仕置きの時間
「曹丕が仁者だと? だったら……この私は何だというのだ。自分の息子を祟り殺しかけた愚者か? それとも、邪神にいいように利用された道化か?
……思い返せば、私は兄弟で最も影が薄く、父や家臣たちからも軽く見られがちであった。そして、死後にすらこのような恥をさらしてしまうとは……。フフ……フフフ……フハハハハ‼」
己の過ちに気づいた大蛇は、突然、壊れたように
喉の奥から黒い霧が
「ぐ……ぐおっ⁉ 体の力がどんどん抜けていく……。お、おい、
「愚か愚か愚かぁぁぁーーー‼ どいつもこいつも私を愚か者扱いしやがってぇぇぇーーー‼ 部下たちもそうだった‼ 敵の手に落ちた妻を取り戻せぬまま北方に落ち延びた私のことを、陰ではみんな馬鹿にしておった‼ ああ、そうさ‼ 私は負け犬で弱虫の愚か者さ‼ なにせ自分の息子と知らず、曹叡を
「げほっ、ごほっ……。曹叡の正体を教えてやれば、袁煕の心に宿る
そう呟きつつ、司馬懿は、この苦境を打破する策は無いか必死に思考を巡らせ続ける。
力尽きる前に、大蛇の体内にイチかバチか侵入し、
それに、霊剣泰山環は、「怪異に
「もうどうでもいい……。私は息子を殺しかけてしまった。水仙にも愛想を尽かされたことであろう。この世でたった一つ確かであった妻の愛を失ったいま、人間袁煕は完全に死んだ。いまの私は悪道に走った怪物にすぎぬ……。怪物は怪物らしく、身の内から湧き起こる殺意の衝動に従うのみ。この
グオオオォォォと龍のごとき
「い、いかん。これ以上、こいつの邪悪な気を浴び続けたら、本当に死んでしまうぞ。ど……どうしたら……。
ハッ! そ、そうだ!
そう思い到った司馬懿は、わずかに残っている力を振り絞り、大蛇の
――穢れは絶対に私に近寄るな!
とばかりに、強力な邪気バリアを張った。
「ホッ……」
と司馬懿は安心した。だが、それが油断となった。
大蛇が再び狂ったように吠え、空中で大暴れすると、司馬懿の足場――大蛇の舌である――がぐねぐねと動き、滑って転んでしまったのである。
「し、しまった!」と叫んだのとほぼ同時に、大蛇の口から吐き出され、真っ逆さまに落ちていった。
「うわぁぁぁ~~~⁉ た……泰山環! お前、宙を浮けただろ! このままだと墜落死してしまう! いますぐ飛んでくれ!」
司馬懿は霊剣にそう訴えたが、持ち主が墜落死しようが知ったことじゃねぇと思っているのか、泰山環は飛ぼうとしない。
もはやここまでか――と
「仲達! 俺の足を取れ!」
曹丕の鋭い声が耳に響いた。
まさか……と思って下を見ると、大穴が開いている華佗邸の屋根の上に曹丕が立っていた。両手には
「あ……足⁉ 手じゃなくって⁉」
「見ての通り、手は塞がっているのだ。……行くぞッ!」
そう言うやいなや、曹丕は飛矢のごとき勢いで高々と跳躍。落下中の司馬懿めがけて一直線に飛びながら、右足を頭のてっぺんまで蹴り上げた。
司馬懿は、精いっぱい手を伸ばして、曹丕の足首をはっしとつかむ。
すると、曹丕は空中でピタリと止まり、すがりついている司馬懿の体ごと右足を後ろへブゥゥゥーーーン! と大きく振り上げた。
手を放してしまいそうになった司馬懿が「のおぉぉぉぉーーーっ⁉ 何するんじゃぁぁぁーーー‼」と悲鳴を上げる。
「もういっぺん、袁煕のところへ行って来いッ!」
強豪サッカー選手が稲妻シュートを決めるかのごとく、猛烈な勢いで右足を前へ再度蹴り上げる。
足にしがみついていられなくなった司馬懿は、
「助けてくれるんじゃなかったのかよぉぉぉーーー‼」
そう叫びながら、上空で黒霧を吐き散らしている大蛇のもとへとぶっ飛んで行く。
「鼻だ! 奴の鼻の上に泰山環をぶっ刺してやれ!」そう怒鳴りつつ曹丕は落下し、屋根の上にひらりと着地する。
そんな簡単に言うなよあほんだら! と心の中で罵りながらも、司馬懿は霊剣を
「アガァァァオオォォォーーーッ⁉」
天空をつんざく怪物の
泰山環の退邪の力によって、刃が突き刺さった周辺の鱗が、粉々に砕けて消失していく。
大蛇の鼻のまわりは、赤々と
(なるほど、そういうことか。犬の化け物の
司馬懿は曹丕の意図をそう解釈し、さすがは策士だ、と感心した。
しかし、その直後、憤激した大蛇が雷鳴のごとき怒声を上げ、
「曹丕ぃぃぃーーー‼ 私を馬鹿にするのもいい加減にしろぉぉぉーーー‼ 鱗を剥いだところで、そんな斧の刃ごときで私の肉体に傷ひとつつけることなどできぬわぁぁぁーーー‼」
司馬懿を頭の上にのせたまま、曹丕めがけて急降下を始めた。
巨大かつ長い胴体を激しくくねらせ、凄まじい
「がんばって剣を放すな。あとで助けてやるから」
「無理無理無理! いますぐ助けてくれないと死んじゃう! もう体力の限界!」
曹丕は、司馬懿の悲鳴を無視。双戟を持つ両手をだらりと下げ、屋根の上で大蛇を待ち受ける。
前にも書いたが、戟は古代中国のポピュラーな武器の一つである。
刃がト字型になっていて、刺突用の先端の刃を「
曹丕は、柄が短めの短戟を左右に持って、
「
大蛇の巨大な口がグワァァァと開き、
「そんな
司馬懿の霊剣には翻弄されたが、何の霊力も持たぬ一般の武器ごときでは、自分を傷つけることはできない。悪鬼袁煕にはその自信があった。
だが――次の瞬間に
大蛇の自慢の牙は、曹丕が頭上で構えていた双戟の「刺」の刃と激突した直後、粉々に砕け散ったのである。
「馬鹿め。この俺を誰だと思っている。
「あ、あ、あ……。わ、私の牙が……斧ごときに……」
「さてと――ここからは仕置きの時間だな。覚悟しろよ、袁煕。お前の運命はすでに我が掌中にある」
そう告げると、曹丕は
司馬懿は、その妖艶な笑顔を何度も見てきている。
彼のその微笑みは、怪異たちにとって死刑宣告に等しいものだった……。
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