友の誓い
曹丕と司馬懿は、先日の戦いで命を落とした
その二人は兄と弟で、
「俺が甘かったせいで、この二人は死んだ。
曹丕はそう呟きながら、二人の兵士の墓前に大ぶりの梨をそれぞれ三個ずつ置いた。
「……公子様。もうお体はよろしいので?」
「華爺さんからもらった薬を飲んだからな。そう言う仲達はどうなのだ。お前、あの黒い霧をずいぶんと吸っただろう」
「俺も華佗先生から強壮薬を頂戴したので、すっかり元気です。しかし……こたびの一件、
「……フム。薬草園がほぼ壊滅し、新しく薬を作れなくなったからな。作り置きしていた薬の多くも、駄目になってしまったようだ」
「袁煕の奴め、わざわざ診察室のある
「妻の玉容がしっかりしているから大丈夫だろうさ。だが……今回のようなことが二度と起きないようにするためにも、度朔君を何とかせねばなるまい。俺のクソ親父はあの邪神にそうとう憎まれている。今後も我らにちょっかいをかけてくるだろう」
「
「ハン! また女か! あのスケベジジイは女色のために戦に敗れるし、いらぬ敵まで作りやがる! さっさと
「ふ、ふくじょう……。いくら何でも、父親にそんなこと言っちゃ駄目ですってば……」
父親に対するディスりっぷりがいつも以上にひどい。どうやら、曹操が
「曹公のことは置いておくとして――あの邪神は考えていることがさっぱり読めませぬ。たびたび度朔君に心の声で話しかけられましたが、俺や曹沖様、そして公子様に対して害意は無いから邪魔するなと言ってきました。
その一方で、曹真殿や
「何だ?」
「奴は『曹叡は死んだほうが曹丕のためになるはずだ』と含みのある物言いをしていたのです。もしかしたら、度朔君は、曹叡様が誰の子なのか知っているのではありませんか?」
「……厄介な邪神め。それが本当ならば、ますます捨てては置けおけぬ。叡の出生の秘密を暴露すると脅されたら、この俺は為す術がなくなるであろう」
兵士たちの墓に
「さすがのこの俺も人の身ゆえ、神殺しなどという大それたことはやったことがないし、その手だても思いつかぬが――あの邪神を封印できる方法がないか早急に調べる必要がありそうだ。関羽がまだ我が軍にいてくれたら頭を下げてでも度朔君の討伐を頼んだのが……」
「え? 関羽? なぜそこで劉備の義弟が出てくるのです?」
司馬懿が
「いまはいない男の名を口にしても詮無きことだ。それよりも、今後しばらく怪異調査の対象は『神』に絞っていくこととするぞ。お前もそのつもりでいろ」
「なるほど。公子様の怪異の資料をチラッと読んだだけでも様々な神がいるようですからな。ありとあらゆる神々を徹底的に調査して、邪神度朔君の弱点を探るわけですか」
「ああ、そうだ。いまはそれぐらいしか手立てがない。いきなり度朔君に戦いを挑むのはあまりにも危険すぎる」
「曹洪将軍が一時捕虜にした度朔君のしもべをじっくりと尋問できていれば、度朔君の正体や、袁煕を利用して起こした今回の事件の目的なども、手っ取り早く聞き出せたのでしょうが……。あの無能な鬼畜将軍め、せっかく捕まえた敵をうっかり逃がしてしまうとは。曹沖様の予想した通りでしたよ」
司馬懿はそう言うと、チッと舌打ちした。
曹洪の屋敷に捕らわれていた方士大福は、曹洪の食客たちが「誰が一番に捕虜を拷問するか」で揉めて喧嘩をおっぱじめた隙を見計らい、まんまと曹洪邸から脱出してしまっていた。ちょうど曹丕が悪鬼袁煕を退治した刻限のことである。
「度朔君の正体は、いまのところ俺にも見当がつかん。だが、俺に復讐する勇気を持たなかった袁煕をそそのかして悪鬼化させ、叡から膨大な気を奪わせた目的はだいたい察しがついている。…………恐らくは食うつもりだったのだろう」
「へ? 食う? 何が、何を?」
「戦いの後、
曹丕がそう語ると、司馬懿もあることをふと思い出し、「あっ。そういえば……」と言った。
「度朔君は、俺にもこう言っていました。『我が
「蛇や
「そこまでして、度朔君は何をしようとしているのでしょうか? いまだって十分に恐るべき神だというのに……」
「それ以上先のことは俺にも分からん。だが、いずれにせよ、叡の命を危険にさらした者を許すわけにはいかぬ。それがたとえ神であったとしてもだ。我が息子のために、度朔君は必ず封印してみせる」
「曹叡様のため……ですか」
司馬懿はそう呟き、少し複雑そうな顔をした。
曹丕は司馬懿の微妙な表情の変化を見逃さず、「何だ。何か言いたいことがあるのなら、ハッキリと言え」と
「いえ、あの……何と言いますか……」
「いつも言いたいことをポンポン言うお前らしくないぞ。初めて会った夜、お前は鷹のように鋭い目で
「暴力を結局ふるわれるのなら、そんな約束意味ないのでは……?」
「手や足が出そうになったら、俺たちの馬を繋いでいるあそこの木に八つ当たりする。それならいいだろ」
いまいち信用できないんだよなぁと司馬懿は思ったが、この意地悪貴公子が微笑んでいるうちに話さないとゲンコツが飛んできそうなので、仕方なく自分が不安に思っていることを曹丕に恐るおそるたずねた。
「俺の父が言っていたのですが……。親は、子に名を与える時、自らの祈りを込めるそうです。曹叡様の『叡』の文字には、『物事を見通す』という意があります。
貴方は、もしかしたら――曹叡様が自らの出生の秘密に気づく時が来るべきだとお考えなのではありませんか? 息子のため息子のためと公子様はおっしゃいますが、袁煕が実父だと知られてしまったら、二十年後にはその息子に御命を脅かされる恐れがあります。
そんな馬鹿なこと……祈ってなどいませんよね? 俺の気のせいですよね? 成長した曹叡様に事実を教えたりなんかしませんよね?」
「何を言い出すかと思えば、そんなことか。俺は水仙とは違うのだ。わざわざそんな我が身を滅ぼすようなことを積極的に望むわけがなかろう。俺の口から言ったりもしない。あの子のためになるとは考えてはおらんからな」
「では、『叡』の文字にはどのような祈りを込められたのですか」
「……叡は
だから、せめて、俺が我が国初の
「あっ、なるほど。意外と普通の父親らしいことを考えていたのですね……」
悪い予感が外れたと思った司馬懿は、内心安堵のため息をついた。
しかし、曹丕が微笑をふいに消して「だが――」ともう一つの存念を語ると、予感が完全には外れてはいなかったことに気づかされた。
「叡が自分の出生に疑問を抱き、実父が何者なのか知ろうとした場合、それを止める権利は俺には無いと考えてはいる。
そして、真実を知ったうえで俺を許せぬと叡が言うのならば、その断罪を甘んじて受ける義務が俺にはある。……ただし、もしもあの子が俺一人だけではなく、俺の母や弟たち、妹たち、その他の血族まで殺そうとするのならば、俺は叡と戦うしかない。そうならぬことを望んではいるがな」
「な……何を愚かなことを言っているのです。絶対に隠し通すべきでしょう。親が愛情をもって育てたのだから、子も親に尽くすのが人の道。貴方は曹叡様の立派な父親です。当然、曹叡様は、公子様に親孝行をするべきではありませんか。曹叡様が貴方に殺意を抱いたら、この俺が許さない。
……いや、曹叡様だけではありません。水仙様もです。彼女が貴方を裏切るような不義を再び犯せば、俺はあの御方を全力で
カッとなってしまい、司馬懿は思わずまくしたててしまっていた。
もしも春華が俺を裏切ったら。
来年産まれてくる我が子が将来、俺に逆らうような不孝者になってしまったら。
きっと悲嘆のあまり、自分の心はズタズタに壊れてしまうだろう。
……などと、自分と重ね合わせて想像すると、家族に愛されたいという欲求が少なすぎる曹丕の態度が哀しくて、胸が詰まりそうになったのである。
この若者は、水仙と曹叡の秘密を守るために両親と距離を取り、関係は最悪になっている。それなのに、その妻子に対して、愛の見返りを求めていない。どうして、自分の孤独をそこまで他人事のように語れるのだろうか?
「……儒者はよく言うよな。『妻は夫に仕え、子は親に尽くして当然である』と。だが、人への献身とは他人に強制されてするものではないと俺は思う。そもそも俺が水仙や叡を守っているのは、敵将の子を身籠った水仙をクソ親父に差し出すことができず、我が妻としてしまったその責任を取っているだけだ。献身でも何でもなく、ただの自己満足にすぎん。俺は冷酷だし、性格も最悪で、誰かに愛されるべき人間でもない。水仙や叡の心が俺のほうに向かなかったとしても、二人を責める理由はどこにもないのだ」
曹丕は、丘の
その冷気を帯びた声音と、サッと吹き抜けた一陣の秋風が、血が上っていた司馬懿の頭を冷却させた。そして、代わりにこの男の胸中に
(なんて悟りきった……いや、自己肯定感の希薄な人なのだ。表面的には誇り高く、
だが、まだ絶望する必要はない、とも司馬懿は思った。
完全に心の扉を閉じきった人間ならば、こうして己の内心を打ち明けたりはしてくれないはずだ。曹丕は秘密主義なところがあるが、ごく一部の信を置く者とは秘密を共有し、助けを求める素直さがまだある。司馬懿に対しても、少しずつほのめかすことで曹叡の出生の秘密にたどり着くように誘導してくれた。
彼が秘密主義を徹底できていないのは、誰かに自分を分かってもらいたいという心があるからに違いない。愛されるべき人間ではないと思いつつも、ほんの少しでいいから自分を理解してくれる味方が欲しいと心の片隅では願っているのだ。
ならば――俺はこの人の友であり続けよう。仁者であると
「公子様。恐れながら一つだけ言わせてください」
「急に何だ、改まって」
「ここに、冷酷で
「……急に改まった口調になったと思ったら、ほんの少しももたなかったな。忠誠を誓う相手にコンチクショウとか言う奴があるか。
「て……照れ臭かったんだから仕方ないでしょう!」
顔が真っ赤になっている司馬懿は、ムキーッと怒った。シリアスを保つのが本当に苦手な男である。
子供みたいに地団駄を踏んでいる司馬懿の動きがひどく滑稽で、曹丕は硬くなっていた表情を和らげて「フン」と笑った。
「は、鼻で笑ったなーーーーーーッ‼」
「お前が、猿が踊っているみたいに手足をジタバタさせて
曹丕は、妖艶な笑みを浮かべながらそう言うと、近くの木に繋げていた馬の手綱をほどき、軽やかに跳んで馬上の人となった。
「あっ! こ、公子様! 待ってくださいよ!」司馬懿も慌てて自分の馬に駆け寄って、手綱をほどこうとする。
「仲達よ」
「何ですか、公子様。いますぐ手綱をほどくので、置いて行かないでくださいよ。俺、このあたりの地理に詳しくないんだから」
「その『公子様』という他人行儀な呼び方はやめろ。お前は、俺の友なのであろう。ならば、『子桓』と呼べ」
「えっ――」
ちょうど手綱をほどいたところだった。司馬懿は曹丕の言葉に驚き、馬上の友を見上げる。
気恥ずかしくはあったが、本人の許可がおりたのだ。曹真には「ちゃんと敬って公子様とお呼びしろ」と注意されたことがあったが、曹真だって子桓様と呼んでいる。生涯の友となると決めた俺がそう呼んではならない理由などあるまい。そう考えた司馬懿は、
「し……しか……子桓さま……」
ヘラヘラとにやついた、微妙にキモイ表情で、曹丕の
ヒヒヒーーーーーーン!!!!!!!
司馬懿の馬が急にいななき声を上げ、物凄い速さで丘を駆け下り始めた。曹丕が馬の尻を
「おわぁぁぁ⁉ な、何するねぇぇぇん‼」
そう怒鳴りながら、村がある方角へと疾走していく馬を司馬懿は追いかける。
曹丕はハッハッハッと愉快そうに笑い声を立てると馬腹を蹴り、さっさと鄴城への帰路についた。司馬懿を置いてけぼりにする気満々である。
「ちょ待てよ‼ こんの意地悪色男が‼ ……あでえぇぇぇぇぇぇ!!??」
馬を追いかけている途中で小石につまずいた司馬懿は、豪快に転倒してしまい、丘をずででででっと転がり落ちて行く。
その日の秋空はよく晴れていて、曹丕の
曹操が天命尽きかけている
天下分け目の赤壁合戦への序章となる、邪神度朔君との
~第一部「運命の邂逅編」完結~
<第一部完結のごあいさつ>
およそ7か月におよんだ第一部四章の連載もこれにて完結です。最後までご覧いただき、誠にありがとうございます!m(__)m
第一部の一章から数えると、(何度かの休載期間をはさんで)約1年半……。めちゃくちゃ長かった……。第一部完結までまさかこんなにも文字数を使うとは思わなかった……(白目)
中国の怪異譚を小説化する際の難しさは、『列異伝』や『捜神記』などの志怪小説に載っているオカルティックな事件の多くが「その怪異の正体は何だったのか」が明記されていないということ。
なので、これから第二部で描かれる度朔君と曹操の戦いの結末も、『捜神記』に詳細が記されてはいますが、「度朔君という神はいったい何者であったのか」は不明のまま怪異譚は終わっているのです。
謎のまま解決してしまった怪異事件を、どう解釈して描いていくか――これがこの小説全体における最大の課題だったりします。
というわけで、第二部「神殺し編」では、とうとう帰還した奸雄曹操が曹丕に「度朔君を封印じゃなく殺せ」という無茶な命令を下すところから物語がスタートする予定です。私なりの解釈で度朔君の正体に迫っていきたいと思います。
新しい資料の読み込みや第二部全体の構想を練るのに時間がかかるのと、別作品の執筆にもとりかかりたいので、連載再開には時間がかかるかも知れません。どうか皆様、気長に曹丕様と司馬懿くんがカムバックしてくる時をお待ちくださいませ……m(__)m
あと、小燕ちゃんと董白ちゃんの次回予告コーナーは、時間ができたらなるべく近いうちに投稿したいと思いますのでご了承ください。
董白「おいコラ! 私の貴重な出番をおろそかにするつもりですか⁉ 金玉ひねり潰しますよ⁉」
小燕「董白ちゃん、口が悪すぎますってばぁ~……」
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