UMAの肉を食べよう

 りんの肉の解体作業は、司馬懿と小燕が感動(?)の再会をしている間に終わった。


 定伯は、瓦礫がれきに埋もれた台所から鍋を発掘すると、これで肉を料理するようにと真に命じた。真はちょっと戸惑った声で「この肉、煮込めばいいのでしょうか……」と問う。


「調理法は『山海経せんがいきょう』には記されていない。お前に任せる」


御意ぎょい


 真はうなずくと、部下たちに火をおこさせ、ワイルドな男のキャンプ飯よろしく豪快な火力で鍋を煮込み始めた。使っている炭は、もちろん司馬懿邸(半壊)から勝手に持ち出したものである。


「お……おい、定伯殿。俺の家の庭で化け物の肉を食するつもりなのか。君の友人をもてなすために調達した食材なのだろう?」


 司馬懿がそうたずねても、定伯はただ黙笑して、竹筒の酒をちびちび飲んでいる。


 人の家を半壊させ、勝手に鍋を持ち出し、怪獣の肉をさかなに酒盛りでもおっぱじめるつもりなのだろうか。ゴーイング・マイ・ウェイすぎて頭が痛くなってくる。


「にゃむにゃむにゃむにゃーん」


 真が肉を煮込んでいる横では、小燕(幽鬼)が小燕(死体)に手を合わせ、謎の呪文を口ずさんでいる。

 彼女の故郷には浮屠祠ふとし(仏教寺院)があり、お坊さんがよく経文を唱えていた。そのうろ覚えのお経を唱え、自分で自分を供養しているのだ。ただ、にゃむにゃむにゃむにゃーんが正しい経文なのかは、浮屠の教えをよく知らない司馬懿には判断しかねた。


「お前も飲め」


 小燕の珍妙なお経に耳を傾けていると、定伯が司馬懿の胸に竹筒を押しつけた。


 さんざん叫びまくったせいで喉はカラカラである。遠慮なく受け取り、酒を飲んだ。


(美味い。これは葡萄酒ぶどうしゅというやつか)


 口当たりがよく、どんどん飲める。かなり上等な葡萄を使っているようだ。


 この時代、葡萄はすでに西域から伝わっていた。前漢の頃には宮殿内で栽培もしていたようである。だが、まだまだ貴重なフルーツで、誰でも食べられるほど広まっているわけではない。特に、これほど絶品の葡萄酒を入手できるのは、


(帝か曹操、もしくは曹家の一族ぐらいだ。では、この男は――)


 小燕と再会できた喜びからうっかり忘れかけていた悪い予感が、司馬懿を再び襲った。


 定伯とまみえた司馬防は、ひどく緊張している様子だった。

 豪胆な性格の父があれほど動揺する相手といえば、乱世の奸雄曹操とその一族ぐらいしか思い当たらない。

 そして、曹操と面識のある父が曹家の子息と出会えば、その者から曹操の面影をすぐに感じ取るはずである。


(俺もこの若者は何だか怪しいと思っていたのだ。万が一、こいつが曹家の人間だったら……)


 定伯には、春華が下女を殺害したという都合の悪い事実を知られている。奴隷でも殺せば罪になるのだから、使用人の子供を理不尽に殺したことを告発されたら非常にまずい。


 しかも、そこをさらに追及されてしまうと、



 ――夫の仮病を隠すため、春華は殺人を犯した。



 という、もっと都合の悪い事実までばれるお恐れがある。


 殺された小燕本人が死の直前の記憶を失っていても、この男なら真実にたどり着きかねない。というか、すでに薄々察していて、夢の中で小燕に事情を聞こうとしていた可能性も……。


(仮病が曹操の関係者にばれたらマジでやばい。さっきははぐらかされたが、もう一度、定伯の正体を問いたださねば)


 司馬懿は恐るおそる「定伯殿。君は……」と言った。しかし、


「おおっ。美味そうな匂いがしてきたな。さあ仲達、食べよう」


 間が悪いことに、UMAの肉を使った煮込み料理が完成してしまった。しかも、一緒に食べようと定伯は誘ってきている。


 司馬懿は眉をひそめ、「ほ、本気で食う気なのか、謎の怪獣の肉を。ゲロ不味かったらどうしてくれるんだ」と嫌がった。


「見た目は犬の肉と変わらない。匂いもなかなか食欲をそそる。たぶんきっと大丈夫だ」


「たぶんきっと大丈夫って……。君の好奇心は底知れぬな。付き合い切れぬ」


「そう言いつつ、さっきから腹がグーグー鳴っておるぞ。スープだけでは足りなかったのだろう。遠慮せずに食えよ」


「うっ……」


 吐き気を催すほどの空腹を覚えて数刻が経つ。中途半端に食べ物を口にしたせいで、胃がかえって刺激され、「もっとぉぉぉ‼ もっと欲しいのぉぉぉ‼」と胃袋が猛烈に訴えている。食欲をそそる匂いが鼻をくすぐり、司馬懿は知らぬ間によだれまで垂らしていた。化け物の謎肉など食いたくないと頭では思っていても、本能が眼前の肉を求めてしまっていた。


「……いただきます」


 己の食い気についに屈し、司馬懿は定伯から箸と椀を受け取った。そして、煮込んだ獜の肉を恐々と口に運んだ。


 ひと噛みしただけで、濃厚な肉汁が口内で広がる。司馬懿は両眼をカッと開き、「こ、これは……!」と叫んでいた。


「噛めば噛むほど口の中で肉の旨味うまみがほとばしっていく。まるで肉汁の大洪水だ。我が舌は、美女妲己だっき耽溺たんできするいんちゅうおうのごとく、肉汁に溺れきってしまっている。牛や豚が嫉妬のあまり涙で枕を濡らすほどの肥肉ひにく……なんて濃厚な味わいなのだ。呑み込んでしまうのがもったいない。このままずっと噛んでいたい。肉汁の洪水が頭のてっぺんから足のつま先まであふれ、俺の血液が全て肉汁に変わるまで咀嚼そしゃくを延々と続けていたい……」


 予想以上の美味に驚いたのだろう。頼まれもしないのに、司馬懿はわけの分からない食レポを始めた。「お前は本当に面白い馬鹿だな」と定伯に笑われても気にしない。ひたすら肉をむさぼり喰らい、上等な葡萄酒も堪能した。鍋が空になるまでの間、定伯の正体に関する疑念もすっかり忘れていた。


 後に蜀の諸葛孔明と天下分け目の戦を繰り広げることになる名将司馬懿も、この時点では、頭はいいが軽率ですぐに調子に乗っちゃうタイプの若者(と言いつつもアラサー)に過ぎないのであった……。

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