迫る決戦

 かくして、方士大福は捕縛された。


 曹洪は、大福が目覚めても逃げ出せないように、食客たちに縄できつく縛らせると、


「さぁ~て、屋敷でじっくりと尋問してやるか。こいつが知っていることを洗いざらい吐かせれば、あの度朔君どさくくんの正体も分かるだろう。神を名乗ってはいやがるが、どうせ正体はただの人間、ちょっとだけ凄い方術使いか何かに決まってらぁ。もしも本当のことを吐かなければ……イッヒッヒ。色んなオモチャを使って、たぁ~っぷりと可愛がってやるぜ」


 悪辣あくらつ極まる笑みを浮かべながらそう言い、自邸に引っ立てていった。


 司馬懿たちは、砂塵上げて去りゆくヒャッハー集団の姿が見えなくなるまで、呆然と立ち尽くしていた。あまりにもひどい戦い方を目の当たりにして、誰もが言葉を失っている。


 ただ一人、冷静な曹沖だけが、「子丹したん(曹真のあざな)殿。怪我人は出なかったかい?」と一同を気遣う余裕があった。


 少年の落ち着いた声で我に返った曹真は、あたりを見回しながら「は……ははぁ。恐らく大丈夫なようです」と答える。


「それは良かった。おや……? 木の精の姿が見えないな。子丹殿、すまないけどあたりをちょっと捜してみてください。たぶん、近くの物陰でまだ震えていると思うから」


御意ぎょい


 曹真は一礼すると、曹沖たちから離れ、門兵を使って双頭の豚の捜索を始めた。


 司馬懿も、その頃には、ようやく平静を取り戻していた。

 やぶの中に顔を突っ込んで賈詘かくつを捜している曹真の姿をチラリと確認した後、「あの……」と曹沖に小声で話しかけた。


「今から袁煕えんきや度朔君との決戦が待っていますが……曹洪将軍を戦力に加えなくても良かったのでしょうか」


「ん? 司馬懿殿は子廉しれん(曹洪のあざな)おじさんがこの一件に深入りすることを嫌っていたんじゃないのかい?」


「もちろん、最初は反対でしたよ。曹洪将軍は、曹丕様とは犬猿の仲。もしも、悪鬼袁煕との戦いを通じて曹丕様の秘密に気づいてしまったら……。あの鬼畜将軍のことです、『これは子桓しかん(曹丕のあざな)を陥れる絶好の機会だ』と喜ぶはず。十中八九、曹公(曹操)に密告するでしょう。ニブチンな曹洪将軍にかぎって、曹丕様の秘事を見抜けるとは思いませんが、それでも万が一ということがありますから」


「うん。私もそのことを危惧きぐしたから、捕虜の尋問を名目に子廉おじさんを遠ざけ、袁煕と度朔君の戦いには別の将軍を救援に呼んだんだ。それなのに、今さらどうしてそんなことを言うんだい?」


「いえ……。予想以上にあのチンピラ集団が強かったもので。曹丕様の命を一刻も早く救うためには、彼らを連れて行くべきだったのでは……と少し思ったのです。呆れるぐらい常識外れな戦法ですが、得体の知れぬ邪神との戦いに役立つのではないかと」


「んー、それはどうだろうね。大福は二流の方士だったから、簡単に倒せただけだし。彼らみたいなチンピラ集団の戦術は、たとえば関羽や張飛が相手だったら絶対に勝てない。間違いなく瞬殺される。ああいう奇をてらった戦法は、超一流の敵には通用しないものさ。

 度朔君が正真正銘の神なのか、子廉おじさんが言うように偽りの神なのか、それは分からないが……ただ者ではないことは確かだ。一度は父上が遣わした精鋭軍を退けているし、子桓兄上を出し抜く知恵を持っているのだからね。子廉おじさんの食客たちでは歯が立たないよ、きっと。むしろあんな気が散る戦い方をされたら、逆に邪魔になるぐらいだ」


「あっ。言われてみれば、たしかに……。一緒に戦うことを考えたら、ものすっごく邪魔そうですね、あいつら」


 司馬懿が納得してそう呟くと、曹沖はクスリと笑いながら「だよね」と言った。二人とも、フリチンで突撃して邪神度朔君に返り討ちに遭うヒャッハー集団の図を想像している。


「では、曹洪将軍には、このまま大福を徹底的に尋問して、度朔君の正体を突き止めてもらったほうが良さそうですな」


「それはあんまり期待しないほうがいいと思うよ。子廉おじさんはけっこう迂闊うかつなところがあるからね。何も有益な情報を訊き出せないまま、半日ぐらいで大福に逃げられる可能性が高いと私は読んでいる」


「えっ? それでは捕まえた意味が――」


「いや、意味はあるさ。さっきも言ったように、捕虜を尋問してもらうという口実で子廉おじさんを遠ざけることができた。

 それに、ほんの少しの間だけでも、大福の身柄を拘束できていれば御の字というものさ。邪神と悪鬼をまとめて退治しなきゃいけない時に、方術使いが敵の援軍として現れてごらんよ。非常に厄介なことになるでしょ?」


(う、う~む……。この子供はいったい何手先の未来まで読んで行動しているのだろうか。末恐ろしい少年だ……。あの曹丕をして「俺よりも優れている」と言わしめるだけのことはあるな)


 この少年、他者をいたわる仁愛の心を持ちつつも、お人好しというわけではなく、人を見る目はあくまでも冷徹。君主として非常にバランスが取れている。長ずれば、父の曹操すら凌駕りょうがする英雄になるかも知れない。心中、司馬懿は曹沖に賛辞を贈っていた。


 だが――どういうわけか、この男が同時に感じていたのは、人として最低なところが多々ある曹丕が自分のそばにいないことへの寂しさであった。別行動を取っているのはほんの数刻だけなのに、もう一か月も顔を合わせていないような気がする。理由は分からないが、司馬懿は、曹沖では物足りないのである。




「曹沖様! 賈詘を見つけましたぞ!」


「ブヒィィィ……。死ぬかと思ったブヒィィィ……」


「ちょっとおしっこを漏らしたブゥゥゥ……」


 曹真が、双頭の豚を両手で抱え、駆けて来た。


「では兄上を助けに行こうか」と曹沖が言いかけた時、幽鬼メイド小燕の身に異変が起きた。


「あっ……。体が透けてきている。旦那様、夜明けが近いみたいです」


 半透明になった自分の体を見下ろしながら、小燕が司馬懿に言う。


 門兵たちが「ひええ! お、女の子の体が……! まさか、幽鬼だったのか⁉」と驚いているが、いまは説明している暇は無いので、司馬懿は無視をした。


「ということは……費長房ひちょうぼうの応援に行ってくれている張繍ちょうしゅう将軍も現世での行動がそろそろできなくなるということだな。華佗邸の守りが費長房ひとりになったら心もとない。急いで駆けつけねば」


 司馬懿は、白みつつある東の空を睨み、そう呟く。


「小燕。お前はもう冥府に帰っていいぞ。一晩中つきあわせて悪かったな」


「いいえ、それはぜんぜん構わないのですが……。曹丕様のことがすごく心配です。旦那様、必ず曹丕様を助けてあげてくださいね」


「分かっている。俺は、俺を信じてくれる人間を、絶対に裏切らない。任せておけ」

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