幽鬼メイド誕生す

 定伯は、孝敬里こうけいりへ逃げ込んだりんが人を傷つけた場合のことをいちおう考え、爺さんという医者を連れて来ていた。


 昼間にじゃれつきタックルの被害に遭った里人たちは、司馬防の屋敷に担ぎこまれており、数刻前から華爺さんは彼ら負傷者の手当をしてくれているという。


 一方、怪獣の死を見届けた司馬防は、元気な里人たちを引き連れて竹林に赴き、獜に奪われていた諸々もろもろを取り戻して来た。

 もちろん、小燕の首も司馬懿の元に帰って来た。幸いなことに、あのじゃれつきたがりの犬は小燕の首でまだ遊んではいなかったらしく、顔に目立った損傷は無かった。


「坊ちゃまのお屋敷が犬の怪物のせいで大変なことに……。これじゃ眠ることもできねえ。ご隠居様の家まで坊ちゃまをかついでいきましょうか」


 親切者のでんさんがそう言ったが、司馬防は「息子は侠客きょうかくの方々と大切な話がある。邪魔をいたすな」と押しとどめ、里の者たちをみんな家に帰した。


「懿よ。わしも帰るぞ」


 そう告げ、厳しい表情の司馬防は司馬懿の耳元に口を寄せる。


「お前もそろそろ年貢の納め時のようじゃ。父や兄弟の命が大切と思うのならば、あの青年に逆らわず、己の運命を受け入れよ」


「父上は、あの宋定伯という男の正体に心当たりがあるのですか」


「……察せよ」


 ただそれだけ言うと、司馬防は、妖しい微笑を浮かべてこちらを見ている定伯に向き直り、両手を胸の前に組んで慇懃いんぎんにお辞儀をした。そして、そそくさとその場を去って行った。




 司馬懿邸(ほぼ半壊)には、定伯と司馬懿、里人の治療から戻った華爺さん、真とその部下たちだけが残った。真の部下たちは、獜の鱗を剥ぎ落とし、肉の解体作業を始めている。


(父上の様子が明らかにおかしかった。……そういえば、いまふと思い出したが、父上は曹操と旧知の間柄だったな)


 父の去り際の言葉が気になり、司馬懿はだんだんと嫌な予感がしてきた。


 ちょうどそんな時、「仲達よ」と定伯が声をかけてきた。司馬懿はビクリと肩を震わせる。


「何をボーっとしておる。夜も深まった。陰の気が高まり、幽鬼たちが活動を始める時間だ。小燕がそろそろ化けて出てもおかしくないぞ」


「あっ、そうだった。遺体を繋げ合わせてやらねば、また首無しで化けて出てしまう。しかし、俺は人の首と胴体を縫い付けたことなど無いのだが……上手くできるだろうか」


「それなら問題無い。お前が父親と内緒話している間に華爺さんがササッとやってくれた」


「ええっ⁉ ほんのわずかな時間だったではないか。そんな魔法みたいな……」


「天下一の名医、華佗かだめてはならぬ。それぐらいのことは朝飯前だ」


「か、華佗⁉ あそこで眠たそうに欠伸あくびしている爺さんが⁉」


 華佗といえば、ちまたで神医とたたえられている当代随一の医者である。自ら開発した麻沸散まふっさん(麻酔薬)を用いて手術を行い、多くの人命を救ってきた。三国志のブラック・ジャックと言っても過言ではない超有名人だ。


 たしか百歳を超えているという噂だが、目の前にいる華爺さん――いや、華佗はまだ五十代半ばぐらいの若さに見えた。肌はツヤツヤで白髪もあまり無い。神医なだけあって、ヘアケアやスキンケアなどの若作り対策も抜かりが無いのだろうか。


「ふぅ~疲れた疲れた。もう年だというのに、一晩に大勢の怪我人の治療をさせられたから腰が痛いわい。あの男に従って辺境の地に行くのが嫌で仮病を使ったというのに、まさか息子にばれてこき使われるとは……」


「ありがとう、華爺さん。もう休んでいいぞ。仮病を使っていたことは父には黙っておいてやるから安心しろ」


「ちぇっ。親子二代に渡って人使いが荒い……」


 華佗はそうぼやくと、屋根が無くなった司馬懿の寝室に上がり込み、ゴロリと寝台に横になった。すぐにグーグーといびきが聞こえ始める。


「フフッ。面白い爺さんだ。仮病なんてすぐにばれるというのに。なあ、仲達」


「う……うむ。仮病などというものは幼い子供がするものだ」


「さて、お楽しみの幽鬼とご対面の時間だ。真、小燕のむくろをここへ」


 真が小燕の遺体を抱きかかえて来て、庭の草むらに座っている定伯と司馬懿の前に置く。


 さすがは神医華佗と言うべきか、首と胴体は一度離れたとは思えないほど綺麗に繋がっていた。いったいどんな技術で縫い付けたのかは分からないが、縫い目すら見えない。


「遺体はしっかりと繋がっているようだ。これなら、幽鬼の体のほうも、首がポロリと落ちる心配は無い。跳んだり跳ねたりしても大丈夫だ。では仲達よ、小燕の幽鬼を早速呼び出してくれ。彼女のほうから現れるのを待つのは退屈だからな」


「なぬ? 俺が? 幽鬼とは勝手に現れるものではないのか」


「まあ、そのほうが一般的だ。だが、世の中には何事も例外がある。小燕はその例外に該当すると俺は見ている」


「例外?」


「こっちから呼び出せるということだよ。恐らく昨夜も、お前が彼女の名を口ずさんだすぐ後に幽鬼は現れたはずだ」


「そ、そうだったかな……」


 司馬懿が首を傾げると、定伯は「生前に主人に忠実だった者はになると、主人の呼びかけに応じ、冥界から馳せ参じる。そういう事例が稀にあるのだ。……一例を挙げてやろう」と言い、またもや鬼物奇怪きぶつきっかいの知識を披露し始めた。


「遼東の丁伯昭ていはくしょうの家には、次節じせつという食客がいて、丁伯昭は彼を厚遇していた。次節は死ぬと、生前に受けた恩に報いるため、しばしば主人の家に珍しい品物を置いていくようになった。丁伯昭が試しに『いまは真冬だが、瓜が食べたいなぁ』と呟くと、次節はその呼びかけに応じて、美味そうな瓜を数個持って来てくれたという。ただ、次節には何らかの事情があったのか、その姿を主人に見せることはなかったらしいがな」


「姿を見せる幽鬼と、姿を見せない幽鬼があるのか。その違いは何なのだ?」


「俺にもそれはよく分からん。もしかしたら、次節は繊細な男で、鬼となった自分の姿を主人に見せるのを嫌ったのかも知れない」


「ふむ……。小燕は繊細という言葉とは無縁な娘だ。首も繋がったことだし、元気よく姿を現しそうだな。よし、呼び出してみよう」


 司馬懿が意気込んでそう言うと、定伯は半壊した家を指差し、「あそこの台所だったあたりに向かって彼女の名を呼んでみろ」と告げた。


「川や池などの湿気が多い水場は霊道が生じ、幽鬼が現れやすい。家で水場といえば台所だ」


 なるほど。だから、昨夜も台所に現れたのか。

 そう納得すると、司馬懿は左肘ひだりひじを大きく後方に引き、右手を勢いよく前に突き出して「ハァァァ‼」と叫んだ。


でよ、小燕ッ‼」


「お前……よくそんな恥ずかしいことができるな。メチャクチャ無意味だからな、それ」


 定伯が冷ややかにツッコミを入れる。司馬懿は自分のイタイ行動がいまさらながら恥ずかしくなり、顔をかあっと赤らめた。


 長い沈黙。

 二人は、瓦礫がれきが転がる台所の土間をじっと凝視し続けた。

 だが、幽鬼はいっこうに姿を見せない。このまま現れてくれないと、司馬懿がただ恥ずかしいポーズを取ってしまっただけになってしまう。


「お、おい。幽鬼なんて現れな――」


「旦那様ぁ~!」


「ぐべぼばッ⁉」


 少女の幽鬼は、司馬懿の頭上にいきなり現れた。

 元気な声とともに猛烈な勢いで落下し、後頭部に小燕の両膝が激突。これこそ人類史初のダブル・ニー・ドロップである。


「台所から現れなかったじゃないか! 嘘つき!」


 倒れた勢いで地面とキスしてしまった司馬懿が抗議の声を上げたが、定伯は小指で耳をほじりながら「鼻血が出ているぞ」と言ってニヤニヤ笑うのみ。


「こいつはなかなか活きのいい幽鬼のようだ。水場や霊道はあまり関係無く、大好きな主人がいるところならどこでも現れるっぽいな」


「幽鬼に活きがいいとかあるのかよ……。おっと、どうした小燕。くすぐったいぞ」


 小燕が、司馬懿の大きな腕にしがみついてきた。


 生前は体温高めなぬくぬくの体だった彼女だが、鬼となったいまは凍えるように冷たい。この娘は本当にあの世の住人になってしまったのだな……と司馬懿は我が身に伝わる冷え冷えとした感触に哀しみを覚えた。


「……ちゃんと首は繋がっているようだ。よかったな、小燕」


「うわーん! 旦那様申し訳ありませーん! 私、死因が思い出せないけど死んじゃいましたー! 旦那様のお世話をしなければいけないのに、なぜか死んじゃったんですぅー!」


 頭を撫でてやると、小燕はわんわんと泣き出した。司馬懿は(俺のせいだ。すまん……)と心中で謝る。


「首が無くて不安だったろう。だが、華佗先生がお前の首と胴体を縫い付けてくださった。これで、冥界でも普通に生活できるはずだ。不甲斐無い主人のことなど忘れて、戦乱も飢えも無いあの世で心穏やかに過ごしてくれ。遺体はきちんと弔ってやるから」


「いいえ! 昼間は冥界で過ごしますが、夜になったらこれからも旦那様のお世話をするためにこちらの世界に伺います! 旦那様が天寿を全うされるまで、私は恩ある旦那様のお世話をやめません! ほらこの通り、冥府めいふ(死者の魂を管理する役所)の台所を借りてお夜食のスープを作って来ました!」


 そう言い、小燕は両手を差し出す。


 すると、その小さな手のひらに、熱々の羹が入った椀がポンッと出現した。まるで魔法のようだ。それを目撃した定伯は「ほほーう」と興味深そうに呟き、ふところから取り出した木簡に何やらメモを始めた。


(あの世の食物って、生きている人間が食べても大丈夫なヤツなのだろうか……)


 司馬懿は素朴な疑問を抱いた。

 しかし、食客があの世から持って来た瓜を食べた丁伯昭がその後死んだとは、定伯は言っていない。


 たぶん、きっと、大丈夫だろう。それに、小燕が食べて欲しそうに眼をキラキラと輝かせているし……。そう思いつつ、司馬懿は椀を受け取って羹をすすった。


「うーん……美味い! この野菜入り羹はとっても美味だ! 何だか元気が出て来るぞ!」


「冥府の台所にはたっくさん食材があるので、これからは栄養満点のお夜食をお持ちしますね!」


「毎晩呼ぶからぜひ頼む!」


 お腹がペコペコだったことも手伝い、司馬懿は羹をわずか数秒で完食した。


 以降、幽鬼メイド小燕は、司馬懿が七十三年の生涯を閉じるまで、彼の世話を焼き続けることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る