草の怪異との死闘

 ――おや? 二手に分かれて戦う気かな? そうはさせないねぇぇぇ。


 費長房ひちょうぼう側の動きを察知した度朔君どさくくんは、神兵十人を巨大な猛虎に変化へんげさせた。


 体毛は、本物とは違って草色をしているが、凶暴さは実物の虎と全く変わらない。むき出しにした牙を光らせ、張繍ちょうしゅうめがけて殺到した。


 しかし、張繍は、曹操を幾度も撃破した歴戦の勇将だ。これぐらいのことで慌てるような怯者きょうしゃではない。フンと鼻を鳴らし、泰然と構えている。


「この張繍、一生涯いっしょうがいにおいて、虎ごときを恐れたことなどただの一度もない。ましてや死者となったいま、恐ろしいものなど苦手なねぎ以外は何もないわッ」


 そう豪語するや、十頭の虎が四方から一斉に飛びかかって来るぎりぎりの瞬間を狙い、草地を蹴って高々と飛翔した。


 標的を見失った虎たちは、お互いの頭を勢いよくぶつけ、仰向けにひっくり返る。目を回したようで、お腹を見せたまま、すぐには起き上がってこない。



 ――なかなかやるねぇぇぇ。ならば、これはどうだい?



 度朔君は、神兵の一人を再び巨大なわし変化へんげさせ、空中にいる張繍めがけて突撃させた。


 しかし、張繍は巧みに身をひねってかわし、逆襲の蹴りで鷲を遠くへと吹き飛ばした。


「費長房! その可愛らしいニャンコたちの始末はおぬしに任せた!」


「ええ~! こいつらを倒してから、屋敷の防衛に当たってくれてもいいのにぃ~! 他に狼とか蛇もいるし、ちょっと手伝ってくだいよぉ~!」


「庭にいる敵は自分が引き受けると言ったのは、おぬしだろうが! 己で決めた役割分担ぐらいちゃんと守らぬか! たわけ!」


 張繍はそう怒鳴ると、敵勢が押し寄せつつある建物のすぐそばに着地した。廂廊しょうろう(渡り廊下)には、神兵数人がすでに入り込んでしまっている。


「そうはさせるかッ!」


 幽鬼の身になったおかげだろう。どれだけ暴れても、体が全く疲れない。これならば、若き日のような八面六臂はちめんろっぴの戦いができそうだ――張繍は心の中でそう歓喜しつつ疾走。廂廊に侵入した神兵たちを背後から襲撃し、立て続けに彼らの脚を切断した。


 両脚を失った神兵たちはどうっと倒れる。すぐに再生を始めるかと思いきや、兵たちは脚が無い状態のまま、這って逃げ始めた。草花が生えている庭に戻ろうとしているようだ。


 張繍は、神兵たちの逃走を許さず、捷急しょうきゅうなる剣さばきで頭部と両手を斬り落とした。


 胴体のみになった神兵たちは、もぞもぞと気味の悪い動きであがいていたが、やがて欠損箇所から芽が生えるように肉が盛り上がってきて、頭と手足が生えた。屋内には吸収する草花が無いため、残った肉体を使って欠損した部分を再構築したようである。その代償として、体は一回り小さくなっていた。


 張繍は「ならばもう一度ッ」と怒鳴り、再生したばかりの首と四肢を斬る。案の定、切り落とされた部分が再び生えてきたが、十三尺もあった巨人たちの身の丈は、子供並みの小ささになっていた。


 ここまで小さくなれば、脅威でも何でもない。

 張繍は、おうッ、やあッ、とおッ、と鋭い声を上げて長剣をふるい、よろよろと立ち上がったチビ神兵たちを頭から真っ二つにしていった。


 執拗に切り刻まれた結果、草の怪異たちもその身を再構築する力をとうとう失ったらしい。兵士たちの肉体は、本来の姿である草に戻り、見る見るうちに枯れて果てていった。度朔君の呪いが解けたのだ。


(こいつら、草花が近くに無い場所では、肉体を無尽蔵に再生できないのか。ならば、屋内で戦ったほうが得策……いや、それはできぬな。これだけの数を屋敷の中に誘い込めば、乱戦になるのは必定ひつじょう。曹丕殿や女子供の身に危険が及ぶ恐れがある。やはり、屋敷に侵入される前に極力倒すしかあるまい)


 それにしても、あまりにも状況が悪すぎるな……と張繍は内心舌打ちした。


 ざっと見渡しただけで、七、八十人の神兵たちが屋敷に一斉に押し寄せようとしている。庭園では費長房が二十数人の神兵と猛獣に包囲され、苦戦していた。


 こちら側の戦力は、たった二人である。一方、敵は、草花がある限りうじゃうじゃと湧いてくる邪神の兵士たち。しかも、戦場は、薬草を百種以上栽培している華佗かだ邸の庭だ。ぎょう城でここほど草花の多い場所は無い。草の怪異を暴れさせるのには最適の地である。


 張繍と費長房は、邸内にいる曹丕らを守るためにそのでの戦闘を強いられ、圧倒的な不利に陥っている。狡知こうちに長けた邪神度朔君の罠にまんまとかかったわけだ。


 しかし――これしきのことで弱気になどなってはおれん、と張繍は己を叱った。


 引き受けた役目を果たさねば武者の名折れだ。それに、ここで草の怪異ごときに屈すれば、自分を最後の最後まで毛嫌いしていた曹丕に「やはり、張繍はたいした男ではなかったわ。俺の兄を殺したくせに……あの役立たずめ」と散々に罵倒されそうである。それもまた、武人として不名誉なことだ。是が非でも費長房と協力して曹丕を守りきらねばならない。


「おい、費長房! なるべく草花が少ない場所で戦え! さすれば、草の兵士は体を再生しにくくなる!」


 張繍は、廂廊から邸内に侵入しようとする神兵たちをある程度たおすと、費長房にそう呼びかけた。そして、庭先に飛び出て、足元の草を長剣でぎ、襲いかかって来た神兵の胴を一刀両断した。


「あちこちボーボーですやん! この庭のどこに草の少ない場所があるって言うんです⁉」


 たくさんの飛刀を念力サイコキネシスで操りつつ苦闘している費長房は、涙声でそう叫ぶ。四方八方から迫り来る草の怪異たちの攻撃を防ぐのがやっとで、脱いだ衣服を着る余裕すらない。つまり、いまだに全裸だった。


「草刈りしながら戦うしかあるまい!」


「無茶言うなし! できるわけないでしょーが、そんなこと!」


「できないのなら、ここで死ぬだけだぞ!」


「く……くっそぉ~……。自分はもう死んでいるからって、他人事みたいに……。分かりましたよ! やればいいんでしょ! やれば!」


 ヤケクソになったのだろう。費長房はそう怒鳴ると、神兵たちが繰り出してきた槍衾やりぶすまを浮遊の術で鮮やかにかわし、脱いでいた衣服を空中で器用に着た。


 そして、すかさず風を巻き起こす方術――女子のスカートをめくるための小技だが、熟練の方士が使用するとハリケーン並みの暴風を起こせる――を発動させた。


「そぉぉぉーーーいッ‼ 風よ、来いこーーーいッ‼」


 超能力フルパワーのポーズ――それはたまたまだが、ビートたけしのコマネチに似ていた――を空中で決めた直後、費長房の股間のあたりから猛烈なる竜巻が生まれ、地上にいる神兵や猛獣を呑み込んでいった。


 烈風に巻き込まれた草の怪異たちの巨体は、まるで小石のように軽々と浮き、天高く舞い上がる。


 費長房が術を解除すると、風は一瞬で止み、草の怪異たちは真っ逆さまに地上へと落下した。


 凄まじい勢いで大地に叩きつけられた神兵と猛獣らの肉体は、見るも無残なほどバラバラになった。


「よっしゃ! 今のうちに……!」


 ふわりと地面に舞い降りた費長房は、念力で飛刀を手元に引き寄せ、せっせと草刈りを始めた。


 だが、足元の草花を数本刈ったところで、草の神兵たちは驚異的な再生能力で復活、武器を手に持って費長房に殺到してきたのである。


「やっぱりこんな戦い方、効率悪過ぎですやん! ……ええーい、仕方ない! もう一度だ! そぉぉぉーーーいッ‼」


 費長房は再度、竜巻を巻き起こした。


 しかし、慌て過ぎたのだろう。うっかり自分まで烈風に巻き込まれてしまい、草の怪異たちと仲良く上空へと舞い上がってしまった。


「ぐべぇぇぇ~~~ッ!!?? 風よ止まれ、止まれ!!!!」


 神兵や猛獣と一緒に落下した費長房は、顔面から大地に激突。墜落直前に身体硬化の術を使ったため、草の兵士たちのようにバラバラ死体になることは何とか免れた。


「真面目に戦わんか、アホ方士! 己の術で自滅するとか、さすがにそうはならぬであろう!」


 張繍が屋敷に迫る神兵を撃退しつつツッコミを入れると、費長房は鼻血をだらだらと垂らしながら立ち上がり、「なっとるやろがい! こっちも必死なんだから、文句を言うなし!」と逆切れをする。


「そーいうアナタも、正面から来る敵ばかり相手していて大丈夫なんですか⁉ 姑息な邪神のことだから、屋敷の裏手からも神兵を侵入させようとするかもですよ!」


「チッ。頼りないくせして、口だけは達者な男め。……だが、一理あるな。少し周りの状況を確かめてみるか」


 費長房の駄々っ子みたいな態度に辟易へきえきしながらも、張繍はそう呟く。


 そして、向かって来た神兵たち五、六人を疾風はやての剣で斬り刻むと、大跳躍して華佗邸の屋根の上にのぼった。



「こ……これは……!」


 屋根の上から華佗邸の周辺を回視かいしした張繍は、驚愕きょうがくの声を上げた。


 からめ手から攻められるどころの話ではない。華佗邸はいつの間にか、四方を神兵の大軍勢に完全包囲されていたのである。大路小路に草の兵士たちが満ち満ち、その全てがこの屋敷に向かって来ているではないか。


(あちこちの邸宅の門から草の兵どもが出て来ている。……度朔君め。周辺の家々の草花も、兵士にしおったか)


 悲鳴らしき声が、二、三かすかに聞こえてくる。真夜中のため、ほとんどの住人はまだ眠っているはずだが、早起きの使用人あたりが庭で草の兵士と遭遇して腰を抜かしているのだろう。


 もしかしたらと思い、すぐ近所である張繍の旧邸――今は司馬懿の家――を見やると、果たせるかな、武器を持った神兵たちが(なぜかやや慌てた様子で)正門から走り出て来るのが確認できた。


 度朔君は、少なく見積もっても、近辺の二十数軒から「兵力」を調達したらしい。張繍という強力な助っ人が現れたため、邪神も少しは本気を出さねばと思ったのだろう。さっきから度朔君の嘲笑するような声が聞こえてこないのは、この企みを気取られないようにするためだったのだ。


「しかし……これはまずいな。わしに残された時間はあとわずかだ。司馬仲達よ、早く来い。このままでは間に合わなくなるぞ」


 張繍は憂いの表情で、東の空を睨みつつそう呟く。


 夜明けの時刻は近い。朝が来れば、幽鬼である張繍は現世での行動ができなくなる。費長房ひとりでこの大軍と戦うことなど不可能だ。司馬懿はいったい何をしているのか――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る