登高飲酒

「あの槭樹かえでたちがすっかり散ったら、いよいよ冬だなぁ」


 紅く燃ゆる華北の秋景しゅうけいを見晴らしながら、曹丕はそう言った。手に持つ酒杯からは、ほんのりと菊の香りが漂っている。


子桓しかん様……。そんな呑気なことを言っていて、よろしいのですか? なんでこんな日に野遊びなんかしているんです?」


 曹丕の白皙はくせき端麗たんれいな横顔を見つめつつ、呆れた声でそうたずねたのは、司馬懿である。


 二人はいま、ぎょう城邑まちとその周辺を見下ろせる山の頂上にいる。真っ昼間から、菊を漬け込んだ酒を酌み交わしていた。方士の費長房ひちょうぼう、費長房の馴染みの妓女ぎじょである香雪こうせつ、そしてなぜか劉勲りゅうくんの娘も一緒である。


「なんでだと? 仲達よ、お前は登高とうこう飲酒いんしゅの風習を知らんのか。重陽ちょうようの節句には、こうやってみんなで山に登り、菊花酒を飲みながら遠くの家族に思いをはせ、自分や身内の長寿を祈るものなのだぞ」


「そんなことぐらい知っていますよ。でも、九月九日はとっくに過ぎているじゃないですか。どうして今日なのです?」


「本来なら九月九日にするべきだったが、仕方があるまい。ここ最近は馮貴人ふうきじん事件やら度朔君どさくくんの襲撃があり、こういう行事を呑気にやっている暇がなかったのだからな」


「それは分かります。けれど、よりによって今日じゃなくてもよかったんじゃないですかねぇ~……」


 司馬懿は、眼下の街道に視線をチラチラとやり、そう言った。


 鄴城の東口にあたる迎春門へと続くその道。粛然とした長蛇の行軍が、さっきから延々と続いている。秋陽しゅうようの下、さんたる軍旗を幾千幾万となびかせ、大軍勢の先頭が迎春門をいままさに通過しようとしていた。北方遠征に赴いていた曹操の軍がこの日、とうとう帰還したのである。


「曹公が凱旋がいせんしたのに、長子である子桓様がお迎えしなくて、本当によかったんですか? あとで怒られても知りませんよ?」


「俺が山登りしようと思い立った日に、わざわざ帰って来るクソ親父が悪いのさ」


「い……いやいやいや……。それ逆ですよね? 今日帰還するという伝令の報告が二日前にあったのに、あえてこの日を選んで野遊びしているんですよね? それでお酒も飲んでいるんですよね?」


「酒だけではない。香雪が用意してくれた菓子もある。遠慮せずに食え」


「こんなところで飲み食いしている場合じゃないと思うんだけどなぁ~。急いで帰ったほうがいいと思うんだけどなぁ~」


 司馬懿が苦言を呈すると、曹丕はクスクスと妖艶に微笑む。「だったら、お前は食わなくてもいいんだぜ?」と言いながら素早く手を伸ばし、司馬懿が持っていた胡餅こへい(薄いパンを焼いたもの。西域から伝来)をひったくって食べた。


「のわぁぁぁーーーッ⁉ 俺の胡餅がぁぁぁーーーッ‼ 何するんですか‼ 誰も食べないとは言っていないでしょうが‼」


 食い意地が張っている司馬懿は、涙目になって抗議した。お菓子を横取りされたぐらいで大騒ぎするアラサー男の図はたいへん見苦しい。


「仲達様。そんなに泣かなくてもいいですよ。香雪が作ったお菓子、まだまだありますからね」


 十七歳という実年齢よりもずいぶんと幼く見える香雪が、小さな子供をあやすような甘々しい声で言い、籠の中から取り出した新しい胡餅を司馬懿に手渡した。


 うちの彼女、めっちゃバブみを感じるぅ~などと費長房(合法ロリ好き変態)が日頃から吹聴しているが、たしかに香雪は年若い娘にしては面倒見が良く、その包容力は母性すら感じさせる。司馬懿は妻の張春華ちょうしゅんかみたいなナイスバディが好みなので、この娘に対して恋愛感情を抱いたりはしないが、小燕しょうえんに負けないぐらいの良い子だと好感は持っていた。


「すまない、香雪……」


「たくさん食べてくださいね」


「ぐふふふふふふ。ねえ、司馬ちん。ワタクシの恋人、絶対に良いお嫁さんになると思いません? こんな優しくて、愛らしい女の子なのに、夜は超絶技巧を駆使する魔性の女になるんですよ? 香雪ちゅわん、最高ぉ~♪」


「うるさい。黙れ。酔っ払いのHENTAI方士め。未婚の娘が同席する場で超絶技巧とかぬかすな」


 馴れ馴れしくすり寄り、酒臭い息を吐きかけてきた費長房の顔を、司馬懿は乱暴に押しのけた。


 娘たちのほうを見ると、夜に魔性の女になると称された当の香雪はニコニコと鷹揚おうように微笑んでいる。その一方で、劉勲の娘は耳まで真っ赤になっていた。香雪よりも二、三歳は年上のはずだが、いまだどこの家にもせず生娘のままなので、あけすけな猥談わいだんに免疫がないらしい。


「もぉ~、司馬ちんったら冷たいなぁ~。誰のおかげで人々が登高飲酒の風習をやるようになったか知ってますぅ~? ワタクシ、費長房様のおかげなんですよぉ~?」


「適当なことを言うな、アホ方士。孔子の編纂と伝わる『詩経しきょう』には、故郷に女を残した兵士が高き山に登って酒を飲み、憂苦を忘れようとする詩がたしかあったはずだぞ。うんと昔からある伝統の成立に、お前が関わっているはずがあるまい」


「まーたしかにそうでふ。ひっく。登高飲酒の習わしは、孔子が生きていた時代にはすでにありまちた。でもね、九月九日にみんながやるようになったのは、ワタクシのおかげなんでふよぉ~。司馬ちんはまだそのころ子供だったから知らないんでふぅ~。ひっく」



 呂律ろれつがだんだん怪しくなりつつある費長房が語った内容によれば、彼には桓景かんけいという同じ汝南じょなん郡出身の弟子がいた。その桓景がまだ未熟で、費長房のもとで修行していた頃のこと。費長房は、弟子にこう予言したという。


 九月九日、そなたの家に災いが起きる。その日は家族を連れて高い所に登り、茱萸しゅゆ(グミのこと)を身に帯び、菊花酒を飲みなさい。さすれば災禍から免れるであろう――と。


 桓景が師匠に言われた通りに登高飲酒を行い、夕刻に帰宅すると、なんと家畜がことごとく死んでいた。家畜たちが主人の身代わりとなってくれたのである。


 この噂はたちまち天下に広まり、九月九日の重陽の節句には、人々は山や丘などの高い場所に登って、魔除けの茱萸を身につけながら菊花酒を飲むようになったという。



「……お前が弟子に降りかかる災厄を予言し、救っただって? ますます信じられんな。そもそも、お前みたいなテキトー人間を崇拝し、師事を乞う物好きがいるとは思えん。桓景っていうのは、お前の想像上の弟子じゃないのか?」


「いまふからぁー! 桓景はいまも汝南に住んでまふからぁー! 嘘じゃないもーん! ……子桓様も何か言ってくだひゃいよぉ~。重陽の節句にみんなが登高飲酒する風習はワタクシが作ったって。桓景も実在する弟子だって」


 費長房が、酒焼けした赤ら顔をフラフラさせながらそうまくしたてると、曹丕は「うるさい奴だなぁ。静かに酒を飲ませろ」と言い、どこからか取り出した短戟たんげきの「」の刃(ト字型の刃のうち先端のほう)で費長房の尻穴をやや強めに突いた。


 異物オモチャを挿入されるのは香雪との夜の営みで慣れているとはいえ、さすがにこれは刺戟しげきが強すぎたらしい。「あぁぁぁぁぁぁんなぁぁぁぁぁぁるぅぅぅぅぅんんん!!??」と野太いよがり声をあげるや、よだれをたらしながら昇天、気絶してしまった。


 ベラベラ喋っていた費長房を強制的に黙らせた曹丕は、頭に挿している茱萸の枝の赤い実をいじりつつ「……桓景という男は実際に汝南にいる。俺も何度か会ったことがある」と費長房の主張を肯定した。


「では、費長房の言っていることはデタラメではないのですか?」


 恍惚とした表情のまま気絶している費長房のことは完全無視して、司馬懿は曹丕にたずねた。恋人の香雪も、このHENTAI方士がエクスタシーを感じながら失神するのはよくあることなので、あまり気にしていない。唯一、劉勲の娘だけが(なにこの人……)と困惑しながら費長房を見つめている。


「こいつも、こいつの弟子も、けっこうな法螺ほら吹きだが、根も葉もないことを事実と言い張るほどの嘘つきではない。それゆえ、多少の誇張や創作はあるだろうが、まあ似たような出来事はあったのであろうよ。重陽の節句は、冬の足音が聞こえる晩秋に自身や身近な者の無事と健康を祈る日……。『方士費長房の弟子が登高飲酒によって危難を免れた』という逸話にあやかり、皆が九月九日にこぞって高台で菊花酒を飲むようになったと考えても不思議ではない。黄巾の乱以来、世間はずっと物騒だからな」


 そう語る曹丕も、『芸文類聚げいもんるいじゅう』(唐の初期に成立した、いわゆる百科事典)によると、老臣の鍾繇しょうように菊の花を九月九日に贈っている。費長房の伝説の真偽は不明だが、漢代の頃にはあったとされる重陽節は、曹丕たちの時代になると大切な年中行事の一つになっていたようである。


「ふぅ~む。毎年やっている行事の起源がこんなHENTAI方士にあるなんて、メチャクチャ嫌ですが、まあ納得しました。メチャクチャ嫌だけど」


「フフッ。それは言えるな。……あと、これは余談だが。こういう季節ごとの行事は調べるといろいろ面白い。各地方で独自な習わしがあったりする。たとえば――九月九日には嫁を働かせない、という風習が江南のごく限られた地域にはあるそうだ」








<費長房説話と重陽節の登高飲酒について>


「費長房が弟子の桓景を救い、それが重陽節における登高飲酒の風習の発祥となった」という説話は、呉均(南北朝時代の梁の人)が撰したと伝わる『続斉諧記ぞくせいかいき』に載っています。


この説話の真偽は不明ですが、仮に費長房の伝説を信じるとして、重陽節の登高飲酒が世間に広まったのはだいたいいつ頃なのか……?


費長房の生没年が分からないのは、前にもどこかのエピソードのあとがきで書いたと思いますが、色々調べると後漢の献帝の時代には方士として活動していたみたいです。


毎度お馴染の干宝かんぽう著『捜神そうじんき記』によると、建安けんあん四年(一九九)――袁紹えんしょう公孫瓚こうそんさんを滅ぼし、劉備りゅうび袁術えんじゅつを討伐した年――に李娥りがという老婦人がいちど死んで冥界から帰還するという事件が武陵ぶりょう郡(現在の湖南省)で発生しました。


この際、李娥は冥府で従兄の劉伯文りゅうはくぶんに会い、「現世に帰ったら、息子の劉佗りゅうだにこれを渡してくれ」と手紙を託されます。しかし、手紙の文字がぜんぜん読めない(冥府で使われている文字で書いたか?)ため、費長房に依頼して解読してもらったそうです。


つまり、献帝が帝位にあった建安年間には、費長房は生存していた。もしかしたら実際の費長房はそうとうなお爺ちゃんだったかも知れないけれど、少なくとも曹丕や司馬懿と同じ時代の空気を吸っていたはず。この小説では中年(劉備や曹操と同世代ぐらい?)のおっさんという設定なので、費長房が現役バリバリの時期――司馬懿が子供だったころ――に弟子の桓景を救う事件が起きたと想定して書きました。


もっと想像すると、黄巾の乱の発生などで世情が物騒になり、家族が兵士として戦場に連れて行かれる乱世に突入する時期の前後でもあるので、「遠くの家族の無事を祈る」風習が広まりやすかったのかと。


ただし、これはあくまでも私の勝手な妄想なので、ぜんぜん違うかも分かりませんが……(^_^;)

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