あやしの雨、ファフロツキーズ

 曹丕による怪異調査が始まって二時間後。


 正房せいぼう前の広場は、兵士たちのお魚パーティーで盛り上がっていた。



「うまうまー!」


「うんまーーーい!」


「この魚、サイコー!」



 腹を割き、何も手がかりが見つからなかった魚から順に、「食ってよし」と曹丕が許可を出し、料理人にその場で調理させていた。


 元々この魚を食べたがっていた者も、恐がって最初は躊躇ちゅうちょしていた者も、予想以上に美味だったので大喜びしている。



 この章の冒頭で語ったように、なまず精魅もののけと遭遇した孔子一行はこれを退治し、みんなで食べて餓死の危機を逃れた。また、古代中国人が残した精魅たちの記録を読むと、



 ――中山ちゅうざん依軲山いこざんに棲むりんは、体がうろこに覆われた犬っぽい獣である。これの肉を食べれば、風痺ふうひ(関節リウマチ)の病が治る。(『山海記せんがいきょう』)



 ――樹齢千年の老木を伐採したらあらわれる賈詘かくつは、見た目は頭が二つある豚だが、味は犬の肉に似ている。(『白沢図はくたくず』)



 みたいな感じで、簡単な食レポ(?)を交えつつ摩訶不思議なバケモノどもを紹介している。そんなふうに味や効能が分かるということは、(これらの記述を事実だと信じる、という仮定のうえだが)これらバケモノを実際に食った人間がいるということになる。



 つまり、古代中国では、よく分からない生き物でもとりあえず食ってみよう、というチャレンジャーが多かった。


 全身が鱗で覆われた犬の怪物やら、老木から出現する双頭の豚に挑戦できるのだ。空から降ってきた魚ぐらい、ある程度のチャレンジ精神を持つ古代中国人ならば、少しの勇気を出せば食えるのであった。



 しかし、そういうチャレンジ精神を持たない――というか、自分が理解できない怪奇現象全般が大嫌いな曹操は、顔を激しく歪めながらドン引きしている。「お……おい。落下時に死んでいた魚まで食わせて、まことに大丈夫なのか?」と恐るおそる問うた。


「さっきまで生きていた魚も、腹を割いたらどうせ死魚ですからねぇ。天より降ってきた魚が危険な食べ物というなら、どっちを食べても一緒のことですよ。こうやってみんなピンピンしていることだし、まあ平気ということでしょう」


 曹丕は、兵士たちにまざって魚の蒸し料理をがつがつ食べながら、ひとごとのように答えた。数知れぬ精魅を退治し、怪異研究と称してそれを食してきた男に、そんな質問をしても無駄なのである。


「うう~ん。それにしても不思議でギョざいます。長江流域でキュウ鰣魚ジギョの古名)が獲れて、味が旬なのは、春ギョろなのです。それ以外の季節は脂がのっておらず美味しくないし、秋の今時分には海に帰っていくはずなのに……。

 たとえ長江にまだ残っていたとしても、はるか北方の冀州きしゅうにあらわれて、しかもこれほどまでに新鮮というのはなぜでしょう。ふつう、揚州ようしゅうあたりから運んだら、鮮度が落ちて美味しくないはずなのでギョざいますがぁ~」


 魚にやたらと詳しい兵士が、ブツブツそう呟きながら首を傾げた。


 それを耳ざとく聞いた曹丕は「長江の流域……揚州か。フム」と思案げに呟き、形の美しいあごを撫でる。


 しばし沈思黙考していると、曹純が「子桓よ」と話しかけてきた。


「あらかた調べたようだが、今のところ何も見つかっておらぬな」


「ええ。そのようですね」


「俺が思うに……魚の雨は怪異でも何でもなく、自然現象ではなかろうか」


「ほほう? なぜそう思われるのです?」


「確たる根拠があるわけではない。ただ、俺は以前、鳥がくわえていた川魚をうっかり地上に落とすところを見たことがある。今回のことも、鳥の群れが何かに驚いて魚を落とした、というつまらぬ理由だったのではあるまいか?

 あと、他には……竜巻が原因ということも考えられるな。どこかの川の近くで竜巻が発生し、上空に巻き上げられた魚の群れがこの地まで運ばれてきた、という可能性もあるのでは?」


「なるほど。冷静な子和しわおじさんらしい意見ですな」


 曹丕は、知勇兼備の将軍である曹純に敬意を払っている。馬鹿にするでなく、素直にそう言ってうなずいた。


 曹軍最強の虎豹騎こひょうきをたばねる曹純は、世間の人々に賛美される好学の士でもある。若いころから多くの学者たちを身辺に置いていた。また、おおぜいの食客も抱えており、彼らは主人である曹純の規律第一主義の精神を守り、誰もが折り目正しく振る舞っている。曹洪のチンピラ集団とは大違いなのである。


 そのような学識と常識を持った人物なので、こういった超常現象も、まずは現実的な目線でとらえようと思ったのであろう。


 だが――。


「この落下現象は、そういう可能性も、もちろん考慮に入れるべきです。しかし、今回にかぎっては、鳥のせいではないと断言できますよ」


「というと?」


「実は、落下騒動が起きているちょうどその時間、俺は山の頂上から騒ぎを見ていたのです。ぎょうの上空を百羽ちかい鳥の群れが横切れば、さすがに気づきます。

 そもそも、この魚は成魚だと、相当でかい。いくら鳥たちでも、短い距離ならばいざ知らず、長江からうんと離れた華北の地まで魚を運ぶのは困難でしょう。魚に詳しい兵士の話によると、この鯦という魚がいるのは長江流域らしいですからね」


「ふぅ~む、そうか。距離の問題があるか。ならば、竜巻の可能性も怪しくなってきたな。はるか南で生息している魚では、竜巻でも運べぬはず……。すまぬ、的外れなことを言ったようだ」


「いや、子和おじさんはけっこう鋭い指摘をしてくれましたよ。この不思議な落下現象は、古今東西あらゆる場所で起きていますからね。その中には、子和おじさんが言ったように、鳥や竜巻が原因だっという事例もあるかも知れません」


「なんと……。魚が空から降ってきたという事例が、他にもあるというのか?」


「ええ。成帝せいてい(前漢十二代皇帝、劉驁りゅうごう)の御世みよ鴻嘉こうか四年(紀元前一七)には、信都しんと(現在の河北省東南部)に五寸(前漢時代の五寸は約十一センチ)ほどの大きさの魚の雨が降ったという記録が残っています。これなんかはごく小さな魚なので、鳥の群れが落としたという可能性があるでしょう。

 ただ……実を言うと魚だけではないんですよね、この面白い落下現象は。いろんな有り得ないものが空から降ってきている。比較的近い時代だと、桓帝かんてい(後漢十一代皇帝、劉志りゅうし)の御世かな。なんでも、羊の肉が降ってきたとか」


「ひ……羊の肉⁉ い、意味が分からぬ。どういうことなのだ、それは」


「そのままの意味ですよ。建和けんわ三年(一四九)の七月、北地郡ほくちぐん廉県れんけん(現在の寧夏ねいか回族かいぞく自治区じちく銀川市ぎんせんしの西)に、突如、空から肉が降ってきたんです。それは、羊のあばら肉に似ていて、人間の手のひらほどの大きさがあったそうです」


 曹丕は、彼のオカルト蘊蓄うんちくに耳を傾けている曹純や他の諸将が目をまん丸にして驚いているため、気分が良くなってきたようだ。あといくつかの落下現象をややドヤ顔になりながら語った。



 この有り得ない物体が落下してくる現象を現代のオカルト業界では、



 ファフロツキーズ



 と、呼んでいる。


 ファフロツキーズ(Fafrotskies)とは「Falls from the skies(空からの落下物)」を縮めた造語である。江戸時代の日本では怪雨あやしのあめといわれていた。洋の東西、時代を問わず、この不思議な現象は発生しており、人々は記録にとどめている。


 以下、ファフロツキーズ現象の例をごく一部、列挙してみる。




・紀元前四六七年 トラキア(現在のバルカン半島南部)

 アルゴス川地区に、巨石が降ってくる。

 その大きさは、荷馬車一台の積荷になるほどだった。


・紀元前五四年 南イタリア

 ルカニアに、スポンジの形状に似た鉄の雨が降りそそぐ。


・八八四年 日本

 秋田城に、石鏃せきぞく(石で作った矢じり)二十三枚が降りそそぐ。


・一五七八年 ノルウェー

 ベルゲンの都市全域に、黄色の大ネズミが降りそそぐ。


・一七九三年 日本

 江戸市中に、小雨に混じって獣の毛が大量に降りそそぐ。


・一八七六年 アメリカ

 ケンタッキー州に、赤身の肉が数分降りそそぐ。


・一八九〇年 イタリア

 カラブリア州に、血の雨が降りそそぐ。


・一九一七年 日本

 埼玉県に、氷塊が落下。

 氷塊の直径は二九・五センチ、重量は三・四キロほどだった。


・二〇〇一年 インド

 ケララ州沿岸の数百キロにわたる地域に、赤い雨が二か月降りそそぐ。

 赤い雨が降る直前には爆発音と衝撃波が発生していた。

 また、赤い雨に含まれていた粒子が生体物質だったことが判明。

 マハトマ・ガンジー大学のゴッドフリー・ルイス博士は、「その赤い粒子――地

 球外生命体は、隕石によって地球に運ばれた」という説を唱える。


・二〇〇五年 ロシア

 シベリア北東部のオザシ村に、大量のカエルが降りそそぐ。


・二〇〇七年 アメリカ

 ルイジアナ州に、数百匹のミミズが降りそそぐ。


・二〇〇八年 ブラジル

 ミナスジェライス州の農場に、直径約一メートルの金属球が落下。


・二〇〇九年 日本

 石川県七尾市に、百匹以上のおたまじゃくしが降りそそぐ。

 この年の六月は日本各地でおたまじゃくしの落下現象が続いた。


・二〇一八年 中国

 青島市に、大量の魚介類(タコ・ヒトデ・エビなど)が雷雨とともに降りそそぐ。




「落下物は多種多様で、ほとんど規則性がない。唯一あるのは、同種類の動物や物質が落ちてくることが多い、ということぐらい……。

 落下物が多種多様ならば、この現象の原因も一つではない可能性がある。鳥や竜巻が原因だったり、何らかの怪異だったり、もしくは――空飛ぶいかだの落とし物だったりとかね。

 とにかく、原因の特定が非常に難しいのです。もしもこの魚たちの腹から何も手がかりが見つからなければ、調査には時間がかかることになるでしょうな」


「この落下現象がややこしいことは、だいたい理解できた。しかし、さっき言った……なんだったかな、そうそう、空飛ぶ槎というのは何なのだ?」


 曹純は、常識人でありながらも、ニュートラルな思考の持ち主である。曹操とは違って、非現実的な現象に対して強い拒否反応を示したりはしない。そのため、曹丕のマシンガン・オカルトトークにも眉をひそめず、そう尋ねた。


「よくぞ聞いてくれました。空飛ぶ槎というのは、たまに空を飛んでいる未確認飛行物体のことで――」


「ええい、もうよせ‼ 何が『調査には時間がかかる』だ‼ そんなくだらぬ話を面白がってしゃべっておる場合かッ‼」


 曹丕がノリノリでUFOについて語り出そうとしたところで、曹操がヒステリックにそう叫んだ。


 呑気に魚を喰らい、オカルト知識を楽しそうに披露する不良息子の態度にずっと苛立っていたが、ついに堪忍袋の緒が切れたようである。








<ファフロツキーズ現象の参考資料について>


ファフロツキーズ現象については、


並木伸一郎氏・著、ムー編集部・編『ムー認定 驚異の超常現象』(GAKKEN)


並木伸一郎氏・監修『ムー・ミステリー・ファイル ムー認定! 最恐‼ 超常怪奇現象ビジュアル大事典』(ONE PUBLISHING)


月刊ムー2023年7月号所収の羽仁礼氏の記事「ムーペディア第43回 ファフロツキーズ現象の謎」


などを主に参考にしました。

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