鍾繇という男

 物語を進める前に、鍾繇しょうようという男についてある程度説明する必要があるだろう。


 鍾繇は、三国志の小説やドラマ、ゲームでは、ほとんど目立たない文官キャラだ。


 しかし、実は、意外と逸話の多い人物だったりする。


 オカルティックな挿話もある。例えば、彼は子供の頃、ある人相見の予言が的中して水で死にかけた。




 ワンス・アポン・ア・タイム――と言っても、鍾繇が少年だった四十数年ほど前のこと。彼は、叔父の鍾瑜しょうゆに連れられて、後漢の都洛陽らくように赴いた。


 その道中、二人は旅の人相見と出会った。鍾瑜は、幼い甥の将来を占ってくれるように彼に頼んだ。


 人相見は、まだあどけない顔の鍾繇をしばらく凝視みつめた後、


「この子には出世の相がありますね。ただし、同時に水難の相もあるようです。気を付けてあげなさい」


 と、鍾瑜に語った。


(何だかありきたりな占いだなぁ……)


 心中、鍾瑜はそう思った。


 しかし、人相見と別れ、十里も行かぬ内に、鍾繇は早速「水難」に遭ったのである。橋を渡っている最中に、騎乗していた馬が何かに驚き、鍾繇を振り落としたのだ。橋から転落した少年の体は水中に没し、危うく溺死しそうになった。


「何たることだ。あの人相見の言葉が的中したぞ。ということは、この子は将来、大いに出世するに違いない。大事に教育してやらねば」


 甥を川から助け出した後、鍾瑜はそう呟き、この子のためならば学資を惜しみなく援助してやろうと決心した。そのおかげで、鍾繇は学問に打ち込むことができ、孝廉こうれん(学問や徳行の優れた者を地方官が推薦し、官吏に採用するシステム)に推挙されるほどの人物になったのである。




 時は流れ――魔王董卓とうたくの死後、鍾繇に大いなる運命の転機が訪れた。


 その頃、董卓の元部下たちが長安ちょうあんを支配し、朝政は大いに混乱していた。


(賊将たちの魔の手から、天子を救い出さねばならん)


 そう考えた鍾繇は、策を用いて、帝(献帝けんてい)を長安から脱出させた。


 この鍾繇の行動が、曹操が帝を保護するきっかけを作ったのである。長安を脱した帝は、曹操の拠点のきょに落ち着くこととなった。鍾繇が曹操と出会ったのも、この時のことであった。


 ――彼が、噂の鍾繇か。


 曹操は、前々から鍾繇という人物に注目していた。懐刀ふところがたな荀彧じゅんいくが、この男のことをたびたび称賛していたからである。そのため、新参者でありながら鍾繇は大いに厚遇されて累進し、やがて司隷校尉しれいこういに任じられた。


 司隷校尉は、長安や洛陽の周辺――漢王朝の首都圏を統括するのが職務である。いわば警視総監というべき重要な官職だった。


「余は袁術や呂布と対峙せねばならぬ。やがては袁紹えんしょうともぶつかるだろう。関中かんちゅう函谷関かんこくかんより西側、長安を中心とした一帯)方面の統治はそなたに任せた。法令にとらわれず自由に裁量できる権限を与えるゆえ、馬騰ばとう韓遂かんすいの動向に目を光らせてくれ」


 中華の北西の端、涼州で武威を振るっていたのが、馬騰・韓遂の両将である。


 この頃、二人は義兄弟でありながら仲違いし、壮絶な殺し合いをおっぱじめていた。ついには韓遂が馬騰の妻子を惨殺してしまい、両者の争いは泥沼化。辺境の獣たちの仁義無き戦いは、関中の治安にも大きな影響を与え、ライバルたちとの天下争奪戦に集中したい曹操にとって後顧の憂いとなっていたのである。


 司隷校尉として長安に赴任した鍾繇は、早速、馬騰と韓遂に使者を送り、


 ――争いをやめ、朝廷に服すべし。


 と、懇々と諭した。


 辺境出身の猛将ヤクザたちは、意外とインテリに弱い。あの「俺様に余計な進言をしたら絶対に殺すマン」の魔王董卓ですら、後漢末期最高レベルの学者だった蔡邕さいようには、一目置いて厚遇したほどである。血で血を洗う闘争を繰り広げていた馬騰と韓遂も、鍾繇の言葉が胸に響いたのか、


「たしかに、俺たちがこのまま殺し合っていたら、涼州に人がいなくなる」


 そう言って武器を置いた。そして、そろって子供たちを人質として差し出し、朝廷に仕えさせたのである。



 馬騰と韓遂を帰服させた数年後。

 今度は、匈奴きょうど単于ぜんう(遊牧国家における君主の称号)の呼廚泉こちゅうせん平陽へいようで反乱を起こした。鍾繇が軍勢を率いて討伐に赴くと、そのタイミングを狙っていたかのごとく、袁紹の跡を継いだばかりの袁尚えんしょうが匈奴軍に援軍を派遣してきた。援軍を指揮しているのは、鍾繇の甥にあたる郭援かくえんである。


「匈奴と郭援に挟撃きょうげきされたら一大事です。平陽の包囲を解き、撤退しましょう」


 諸将は鍾繇にそう進言したが、彼は首を縦に振らず、「わしは甥の性格をよく知っている」と言った。


「郭援は剛情で、他人を打ち負かすことしか頭にない。劣勢の我が軍を侮り、軽率な戦い方をするだろう。奴の心の隙につけこめば、必ず勝てる」


 鍾繇は部下たちをそう鼓舞し、戦の続行を決めた。


 ちょうどその時、馬騰が派遣した援軍――馬超ばちょう龐徳ほうとくが駆けつけ、鍾繇軍の気勢は大いに上がった。平陽において両軍激突し、死闘が繰り広げられた。


 馬超は足に矢を受けて負傷したが、かえって戦意を爆発させ、縦横奮撃して戦場に血の雨を降らせた。敵軍は総崩れとなり、郭援は龐徳によって討ち取られ、呼廚泉は降伏した。


 龐徳は、自分が討った敵将が郭援であることを知らぬまま陣営に戻り、


「名乗らず逃げようとしたので射殺しましたが、この敵将の姓名をご存知の方はいますか」


 そう言いながら、弓袋ゆぶくろから一つの首を取り出して諸将に見せた。


「あっ。郭援――」


 変わり果てた甥の首を目の当たりにした鍾繇は、感極まってワッと声を上げ、泣き崩れた。


 驚いた龐徳が戸惑っていると、そばにいた曹軍の将が耳打ちして事情を彼に教えてくれた。


「ややっ……。この武将は鍾繇殿のお身内でしたか。それは……何とも申し訳ないことを……。どうか、お許しくだされ」


 龐徳はひたいに大粒の汗をにじませ、鍾繇に謝罪した。


 この男は、残虐ファイト上等な凶悪戦士が多い涼州の武将では珍しく、仁の心――人への情けや思いやり――を持っている。自分の不用意な行動が鍾繇をひどく傷つけてしまったことを悔い、謝ったのだ。


 だが、平謝りする龐徳に対して、鍾繇は「よしなさいッ」と叱った。


 ハッとして、龐徳は鍾繇を見つめる。


 鍾繇は、たもとで涙をぬぐうと、「……いや。こちらこそ泣いてすまなかった」と詫びた。


「郭援はたしかにわしの甥じゃ。されど、国賊は国賊。賊将を討ち取った君が謝る必要は無い」


「鍾繇殿……」


「乱世が続く限り、身内や友人と殺し合わねばならぬ悲劇は、誰にでも訪れる。そんな悲しみの連鎖を断ち切るために、我々は戦っているのだ。一軍の大将がこれしきのことで取り乱してなどおれぬ。儂の先ほどの涙は忘れてくれ」


(この御方は……なんと高潔な人なのだろう)


 龐徳は、鍾繇に尊敬の眼差しを向け、この人が司隷校尉である限りは洛陽や長安、そして涼州はきっと平和であろうと感じた。



 事実、鍾繇は、戦乱で荒廃した地域の再生に力を注いでいた。


 特に力を入れていたのが、洛陽の復興プロジェクトである。


 董卓が長安遷都せんとの際に街を焼き払ってしまったせいで、洛陽には住民も働き手もいない。そこで、関中の各地から人を移住させることにしたのだ。犯罪人や流浪の民も労働者として受け入れていた。


 鍾繇は、長安と洛陽を忙しく行き来し、何年かけてでも美しき都洛陽を蘇らせようと奮闘していた。


 龐徳曰く――そんな彼が、ある「怪異」と遭遇し、死にかけているというのである。

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