双頭の豚、賈詘

「う、うわぁ! 頭が二つある豚の化け物だぁ~!」


 兵士たちは、斧を放り出して逃げようとした。


 曹真はその中の一人の首根っこをつかみ、


「こら! 逃げるな! あの精魅もののけがどこかに走り去る前に捕えるのだ!」


 と、怒鳴った。


 しかし、見たところ、双頭の豚――賈詘かくつ遁走とんそうする気配はない。


 左の頭が、鼻をクンクン鳴らしながら、「なあ、兄者」と右の頭に話しかけた。右の頭は「何だ、弟」と応じる。


「めっちゃ匂うブゥゥゥ。美少女の匂いが近くでプンプンするブゥゥゥ」


「呆れた奴だブヒィィィ。我らが長年宿っていた大木の命が尽きたというのに、何を呑気なことを言っているブヒィィィ」


「切り倒されなくても、どーせ近い内にあの木は死んでたブゥゥゥ。それよりも、美少女はいずこに……あっ! いたブゥゥゥ!」


「お、おい! 勝手に走りだすなブヒィィィ!」


 左の頭(弟)は、司馬懿のそばにいた小燕をロックオン、猛烈な勢いで走りだした。兄と弟のどちらに体の主導権があるのか分からないが、いまは興奮している左の頭(弟)の意思で動いているようだ。


「美少女ちゅわぁぁぁん! ペロペロさせておくれブゥゥゥ!」


「ひ、ひえぇぇぇ~⁉ 気持ち悪いですぅぅぅーーー‼」


 双頭の豚が、おびえる小燕に飛びかかる。


 左の頭(弟)は、よだれをたらしながら幽鬼メイドの柔肌にむしゃぶりつき――。



「HENTAIとまれーーーッ‼」



 かけたところで、司馬懿が賈詘弟の顔を力任せに蹴り、小燕から遠ざけた。


 双頭の豚は「ブヒィィィ⁉」「ブゥゥゥ⁉」と叫びながら吹っ飛ぶ。


「こいつ、案外弱いぞ! みんな、逃げずにこの化け物を捕えるんだ!」


「おおっ! 子供に変質行為をする下衆な豚は懲らしめてやる!」


「このHENTAI‼ HENTAI‼」


 門兵たちは口々にそう言い合うと、逃走をやめ、引き返して一斉に賈詘に襲いかかった。小燕のことを幽鬼だと気づいていない彼らは、いたいけな少女を襲ったロリコン豚野郎に対する怒りに燃えている。兵たちのリンチは熾烈しれつを極めた。


「ま、待て! 待つんだブヒィィィ! HENTAIなのは弟のほうだけだブヒィィィ! 兄である私は紳士だブヒィィィ! 暴力はやめるブヒィィィ!」


「ブヒブヒ言って、やっぱり萌え豚じゃねえか! このロリコンどもめが!」


「ブゥゥゥーーーッ‼」


「ブヒィィィーーーッ‼」


 双頭の豚の悲鳴は、曹沖がストップをかけるまでの間、夜空にこだまし続けるのであった……。




            *   *   *




 それから十分後――。


 賈詘は縄でグルグル巻きにされ、体をピクピク痙攣けいれんさせていた。


「あらら~……。ちょっとやりすぎだよ、みんな。この木の精と大事な話があるんだから」


 曹沖はそう言うと、門兵たちに少しのあいだ離れているように命じた。


 会話が聞こえないところまで門兵たちが遠ざかるのを待った後、曹沖は縄をほどき、


「賈詘殿。兵たちが失礼しました」


 そう挨拶しながら、豚の精魅に拱手きょうしゅ(中国の礼。両手を胸の前で重ね合わせてお辞儀をする)した。


 双頭の豚の片割れがHENTAIだったせいで、怒った兵士たちが過剰な暴力をふるってしまったが、相手はいちおうこの地をずっと見守ってきた木の精である。しかも、人語を解し、普通に会話ができる。それなりの礼儀をもって接したほうがいいだろう、と温厚な曹沖は考えたのだ。これが曹丕だったら、賈詘を縛りつけたまま、脅して従わせるに違いない。


「私は、この城の主である曹操の息子、曹沖です。誠に申し訳ありませんが、貴方がたにお願いの儀があって、あの木を切り倒しました」


「え? ちょっと待って? こんなにもボッコボコにしておいて、お願いがあるとか言われても困るんですけどブゥゥゥ。賠償として、そこの美少女の顔をなめなめさせろやブゥゥゥ」


 左の頭(弟)がそう抗議すると、右の頭(兄)が「弟よ、お前は黙っていろブヒィィィ。この少年の話を聞くのだブヒィィィ」といさめた。


「なんでだブゥゥゥ。こいつら、俺らの木を切ったうえに、何の罪も無い俺らを痛めつけたブゥゥゥ。許せないブゥゥゥ」


「罪ならあるブヒィィィ。お前がHENTAIだということだブヒィィィ。それに、お前もさっき言っていたように、あの木は遠からず死ぬ運命だったブヒィィィ」


「け、けどよぉ~」


「この少年の目を……星の輝きを宿した美しい目をよく見るブヒィィィ。我らは長い歳月、この場所から英雄たちの栄枯盛衰を見てきたが、このように澄んだ瞳を持った人物は見たことがないブヒィィィ。長ずれば、必ずや英明の君主になるに違いないブヒィィィ。そんな人物が、悪しき心で我らを利用するはずがないブヒィィィ。何か深い事情があるはずだブヒィィィ」


 ブヒブヒうるさいが、兄はまともな性格のようである。右の頭(兄)に諭された左の頭(弟)は、「分かったブゥゥゥ……」と言って大人しくなった。


「では、曹沖少年。貴殿の話をうかがうブヒィィィ」


「ありがとうございます。実は、かくかくしかじかたんたんめんで、駆鬼くき除災じょさいの力を持った血が必要なのです」


「ふーむ。かくかくしかじかたんたんめんとな……。我らも、この城に現れた悪鬼と謎の神の気配に気づいはていたが、まさか邪神が悪鬼に手を貸しているとは。なかなか厄介な話だブヒィィィ」


「賈詘殿は煮て食べたら犬の肉の味がするとのこと。きっと、貴方がた兄弟には、犬と同等……いえ、それよりもずっと強力な駆鬼除災の血が流れているはずです。犬の場合は大量出血で死なせてしまうほどの血が必要になりますが、大木の霊力を千年吸い続けた賈詘殿の血ならば、少量で悪鬼を退けることができると思うのです。ほんのちょっとでいいので、その血を分けてはいただけないでしょうか」


「なるほど、そういう用件だったかブヒィィィ。たしかに、我らは食べられたら犬っぽい味がするブヒィィィ。同じ駆鬼除災の力がこの血肉にはあるのだから当然のことだブヒィィィ。ここ一年ほど老木が枯れかけていたせいで、我らも少々弱ってはいるが、悪鬼を幼児の頭から追い出すことなど造作もないブヒィィィ。多少の血ぐらいは分けてやってもいいぞブヒィィィ。……ただ、その代わり、次に我らが宿る木を探してもらえると嬉しいブヒィィィ」


「了解しました」


「……あと、念のために言っておくブヒィィィ。用済みになった後、我らを煮て食ったらいけないブヒィィィ。お腹を壊して、一か月ぐらい下痢で苦しむから、絶対に食べちゃいけないブヒィィィ」


 賈詘兄が食べられることを警戒してそう言うと、モノノケの肉など食いたいとも思っていなかった曹沖は「あっはっはっ。食べないですよ、心配しないでください」と笑いながら手を振った。


 一方、司馬懿は、


(えっ。食べないんだ……。曹丕だったら、約束を破って食べるだろうになぁ……)


 と、内心がっかりしていた。


 曹丕に犬型UMAの肉を食べさせられて以来、食に対するチャレンジ精神が貪欲どんよくになってしまっているようである。

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