郭嘉病む
孔子一行が
遠征からの帰還途中だった曹操軍は、
「私はどうせ近いうちに死にます。いくら神医でも、天命尽きようとしている者を救うことはできませんらからね。私の占いによると、
ということだった。
首謀者というのは、もちろん郭嘉本人である。
「まさか倒れる直前に
「フフッ。さすがは曹軍随一の名軍師だ、と褒めてくださってもいいのですよ?」
「褒めるか、たわけ。第一、そなたの占いというのは
「これはしたり。関羽に惚れこんでいる
ほら、ご覧なさい。この石の並びは、
「何が『にゃはははははは』だ、酔っ払いめ。いい加減、杯を置け。昨日まで人事不省に陥っていた病人が、浴びるほど酒を呑むでない。しばらく酒を慎み、安静にしておれ」
「それは無理な相談ですなぁ。真面目ちゃんの
郭嘉は、無精髭を生やした
取り付く島もない郭嘉の態度に
「そんな顔をしないでください。まあ、主公が南方遠征に出られる頃まで奇跡的に生きていたら、私も従軍して色々と献策させていただきますよ。とりあえず、
「そなたをけっして死なせはせぬ。郭
死相を帯びてきた郭嘉の
「どちらへ?」
「
「それは張遼の無駄使いというやつです。私も小康を得たのですし、こんなところでぐだぐだ休んでいないで、さっさと鄴に帰りましょう。鄴に戻りさえすれば、いくらでも華佗先生の診察を受けられるのですから」
「だがな。病身での行軍はそなたの体に負担が――」
そこまで言いかけた時、伝令が郭嘉の寝所に入って来て、二通の
「む……?
伝令を下がらせると、曹操は燭台を引き寄せ、両将軍からの報告に目を通した。
よほど驚くべきことが書かれていたのだろう。乱世の奸雄の両眼が見る見るうちに大きく開かれていき、「
「ほう、度朔君。主公と因縁がある怪しき神の名ですな。その神がどうかしたのですか?」
「……どうやら、そなたの占いは当たっていたらしい。妙才の報告によると、度朔君が鄴に出現し、我が孫の
「それで、曹洪将軍の手紙にはなんと?」
「字がよれよれで何も読めんッ‼ 酔っ払いながら報告書を書くなとあれほど言っているのに‼」
ヒステリックにそう叫び、曹操は曹洪の報告書を床に叩きつけた。
郭嘉は、その書簡をひろい、「ふぅ~む。辛うじて『俺様大活躍』『沖』『度朔君』の三か所だけは読めますな。たぶん、曹洪将軍も度朔君の襲来を報せているのでしょう。あと、
「それにしても、へたっぴな字ですなぁ~。これだから酔っ払いは」
「お前が言うな」
「しかし、これで鄴城に急いで帰らねばならなくなりましたな。度朔君は仇敵である主公を憎むだけでなく、主公のご家族にまで牙をむいた。もう放ってはおけませぬ。南方遠征に取り掛かる前に、袁紹でさえ手を焼いたあの邪神を何とかせねば。私のことは心配なさらず、早急なるご出立を」
「分かっている。分かっているが……ひとつだけ約束してくれ。鄴に戻ったら、ちゃんと真面目に療養するのだ。必ず華佗にも診てもらえ。いいな?」
「ええ、ええ。了解しました。主公が心配のあまり泣いちゃうといけないから、酒量も半分に減らしますよ。だから帰りましょう。私も、鄴に帰って会いたい人間がいますし」
「そういうことならば、数日ほどそなたの体調をみて、出立することとする。それまでの間、寝床から絶対に出るなよ。近在の
「分かりました。行ったらダメなら、
「それもダメだッ‼」
曹操は怒鳴ると、痛みだした頭を片手でおさえつつ、部屋から出て行った。
独りになった郭嘉は、「フフッ。主公ったら、私のこと好きすぎじゃん」などとおどけた口調で呟き、
「だが――主公には申し訳ないが、我が命、南方遠征が始まる時期までもつまい。私は、主公が天下を取る姿を見ることができぬまま逝くのだ。…………なあ、そうだろう?」
郭嘉は、先ほどまで自分と曹操が囲んでいた碁盤のほうに眼差しを向け、冷めた微笑を浮かべた。
そこには、誰もいない。外から漏れてくる月光が、透かし彫りが施された花窓を通過して、牡丹の陰影を碁盤とあたりの床に生じさせているだけである。
しかし、死病に取り憑かれたこの男には、見えていたのだった。先刻からそこにいた、常人には視認できぬ存在を――。
「無論だよ。ちょっと時間をくれと貴方が言うから、特別に待ってあげているだけなのだから」
碁盤の傍らに座している美貌の青年が、眼下にある四角い小宇宙と白黒の星々を眺めながら、見た目の若さに似合わぬ威厳と落ち着きをそなえた声音でそう答えた。
少し風変わりないでたちで、役人ふうの衣装の上に、紫の
「でもさ。ずっとそうやって見張られていると、気が休まらないんだよね。私がそろそろ死んでもいいかなぁと思ったら、手を三回叩くからさ。その時までよそに行っていて欲しいんだけど」
「永遠に叩かないだろうから、それは無理だな。……しかし、私も暇ではない。これから十数日ほど、仕事が忙しくなる予定だ。ひと段落したら、また様子を見に来ることとしよう」
美貌の青年は、手に持っていた巻物を半分ほど広げた。そして、そこに記されている幾人かの人名をブツブツと小声で呟くと、おもむろに立ち上がった。
次の瞬間、青年の姿は、風に吹かれた煙のようにフッ……と消えていた。
今度こそ本当に独りっきりになった郭嘉は、「
「死ぬのちょっとタンマって頑張って言ったら、わりと融通利くものなんだ」
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