張繍見参

「あ、あばばばば! 火神の護符を早く出さなきゃ危険が危ない! あれでもなーい! これでもなーい!」


 費長房ひちょうぼうは、着物のふところたもとの中を慌ててあさり、隠し持っていたモノを周囲にまき散らした。


 戦闘の役に立たなそうな護符、おやつの胡餅こへい(薄いパンを焼いたもの。西域から伝来)、妓女ぎじょ香雪こうせつを悦ばせるための張形大人のオモチャなどなど。お前の服の中は四次元空間かよとツッコミたくなるほどたくさんのモノが出て来たが、いま一番必要な火神の護符だけが見当たらない。最終的に費長房は裸になり、衣服を逆さにして、所持品を全てぶちまけた。


 とても重要なことを思い出したのは、その直後のことである。


「あっ。そういえば…………火神の護符は、方士仲間の左慈さじに十年前借りパクされて、そのままだったんだ。なぁ~んだ、道理で見つからな――あいだぁぁぁ⁉ お尻突かれたぁぁぁ‼」


 延々と続くひとりコントを敵が黙って見守っているはずがない。度朔君どさくくんは、巨人化した神兵の一人を操り、費長房の尻を槍で突かせた。全裸の費長房は「桃色のお尻が自慢なのに勘弁してよぉぉぉ‼」と泣き叫びながら転げ回る。



 ――こんなアホ方士に全ての兵力を割く必要は無いねぇ。三分の一に費長房の相手をさせて、三分の二は屋敷の中に突入させるとするか。曹叡そうえい袁煕えんきに殺されても構わないけど、曹丕は大事な「候補者」の一人だ。曹叡の身代わりに曹丕が死ぬなんてことはあっちゃぁいけない。いますぐ、曹丕がやっている術を止めないとねぇぇぇ。



 度朔君の心の声がまた聞こえてきた。


 それはまずい。邸内への侵入を許してしまったら、後で子桓しかん(曹丕のあざあ)様にぶっ殺される――費長房はそう焦ったが、絶体絶命の現状を何とかしなければ、先に神兵たちの手にかかってあの世行きだ。しかし、火神の護符が手元に無いことが分かったいま、どう戦うべきか……。


「ぴえーーーん‼ 誰か助けてください‼ 助けてくださーーーい‼」


 パニックになった費長房は、庭園の中心でヘルプを叫んだ。


 その悲鳴を耳にして駆けつけた――わけではないが、威風堂々たる鎧武者が華佗邸に飛び込んで来たのは、ちょうどそのタイミングだった。


破羌はきょう将軍、張繍ちょうしゅう! 見参ッ!」


 幽霊武者は、そう叫ぶと同時に大跳躍し、空中で抜剣。オオオオッと咆哮ほうこうを上げながら長剣を一閃させ、費長房に矢を射かけようとしていた神兵の首を豪快にねた。


 緑の血がどばっと噴き出し、神兵は草むらに倒れ伏す。地面に転げ落ちた首は、たちどころにその形を保てなくなり、本来の姿――数輪の枯れた花に戻った。


「ちょ……張繍将軍⁉ アナタ、遠征中に亡くなったはずじゃ⁉」


 思いがけない助っ人に驚き、費長房は素っ頓狂な声を上げる。


「そうだ。わしは死んだ」


 そう答えながら、張繍は費長房のすぐそばに着地した。


「幽鬼の身ではあるが、曹丕殿への罪滅ぼしのため、助太刀に参ったのだ」


「幽鬼でも何でも、助けてくれるのならありがたい! でも、気をつけてください。こいつらは草の怪異で、斬ってもすぐに周辺の草花を吸い寄せて――」


 費長房がそう言っている内に、先ほど張繍によって斬首されたはずの兵士の頭が復活していた。近くに咲いていた花々を吸収し、新しい頭を生成したのだ。


 神兵は、何事もなかったかのごとく、弓矢を手に持って悠然と立ち上がる。


「……なるほど。こいつが度朔君の神兵か。二年前、張郃ちょうこうが手こずったとは聞いていたが、たしかに厄介な敵だな」


「それだけじゃないんですよ。この草の怪異が姿を現したのは、二年前が初めてではないんですってば」


「どういうことだ、それは」


「張繍将軍は覚えていませんか。いまから二十三年前、多くの郡や県の境界で、奇妙な草が路傍に出現する怪異事件があったじゃないですか」


「奇妙な草だと? そういえば……儂がいた涼州では現れなかったゆえ、この目では見ていないが、そんな奇怪な風聞を耳にしたことがあったな。たしか、その年に黄巾こうきんの乱が起きて――」


 そこまで言いかけたところで、張繍は何かに気づき、ハッとした表情で費長房を凝視みつめた。費長房は「そういうことです」と言い、深々とうなずく。



捜神記そうじんき』に曰く――光和こうわ七年(一八四)、現在の河北省や河南省、山東省などの地域で謎の超常現象が起きた。郡や県の境域において人間の姿形をした草が大量に生えたのである。その草人間たちは、手に剣や弓を持ち、まるで兵士のようだった。しかも、それだけでなく、牛馬や蛇、鳥などの動物、伝説の龍の形をした草までもが現れた。人々はこの怪奇現象を不気味がった。大賢たいけん良師りょうし張角ちょうかく太平道たいへいどうの信者を率いて黄巾の乱を起こしたのはそれから間もなくのことである。



「当時、身を寄せていた何進かしん霊帝れいていの皇后何氏かしの兄)様の依頼で、ワタクシは怪異が発生した幾つかの土地を調査し、実際に草の怪異を目撃しているのです。この度朔君の神兵とそっくりでしたよ。いまのいままで、すっかり忘れていましたが」


「つまり……。漢王室衰退のきっかけとなった黄巾の乱に、邪神度朔君が関わっていたというのか。まことに、おぬしが二十三年前に遭遇した草の怪異とそっくりなのだな?」


「ええ。あの時、戦闘になって草の化け物の首を斬り落とした際も、緑色の血が出ました。特徴は完全に一致しています。あの兵士たちも、度朔君に操られていたんじゃないかと」


「むむむ……。胡散臭い邪教の神だとは思っていたが、まさか黄巾賊の国家転覆計画に一枚噛んでいたとは……。そのような危険な神、速やかに退治せねば!」


「神殺しなんて不可能だとは思いますが……。せめて、この草の怪異たちだけは、何とかしなければ。さもないと、ワタクシが子桓様に怒られます。将軍、どうか手を貸してください」


 費長房がそう懇願すると、張繍は「さっきも言ったが、そのつもりで来たのだ。任せておけ」と威厳に満ちた声で請け合った。


「で、儂はどうすればよい。策を申せ」


「ワタクシは庭にいる度朔君の神兵たちを何とかします。張繍将軍は、屋敷に侵入しようとしている兵士をやっつけてください」


「よかろう」


「建物の中には、子桓様と曹叡様、水仙様、それに華佗殿の夫人もいるので、四人を必ず守り抜くこと! 一人でも怪我人を出したら、子桓様にシバかれると思ってください! 幽鬼であろうが容赦しませんからね、あの人は! あと、そっちのほうが敵の数が多いので、しっかりとよろぴくぅ~!」


 費長房は早口でまくしたてた。助けてくれると分かった途端、この態度である。面倒な仕事を押しつける気満々だった。


(このアホ方士め……。司馬仲達が心配していた通りだったぞ。こいつ一人に曹丕殿の護衛など任せておけぬわい)


 張繍は内心呆れつつも、費長房に言われた通り、屋敷の防衛にあたることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る