどうでもいい。こいつまさか、早漏れジャックか!」


 保安官は男の特徴的な下あごを確認してそう尋ねてくる。


「ふふぁあう!」


 途端に哀れな虜囚は大きな声をあげるが、口に噛ませ物をさせられており、言葉にならない。


 保安官は大きく首をかしげた。


「違うと言ってますね。僕も早撃ちジャックだったと思いますけど」


「ん~、いや、しかしだな」


 保安官は自分のデスクにとって返すと引き出しを引っ掻き回し、棚を漁って目当てのものを見つけたのか、もってくる。


 それは似顔絵の描かれた賞金首の手配書であった。似顔絵の上に書かれた賞金首の名前を見て、彼は大きく頷き、タクミにつきつける。


「ほらみろ」


「あ、本当だ。早漏ジャックですね」


「ぬごおふぉぉ!」


 よほど意にそぐわなかったのか、手配書の賞金首ジャック=スミスは体を大きくよじって抗議をするが、タクミと保安官は手配書を前に額を寄せて気にも留めない。


「おい、早漏れだろ?」


「いえ、綴りが違います。ほら、この後ろの部分」


「あれ、そうだっけ?」


「そうですよ。まあ、意味は一緒ですけどね」


「ならいいか。お手柄だぜ、お前」


「それはどうも」


 わしゃわしゃと髪を撫でられるが、タクミはいささか迷惑だったが、長くつづくものでもないので、甘んじて受け入れる。


 保安官は鼻高々といった様子で倒れたジャックの姿を見聞し、最後に口に噛ませた布をゆるめる。


「この下あごのケガ、まちがいねえな。本当に、よく捕まえたもんだぜ」


「運が良かっただけですよ」


「うんふぁ、ふじゃふぇぶふっ!?」


 まくしたてようとしたジャックの顎先をタクミは素早く蹴り上げる。


 正確に顎先を打ち抜いた彼の足業に、保安官は一瞬目を見開いた。


「お、おいおい。あんまり乱暴はするなよ」


「噛みつかれそうだったのでつい」


「まあ、気持ちはわかるがな」


 そういうと、彼は完全に伸びきったジャックを、面倒くさそうに足を抱えて、鉄格子がはめられた留置室へ引きずって行く。


 ベッドに乗せるのは諦めたのか、そのまま地面へ寝かせ、せめてもの情けとばかりに足の紐を解いてから出てきて、入り口に鍵をかけた。


「へへ、ったく。ここが酔い覚まし以外に使われるのは俺が来てからは、初めてだぜ」


 生きた賞金首を見るのもな、と付け加えた保安官は鼻の下をしきりにこする。


 興奮冷めやらぬ様子の彼に対し、タクミは少々申し訳ないながらも本題に映る事にする。


「申し訳ないんですけどね、保安官。」


「ん、ああ。そうだったな」


 言われた保安官もすぐにその意味を悟って再び引き出しと言う引き出しを引っ掻き回す。


 目当てのものは携帯用金庫に入っていたのだが、結局それを見つけるために保安官事務所の棚と言う棚がひっくり返された。


「おお、危ねぇ。失くしたとなったらクビじゃすまないぜまったく」


 そういう保安官が手の中で遊ばせていたのは、金庫から取り出した小切手だった。


 賞金首の賞金は全て政府によって管理されている。賞金をかける申請を政府が受け、内容を審査し承認。政府が立て替えると言うのが一般的な方法なのだ。


「え~っと」


「基本賞金が十五万。生け捕りでさらに五万だったと思いますけど」


 手配書とにらめっこで書き起こすべき金額を計算し始めた保安官にタクミは先日掲示板で見かけた賞金額を告げるが、彼は首を横に振った。


「いやいや、そりゃ先月くらいまでだな。変更があったんだよ。え~っと、基本賞金が二十万で、生け捕りで十万か。まったく、これで暫くは遊んで暮らせるじゃねえか」


「そう考えているうちはあっと言う間にスりますね」


 言いながらも、タクミは思わず保安官のデスクまで歩み寄り、手配書の内容を確認する。


 確かにたった今聞かされた通りの内容になっている。三十万メリゴは高額だ。もともとの十五万ですら立派な額だったのである。


「それにしても、随分上がってますね」


「ああ。二ヶ月くらい前にゴンアンの方で駅馬車強盗があっただろ」


「聞いた覚えがあります。確か噂じゃ判事の娘さんが居合わせたとか」


「おう、それよ。巡回判事の娘が同乗しててな。んで、一味に食ってかかってぶん殴られたらしい。前歯と鼻がまあ綺麗に折れちまったようでなぁ」


 そこから先は簡単に思い描く事が出来た。


 事件に激怒した判事が、私財を投げて褒賞金を釣り上げたのだ。


「絶対に吊るしてやるから、死んでも生け捕りにしろ!」とまで言ったとも囁かれるほどであるから、その怒りは計り知れない。


「ひょっとして、さっきの早漏になってたのも」


「かも知れんな。それで臍を曲げて出てきてくれればもうけもんだろうしよ。ホラ、受け取れ」


 差し出された小切手をタクミは丁寧に受け取ると懐へしまう。


 礼を言ってお暇しようとした矢先、保安官が思い出したように尋ねてくる。


「そういや、こいつの他に仲間はいなかったか?」


「何人かいましたけど、賞金がかかってたわけでもないので、縛っておいてきましたよ」


 連れて来ても良かったのだが、馬車と馬の負担になるので、強盗・野盗は身一つで荒野へ放逐の慣わしに従ったのだ。


 もっとも、見える範囲には武器を置いてきたので、運がよければ助かっている事だろう。


「は~、若いのに見事なもんだ。俺もあやかりたいもんだね」


「保安官としてその発言はどうなんですか?」


「そりゃそうだがよ。張り合いってもんがな。欲しくなる時もあるんだよ」


 保安官はそう言って溜め息をつきながら椅子に大きく腰掛け、デスクに両足を乗せる。


「ま、そいつもお前のおかげで次の巡回までは幾分ましだがな」


 親指を突き立てて鉄格子を差し保安官は口を尖らせる。


 長年貯まった鬱憤はそうそう晴らしきれないようだ。


 タクミは苦笑いを返し、お暇しようと帽子を上げて会釈する。


 途端に、彼を押しのけるようにして年配の女性が駆け込んできた。


「ほほほ、ほあ、保安官っ!」


「どわっ!?」


 驚きあまって保安官は椅子ごと引っくり返る。


「どうかしたんですか?」


 代わりにタクミが血相を変えた女性へ事情を尋ねる。


 血の気の多い者達が集まるこの町で、こうもあたふたしている相手を見るのは実に珍しかった。


「それが、その、案内所でお客さんがっ」


「んだよ、客が倒れたなら医者でも呼べばいいだろう」


 這い置きながら、保安官はそう一蹴するが、女性は首を大きく横に振る。


「いえ、その、もう私達ではちょっと手に余って――いいから来て下さいっ」


 そんな女性の様子に、保安官の顔も少しずつ緩みだす。


 どうやら、よほど厄介な手合いが彼女の職場に押しかけてきているらしい。


「面白そうじゃねえか。俺が必要だってんなら、喜んでいってやるぜ」


 そこからの彼の行動は迅速だった。


 トイレへ行ったと思えば先ほどまで崩れていた制服を調え、ロッカーからライフル銃を取り出し肩に担ぐ。


 金庫、銃のロッカー、留置部屋と鍵を全てかかっているのを確認すると、帽子を目深に被ると、女性の方を力強く叩いた。


「さあ、行こうか」


「こ、こっちです!」


 促され、保安官は事務所を出て行く。入り口の階段を下りた所で彼は突然タクミの方へ振り向いた。


「おい、お前っ」


「え、あ、はい」


「感謝するぜ。お前のおかげでツキが回ってきたぜ! また顔を出せ。コーヒーくらいはくれてやるぜ」


「期待しておきます」


 軽く手を振って返すと、今度こそ保安官は馬車の案内所へ向けて走り出した。


 タクミも事務所の中を今一度見返す。別段、義理があるわけではないが、気になるところがないかを確認する。


 鍵はしまっているし、ジャックは両手を縛られたままなので心配はないだろう。


 入り口は完全に解放されているが、この町で保安官事務所を襲う輩は早々出没する事も無い。


 もう立ち去っても大丈夫だと確信したところで、タクミは事務所を後にする。


 腹に何か入れておこうかと思いつつ道路に出た所で足を止めた。


 何かが引っかかる。


(案内所って言ってたな)


 先ほどの女性が保安官に助けを求めに来た時の事を思い出し、彼は乾いた笑いをこぼす。


 このガラナで案内所と言えば客馬車のものしかないのだ。


 そして客馬車と言えば、彼には非常によく思い当たる節があった。


(杞憂であってくれればいいんだけど)


 面倒そうな客の顔を拝むだけで済む事を祈りながら、タクミは保安官達の後を全速力で追いかけた。




 保安官に数分遅れで客馬車の案内所前へとやって来たタクミは、中から漏れる覚えのある声に肩を落とす。


 保安官まで駆けつけたとあって、野次馬が集まり始めていた。


 タクミはその隙間を器用にすり抜け、難なく案内所の中へと入る。


「馬も馬車も予備があるのに、何故利用する事ができないのか、と言っているのだ」


「何度も申し上げています通り、タルタマに続く橋が修理中でして」


「ルミズイまで続く道は一本ではあるまい。道は必ず繋がっているものだ」


 案内所の入り口側で、カウンターを挟んで見知った顔が押し問答の真っ最中であった。


 案内所の所長だろう。大人しそうな性格の、腹が少々でかかった男性が、汗を拭きながら根気強くベスと論を交わしていた。


「ええ、ええ、それはまあ。ですから、ご説明したとおり、後三十分ほどお待ちいただいて、キルトスやスダインの川をお渡りいただく、南巡回の馬車にお乗りいただければルミズイまで別段、問題なくご案内できます」


「だが、その南回路では七、八日かかると言ったではないか。それでは話にならんのだ」


「東回路であれば確かに三、四日で着きますが、肝心の橋が壊れていると、先ほどから申し上げている次第です」


「その橋を渡らなければならんと言う事はないだろう? それとも普段使わない道以外は何もわからんと言うのではないだろうな?」


 タクミは暫く黙って聞いていたが、聞けば聞くほど不毛だと感じてくる。


 堂々巡りも良い所で、なるほど、これには案内所の人も参るわけだと納得する。


 ベスは決して口調が荒いわけでもなければ、案内所の人に力尽くで無理を迫っているわけでもない。


 単純に納得が行っていない、それだけだ。


 双方が方向の違う道理を説いているのだからまとまるものもまとまらないのは当然である。


 意気揚々と乗り込んできたはずの保安官もさすがにこれでは手の出しようもないのだろう。しかめっ面で肩をすくめ、文字通りお手上げだった。


(ルミズイ、か)


 ベスの目的地を知り、タクミはふと頭をめぐらせ、うんと大きく頷くと、ベスに声をかける。


「ベスさん」


「うん、タクミじゃないか」


「なんだ、知り合いか?」


 いぶかしむ様に二人を見据える保安官へ曖昧な笑みを返し、タクミは彼女の腕を取る。


 ベスはすかさず眉根を寄せた。


「急になんだ?」


「ちょっと来て下さい」


「今は大切な話をしている所なんだ」


「それも含めてます。いいから」


「いや、何が、おいっ」


 振り解こうとするベスの腕を掴む手に力を込める。


 あまり好きなやり方ではなかったが、彼女は結構頑固な所があるのはわかっていたので、これしか思いつかなかったのだ。


 彼女は驚き、なんとか踏みとどまろうとするが、タクミはそのまま強引に引きずって行く。


「ここは僕が預かるという事で」


 保安官にそう告げると、彼は間の抜けた声で「あ~、まあ、いいか」と応える。


 事務所の職員達もどこかほっとした面持ちで彼らを見送った。


「どうもすみません、お騒がせしました」




 タクミはベスを伴い、案内所の向かいにある、町唯一の酒場ガラナの潤いへと入る。


「おい、こら、タクミっ!」


 何とか抗おうともがくベスに客達の視線が集中するが、気にせずマスターに声をかける。


「奥、使わせてもらいますね。お茶二つに、とりあえず適当に摘めるものをお願いします」


 返事を待つ事もなく、未だ騒ぐベスを引っ張り、衝立で仕切られた奥の席へ。


 その様子に、痴話喧嘩かよ、などといった声がチラホラ上がり、一気に興ざめした雰囲気が店全体に広がり、タクミがベスを席に座らせた時には、空気はあっと言う間に元に戻っていた。


「どういうつもりだっ」


「いえ、あのまま案内所に居ても不毛そうだったので」


 今にも席を立とうとするベスを宥めながら、タクミも椅子に腰掛けて向かい合う。


「騒がせた事については私も不本意であった。その点はあとで謝罪させてもらおう。だが、私にも事情があり、時間は惜しい。お前にはここまで案内してもらった恩があるが、事と次第によっては許さんぞ」


「わかってます。とりあえずベスさん。巡回馬車は諦めましょう。巡回路の橋が落ちた以上、政府命令でも無い限り絶対に馬車は出ません」


「橋は一つではあるまい。それに予備の馬車と馬もあるのは確認させてもらったというのに、何故だ?」


 ベスは腕を組み直し、口を尖らせ、一層不機嫌な様子になる。


「タルタマに向かうなら、駅馬車が通れる規模の橋はここしかないですね」


 タクミは懐から西方管区内の地図を取り出し、先ほど案内所の所長が言っていたタルタマ方面になるガラナ北東部の川を指し示すと、該当する橋に×をつける。他にある橋はほとんどが生活用の端であり、馬二頭すれ違うのが精一杯の大きさばかりである。


「そもそも、巡回馬車は認可制です。原則、事前に登録した巡回路以外を通る事は違反になりますし、罰則もありますから」


「わかっている。しかし、急を要する場合は例外となるはずだ」


「ええ、まあそうですけど、それはあくまでも急患に対して医者の往来が必要な場合や災害時の避難に限られてます」


 タクミはそこまで告げて一拍を置く。


 少々意地悪な言い方になるが、ベスにはその方が丁度よいだろうと改めて判断し、さらに続ける。


「ベスさんが何故急いでるのかは知りませんが、それらに該当するだけの要件なら、案内所も聞き入れてくれるはずです」


「むう」


 案の定、ベスは声を詰まらせた。チラチラと荷物とタクミを見比べてから、彼女はシュンと肩を落として俯く。


 だが、それだけに彼女にもあの場で食い下がらざるを得なかった理由があるのは明白だった。


 運ばれてきたお茶のカップを両手で抱えて所在無さげにする彼女に、タクミは尋ね直す事にした。


「後でちゃんと案内所には謝りに行きましょう」


「あ、ああ。私とした事が、だいぶ冷静さを欠いていたようだ」


「ところで、ルミズイにはいつまでに着きたいんですか?」


「今からだと、四日目の朝までには着いておきたい」


 タクミは改めて地図とにらみ合う。馬車の案内所でも説明されていた南回路はキルトスやスダインといった町を経由するが、とにかくガラナの西にある山が邪魔で、そこを大きく迂回する形となっており、今日の馬車に乗れたとしてもやはり七日はかかってしまう。


 彼は大きくうんと頷いた。


「それだとやはり、確認は必要ですが、巡回馬車は諦めてもらうしかないと思いますよ」


 何故だ、とベスが今度は穏やかに尋ねて来る。タクミは店のカウンターに置かれた時計を指して答える。


「時間が厳しいかと」


 南回路を避け、期日までにルミズイへ着こうとすれば、ここから馬かなにかを走らせ、タルタマへ向かいそこから巡回馬車に乗り込むのが常道なのだが、現在の時刻は十二時半過ぎ。


 ここからタルタマまでは馬で約三時間。今日の馬車に乗り込むには遅すぎる。


 現時点で既に明日以降の便に乗るしかなく、そうなれば最悪五日後の着も考えられる。


 橋が修理中の間、巡回もタルタマを発着点として一時的に組み直ししているようであれば、ルミズイへおn到着日数は判断不能で、何もアテにできない。


 そうした現状を一つ一つ説明して行くと、ベスは得心がいったのか、何度となくタクミの説明に目を皿にして相槌を打っていた。


「橋が壊れている以上、巡回馬車はアテにはできんと言う事はよくわかった」


 そう告げると、彼女はすっと目を細め、じっとタクミの目をそれこそ心の奥底まで読まんとばかりに見つめる。


「では、当然他に手段があるという事だな?」


「ええ、その通りです」


 タクミは力強く頷き、己の胸に手を当てる。


「ふむ。その手段は?」


「えっと――」


 当てた手でポンポンとタクミは胸を叩くが、次の彼の発言を待っているのか、ベスは首を傾げたままだった。


 全く気付いてもらえる気配がないが、それも彼女らしいか、とタクミは気持ちを仕切りなおし、今一度胸を叩く。


「何も人を運ぶのは、客馬車だけの仕事ではないですよ」


 やはりストレートに言った方が伝わるのだろう。ベスはすぐにピンと来たのか、指を立てて「なるほど」と呟くが、すぐに地図に目を落とした。


「言いたい事はわかった。しかし、客馬車がタルタマ方面へ通れない以上、荷馬車など論外ではないのか」


 彼女の疑問は想定内。タクミは素早く地図の一点を指し示す。


 それは、ガラナの西にある巡回馬車を南側の回路へと押し下げている原因でもある山。ヴァシー山である。


「ここを通ります」


「待て、そこは敢えて避けられている所じゃないか」


「ええ、巡回馬車ではですね。ですが、ここには実は通路があるんですよ」


 ヴァシー山を越えて、パルヴァ高原を下り、リカー森林を抜ける。そこからは通常の平地であり、そこから西へ向かうと、巡回馬車の通過点でもある街道沿いの町・アケメへ出る事ができる。ルミズイの二つ手前だ。


 ヴァシー山中の道がやや狭く、万が一すれ違いになった際が難儀な点を除けば苦労は少ない行程である事を、地図上で要所要所を示しながら伝えていく


 内容そのものには納得していた様子のベスであったが、説明に合わせて首が大きく傾いていく。


「基本的には今日出れば中二日で十分到着できる予定、ってどうかしました?」


「お前の説明を聞く限り、馬車が通れる道なのであろう? ならば何故巡回馬車が通っていないのだ?」


「原因はいくつかありますよ。リカー森林は巨獣が出ますし」


 だが、それもきちんと対策をしていけばさして問題ではない。そもそも、巨獣と言っても猪などと同じ。こちらから刺激しなければ向こうも襲っては来ないものがほとんどだ。


「巡回馬車が通らない一番の理由はやはりどう考えても、客を運ぶのに不向きな行路だからでしょうね」


 タクミがさらに続けようとすると、ベスがおもむろにそれを制止し、口元に手を当てて地図と睨み合った。


 どうやら自分で少し考えてみたくなったようだ。


 彼女の瞳が山越えの道と通常の巡回路を見比べるようすを見守りながら、タクミはお茶をすする。


 頃合を見計らったように出てきた芋と干し魚の団子をほお張る。程よい塩気が芋の甘さと相まってお茶によく合う、などと考えているとベスが大きく頷いた。


「なるほど。確かに不特定多数の客を運ぶには不向きだな」


「ええ。でも、ベスさんなら大丈夫かと」


「ああ、野営なら茶飯事だ。問題ない」


 力強く頷く彼女に、タクミは「決まりですね」と笑顔で返す。


 ベスがお茶の入ったカップを持ち上げて突き出し、タクミはそれに応えた。


「よろしく頼むぞ」


「お任せを。でも、その前に」


「ああ。腹ごしらえだな」


 カチン、と契約成立の音を奏でた所で、二人は運ばれてきた料理を片っ端から黙々と平らげて行った。




 食事を終えてからの二人の行動は迅速だった。何しろ、今日中に用意を整えて町を出なければならないのだ。


 取り急ぎ、案内所でベスが非礼を詫びる。ガラナの町は倉庫街だ。生憎と謝罪時に手土産を、と考えた所で店がない。


 結果、ベスはとにかく非礼を詫びっぱなしとなり、タクミの想定通り、少々の時間を要する事となった。


 そのままの足でギルド支部へ向かい、二階にある事務所へ入る。


 掲示板を埋め尽くす依頼票には目もくれずカウンターへ歩み寄ると、受付の女性が怪訝そうにタクミを見上げた。


 配送の依頼書を求めると、彼女は益々眉をひそめる。


 別段、余所の管区のギルドメンバーが来た所で珍しい話ではない。タクミとて、元の管区に戻る前に同じ方向へ配達する仕事があれば掲示板の中から適当に見繕っていくからである。


 しかし、仕事の依頼を持ち込むとなれば話は別となる。だが、タクミはそんな相手の驚きなどどこ吹く風で、書類を請うと、そのままベスに手渡す。


「ああ、すまない」


 依頼主、目的地、荷物の内容などを一通り記入していくと、ベスは事前の打ち合わせ通り、最後に特別希望欄へ一筆を書き加えた。


 記入を済ませた書類を渡された女性は、目を見開きながらも項目を確認していくも、最後の特記事項に空いた口が塞がらなくなってしまう。


 彼女は幾度となく額をさすり、ベスとタクミを見返してきた。


「えーっと、エリザベス=ヴィクスン様、ですね」


「いかにも。何か不備が?」


「いえ、必要事項は一通り記入されています。ただ――」


「なんだ、はっきり言ってくれ」


 言いよどむ相手に、ベスはぴしゃりと告げる。


 受付の女性は、んん、と咳払いをしてから書面の最後の欄を指し示す。


「これは、書き間違えではありませんよね」


 読み返したベスは首を傾ける。


「書き直せ、という事かな?」


「・・・・・・いえ、少々おかけになってお待ちください」


 ベスは腕組みをして不思議そうに、タクミを見やるので、とりあえず待っていてもらうよう、改めて促す。


 部屋の隅に申し訳程度におかれたソファに彼女が腰掛けたのを確認した所で、受付の女性の視線が突き刺さる。


「お知り合いですか」


「まあ、たまたまですね」


「彼女は、あの?」


「僕が聞いた限りでは間違いなく」


 ベスに気づかうように小さく、しかし不機嫌なのがひしひしと伝わる低い声で、彼女は「正直、承認したくありませんね」と告げて、先ほどベスが最後に書いた一筆を指し示す。


『配送者指定タクミ・アラハ』


「何か問題が?」


「書面上はありません」


 不満げに女性は告げる。タクミとしてもこうなるのは織り込み済みだ。


 依頼書の控えを渡してもらおうと手を出すと、女性は口を尖らせる。


「そもそも、あなたはこの管区の所属ではないでしょう」


「そこは成り行きです。それに僕はもう管区外の仕事も請けられるはずですけど」


 ええ、ええ、とこれまた不満そうに彼女は頷く。


 タクミの所属とガラナ支部を管轄する管区は違う。原則として、自分の所属する管区内以外で仕事を請けようとするのであれば、三年以上の経験を有した上で、ギルドでの活動年数に応じた日数での往復可能な範囲まで、と言う風に決められている。


 今回の目的地はその規定内で十分に収まる距離だ。


「普通の配送なら私だってこんな事は言いませんよ。タクミさん、あなた、中央への配送経験はありますか?」


「それはさすがにないですね」


「でしょう。そこらの荷物ならまだしも、彼女を直々に運ぶと言うなら、やはりそれくらいの経験者でないと」


 にべもなく、彼女はそう言い放ち、ぶつぶつとさらになにかぼやきながら書類を何度も見返す。


 彼女の言い分ももっともだ。タクミも立場が逆ならやはり同じ反応をした事だろう。


 ベスを直々にルミズイに連れて行く。それだけ聞けばなんという事はないが、彼女はヴィクスン家の、それも嫡子。紛う事なき令嬢なのだ。中央への配送にも慣れたベテランにやらせたいと思うのは当然だった。


「それじゃ、今から誰か呼びますか? マルシアさんとか」


 タクミはあっさりと、海の方へ出られないのは残念だが、それより何よりベスが目的を果たせなくなるくらいであれば、と諦めて、人当たりのよいベテランの女性運び屋の名前を挙げる。


 女性は、はあああ、と大きく溜め息をついて「そういうわけに行かないでしょうが」と呟き、改めて依頼書を突きつけてくる。


「不備のない依頼書があり、しかも急ぎの用件。記載された事項で、ギルドの規則に抵触する内容はない。そして、ギルドの方針は」


「依頼者の意向には可能な限り迅速且つ忠実に」


 ギルドは結局の所個人の集合体である。大手配送会社に負けないようにする為に、手続きの柔軟性は欠かせない。


 その為、採算度外視の要望や物理的に不可能な注文でも無い限りは、迅速な引受及び処理をするように、かねてより本部から各所へ通達がなされている。


 タクミはもちろん、それは折込済みでベスに書類を、それこそこれ見よがしに同席の上記入してもらったのだ。


「とどのつまり、私にはこれを拒否する理由がないんですよ、残念ながら」


 渋々と女性は承認印を取り出すと、依頼書へ押印し、控えの一枚をタクミ差し出す。


 手を伸ばして受け取ろうとするが、彼女は手を放さず、ジっと睨むようにタクミを見つめてくる。


「えーっと?」


「いいですか。くれぐれも、くれぐれもっ、妙な気を起こしたり、過ちを犯したり、私が目眩を覚えるような失敗はしないようにしてくださいね」


「そこまで言われると、はい、とは言いづらいですね」


「万が一の事があったら、支部長からどやされるのは私なんですから、本当に頼みますよ」


 最後の最後まで念をおされ、タクミは「全力で善処しますよ」と答える。


 さすがにそれ以上は押し問答同然となるとわかっていたのか、彼女は書類から手を放した。


 お礼を告げてベスの下へ向かおうとしたタクミに、受付の女性が今一度声をかけた。


「そういえば、タクミさん。それ、ヴァシー山中を通る予定ですか?」


「そのつもりですけど」


「それなら、最近は熊がよく出てるみたいですから、準備はしていった方がいいですよ」


「熊? 今の時期に?」


 珍しい事もあるな、と思いながらも、せっかくの忠告なので、タクミはありがたく受け取る。


 必要な手続きを終了し、部屋の隅で待ちぼうけているベスに合流する。


「済んだのか?」


「ええ、滞りなく」


「そうか。しかし、すまなかったな」


 立ち上がりざま、ベスは急に頭を下げた。


 思わぬ行為に、タクミは「どうしたんですか?」と問い返す。


「私のせいでいくらか揉めさせてしまったようだな」


「聞こえてたんですか?」


 まさかと思って尋ねると、彼女はピンと立った耳を指す。


「盗み聞きするつもりはなかったんだが、この部屋の狭さではな。聞こえない音を探す方が大変だ」


「ああ、それはそれは。気にしないでください。織り込み済みですし、何より僕としてもいいチャンスだった、と言う事もありますから」


「お前が問題ない、というならありがたくその言葉。受け取らせてもらうぞ」


 タクミにとって、先ほどの問答は大した問題ではない、という事は理解してもらえたのだろう。ベスは小首を傾げつつもそれ以上は尋ねてこなかった。


 タクミは依頼書の控えを折りたたんで胸のポケットにしまい「行きましょうか」と促す。


 ベス、と言う相手を運ばなければならないのだ。普通の準備よりも念入りに、あれこれと用意しなければ。


 そう考えながら、彼女を連れ立って、タクミは馬車を受け取りに倉庫へと向かっていくのだった。




 倉庫へと降りたタクミはまず馬を迎え、続いて馬車を受け取りにウォーレンの下へと出向く。


 待ちかねていたウォーレンは、ベスの姿を認めて、僅かに片眉を上げた。


「まったく、次の仕事はそいつかい」


「ええ、止めますか?」


「俺は馬車を整備するだけだ。誰が何を運ぼうが知った事じゃあない」


 ぶっきらぼうながらも「せいぜいがんばりな」とウォーレンは付け加え、馬車をタクミに引き渡した。


 タクミは馬を繋ぐ。後は、荷物の用意である。運ぶ荷はベスと彼女の持つ鞄の中身だが、それだけでは出発できない。


 馬車を進めて、一段床が高くなり、簡易ながらも内扉のついた倉庫の一角に立ち寄る。


 ギルドの備品区画である。


 食料や毛布、ランプの燃料等々、配送の道中に必要な消耗品から、タバコや酒といった嗜好品までもが備蓄されている。


 登録料及び仕事の仲介手数料でまかなわれているため、ギルドの組合員であれば誰でも自由に必要な物資を持ち出す事ができる。


「えーっと」


 単純計算で普段の倍の量が必要となる。食料や燃料等を見繕い、次々と荷台へ放り込む。


「ほう、これはなかなかのものだな」


 水筒をもって戻って来たベスが、倉庫の中を覗いて感嘆の声を上げた。


「すみません、汲んで来てもらっちゃって。井戸の場所、大丈夫でした?」


「何、気にするな。こちらが世話をかけてる身だ。役に立てる事があれば気兼ねなく言ってくれ」


 言いながら、水筒を馬車に置いたベスは改めて倉庫内を見回し「軍ほどではないが、よく揃っているな」と告げた。


「ほう、ライフルまで」


「ええ。必需品ですからね」


 とは言え、銃や食器のような生活器機のように、付き合いの長くなりそうな物品は自前で用意している者も少なくない。


 タクミは念のために積んではいる――と言うよりもギルドの組合員は業務の際に携帯を義務付けられている――のだが、幸いな事にろくに使った事はない。


 興味深そうに品揃えをチェックするベスを横目に、必要なものを積み込み、今一度内容をチェック。チェック票に積み込んだ品物と数量を記入する。


「おっと。うーん」


 一通り積み込んだ事を確認した所で、熊が出ると受付の女性から言われたのを思い出す。


 今までのタクミの経験からすれば、考えにくい事態ではあるが、わざわざ忠告されたのだ。そちらも備えておいて損はない。


 タクミは倉庫の一番奥。ライフルで隠されるように並べられた中から一袋を掴み取る。


 ずしりと重いそれを荷台に置くと、チャリチャリと金属がこすれる音が大量に響く。


「それは?」


「熊除けですよ」


「ふむ?」


 ベスは首をかしげ、不可解そうに袋を見つめるが、それ以上追求はしてこなかった。


 備蓄の出庫処理も一通り済ませ、タクミは馬車に戻り、手綱を握る。


「済んだのか」


「ええ。それじゃあ、行きましょうか」


 タクミは馬の尻を軽く叩く。


 馬は軽いいななきと共にゆっくりと走り出し、建物を抜けるのに合わせてジョジョにスピードを上げて行く。


 タクミは手綱を繰ると、ヴァシー山へ向けて馬を誘導する。


 スピードに乗った馬車はそのまま一目散に街を飛び出していくのだった。




 ガラナ北東部を流れる川に沿い、タクミは馬車を繰って北上する。


 案内所が言った通り、橋は手入れ不足からか、年季の入った床板が見事にお亡くなりになっていた。


 注意すれば人一人通れる程度には橋の姿をとどめているものの、とても馬車で通れるものではなかった。


 川の源であるヴァシー山が視界に収まるまで、「立派な川だというのに、あそこ以外ろくに橋がかかっていないのだな」と、ベスはどこか悔しげに呟いていた。


 川沿いと言う事で、周辺に集落がないわけではないのだが、漁か洗濯以外で川を利用することはほぼない、橋をかける必要性のない生活基盤が築かれている所ばかりなのだ。


「病気になった時は心許ないですけど、それ以外は困らないそうですよ」


「それは良い事だが、むぅ」


「不測の事態も旅のうちといいますし、却って楽しむくらいでいいんじゃないですか?」


 いつまでも渋い顔のベスに、タクミはそう言って片手で頬を上げる仕草をしてみせる。


 そんなタクミの様に、ベスも口元を綻ばせた。


「やれやれ、お前さんには敵わんな」


 ベスの肩から力が抜けたのを見て、タクミはさっと前方を指差す。


「それじゃ、そろそろ座り直した方がいいですね。もう少ししたら登り口に入りますからね」


「了解だ」


 足を軽く伸ばすようにして、ベスが体勢を楽にし直したのを確認し、タクミは速度を上げた。


 一面の荒野が続く中、ヴァシー山の入り口は木々が生い茂る、文字通り別世界の入り口となっていた。


 川の源流となっているヴァシー山中および麓周辺は非常に土地が肥えており、草木が伸び伸びと自生しているのだ。


「昼下がりも過ぎたとはいえ、これはなかなか」


 ガタガタと荷馬車が揺れる中、ベスは空を仰ぎ、目を細めた。


 木陰が横切るたびに、耳が楽しげに揺れている。


「木があるとないとでもだいぶ違いますからね。でも、これからもっと涼しくなりますよ」


 先ほどまでの陽射しを遮るものが何もなかった荒野に比べて、まだ上り始めたばかりでも生い茂る木々のおかげで気温はぐっと涼しくなる。


 通常の街道に比べればずっと路面の状態は悪いというのにも関わらず、さすがは軍人と言うべきか。ベスは突き上げてくる振動など気にした様子はなく、むしろ過ごしやすい気候にすっかりリラックスした様子である。


 タクミも肩の力を抜き、鳥と草木との奏でを受けながら進んで行く。


 和やかな道中。荒野が遠くなり始めた頃、ついと、ベスが口を開いた。


「タクミ」


「なんですか?」


「お前はルミズイにどんな用があるんだ?」


 あまりにも思い出したついでのようなタイミングに、タクミは苦笑する。


 管区外の仕事をやや強引な手段でもって引き受けたのだ。そしてその事実を彼女は知っている。善意だけ出ない事は見抜かれて当然であり、聞かれはするだろう、と思っていたものの、それも当初だけだ。


 まさか出発してからになるとは。


「気になりますか?」


「多少はな。なに、言いにくいなら構わん。お前が何かよからぬ企みを持っているわけでない事くらいはわかる程度には、人を見る目はあるつもりだからな」


 そうまで言われて、タクミに話さない理由はなかった。そもそも、隠すほどの大した理由ですらないのだ。


「聞いても笑わないでくださいよ」


「悪事を企てていた時は鼻で笑わせてもらう」


 らしい返答に口元を緩めつつ、タクミはそっと「海が見たいんです」と告げる。


 よほど拍子抜けしたのか、何度も瞬きをしながら、ベスは「海?」と首を傾げた。


「海と言うと、海か?」


「船が浮かんだり魚が居たりする海ですね」


「ふむ。出身、というだけではないのだろう?」


「ええ、そうですね」


 タクミは頷く。


 彼の出身は中央東部であり、内陸も内陸。山と川に囲まれ、水に困らない以外は、中央とついていても、政府議会を抱える本当の中央区から見れば十二分に田舎の地方であり、海とは実に無縁な地域だ。


 とは言え、それだけで、機会を得たとしてもやや強引な手段でまで見たいと思う者は少ないだろう。


 少なくとも、タクミの知る相手では該当者は居ない。ベスの指摘はもっともだった。


「ちょっと長い話になりますけど?」


「構うものか。そのくらいの時間は十分にあるだろう」


 タクミは一端ぐるりと周囲を見回す。とりあえずは順調な行程である事を確認したのち「僕、実は昔体が弱かったんですよ」と告げた。


 ベスは心底意外そうに首を傾げた。


「とてもそうは思えん」


「今はもう風邪とも無縁な健康体ですからね。この事話すとよく言われます」


 とにもかくにも、五年前まで、タクミはまさに病弱を絵に描いたような子供だった。


 まともに走ろうとしても同年代の子供達の半分と走れず、常に微熱に悩まされ、走った翌日は決まって高熱を発した程である。


 両親も顔を朧に思い出せるかどうか、と言うくらいの時期に亡くなっており、一番付き合いが長いのは唯一の肉親である姉であり、その次がベッドと枕と言う有様だった。


 その為、ほとんど外を駆け回る事もできず、楽しみと言えば、仕事から戻った姉の土産話だった。


 彼の姉は、学者の卵であった。中央のアカデミーで勉学に励み、古代言語を専攻。卒業後はアカデミー教授の助手として、あちこちの遺跡について回り、合間を縫っては地元へ戻ってきてくれたのだ。


 その時聞かされた、全く知らない世界の数々に憧れ、この目にしたいと渇望するようになるまでにそう時間は掛からなかった。


「特に、海は姉が最後に聞かせてくれたもので。どうしても見て見たいな、と」


「思い出の地、というわけか。いや、何か違うか」


「なるほど。そういう捉え方も有りかも知れないですね」


 言い得て妙だ、とタクミはクスリとこぼす。


 姉との繋がりも今は記憶と、これだけになってしまいました、と言ってタクミは右手の腕輪を撫でる。


 姉が土産としてもってきてくれた腕輪で、今となってはほぼ形見同然だった。


 そこから先は、ご想像通りかな、と彼は告げる。


「陸送ギルドは、理想的な環境だったか」


「ええ、ただ、今回みたいにどうしても経験と地区の縛りが引っかかるときもあるもので」


 陸送ギルドへの所属は、かなり早い時点で考えていた事だが、姉が仕事に出ている間面倒を見てくれた町長家族からは、良い顔はされなかった。


 それでも、賞金稼ぎや探窟家等が寄り集まった《冒険者》になるよりは、という事で渋々は了承された。


 おかげで、姉からよく聞かされた火を吹く山や、話す壁、沼鯨、谷穴部族などなど、多くのものは実際に目にする機会に恵まれることとなったが、ギルドのシステム上から、どうしても移動できる範囲に限界が出てきてしまい、海を観る機会はとんと恵まれなかった。


 その矢先、ベスに出会った結果が、今に繋がっているのである。


「そんなわけで、ベスさんにはちょっと申し訳ないですね。僕の都合もかなり押し付けてしまってますから」


「気にするな。むしろそういう理由があった方がこちらも気兼ねが減ると言うものだ。お互いに益があるならば、何の不都合もあるまい」


 ベスのさっぱりした答えは、駆け抜けていく涼しげな山の空気同様に気持ちがいい。


 彼女のような相手と旅が出来るというのは本当に運が良い。


 旅は道連れ、袖振り合うも縁、と言う言葉がタクミの済んでいた地域にはあったが、これもそうした縁だろう。


 などと感慨にふけりそうになった矢先、ベスが山林の方へと顔を向け、すっと目を細めた。


 ベスのまとう空気がわずかに変わったのを感じ、タクミも同様にそちらへと気を向ける。


「この辺は、野生の馬は多いのか?」


「馬は、どうでしょうね。この辺りは野生動物自体が多いですけど」


「ふむ。では、こちらと同程度の速度を継続的に保てる動物に心当たりはあるか」


 なるほど、とタクミは内心頷く。


 言われて気付いたが、何かが、山林の中、視認できない距離で、こちらに並ぶようにして走っているようだ。


 耳を済ませると、僅かにこちらとはずれた足音のような、あるいは草木を切って駆け抜けようとする、そういう音が聞こえてくる。


 いつから付いて来ているのかはわからないが、ベスの言う通り、こちらの馬車に合わせるような速度だ。


「馬、ですかね。ただ、さっきも言いましたけど、野生の馬自体、あまり見かけませんからね」


 他に考えられるのは山羊か鹿だ。


 巨獣の可能性もなくはないが、タクミの得ている情報では、生息域はここより上である。


 餌の少ない冬場ならともかく、こんな夏の陽気で麓近くに降りてくる事は考えにくかった。


 こちらの様子を伺う動物自体は少なくない。今通っているヴァシー山の道も、元々は獣道を拓いた所である。往来自体、タクミのような陸送者達が抜け道で使うか、川の増水などやむを得ない時に使われるくらいであり、今でも野生動物達の方が通っている数で言えば多いのだ。


 見慣れない相手が通っていれば、警戒して様子見にくる動物が居ても不思議ではなかった。


 タクミも暫く注意を払ったが、すぐに馬車の操縦に集中しなおす。


 ベスの耳と鼻を以ってしてもはっきりわからない相手だ。そんな距離でタクミがわかる事など何も無い。


「ふむ。行ったようだな」


「じゃあ、やっぱり馬か鹿の類でしょうね」


 力を抜いて背中を伸ばすベスにそう言いつつも、タクミはこめかみを掻く。


 何か引っかかる、と言うよりはどこか収まりの悪さを感じずにはいられなかったが、ベスにそんな事を言うのも気がひけてしまい、そのまま森を進んで行く。


 山の上部に食い込んできた事を示すように、木々の数は少なく、また低くなっていく。


 異変の予兆、とでも言うのだろうか。ベスがポツリと「タバコか」と呟く。


 タクミは思わず馬車を止めた。


「どうした?」


「タバコ吸いますか?」


「私は吸わないが、吸うなら気にしないでやってくれ」


「いえ、僕も吸わないですけど」


 ベスが不思議そうに首を傾げたので、タクミは「今、タバコって」と伝えると、彼女はああ、と頷いて手を打った。


「焦げた匂いがしたのでな。山火事では困ると思ったのだが、タバコの匂いだったようだ。誰かが捨てたのだろう」


 普通であれば何気ない言葉だったが、その瞬間、ストン、とタクミの中で、先ほどから感じていた収まりの悪さが落ち着く。


 手綱をベスに預けながら「どこですか?」と尋ねる。


 彼女はすぐ後ろの茂みの辺りを指差した。


「おい、どうかしたのか?」


「それは、これから確かめます」


 馬車を降り、示された茂みの中ヘと分け入っていく。


 そこまでいけば、さすがのタクミでもすぐに気付くくらい、匂いが立ち上っており、目的のものをすぐに確保する事に成功する。


 くしゃりと折れ曲がった、紙巻タバコが一本、もくもくと先端からは煙が上がり続けていた。すぐ側にあった太い根に手を当てると、そちらも木々の温もりとはまったく違う、熱を帯びている。


(それで、馬が二頭か)


 さらに奥へと踏み入った所で、足跡を発見する。紛れも無い蹄の跡が、二頭分。タクミ達と同じ進行方向に向かって進んでいる。


 厄介、とまでは行かないが、やはり億劫だな、と思いつつ、素早く取って返す。


 手綱をこちらに渡しながら、ベスが「どうだった?」と尋ねて来る。


 タクミは「馬でしたね」と返答にはならない答えを返すしかなかった。


 本当であれば、もう少し少々面倒事がある事を伝えたい所ではあったが、杞憂で終わるに越した事はない。


 少しばかり、様子を伺うため、タクミは馬車の速度をゆるやかに進む。


 不意に、ベスが彼の肩を軽く叩いた。


「心配するな」


「え?」


「猛獣の一匹や二匹なら何とかしてみせる」


 そういわれて、余程自分が難しい、と言うよりは先を思いやる渋い顔をしていたのだとタクミは自覚する。


 大きく息を吐き、肩の力を抜くと、ベスが首を縦にふった。


「すみません。やっぱり、人を運ぶのは初めてなので、緊張しますね」


「なに、それで構わん。いや、それが普通だろう。私は荷物かもしれんが、同時に軍人なのだ。必要があればいくらでも頼ってくれ」


「そうさせてもらいます――と言いたいところですけど、そこを頼らないくらいにはしたいですね。運び屋を名乗ってる身としては」


「結構結構。その意気は大切にな」


 一抹の不安、というよりは半ば確信めいたものを押し殺し、タクミは口元に笑みを湛え直すと、馬車のスピードを上げた。


 こちらをベスがチラチラと伺い続けてくる以上、完全には隠しきれていないのはわかっていたが、どうしようもない。タクミは可能な限り、平静に構え、前を見据え続ける。


 視界がかなり開け始め、山林の終わりを肌でも感じ始めた矢先、ベスの耳がピンと張り詰め、正面を向く。


 彼女が声をかけるよりも先に、タクミも視界に人影を捉えると「すみません、ここは僕に任せてください」と告げた。


「しかし、あれは」


「お願いします」


 タクミはやや強く、立てた指を口に当てて静かにしていてもらうよう念を押す。


 ベスはむぅ、と呟きながらも引き下がったが、彼女が口ごもるのはもっともなのはタクミも理解していた。


 遠めだが、しっかりとわかる。


 馬車の行く先に現われた人影は二つ。内一人は明確に、こちらに銃口を向けている。


 この距離で撃ってこない、威嚇もない。話は出来そうだ、と確信し、タクミは少しずつ速度を落とし、待ち構えていた二人の手前にピタリと馬車を止めた。


「おう、いい子だ」


 銃を構えていない方の痩せぎすの男がぐるりと回りこむようにしてそう告げる。


 タクミも人の事を言えた義理ではないが、ダスターコートにシャツ、ブーツにハットと、この荒野ではありふれた、お互いに似たような格好をしているが、かなり年季が入った、というよりも薄汚れており、見るからにならず者といった所である。


 口答えは許さないとばかりに、ライフルを構える腹の出た相方と合わせてギラギラした目がタクミとベスを捉えて放さない。


 タクミは帽子を取り、手を挙げる。


「ご用件は?」


「へ、ガキでも運び屋ならわかってるんじゃねえのかい?」


 成人はしてるんだけどな、と内心ぼやくが、相手はタクミよりもはるかに年上だ。ガキと呼ばれるのも無理はないか、と気を取り直し、すぐに荷台から熊除けの袋を取り出す。


 相手の狙いは明白。それだけに、準備は万端だ。


「これでいいですか?」


「ふん」


 鼻をならし、無精ひげを掻きながら男は袋をひったくろうとした所で、タクミはすっと手を引く。


「テメェ」


「すみません、一応確認しておきますが、ガウニ一家の方でお間違いないですよね?」


「この界隈で他の連中がハバ利かせてるってのか? それとも、死にてえのか?」


 ギロリと睨みつけてくる相手に「失礼しました」と頭を下げ、詫び代わりに別途小袋をつけ添えて渡す。


 相手が中を確認している隙をついて、ベスが耳打ちしてくる。


「タクミ、熊除けとはまさか――」


「見ての通り、関所用ですよ。彼らの頭、ガウニ=ミーシカはギルドから大熊の別名で呼ばれています」


「なるほど、まったく、なんて事だ」


 案の定、やりきれないとばかりにベスは首を横に振る。


 だが、タクミが念を押した事もあってか、難しい顔をして押し黙っていた。


 やがて、男は顔を上げ、下品な笑みを浮かべながら、立てた指を左右に振った。


「足りねえな」


「はい?」


「悪いが、今はこれじゃ通せねえな」


 また面倒なことを、と思わず額にあてそうになった手を引っ込める。


「ギルドは把握してませんよ」


「ゴチャゴチャいうんじゃねぇ!」


 相方がライフルを突きつけるように吠えたのを、男はいさめるようにして、銃口を僅かに下げさせる。


「こっちも命をとろうってんじゃない。足りないモンはしょうがねえからな。だからと言って、タダじゃとおせねぇ。な?」


 そう言って男は荷台を指し示す。タクミは肩を落とし、幌に手をかける。


 男は馬車の中をあれこれと物色するが、すぐに地面をパンパンと足で叩き出す。


 今回はベスをルミズイに連れて行く以外、タクミも用事を抱えていない。金目のものなどないのだ。


「くそ、なんだこりゃ」


「申し訳ないですね。今回は人一人運ぶだけなもので」


 男はぼりぼりと頭を引っかき、忌々しげにベスに目を向ける。


 そしてすぐにはたと告げる。


「カバンを開けろ」


「何だと?」


 ベスがギロリと男を睨む。


 痩せぎすは、うっと一瞬あとじさるが、相方がライフルを構えているのを思い出したのか、すぐに気を持ち直し「大人しくいう事を聞いた方が身のためだぜ」と告げた。


「貴さ――」


「困りますよ。彼女とカバン、合わせて荷物なので」


 今にも食ってかかりそうなるベスを制するようにタクミは言うが、男も引き下がらない。


 嘗め回すようにベスを上から下までねめつける。


「見た所結構な上玉じゃねえか。育ちも良さそうだしな。服の一枚や二枚、良いもの持ってるんじゃねえのか? AH用でもモノさえよけりゃ、え、通してやるには十分な足しになるぜ」


「断る」


 ベスは即答し、素早く伸ばされた相手の手をはたく。タクミは思わず「うわぁ」と漏らしてしまった。


 痩せぎす男の眉がピクピクと震える。


「おいガキ、荷物の管理が随分じゃねぇか」


「申し訳ない限りですね」


 タクミは小さく諸手を挙げる。


 男はペッと唾を吐き、改めてベスを睨みつける。


「荷物なら荷物らしくしてやがれ!」


 言うが早いか、痩せぎす男はひったくるようにカバンを掴み取ろうとする。


 ベスの髪が僅かに逆立つ。


 まずい、とタクミが腰を上げた瞬間、カバンだけを座席に残し、彼女の姿は消えた。


 ぐえ、っと蛙のような声をあげて痩せぎす男が倒れこみ、ベスが地面に降り立つ。


 飛び出しざまに男を蹴り飛ばした、とタクミが理解するのと、銃声が轟くのはほぼ同時だった。


「へ、へへへ。言う事聞いてりゃ命までは無くさずにすんだってのによ」


 渇いた笑いを溢しながら、体を起こした痩せぎすはしかし、目を見開いた。


「そうだな。貴様は言う事を聞くべきだった」


「なぁ、あっ?」


 ベスはしっかりと立ち、素早く早く腰から抜いた拳銃をつきつけ、男を見下ろしていた


 声をあげたライフルの銃口はベスではなく天へ向けて硝煙を吐き出しており、相方はオロオロと兄貴分である痩せぎすへ助けを求めている。


 タクミは、今にも頭を抱えてぶっ倒れそうな気持ちの襲撃をなんとか受け止めて馬車を降りる。


「ベスさん」


「タクミ、私は確かに荷物だが、その前に軍人だ。やはりこの無法、見過ご――」


 そのまま、彼は力一杯、ベスの顔面に平手を叩き込む。


 パァンと景気よく音が響きわたった。


 呆気に取られたのは痩せぎすの男とその相棒だ。


 タクミはその隙にライフルを引ったくり、はっとなった出っ腹の太ももへ勢いよく銃身を叩きつける。


「ぎゃっ!?」


 悲鳴と共にうずくまる相手の顔面にさらに銃身を振り抜く。出っ腹の顔から鼻血と歯が数本、弧を描いて舞った。


「テメ――あがっ!」


 相棒がやられたため、立ち上がろうとした痩せぎすの男の手に銃底を振り下ろした。


 もんどりうつ男を横目に、ライフルを放り投げ、ベスに向き直ると「乗ってください、早くっ」と語気を強める。


 叩かれたショックか、はたまた問答無用で男二人をノした事かは不明だが、虚を突かれたようになっていたベスはしかし、タクミの言葉にいち早く行動を起こす。


 座席へと飛び乗ったベスの後を追い、タクミも素早く荷馬車へ飛び乗り、手綱を繰る。


 馬は大きく嘶き、前足を振り上げた。


「これはお詫びですよ!」


 タクミは懐から賞金の小切手を取り出し、痩せぎす目掛けて放る。


 馬は勢いよく、それこそ暴走でも始めたかのように駆け出し、男達を置いてけぼりにして行く。


 やっとの事で立ち上がり、小切手を掴む痩せぎすに背を向け、タクミは力一杯馬を走らせる。


 このまま手打ちになるか、しかしあの二人がここで張っていたとなるとどうだ。


 今の結果への予想がグルグルと頭を回る中、背後の様子へ気を配り続けたベスが早口に尋ねて来る。


「タクミ、今の小切手はなんだっ」


「野獣捕獲の賞金ですよ」


「なぜそんな事をした。そうでなくても奴らに金は渡しているのだぞ」


「他になかったからですよっ。あれで済むなら安いものです!」


 もともと、偶然で手に入れたようなお金である。手放す事自体にそれほどの惜しさはなかった。


 それよりも問題は、この後である。


「ベスさん、どうして仕掛けたんですかっ」


「何?」


「はっきり言います。無用な行為でしたよ」


 思考が渦を巻いているせいで、自然とタクミの口調も荒くなる。


「バカな! 奴等のような無法な連中をのさばらせておいて良いと言うのか!?」


「そりゃ良い訳ないですが、それを通すべき時だったかどうか、よく考えてください」


「それは――」


「っ!」


 反論しようとしたベスの機先を制して、タクミは彼女の体を強く押す。大きく仰け反ったベスの体を掠めて銃弾が通り抜けていく。


「話は後ですね!」


 振り向けば、馬が二頭、後方から猛烈にタクミ達の後を追ってきている。


 手繰る相手は、よく確認するまでもない。先ほどの二人だ。


 やはり見逃してはもらえなかったか、と奥歯を噛み締めながら、タクミは右へ左へと馬を繰り、後方から飛んでくる銃弾をかわして走らせ続ける。


 幸い、まだ距離はある。相手の持っていたライフルの有効距離と、あれだけ激しく走らせている馬上からの射撃と考えれば、当たる心配は少ないが、それも今のうちだけだ。


 こちらは馬車で向こうは馬単独である。


 今は最初に稼いだ距離があれど、追いつかれるのは時間の問題だ。


「タクミ、速度を落としてくれないか」


「はいっ!?」


 体勢を低く、後ろの様子を伺っていたベスの申し出にタクミは目を見開く。


「奴らが今の速度を維持している限りこちらにはまず当たらん。一気に速度を落として距離に入れば、私が先に仕留められる」


「いいですか、絶対に撃たないでください!」


 タクミはこれでもか、と強く告げる。


 ベスは本気だ。そしてタクミが速度を落とせば、有言実行するだろう。


 しかし、それは、それだけはなんとしても避けなければならない。


 もしベスの言う通りに事を運ばせれば、それはもう取り返しが付かない。


 だが、とタクミはちらりと振り返る。瞬間、馬車に銃弾が命中する。


 こちらがスピードを落とさなくても向こうは自然と近づいてくる。


 そして、ベスは既に銃を手にしている。


「タクミ、運んでもらつている手前だが、ここは私の言う事を聞いてくれ! 手を打たなければ死ぬぞ!」


 ベスの言う通りだが、ベスの言う通りには出来ない。


 タクミは決断を下す。


「ベスさん、放さないでください。それ以外は絶対に何もしないでください」


「なに、おっと、なにっ!?」


 タクミはさっと手綱をベスに渡す。


 ベスは突然のことに面食らい、慌てて手綱を握る。馬は不安そうに身を震わせた。


「すぐ終わるよ」と告げて、タクミは馬車の上にすくっと立ち、腕輪を掴み、軽く捻る。


 フィーンと言う甲高い音と共に、腕輪が三段に開き、上下二段が回転を始めると、隙間から青白い光がこぼれ出す。


 タクミの呼吸に合わせるようにして、煌めきは安定した、淡い光へと変化する。


「タクミ、何をしている! 早く伏せ――」


 追跡者へと振り返るのと、ベスが言葉を失うのはほぼ同時であった。


 タクミの鼻先、相手にしてみれば馬車の上に立つという、この上ない標的目掛けて放たれたライフルの弾丸は、まるで時間に取り残されたが如く、その場に静止していた。


「これはっ、こちらも!?」


 状況に気付いたのか、体を低く、言われた通り手綱を握っていたベスがキョロキョロと辺りを見回した。


 静止していたのは、タクミ目掛けて放たれた弾丸だけではない。


 追跡する二人が放った弾丸、馬車にも命中するはずであった弾と言う弾全てが、当たる寸前、何かに阻まれたように宙に浮いたまま停止していた。


 右手を振ると、弾丸は動きに合わせてスライドし、落下する。


 タクミはそのまま追跡者に向けて右手を突き出す。


 腕輪上段が新たに展開し六つの突起が飛び出し、中央にグリップが渡される。


 グリップを握り狙いを定めると、タクミは「行け」と頭で命令を下す。


 瞬間、各突起の先端より光の線が迸り、一点に収束。形成された光の球が、追跡者目掛けて放たれた。


 光の球は吸い込まれるようにして、ライフルを持っていた出っ腹に命中する。


「ギャッ!」と言う声と共に、仰け反り、馬から転げ落ちる。


 続けて一発。新たに放たれた光の球が痩せぎすへと向かう。


 男は素早く馬を操り回避行動を行うが、糸で惹かれるように、光の球は相手を追いかけ的中する。


「ウゴッ!」


 体を震わせ、痩せぎすの男もまた、馬から転げ落ちる。


 自由となった二頭の馬は、突然の解放に、明後日の方向へ散り散りに走り去った。


 タクミは額に手をやり、後方へ目を凝らす。呻きながらもなんとか体を動かす二人の姿を確認する。


 加減はした。よほど運が悪くない限り、死にはしないだろう。


「ありがとうございました。済みました」


「んあ、あ、ああ」


 手綱を受け取るタクミに、ベスが困惑の眼差しを向けたまま、何かいいたげに口をもごもごとさせる。


「奴らは?」


「生きてます。死なせたら、それこそただじゃ済まなかったでしょうね」


「そうか――タクミ」


「なんでしょう?」


「お前は、継承者だったのか」


 ベスの本題、その問い掛けにタクミは僅かに目を逸らし、ふっと肩を落として微笑む。


「少し、休憩にしましょうか」




 百年前程に起きたとされている大崩壊により、およそ文明と呼べるものは大地から消えた。


 人々の記憶も含めて、すべてが崩れ去ってしまったため、崩壊の原因は愚か、そもそもそれまでどうやって自分達が生活していたのかすら、一から探りなおさねばならない有様だった。


 それから何年、何十年。僅かに残された大崩壊以前の文明の痕跡を頼りに、ようやく今と変わらぬ所まで生活の基盤が回復した折、現代では解明できない古代文明の遺産たる超技術を操れる者達の存在が認知され始める。


 何故その者たちだけが操れるのか、その原因は未だわからず、古代文明の研究者達は半ば匙を投げる形で、また市井の人々はある種の畏敬を込めて、古代文明の技術を受け継いだ継承者と呼ぶようになった。


 先ほど追跡者を振り切る役目を果たした腕輪は古代文明の遺産で間違いなく、それを扱うタクミは紛れも無い継承者。


 少なくとも、ベスはそう結論付けたようで、タクミもまたそれに反論する必然性はなかった。


 パルヴァ高原へと入った所で、川べりにて馬を休ませながら、タクミは馬車の荷台に横になりベスの話に耳を傾けていた。


「タクミ、聞いているのか」


「ええ、聞いてます」


 腕輪の力を使うといつもこう、必要以上に疲れる。


 とは言え、本当なら寝転がり、腕を顔に乗せる必要まではなかったのだが、そうでもしなければベスが腰を落ち着けそうになかったので、タクミはやや大げさな態度に出る事にしたのだ。


「ベスさんが言う通り、僕は多分、継承者に分類される人間なんでしょうね」


「まさか今の今まで自覚がなかった、とは言わせんぞ」


「それは、まあ」


 だが、タクミにしてみても腕輪が遺物であった事に気付いてからまだ二年ほどしか経っていない。


 それまではただ純粋に姉の形見だったのだ。


「新人狙いの荷馬車強盗に遭いましてね。その時に初めて、ですよ」


「届出は、してないな」


「それこそ、できない相談ですね」


 タクミはゆっくりと体を起こし、そっと腕輪を抱く。


 継承者となった者は国に届け出る事を義務付けられているが、身柄が国の管理下、最低でも監視下に置かれる事となるのは目に見えており、それを嫌って実際に届出が行われたのは、国が最初から把握していた数人だけと言うのが実情だ。


 タクミも、自身の行動が制限をかけられるだけでなく、下手をすれば没収される可能性もあるため、届け出る事はなく済ませてきたのだ。


「身柄確保しますか?」


「本来はそうすべきなのだろうが、お前は恩人だ。そして私にも目的がある以上、そちらを優先させてもらう」


 ベスは悩ましげに額に手を当てつつもそう告げる。


 タクミはピンと指を立てた。


「それなら次こそは、僕に任せてもらいたいものですね」


「うぐっ――いや、しかしだな」


「こればっかりは、しかしもかかしもありません」


 ぴしゃりと言うと、ベスはバツが悪そうに黙り込む。


 そして小さく「すまなかった」と告げた。


「とはいっても、僕ももう少し注意するべきでしたね。あの程度の手合いがうろついているとは思っていなかったので」


 タクミが自省の念を伝えると、ベスはなにかひっかかったのか、わずかに首をかしげる。


 それからベスはキョロキョロと周囲を見回し、口に手を当てて考え込んでしまう。


 タクミは、そんな彼女に「大丈夫ですよ」と告げる。


「少なくとも、今日はもう追われる心配はありません」


「なんだと?」


「向こうは僕が、継承者だと知りましたから、まずこのまま何の用意もせずに仕掛けてくる事は考えにくいです。それに、あれだけ派手に銃撃しましたから、山中に騒ぎは広まりました。大熊ガウニの耳にも届いたはずですし、尚更ですね」


 そう告げると、彼女はますます怪訝そうに眉をひそめる。


 鞄をかばうように背中にベスは手をやった。


「タクミ」


「はい?」


「お前は、相手を熟知しているようだな」


「ええ、ベスさんよりは。とはいえ、面識はありません。あくまでも、手持ちの情報での分析です」


 目を細め、僅かに毛を逆立たせるベスに、タクミはさっと背を向けると、すっかり寛いでいた相棒を連れ戻し、馬車へ繋ぐ。


「その辺は、ご納得いただけるよう、追々説明しますよ」


 そう言って、いつも通りの笑みを浮かべ、ポンポンと座席の隣を叩く。


 急ぐ必要はない、と言う確信がある反面、このような状況である。距離を稼いでおくには越した事はないのだ。


 まるで調子を変えないタクミに、ベスは毒気を抜かれたのか、ふっと肩を落とすと鞄を荷台に乗せなおし、軽快に座席へ飛び乗った。


 タクミはすっとベスに、先ほど馬を連れ戻す前に川でぬらしたハンカチを差し出す。


「これは?」


「すみません。叩いてしまって」


「ん、ああ、そうか。気にするな。私の落ち度だ。それに、あの時相手の虚を突くにはあれが一番だったからな」


「半分は本気でしたよ」


「そうか、ふふ。ならば次は改めよう」


「次はない事を祈ってますよ」


 どこか心地よさそうにハンカチを頬に当てるベスにタクミは苦笑し、馬車を走らせる。


 今日中にリカー森林、その手前には辿り着きたい。恐らく、そこが分かれ目だろう、と思案しながら。




「ふげぇ!?」


 タクミを追いかけていた、痩せぎすの男が今日三度目の尻餅をついて地面へ崩れ落ちる。


 その隣では、起き上がる気力もなくなったのか地面へ突っ伏したまま動かない出っ腹がいた。


 十数名の二人と同じような格好をしながら、しかし二人よりはよほどしゃんとした荒くれ者達が彼らを見下ろす。


 そしてその奥。ギラギラとした瞳で、周りの男達が子供のようみえてしまう巨漢の男が、二人をじっと睨みつけていた。


「す、すまねぇ!こんな、こんなはずじゃっ」


「謝るだけなら誰でも出来る。騒ぎの詳細を話せ、詳細を。お前にしかできない事だろう」


 顔を隠しながら何度も何度も謝る痩せぎすに対し、巨漢の男、その左に腕組みをして立つ荒くれ者の中でもとりたてて整った、それこそおろし立てのようなコートを纏い、髪を撫で付けた男が落ち着いた声で促す。


 ガウニ一家の若頭ガフ=コートニーである。声音こそ冷静だが、とんとん、と組んだ腕の先で指を叩き続ける姿でその内心は一目瞭然だった。


「ば、荷馬車から通行料を取る、それだけのはずだったんだ。だってのに、まさか相手が継承者だなんて、お、思わなかったんだよ」


「で、返り討ちにあってまんまと逃げられました。そう言いたいのか?」


「そ、そうなんだ。すまねぇ、本当にすまねぇ! 顔に泥塗るような真似しちまった!」


 地面に額をこすりつける痩せぎすに、ガフはふぅ、と大きな溜め息をついた。


 「お前」と彼が言いかけた矢先、その体を影が覆う。


 彼の隣に座っていた巨漢、ガウニ一家の頭首ガウニ=ミーシカがおもむろに立ち上がったのだ。


 座っていてもよくわかる巨体は、立ち上がった事でさらに堂々たるものである事が示された。


 ガフですら、決して背が低いわけではない。建物に入る際は頭上に気をつけなければならない程度には、同世代でも高い部類に入る。


 だが、ガウニ=ミーシカはさらにその頭一つ高い所に、ヒゲを蓄えた丸い顔を置いていた。丸太としか表現しようのない腕と足をゆったりと動かし、彼は痩せぎすへと歩み寄る。


 ガフは首を大きく横に振り、痩せぎすから目を逸らした。


「顔を上げろ」


「へ、へは、ぼげっ!?」


 命じられるまま顔を上げた痩せぎすが途端に蛙のような声をあげて吹き飛んだ。二回、三回と地面を跳ねて転がる痩せぎすには目もくれず、彼は血に染まった己の手の甲を見つめ、さっと手を横に伸ばす。


 すかさず、近くにいた部下がタオルでもってその血を拭った。


「おい、ガフよ」


「はい」


「ちょいと教育が甘いんじゃねぇか?」


「申し訳ありません。よくよく言って聞かせたはずですが、徹底させられなかったのは自分の責任です」


 背筋を正して頭を下げるガフを背に、ガウニはズシンと響く強い足取りで痩せぎすへ近づき、髪を掴んで引き起こす。


 鼻血と涙で顔面を濡らした痩せぎすは、折れて隙間の出来た歯をガチガチと鳴らし、命だけは、と懇願するように彼を見やる。


「思い出したか?」


「は、はい? ぶげっ!?」


 聞き返してきた痩せぎすを、ガウニは地面へ叩きつける。


「お前が、ええ、真っ先に俺に言うべき事があるだろうがっ」


 二回、三回、痩せぎすの腕がピクピクと痙攣を始めた所で、ガウニは再び問う。


「思い出したか?」


「ひ、ひ、す、すみません」


「そうかい」


 今一度、痩せぎすを地面にキスさせると、彼は手を放す。


 側に居た男が二人、痩せぎすの腕を取って強引に引き起こす。


 ガウニと入れ替わるようにガフが歩み寄り、おもむろに痩せぎすの手を掴む。


 ガウニはドシン、と先ほどまで腰を下ろしていた岩に座り直し、ガフに向けて頷いた。


「ひ、まっ、待ってくれ!」


「二本だ」


 ガフは痩せぎす男の小指と薬指を握ると手の甲へ向けて一気に押し倒す。


「がああああああっ!?」


 痩せぎすは悲鳴を上げて体を揺らすが、がっちりと体を押さえられており、のたうつことすらままならない。


 そんな様子を、ガウニを始めとした全員が、眉一つ動かさず眺めている。


 出っ腹は恐怖に身を震わせているが、こちらも当然、どうにもならない。


 痩せぎすが息も絶え絶えながら、落ち着くのを待ち、ガウニが口を開く。


「わからねえようだから、今一度説明してやる。お前が塗った泥は二つ。一つはお前が言う通り。もう一つは、無許可で通行料を徴収した事だ」


「そ、それは、稼ぎが――ぶっ」


 反論しようとした痩せぎすの口を、ガフが押さえつける。


「私は再三に渡って告げたはずだが、聞こえてなかったようだから、今一度言っておこう。この時期の通行料徴収は親父の許可なく行うな。これは、掟だ」


 ガウニはふぅ、と鼻を鳴らして肩を落とす。


 ガフが言う通り、一家全員には春から秋の中ごろまではこのバシー山の通行料の徴収は原則禁止にしている。理由は大きく三つ。


 一つは、自分達がギャングである事。バシー山は客馬車の通り道にこそなっていないとは言え、相応の数が通る。通行料をすべての通過者から徴収となると、当局に睨まれやすくなってしまう。


 二つ目は、利用者が相当数居る事である。ここから公平に徴収するとなると手間がかかり、頭数が必要になる。また徴収の結果、物流が遅延するような事になれば、これまた当局に睨まれやすくなる。くわえて、それまで大人しく払ってくれていた運び屋達との衝突も想定しなければならない。金を入手するには手っ取り早いが、その分金額も知れている。それに対して膨れるリスクでは割に合わないのである。もちろん、冬は雪かきなど、自分達も利用するルートの整備を行う代わりに通行料は徴収するが。


 そして三つ目は、この時期は山狩りを優先する掟だからである。春から秋はそもそも巨獣を始めとした野生動物達の活動が活発になる時期で、ルートの安全はもちろん、本拠をバシー山に構える一家の山中での活動をしやすくする為にも、山狩りをやらないわけには行かないのだ。


 この山狩りは副産物として、麓を始めとした近隣の町村の田畑を荒らす害獣狩りとしての効果もあり、その賞金はかなり割がいいのだ。害獣狩りにより、周辺に恩を売れて金も手に入るのみならず、自分達一家が周辺自治体に対して有用なのだ、と見せ付ける事にもなり、当局の睨みをある程度緩和させる材料にも出来るのだ。


 だが、目の前の痩せぎすはそうした話をガフ経緯で言って聞かせたはずにも関わらず、掟を破ったのだ。


 しかも、と彼は拳を握る。ガチャガチャ、と手の中で硬貨が音を立てた。


「金額は足りてるようだな」


「何ですって?」


 男の口を掴んだまま、ガフが眉をひそめて振り返る。


 ガウニは硬貨を袋に戻し、彼の足元目掛けて放り投げる。


 拾い上げたガフは中身を確認する。


「確かに、一〇〇〇メリゴありますね。硬貨も本物です」


 血塗れの痩せぎすの顔がより一層青くなっていく。


 ガウニはガリガリと頭をかきながら、ガフへ顎で先を促すよう指示を出す。


「通行料が支払われてるのに、どうしてお前は返り討ちにあったんだ」


「いや、そいつは――」


「徴収だけであきたらず、無許可の割増とは、随分舐めた事してくれるじゃねぇか」


「ちょろまかそうとしたんじゃねぇっ、ちゃんと収めあああっ!」


 痩せぎすの中指が明後日の方を向いた。ガフは暴れまわる痩せぎすを尻目に、袋をガウニの元へ戻す。


 彼は改めて腰を上げた。


「掟破りのしのぎをしておいて、収めるもへったくれもあるか。その頭すらねぇとはな。ガフよ」


「は」


「お前の教育以前の問題だな、コイツは。さっきの発言は取り下げる」


「滅相も無い。それでも、教育するのが私の役目です」


 頭を下げるガフを一瞥し、ガウニは痩せぎすへと歩み寄り、ポンポンとその頬を叩く。


「だが、さすがに学んだ。そうだろう?」


「ひ、ひ、は、はい」


「その言葉、忘れるなよ。次はねえ。それと、暫く手前は四割収めろ。いいな」


 コクコクと無言で何度も首を縦に振る痩せぎすにガウニは大きく溜め息をつき、左右の手下に「放してやれ」と告げる。


 自由にされた痩せぎすは、安堵の表情でその場に倒れ伏す。


 手を庇いながら起き上がった痩せぎすの顔はしかし、降ってきた声と共に、さっと青ざめる。


「おい、何か落としたぞ」


「いっ!?」


 男が取って返すよりも早く、ガウニはそれを拾い上げる。


 一枚の紙切れだが、傍目にも文字が書いてあるのが見て取れる。彼はおもむろに折られたそれを開く。


 途端に、その顔へは強く影が差し、場の空気が一瞬で凍り付き指示を待つでもなく、痩せぎすは再び、両腕から抑え付けられた


 ガフが「どうかしましたか?」と問うので、ガウニは手にした紙を彼へ見せる。


「これは――」


「三十万メリゴたぁ、随分な懸賞金だな」


 ガウニは、がしっと痩せぎすの顎を掴む。


「説明してもらおうか?」


「ひ、ひぃっ」


 痩せぎすはもはや歯の根が合わないのか、言葉が出てこない。


 ガウニはじっとその様を見つめ続ける。


 大方、これがどういう類のものなのかは、彼には想像が出来ていた。


 問題は、理由だ。


 しかし、痩せぎすは言葉にならないかすれた呻きをあげて目をあちらこちらへやり続ける。


「わ、詫びだって言ってました」


「んなっ!?」


 まったく別の方向からの返事に、痩せぎすは目を見開く。


 倒れこんでいた出っ腹が、アザだらけの顔で、痩せぎすの目を気にしながらも、今一度ガウニに向けて告げる。


「わ、詫びだっていって、置いていきました」


「ほう」


 それで十分だった。大方を察したガウニは出っ腹へ寄ると、その頬を叩く。


「お前、相手を見たな」


「は、はい」


「お前は素直なヤツだ。そうだな?」


「え、ええ」


「結構結構」


 ひきつった笑みを浮かべる出っ腹に鷹揚に頷き、ガウニはガフを呼ぶ。


「話を聞いておけ。全部、余さずに、な」


「はい」


 ガウニはすっと立ち上がり、今にも泡を吹いて気を失いそうな痩せぎすを見下ろす。


 二度、三度、彼は己の頬をさすり、痩せぎすを押さえつける男達に静かに告げる。


「裂け」


「はっ」


 男達は表情一つ変えずに頷き、痩せぎすを引き摺り起こす。


 途端に、痩せぎすは身をよじり、足をばたつかせ、先ほどまでの弱弱しさはどこへやら。力一杯暴れまわる。「い、いやだっいやだっ!車裂きは、それだけは、許してくれ!おね、お願いします、どうか、情けを」


「連れて行け。それと、馬は止めろ。負担がかかる」


「わかりました」


「おらっ、きやがれ!」


 懇願する痩せぎすを意に介さず、淡々とガウニは男達に命ずる。


 男達は暴れる痩せぎすを殴り、蹴りながら木々の中ヘと姿を消していった。


 その様子を見送り、大きく肩を落とすガウニの耳元へガフの声が届く。


「親父、終わりました」


「そうか」


「どうします?」


「あんなヤツだが、俺の部下だ。このまま見逃すわけにはいかねぇな」


「了解です」


 聞くが早いか、ガフは踵を返し、集まったガウニの部下達へ早速指示を飛ばす。


 ガチャガチャと、各人が動き出す気配を背に感じながら、ガウニ=ミーシカはタバコに火をつけ、空を見上げる。


「まったく、継承者相手たぁ、面倒な話だ」


 その呟きは、林の中から届いた断末魔にそっとかき消されていったのだった。




 少しずつ日が傾き始めた中、馬車を走らせるタクミの横で、ガウニ一家に関する情報を聞いていたベスは何度も頷いた。


「ふむ。そのガウニと言う男、非道と言うわけではない事はよく理解できた」


「僕も半分以上は聞きかじった話にはなりますけど、ある一定の決まりに基づいて活動している事は確かです。そして、先ほどの二人はそれを破った」


「掟破りの制裁が優先、と言うわけだな」


 その通り、とタクミは指を立てる。


 もっとも、その先については期待も多分に含まれているが、それはベスにはあえて言わず、顔にも出さなかった。


 通行料にくわえて、賞金もまるまる置いてきた。相手の不義理が先であるため、手打ちとなる可能性は高いが、反面、曲りなりにも一家の相手を打ち倒してしまっている。傷ついた面子と不義理をどう天秤にかけるのか。


 こればかりは、当人にしか判らない。


 だが、仮に改めてこちらを追ってくるにせよ、今日仕掛けてくる可能性は限りなく低い、とタクミは確信していた。


 制裁に時間が割かれており、それにより恐らくこちらが継承者だという事は向こうも把握しているはず。ならば、何かしら手を考えてくるはずである。少なくとも、少ない情報で頭っから突っ込んでくる事は考えにくい。


 何より、もう暫くすれば日が暮れる。その中で追撃してくるような、苛烈且つ猪突な性格でない事は、ガウニ=ミーシカが今尚、お縄にならずにいる事が証明していた。


「なので、のんびりとまでは行きませんが、もう少し肩の力を抜いてもらってもいいかと」


「すまんな、こればかりは性分だ。それに、万一という事もある」


 ベスはしっかりと鞄を抱く手に力を込めた。


 やはり、気になる、とタクミは思う。


 鞄の中身は一体なんなのか。


 最初に出会った時からやけにこだわっていたし、先の時もそうだ。


 ただ振り払うだけならまだしも、完全な実力行使に出た。元々おかんむりであった事を差し引いても、明らかに鞄の中をみせたくない、と言うよりも鞄を他人に触らせたくないようだった。 


 それだけに、気になってしまうが、聞いた所で答えがあるかどうか怪しいものである。


 そんなタクミの視線に気付いたのか、ベスはふっと微笑み、ポンポンと鞄を叩いた。


「気になるか?」


「率直に言えば、とても」


「素直でよろしい。ふむ」


 ベスはわずかに考え込み「話して置いた方がいいのだろうな」と呟く。


 タクミは慌てて、片手を上げて制した。


「いえ、無理にとは言いません。あと、聞いたら最後、みたいな場合も遠慮しておきます」


 ベスはそんなタクミの様子に、頬を緩ませる。


「ふふ、面白い反応だが、心配無用だ。お前はちゃんとした運び屋だ。そうだろう?」


「そのつもりです」


「ならば、問題はない。それに、言うだけなら簡単な話さ」


 ベスはそう告げながら、進む先を、遠くを見据えたかと思うと、日が傾く空を見上げる。


「ここにはな、虹の魔法が入っているんだ」


「――ええっと?」


 予想だにしない内容に、タクミは目を白黒させ、鞄とベスを交互に見返す。


 はぐらかしの嘘、ではないと言うのは理解していたが、それだけに彼女の口から出るには不釣合いすぎた。


 そんなタクミを見たベスは、口元に手をあててふふっ、と笑う。


「もちろん、文字通りの魔法ではないぞ。妹がな、前に中身の事をそう言っていたのさ」


「なるほど」と返事をしたはいいものの、結局中身についてまったくわからない事は変わらない。


 すっきりしない顔を続けていると、ベスは肩をすくめて見せた。


「まったく、お前を見ていると妹を思い出すな」


「そうですか?」


「ああ。コレの事を初めて聞かされた時と同じ目だ」


 いいながら、ベスはゆっくりと鞄を開けると、中から透明な袋を取り出した。


 ビニールだ、とタクミは驚く。


 紙より強くて軽く、布より柔軟。そして、大崩壊によって作り方が完全に逸失した素材だ。


 もしも完全な状態で手に入るとすれば、早漏れジャックの賞金を全部つぎ込んで一枚手に入るかどうか。


 その中にある紙の包み、恐らくは粉末を包んだであうモノは、どれだけの代物なのか。


 タクミは目を点にして、それを見つめた。


「これは、さっきも言った通り虹をかけるためのものだ」


「虹って、あの空に架かる?」


「ああ。もっと正確に言うならば、どんなに晴れた日でも必ず雨を降らせる事が出来る秘薬だ」


「へえ、そうなん――んっ!?」


 あまりにもあっさりと告げられた為、その意味の大きさをタクミは一瞬、取りこぼしかけた。


 馬がわずかに嘶き、タクミはそれを宥めながら、改めてベスの手にした袋に目をやる。


「雨が、降るんですか? こんな晴天でも?」


「うむ」


「確実ですか? こう、たまには失敗するとか」


「さあ、それはわからん。だが、私の知る範囲では降らなかったためしはないな」


 タクミは、感嘆しながら頭を左右に振る。


 とんでもないものを請け負ってしまったという実感が湧いてくる。


 ガラナ支部の受付が聞いたら卒倒間違いなしだ。


「虹の魔法とは言い得て妙ですね」


「妙だったか?」


「いいえ。上手い言い方だって事です」


 本当によく言ったものだ、とタクミは思う。


 雨の後、晴れ間には虹がかかる。


 それがどういう理由なのかは、誰も知らない。かつてはわかっていた事なのかも知れないが、大崩壊を経由した現在、理由を説明できる者はいない。


 中央のアカデミーには説明できる者がいるかも知れないが、ただ「よくそういう事がある」程度の認識が一般的だ。


 どんな状況でも雨を降らせられるという事は、晴れ間に虹をかける事ができるという事でもある。


 少なくとも、タクミの生きる社会においていえば、それは魔法と呼んで差し支えないだろう。


 何より、この荒野において人為的に雨を降らせる事が出来る薬品が存在しているとなれば、その価値は、並の金銭で計る事は不可能だ。


「しかし、どうして」


「これを今、持っているのか、か?」


 タクミは頷いて返す。とてもではないが、ここにある事自体、かなり特異だ。


 それの持つ効果を考えれば、こんな荒野の真っ只中にあるべきものではない。それこそ厳重な警備の下で、鍵のついた金庫のような場所にしまわれて然るべきものだ。


 そんなタクミの心を呼んだかのように、ベスは微笑むと共に首を横に振った。


「これは、むしろここになければならないのさ。だから、私がここまで抱えてきたんだ」


「なるほど。つまり、ベスさんはルミズイの街へ虹をかけたい。という事ですね」


「その通りだ」


 そこまで聞いて、タクミは改めて合点がいった。


 ベスが鞄をなくしたくなければ、他人に、ましてや先のような無法者に触らせたくなかった事。そして、ガラナで押し問答をしてまでもルミズイへ行こうとしていたのか。ベスがついておきたいといった、四日後の朝までにつかなければ、虹をかけるべき時機を逸してしまうという事なのだ。


 虹をかける、その意義は知る由もないが、魔法の薬を持ち出したのだ。相応のものがあるのだろう。


 受付の不安も的外れではなかったな、とタクミは改めて重責のある仕事になった事を実感した。


 だが、今更どうこうするものもない。出来る事をしていくだけだ。


 リカー森林はもう視界に入っていた。




 パルヴァ高原はバシー山の山頂にあるパルヴァ湖の周辺の平地一帯を指している。


 冷涼な気候で過ごしやすく、パルヴァ湖の水を頼りに多くの野生動物達が暮らしている。


 リカー森林はそのパルヴァ高原西方から麓にかけて続いている。


 パルヴァ湖を背にして、リカー森林から一キロ程の距離でタクミは馬車を止める。


 周囲を見回し、目当ての直立岩を見つけると、そこへ馬車を寄せた。


「今日はここか?」


「ええ。一応、周囲を確認してからですけど」


 タクミは馬車を岩につなぎ、周囲の様子を確認する。後ろでは早速、ベスが荷物を下ろして野営の準備に入っていた。


 湖の周辺だが、動物がよく往来している様子はない。


 糞もなければ足跡もない。


 岩からさらに少し歩いた所にはいくつもの痕跡があったので、運び屋の仲間内で前々から言われている通り、直立岩を背にするのが比較的安全と言えるだろう。


 あるいは、タクミ達のような、人間の縄張り、と思われているのかも知れない。


 岩を背とすれば、風下となるため、他の動物に気づかれにくく、森林から距離をとっているので、よほど飢えた巨獣でもない限りはここまで足を伸ばす心配もない。


 タクミはベスの元へ戻り「問題なさそうです」と伝えた。


 ベスはすでに火を起こし始めていた。


 さすがに慣れているといっていただけの事はあり、実にてきぱきとしていた。


 日はまもなく山を下る。立ち上がる火は鮮やかだった。


 タクミも道具を取り出し、食事の準備を始める。と言っても、豆のスープくらいのものである。


 それでも、今までのタクミの道中の食事から言えば、手を込めたと言っていい。


 食事としては簡素な事に変わりはなかったが、ベスは淡々と口に運ぶ。


「足りますか?」


「ああ、大丈夫だ。お前こそ、しっかり食べた方がいいのではないか?」


「配達中はだいたいこのくらいで済ませてますね」


 言いながら、タクミはスープの残りを振り分ける。


 普段はそれこそ、パンと干し肉で済ませている。鍋を積むくらいなら、そのスペースに荷物を放り込んでいると説明すると、ベスはなるほど、と苦笑する。


「ベスさんは普段、どんな食事なんですか?」


「ふむ、改めて聞かれると説明に困るな。まあ、もう少し野菜は多いかな」


 部隊に炊事班もいるので、基本は任せきりだという。


 だが、そうなるとやはり物足りなかっただろうな、と思いながらタクミはスープをすする。


 店で出てくるものと比べれば淡白だが、これはこれで悪くはないと思うものの、専属で作る人のものと比べられると少々肩身が狭くなる。


 もう少し手を込めた方がよかっただろうか、などと考えていると「だが、こういう食事も悪くはない」とスープを飲み干したベスが告げる。


「そんなお気遣いなく」


「世辞などではないぞ。初心に帰れるからな」


「初心、ですか?」


 タクミがよくわからないと首を傾げると、ベスはクスリと口元を緩め、空を見上げた。


「私にだって、駆け出しだった頃もある。お前にもあるだろう?」


「ええ、もちろん」


「こうやって星を見上げて糧食を食べていると、その頃を思い出してきてな」


 軍に入隊を志願した後、訓練生と言う見習いの期間があり、それを乗り越えて本入隊となるのだが、その際、長距離の行軍が行われると言う。


 各人には一食分の糧食が渡されるが、後は当人達でやりくりをしなければならず、この長距離行軍による脱落者は相当数に上るらしい。


 タクミは思わず眉をひそめた。


「あの、その脱落者って」


「死にはしない。合図を出せばすぐに回収されるし、行軍が終わった後に、自分には務まらないと考えて辞める者も含めているからな」


「なるほど。それにしても、三日間の行軍で一食分となると、かなり厳しいですね」


 三日間と言うだけであれば、季節にもよるがタクミは別になんとも感じなかった事だろう。それくらいはまかなえるだけの経験と自負がある。


 ただし、やはりある程度土地勘のある場所での話だ。全く未知の地域では、地図とにらめっこした所で、水と食料を確実に確保して進めるかどうかは、運が絡む。


 川があると思っても飲める水が流れてるかどうかもわからないのだ。


 恐らく、演習と言う事だし、中央の基地から駐屯地までなので、その辺りは軍としては確認が取れているのだろうが、だとしても、である。


 しかも、食料を現地調達となると、知識が必要だ。なければ、焼くか煮るしかないが、知識のある者とは比較にならない危険が伴う。


「稀ではあるが、他の参加者から奪う者もいるな」


「手ではありますね」


 その是非について、タクミは問うつもりはなかった。いざという時は、その覚悟は必要だろう。


 しかし、聞けば聞くほど、単純であるだけに辛い演習だ。


「ベスさんは、完遂したんですよね」


「無論だ。といっても、私はただ三日間歩いただけさ」


「え?」


「支給の食料を三日にわけて走破した。それだけだ」


 言ってしまえばなんて事はない。一番最初に考え付く、もっとも単純な、それでいて、できる限り避けたい、そんな選択肢。それを迷う事無く選んだであろう事は容易に想像ができ、しかもそれが実にベスらしく感じられ、その真っ直ぐな思い切りのよさに、タクミは感嘆の息を吐いた。


「その時に、感じたよ。食べられる事の大切さをな」


「今の話を聞いていると、なんとなく、わかる気がします」


「どれほど少なかろうとな、この荒野を生きる上で、食べられる。食べ物がある。それがいかに大切で、その事実に感謝すべきことなのか。あの時、私はそれを実感した」


 その時の気持ちを改めて思い返させてくれる、今回のような食事はむしろありがたいし、食事がある。それだけで、なんの不満があるだろうか、とベスは続ける。


 タクミは思わず、頭をかいた。この人のこういう所は本当に敵わないな、と。


 すると、ベスが鞄の中からなにか紙袋を取り出す。


「ご馳走になったのだ。私にも振舞わせてもらおう」


「それは――じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」


 ベスは仮にもお客である。野営の準備まで手伝ってもらったので、遠慮しようとしたが、なんとなく押し切られる未来が見えて、タクミは頷いた。


 同時に、何が出てくるのか、という好奇心があったのは間違いない。


「タクミ、コーヒーは飲めるか?」


「飲めますけど」


 タクミが目をしばたかせると、ベスは首をかしげた。


「どうかしたか?」


「ベスさんって、コーヒー飲まれるんですね。てっきり――」


「まったく、皆口を揃えてそういうな」


 ベスは飽き飽きしたと言わんばかりに溜め息を吐く。


 よほど言われてきたのだろうが、タクミはそれ以上言及はしなかったが、やっぱりベスさんは紅茶の印象だな、と心の中で呟いた。


「紅茶も嗜むがな。私はコーヒーの方が性に合っている」


「そうなんですか?」


「コーヒーはシンプルだ。飲めば、どういうものなのかが全て伝わってくる。茶会と違って、うるさいしきたりもないしな」


 なるほど、とタクミは納得する。同時に、中央の一定以上の階層でよく行われる茶会のイメージが先行しすぎていた事を反省する。


 それでもなお、そのしきたり等をきちんとこなすベスの姿の方がすぐに想像できてしっくりきてしまうな、と思わずにはいられなかった。


 そんなタクミの様子をすぐに見抜いたのか「褒め言葉として、受け止めさせてもらうとするよ」と告げながら、テキパキと準備を進める。


 ポットではなく、鍋を持ち出し、そこに水を入れて火にかける。


 そして袋から、小さな布袋のようなものを取り出すと、ナイフの柄でそれを叩き始めた。


「それ、コーヒーなんですか?」


「ああ。豆が入っている」


 そして、適当な所でコーヒーの入った袋を鍋へ投入し、少しだけずらすようにして蓋をした。


 あとは待つだけだ、とベスは言う。


 タクミはその様子に感心しきりだった。


「発想がいいですね」


 コーヒーといえば、先ほどまでのベスの手順と大きくは変わらないが、豆を砕いてポットに直接放り込んで煮出した後、粉が底に溜まるのを待つものだ。


 しかし、今の方法であれば、底に溜まるのを待つまでもなければ、粉の処分も袋を取り出すだけで済む。考えてみれば簡単だが、画期的だった。


 包んでいるのが布ならば、他の食事で出るゴミと合わせて捨てる事も可能だ。


「行軍中にな、片付けの手間を減らそうと言う事で作られた支給品だ」


「なるほど。砕いた豆を入れておくともっと簡単に出来そうですね」


「私は飲んだ事はないが、試作はされたそうだ。ただ、豆を砕いてからの方が飲みやすいとか、味がいいとか、まあ、評判はこちらの方がいいということで、こちらが採用されたのさ」


 一手間はかかるが、それで味がよくなるなら、確かに自分でもそれを選ぶな、とタクミは思う。


 いつも簡素な食事に慣れているとはいえ、食事にしろコーヒーにしろ美味しいと感じられるならその方がいいに決まっていた。


 やがて、鍋からコーヒーの香りがしっかりと漂い出す。


 ベスは火から鍋をどけると、コーヒーの袋を除けた。


「そら、カップを」


「いただきます」


 注がれたコーヒーを口に運ぶと、日の沈んだ山中の冷涼さに温かさが染み渡り、ほうっ、と言う息が漏れる。


 それから苦味がやってくるが、するりと抜けていく。


「飲みやすいですね」


「何よりだ。もう少し飲むか?」


「せっかくですから」


 普段飲んでいるコーヒーに比べれば別物だ。苦いが、爽やかだ。


 眠気を覚ましたりするためだけ、とはいえない何か、かつて故郷で飲んでいたスープにも似た温かみをタクミは初めてコーヒーに覚えた。


 改めて空を見上げると、星の輝きもどこか懐かしく感じられる。


 時間にしてそう長くはなかったが、タクミは夜風の中、懐古の情と体に広がる温もりに浸る。ベスも静かに、空を見上げていた。


「ごちそうさまでした」


「なに、こちらこそだ。さて、と。タクミ、お前は先に休め」


「はい?」


「火の番をせねばなるまい」


 タクミはそこでようやく、ああ、と内心頷いた。


 普段の仕事なら一人旅なので、周囲に動物避けの灰を撒いたり木を多めにくべたりする程度で、用がなければさっさと寝てしまうため、火の番という考えがすっぽり抜けていた。


 タクミは荷物袋に時計があったかを確認しながら「じゃあ、交代の時間を決めましょうか」と告げると、ベスは首を横に振った。


「構わん、ゆっくり休んでくれ」


「いや、そういうわけには」


「お前は私と荷物を運ぶという仕事があるのだ。休養を取る権利も、必要性もある。裏を返せば私は、移動中に休める身分と言う事だ。その私が、お前が十分に休めるまで火の番をしないでどうする?」


 ここまで言われては、タクミも食い下がる事ができなかった。


「それじゃあ、お先に休ませていただきます」


「ああ、任せておけ」


 毛布を引き寄せ、帽子を顔に乗せて横になる。荷物袋が枕代わりだ。


 不意に、不思議な感覚に襲われ、ふふっと笑いがこぼれる。


「どうした?」


「いえ、誰かが近くにいる中で眠るのは久しぶりだな、と」


「姉か」


「ええ。もう何年も昔を思い出してしまって」


「結構な事だ。その時のように力を抜いて寝るといい。そのくらいは担保してやる」


「ありがとうございます。あ、でも、本当に何かあったら声かけてくださいね。すぐ起きますから」


 タクミはベスにそう念を押してから、帽子をかぶりなおすと目を閉じる。


 相手がベスでなければ、こんなに甘える事もなかっただろう。いや、ベスでなければそもそも時間を決めて普通に交代で火の番をした事だろうか。


 傍らに人のいる、かつての自宅のような温もりを感じながら目を瞑ると、意識はそのまますぅと落ちていった。

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