蛇狩り

「ひ……ひぃぃ……!」


 曹丕の冷眼に射すくめられた悪鬼袁煕えんきは、自身が化け蛇でありながら、蛇に睨まれた蛙のように萎縮した。


「ただのかと思ったら、退魔の神器であったか。こ……このままでは分が悪い。いったん退き、城邑まちの住民たちの気をたらふく喰らって霊力を回復させた後、再戦するしかあるまい。……さ、さらばだ!」


「おっと、そうはさせんぞ」


 曹丕は大蛇を逃がさない。頭上に掲げていた左右の短戟たんげきを素早く振り下ろし、二股に分かれている蛇の舌に「えん」の刃を深々と突き刺した。


 激甚げきじんなる痛みが走り、狂乱した大蛇は阿鼻叫喚の悲鳴を上げる。荒々しく身悶え、何とか逃れようとするが、暴れれば暴れるほど二つの刃は舌に深く食い込んでいった。


「お前はふたつ大きな勘違いをしているから教えてやる。目が悪い蛇に言ったところで、どうせよく分からんだろうが――俺の得物は斧ではない。二振りの短戟だ」


「あが……あがが……。げ……戟……だと……?」


「そうだ。そして、お前の舌を引き裂こうとしているこの刃は、ぎょう城で大量生産されたただの鉄塊てっかいにすぎん。魔を払う霊力など一切持っていない」


「そ……そんな馬鹿な。私は、貴様と曹叡に宿る王の気を吸収し、膨大な力を得た最強の悪鬼だぞ。平々凡々たる武器がこの肉体を傷つけられるわけが……」


「ハハッ! 最強の悪鬼だって? 貴様ごときが己を過大評価するとは笑止千万だな! ……いいか、袁煕よ。お前のような雑魚ざこは、俺がちょっと工夫すれば、平凡な武器でもボコりたい放題なのだ。そんなことぐらい、いい加減分かれ!」


 曹丕はそう嘲罵ちょうばすると、内功ないこう(内なるパワーを操る気功チャクラ)の術で肉体を強化させた。そして、刃を蛇の舌にぶっ刺したまま、膂力りょりょく凄まじく双戟を後ろに引いた。舌を乱暴に引きずり出された大蛇は「アヒャギャガァァァァァァーーーッ⁉」と絶叫する。


 曹丕は、絶望的な無力感を悪鬼袁煕に味わわせるため、わざと伏せているが――実は双戟の刃には、賈詘かくつの血がべっとりと塗られている。好色な豚である賈詘兄弟は、水仙と玉容を想っていまだに鼻血をだらだら流していたので、ちょうどいいと考えた曹丕は駆鬼くき除災じょさいの力を持つその血を戟に塗ったのである。おかげで、平凡な武器に過ぎない双戟が、即席の対怪異スーパーウェポンとなっていたのだ。


「そおぉら! これでお前の戦力は半減だ!」


 ぶちぶちぶちっと、肉が千切れる音が響く。大量の青い血が噴き出し、蛇の舌頭ぜっとうが引き裂かれた。気が狂わんばかりの激痛に耐えられず、大蛇は「ああああああ‼ 父上ぇぇぇ‼ 助けてぇぇぇ‼」と幼児退行したように泣きわめく。


「お、おわわ! 落ちるぅ~!」


 大蛇があまりにも激しく首を上下させたため、司馬懿はついに剣の柄を放してしまい、蛇の鼻の上に泰山環たいざんかんを残したまま転げ落ちた。ひょえええと叫びながら、真っ逆さまに庭園へ落ちていく。


「仲達!」


 曹丕はそう叫ぶと、横っ跳びで屋根の端っこまで素早く移動し、戟の「援」の刃で司馬懿の着物の後ろ襟を引っ掛けた。


 危うくのところで墜落死をまぬがれた司馬懿は「ふええぇぇ……。こ、公子様ぁ~……」と涙目で曹丕を見上げる。


「仲達。ここまでよく頑張ったな。……と褒めてやりたいところだが、ウルウル目で俺を見るのはよせ。三十路手前の野郎にそんな目で見つめられても、『うわっ、きっしょ』という感想しか湧いてこない」


「ひ……酷すぎません……? 貴方のためにメチャクチャ恐い目にあったんだから、もうちょっと優しくしてくださいよ……」


「あーハイハイ。いまは悪鬼退治に集中するぞ」


 曹丕は軽くそう言うと、戟を引いて司馬懿を屋根の上に立たせた。


 瘴気しょうきをたくさん浴びたせいで足がふらふらしているが、司馬懿は自分が思っている以上に頑丈な体をしている。そのおかげで、まだ何とか動けそうであった。




「おおおおおおお‼ 曹丕曹丕曹丕ぃぃぃーーーッ‼ よくもやってくれたなぁぁぁーーーッ‼ 許さん、許さんぞぉぉぉーーーッ‼ こうなったら刺し違えてでもお前を殺してやるぅぅぅーーーッ‼」


 さんざんコケにされた大蛇は、先ほどまでの恐怖心を忘れ、怒りを大爆発させている。憎き仇敵の名を連呼しながらたけり狂い、自らの巨体をぶつけて曹丕を圧殺しようと息巻いていた。


 が、どういわけか、大蛇は、曹丕と司馬懿がいる正房せいぼう(表座敷)の屋根からどんどん離れて行く。見当違いの所へと飛んで行き、東廂房ひがししょうぼう(屋敷の東側にある建物)に体当たりして屋根の半分を破壊した。


「曹丕ぃぃぃ‼ どこだどこだどこだぁぁぁ‼ どこにいるぅぅぅ‼ 隠れていないで出て来いぃぃぃ‼」


 曹丕を呪罵じゅばしつつ、誰もいない東廂房を壊し続けている。どうやら、大蛇は、自分の敵を見失ってしまっているらしい。



 いったい何が起きているのか理解できず、司馬懿は「袁煕の奴は何をやっているんだ……?」と眉をひそめた。


「俺が蛇の怪異と戦うのは、これで四度目だ。奴らの弱点は熟知している」曹丕は迷走中の大蛇を凝視みつめながらそう言い、司馬懿の疑問に答え始める。「さっきも言ったが、蛇は目が悪い。化け蛇も、生物の蛇とそう大差が無い。袁煕は俺の戟を斧だと勘違いしていた。そんな視力の弱い蛇が、獲物を探す際に頼るのが――鋭敏な嗅覚きゅうかく。そして、獲物が肉体から発する熱を感知できる特殊な能力だ」


「熱を感知? 蛇にはそんなことができる器官のようなものがどこかにあるのですか?」


「ああ。蛇の種類によって有ったり無かったりするが、大蛇となった悪鬼袁煕にはある。目と鼻の間にくぼみのようなものが見えるだろ。あれが熱を感知するための器官だ。あの器官を破壊し、ついでに嗅覚も無力化してやれば、蛇の怪異は存外簡単に退治できるのだ」


「つまり……俺に鼻の上を狙えと言ったのは、鱗を壊すためではなく、泰山環の破邪の力で蛇の大事な器官を破壊することが目的だったというわけですか。あと、それから、傷口から噴き出した生臭い血が鼻に大量に流れ込むことで、袁煕の嗅覚も狂ったと……」


「そうだ。そして、奴の舌を千切り取ったのにも理由がある。お前も見たことがあるだろう、蛇がチョロチョロと舌を出しているところを。奴らは、あの舌でも獲物の臭いを感じているのだ」


「えっ、そうなのですか⁉ ……というか、公子様、蛇の怪異を退治しすぎて、めちゃくちゃ蛇に詳しくなっていますよね……」


「動物系の怪異を観察していると、だんだんと動物の生態に詳しくなっていく。怪異研究あるあるだ。……まあ、いまはそんなこと、どうでもいい。とにかく、舌を失ったことによって、袁煕は完全に嗅覚を喪失した。いまの奴は、獲物に接近されても全く気づけない状況にある」


「されど、聴力はどうなのです。あの大蛇、耳が無いくせに、公子様や俺と普通に会話していましたよ?」


「蛇は全身を使って音の振動を感じているらしいが――あれを見ろ。天地を震わさんばかりの大音声だいおんじょうで俺を罵り続けていやがる。あんなにも喚き散らしていたら、自分の声の振動に全てが掻き消され、我々が発する声や物音などは全く聞き取れてはいまい。よほど近距離で叫んでやらねば、こっちに気づかないはずだ」


 視界は不良。頼りの熱感知センサーと嗅覚は失われ、聴覚もあてにできない状況。そのせいで曹丕を見失い、暴走しているわけである。とどめを刺すのなら絶好のチャンスだった。


「さあ、状況の説明はここまでだ。蛇狩りといくぞ。お前は下におりて、妙才みょうさい夏侯淵かこうえんあざな)おじさんに伝えてくれ。『いまから俺が大蛇を庭の真ん中に叩き落とすから、兵士たちを避難させておいてくれ』とな」


 曹丕は、空飛ぶ悪蛇を庭園から眺めている夏侯淵隊をチラリと見ながら、司馬懿にそう命令した。


 夏侯淵は、戦線に曹丕が現れると、「あの化け蛇は怪異退治の専門家に任せておいたほうがいい」と考えたらしい。臨戦の態勢だけは解かず、さっきから曹丕と大蛇の戦いを見守っていた。


「承知しました。公子様、ご武運を」


「蛇の退治ごとき武運もくそもあるか。この前の馬超との戦いに比べたら、袁煕を討つことぐらい造作も無いわ」


 曹丕は、いつもの傲岸不遜な微笑を浮かべると、いまだに無意味な破壊行動をしている大蛇めがけ、軽功けいこうの術で飛翔した。




            *   *   *




「ウガァァァァァーーーッ‼ 曹丕はどこだぁぁぁーーーッ‼ 私から逃げるなぁぁぁーーーッ‼」


 大蛇は、血気けっき暴怒ぼうどの勢いに任せ、ついに華佗邸の東廂房を全壊させた。


 そして、近くに破壊する物が無くなると、仇敵を探し求め、さらに見当違いな方角――隣の屋敷へ飛んで行こうとした。


「馬鹿め。俺から逃げているのは貴様のほうだ」


 怒声が突如、頭上から降り注ぐ。軽功術で大跳躍した曹丕が、人間ロケットのごとくぶっ飛び、戦いの場から遠ざかりつつあった大蛇に追いついたのである。


「ぬっ⁉ そ……曹丕‼」


 驚いた大蛇は、視界の狭い両眼で、天を睨もうとした。


 だが、動作がのろい。頭上の敵影はすでに消えていた。


「袁煕! 俺はここだ!」


 大蛇がハッと気づいて前方に視線を戻した時には、曹丕は鱗が剥がれている鼻の上――ちょうど霊剣泰山環が刺さっているところ――にいた。


「せいやッ!」


 気合一声。


 曹丕は、霊剣の柄頭つかがしらめがけ、疾風の蹴りを放つ。


 その衝撃で、半分ほど刺さっていた剣身の全てが顔面の肉に深々と突き刺さった。



「グガァァァァァァーーーッ⁉」



 大蛇は、顔が四分五裂に砕け散ったかのごとき劇痛げきつうに襲われる。実際、泰山環の破邪の力は、さらに広範囲の鱗を溶かしていき、首の付け根あたりまで赤くただれた皮膚をさらすこととなった。


 あまりにも劇的な痛撃に、大蛇の意識は危うく飛びかける。


 が、ここで気絶したらなぶり殺しにされることは悪鬼袁煕も分かっている。何とか持ちこたえ、首を荒々しく振りながら黒霧を吐き出した。


 しかし、霧の噴射の勢いが弱い。霊剣泰山環によってさんざん痛めつけられ、無闇やたらに黒霧を吐きまくっていたせいで、大蛇の霊力はいちじるしく減少してしまっていたのである。気がつけば、体の大きさも半分以下になり、黒龍と見紛うほどの偉容は失われつつあった。


「ハハッ! どうした、そのしょぼい毒霧は。そんなものでは俺の攻撃を止められぬぞ」


「く、くそっ……。あとほんの少しの時間、王の気を喰らうことができていれば、蛇神となって貴様などに負けることもなかったのに……」


「ぐだぐだと泣きごとを言うとは、とことん情けない奴め。貴様の醜態を見るのもいい加減飽きてきたぞ。……これで終わりにしてやるッ!」


 曹丕はそう宣言すると、蛇の頭の上をダダダッと風切って疾走し、首の付け根に到達したところで跳躍した。そして、双戟を持った両腕を交差。空降る火球のごとき勢いで、頭から真っ逆さまに落ちていく。


「とっとと地上に落ちろ! 蛇ふぜいが!」


 電閃でんせん双撃そうげき。曹丕は怒号を上げながら、交差させていた両腕を左右に払った。


 二つの「援」の刃が、鱗を失った蛇の皮膚を豪快に切り裂く。


 双戟が肉体の深部に食いこむと、今度は先端の「」の刃が傷口を大きく広げ、蛇の首はとうとう裂断れつだんされてしまった。


「あああああ‼ 首がぁぁぁーーー‼」


 斬首されて死んだ悪鬼袁煕は、今わのきわの恐怖の記憶を思い出し、首だけになった状態で泣き叫んだ。


「フッ……。ざっと済んだな」


 曹丕はそう呟くと、蛇の首を雑に蹴って、華佗邸の庭園へと墜落させるのであった。

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