縮地の術

縮地しゅくちの術で鍾繇しょうようの元まで連れて行って欲しいのは、俺と真、仲達、龐徳ほうとくの四人だ。できるな、費長房ひちょうぼう


 司空府の中庭。

 曹丕、真、司馬懿、龐徳は、費長房の前で一列に並んでいる。彼がそうするように指示したからだ。また、費長房がどこからか呼び寄せた楽人がくじんたちが、楽器の演奏の準備をしていた。


 ――方士が珍しい術を披露するらしい。


 そんな噂が邸内で広まり、曹憲と曹節、気絶から復活した曹華、近くにいた兵士たち十数人が見物に駆けつけている。


「まぁ~四人ぐらいだったら大丈夫でしょう。みなさん、ワタクシの華麗なる舞にちゃんと合わせてくださいねぇ~」


 費長房は、いちーにーさんしーと準備体操をしている。一か月ほど食っちゃ寝生活を送っていたので、なまった体をほぐしているのだ。


「え? 舞? 我々は今から踊るのですか? ……何故なにゆえ?」


 龐徳は、何が何やら分からず、困惑している様子である。


 司馬懿も、瞬間移動テレポーテーションなど本当にできるのかいまだに疑わしく思っている。しかし、もっと気になることが彼にはあった。


「あの……公子様。龐徳殿を洛陽に連れて行って本当によろしいのですか? 馬超が曹公(曹操)に反旗を翻そうとしていると知れば、主君の息子の企てに従うのではありませんか?」


 龐徳に聞こえないように小声で囁くと、曹丕はいつもの泰然自若たる笑みを浮かべながら「そういう可能性も無いわけではないな」と他人事のように言った。


「か……可能性があると承知の上で連れて行くのですか⁉ 龐徳殿は刃を鋼の肉体ではね返すのですよ? そんな彼が敵に回ったら、どうする気なのですか。俺、自慢じゃないけど、一般兵士に毛が生えた程度の武力しかありませんからね。公子様と真が馬超一味と戦闘になっても、声援しか送れませんから。どうなっても知りませんよ?」


「えらっそうに情けないことを言う奴だなぁ。……まあ安心しろ。今回の件では、龐徳が我々の味方になる可能性のほうがずっと高いと俺は見ている。それゆえ、あの男を同行させると決めたのだ」


「……馬騰ばとう軍の将である彼が我らにつくという根拠は?」


「龐徳は、過去に鍾繇の甥を殺し、そのことに負い目を感じている。それに、鍾繇の才覚で涼州の平和が保たれていることも重々理解している。馬超の企みを知っても、『若殿一人の暴走のために、鍾繇殿の命や涼州の平和を犠牲にすることは、義に反する』とあいつは判断するはずだ」


「公子様がそこまでおっしゃるのなら信じますが……。やっぱり心配だなぁ」


「義将とはそういうものさ。龐徳からは関羽と似た匂いがする。関羽は、袁軍の猛将顔良がんりょうを斬って我が父曹操に恩を返し、主君劉備の元に戻った。関羽が我が父の恩義に報いたように、龐徳も鍾繇に対する借りを返すために行動するであろう」


(む、むむぅ~。横暴な俺様公子のくせに、意外と人間を観察する能力があるのだな。観察眼が無ければ小説の取材などできぬから、当然と言えば当然だが……)


 長い隠棲引きニート生活の間、あらゆる兵法書や歴史書を読み漁ってきたはずなのに、八歳年下の曹丕のほうが、人間観察の能力が優れている。その事実にちょっとモヤモヤしてしまう司馬懿であった。


 曹丕は、少年の頃から父曹操に従軍し、呂布のごとき虎狼ころうの将、袁術のごとき驕慢きょうまんな暗君、そして、関羽のような義の武人をその目で見てきたのだ。乱世の経験値が元引きニートの司馬懿とはぜんぜん違うのである。この男が軍師として成長し、諸葛孔明の最大の宿敵となるのは、まだまだずっと先の話のことだった。



「さて、みなさん。そろそろ洛陽に行きますよぉ~。ワタクシにピッタリ合わせて踊ってください。ちゃんと合わせないと、この場に取り残されちゃいますからねぇ~」


 曹丕と司馬懿が内緒話をしている間に、準備が整ったらしい。費長房は、間延びした口調で曹丕たちに声をかけると、指をパチンと鳴らした。


 その合図とともに楽人たちが、編鐘へんしょう(複数の鐘を吊るした打楽器)、編磬へんけい(への字形の石を複数吊るした打楽器)、排簫はいしょう(複数の竹管を備えた縦笛)、そう琵琶びわなどといった楽器を一斉に演奏し始める。


 その独特な音律は、費長房が仙人から教わった、心がテンションアゲアゲになって霊力が高まる天上の音楽だという。古代中国人には全く耳慣れぬ旋律で、あえて言えば、一九八〇年代アメリカのポップ・ミュージックを彷彿ほうふつとさせるリズムだった。


「な……何だ、この奇怪な音楽は⁉ 中原ではこういうのが流行っているのか⁉」


「いや、龐徳殿。安心してくれ。俺も初めて聴く」


 司馬懿は、パニックになりかけている龐徳をそう言ってなだめた。しかし、その内心はというと――。


(た……体内の血液が湧き立つようなこの音楽は何なのだ⁉ 俺、めちゃくちゃワクワクしてきたんですけど‼)


 と、激しくときめいていた。司馬懿のソウルは、アメリカ音楽との親和性が高いようである。三国志ワールドでは何の役にも立たないものの、意外な才能だった。


 曹丕は、すでにこの音楽に慣れているようで、平然とした顔をしている。真も知っているようだが、「相変わらず頭が痛くなる音律だ……」と眉をしかめていた。


 龐徳と真の困惑をよそに、費長房は「えいやッ!」と護符を頭上に投げる。


 護符は、空中で、まばゆい光を放つ球(見た目はディスコのミラーボール)に変わった。


「みなさん! あの光球が輝いている間に踊りきりますよ!」


 そう叫びながら、費長房は踊り始めた。


 足を交互に滑らせ、前方に進む――ように見せかけ、費長房の体は後方にする~っと移動していく。無重力空間を歩いているような、何とも摩訶不思議な舞踏だった。


 この光景を見物していた兵士の中に、現代アメリカから逆行転生した元カウボーイがたまたまいて、


「ワーオ! あれはマイケル・ジャクソンのムーンウォークにそっくりじゃないか!」


 と、英語で驚愕の声を上げていたが、誰も理解できる者はいなかった。


「あ……あれを真似して踊れというのか⁉ さっぱり意味が分からぬ! なぜあの方士殿は股間に手を当てながら舞っておるのだ⁉ 恥ずかしすぎる‼」


「龐徳、混乱している暇は無いぞ。とにかく費長房の脚の動きをよく見て、我らも踊るのだ」


「さ、されど!」


「踊らねば、鍾繇を助けに行けんぞ」


「ハッ。そ……そうであった……」


 曹丕に励まされ、龐徳は何とか正気に返ったようだ。「し、承知しました!」とうなずき、費長房のムーンウォークもどきを見よう見まねで踊り出す。


 一方、アメリカン・ミュージックっぽい天上の音楽に魅せられた司馬懿は、曹丕に命令されるまでもなく、自らすすんでリズムを刻み始めていた。なかなか筋が良く、すでにこの舞を修得している曹丕と遜色の無い動きをしている。


 一番苦しんでいたのは真である。武人にしては腹回りの脂肪が多すぎるこの男は、揺れる自分の腹が邪魔で足元が見えず、正しいリズムで踊れているか分からないままデタラメに踊っていた。


「く、くそっ。このままでは、私だけ縮地の術が失敗してしまう」


「ほっ! はっ! せいっ! 何だ何だ、真くぅ~ん! お前、意外とのろまなんだなぁ~! HAHAHA!」


「チッ。司馬懿め。調子に乗りおって……」


 普段から自分に対して当たりがキツイ真を、司馬懿はここぞとばかりにあおる煽る。


 イラッとなった真は、さらにリズムが乱れてしまい、ついにはドターンと仰向けに倒れてしまった。


「し、しまっ……!」


 真は慌てて上半身を起こす。


 その直後、空中の光球が輝きを失い、スッと消滅した。


 それと同時に、費長房と曹丕、司馬懿、龐徳の姿も眼前から消えた。


子桓しかん兄上たち、洛陽に行ってしまわれたようですね」


 曹節がポツリとそう言う。


 真は頭を抱え、「うわぁぁぁ‼ 私としたことがぁぁぁ‼ 司馬懿みたいなクソ雑魚ざこに子桓様の護衛は務まらないのにぃぃぃ‼」とわめいた。寡黙なこの男がここまで大声で騒ぐのは、かなりレアな光景である。司馬懿アホにできたことが自分にはできなかったという事実がよほどショックだったのであろう。


 曹節は、真の肩にそっと手を置き、「元気を出してください。真殿」と優しい声音で慰めの言葉をかけた。


「兄上のためにあなたができることは、まだまだありますよ」


「ほ、本当ですか⁉」


「はい。とりあえず、武人のくせにでっぷりとしたそのお腹を何とかしましょうね。次に同じようなことがあったら、目の敵にしている司馬懿殿にまた遅れを取って、今回みたいに見苦しく泣き喚くことになりますからね」


「…………ソウデスネ」


 女神のような微笑で猛毒を吐かれ、真は精神に致命的ダメージを受けたようだ。感情の失せた瞳で曹家の姫を仰ぎ見て、ハハハ……と乾いた笑い声を立てるのであった。

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