3-1 (途中まで/当時未公開)

 それは、美咲がカフェ・ムジーナに住み込みで働き始めて四日目の金曜日のことだった。

 働くといっても、美咲の主な仕事は店の給仕の手伝いくらい。まだボディガードなしで出歩かせるのは危ないからといって、お遣いすら一人では行かせてもらえない。だったらせめて中のことで役に立たなきゃと思って、朝食作りを頑張っている……のだが。


「ちょっと焦げちゃった……かなあ」


 昨日も一昨日も卵焼きだけだったので、今朝は調子に乗って村上鮭の切り身など焼いてみた美咲だったが、綺麗なピンクに仕上がるべき焼き鮭はなぜか全体的に黒。せめて少しでも見栄えがいい方を天宮の分の皿に載せ、自分の分は焦げていない裏面を表にして何とか誤魔化しを図る。

 ちょうどその時、炊飯器からご飯の炊き上がりを告げるメロディが鳴った。炊きたてのご飯を茶碗によそい、インスタントの味噌汁をお椀に作って、お盆に乗せて準備完了。

 あやかし達は遅起きな上にあまり朝食を摂らないので、必然、誰かが起きてくるまでは天宮との二人だけの時間になる。それは美咲には嬉しいことなのだけど、だからこそ、失態もまた怖い。


(……鮭が焦げてるの、バレなきゃいいけど)


 内心冷や汗をかきながら、天宮の牛乳をグラスに注いでいると、いつものように炊飯器の音を聞きつけた彼がダイニングに姿を見せた。外出時にはぴしっとした洋装になる彼だが、朝は作務衣みたいなものを自然体に着流していて、なんだかそれも格好いい。


「おはよう。何か焦げた匂いがするが……」

「バレました!? お、おはようございますっ」


 一瞬で失敗を悟られたことに飛び上がりそうになりながらも、美咲はあははと誤魔化し笑いを作って、牛乳のグラスを彼のお盆に置いた。


「だいじょーぶです、天宮さんのはだいぶマトモなやつですし、あの、焦げても美味しいんで!」

「いや、食事に贅沢は言わんよ。毎朝朝食が用意されているというだけでも有難い」


 そんなふうに言われると、怒られるより却って罪悪感を覚える……。


「……明日は上手にやります」


 おずおずと誓いを述べて、美咲は彼の向かいに腰を下ろした。

 いただきます、の挨拶で食事を始め、ほどなくして彼が言ってくる。


「料理の腕は気にしなくていいと思うぞ。実際、俺がやるよりはずっといい。感謝してるとも」


 さらりと発される言葉に、えっ、と美咲はほおを熱くした。

 いや、鮭を焦がしたばかりで喜ぶ資格なんかないと、頭で分かってはいるけども。


「兵学校では掃除や洗濯は叩き込まれたが、食事を自分で作るということだけは教わらなかったからな……。この時代に来て、初めて朝飯を自分で作ってみたが、烹炊ほうすいというのは思いのほか難しい。まして炊飯器やインスタントもない時代に、俺の母や姉達はこんなことを毎日やっていたのだと思うとな……」


 未来の味と呼ぶインスタント味噌汁のお椀を手に、彼はしみじみと語った。


「いやいやそんな、わたしなんてその炊飯器とインスタントでラクしてるだけですからっ」

「だとしてもだ。誰かが作ってくれるから飯が食える……その有難みを、今になって改めて噛み締めている」


 彼が真面目にそんなことを言うので、ますます顔面が熱くなって、美咲は「いやいや」と繰り返しながら手で顔を扇いだ。


「……でも、わたしだって、ちゃんとご飯と味噌汁の朝ご飯なんて作るの初めてなんですよ。いや、インスタントの時点でちゃんとしてないですけど」

「ほう。ここに来る前は何を食べてたんだ?」

「忙しかったら朝は抜いちゃったり、トーストとコーヒーだけとか……。あ、トーストってわかります?」

「君は俺を何だと思ってるんだ……。これでも洋食には慣れてるんだぞ」


 少しムッとした感じで胸を張る天宮。え?と首を傾げて、美咲は聞いた。


「でも、天宮さんの時代だと、朝食にパンとかってそんなにメジャーじゃなかったんでしょ?」

「一般家庭では確かにそうだがな。だが、兵学校では毎朝パンが出てたよ」

「えっ。ほんとですか?」

「ウソは言わんさ。士官は国際人たれというのが海軍の方針でね。兵学校の食事は、朝は食パン半斤にバターに白砂糖、それに味噌汁」

「えぇっ、パンと味噌汁!?」


 ご飯と味噌汁に牛乳もよっぽどヘンだと思っていたが、パンと味噌汁なんてメチャクチャな組み合わせがこの世にあるんだろうか。


「テーブルマナーも厳しくしつけられたものさ。食パンはかぶりつかず、一口大にちぎって食す。味噌汁はスプーンですくって飲む」

「……天宮さん、わたしのことからかってますよね」

「いやいや、本当だとも。まあ、俺もスプーンで味噌汁は正直どうかと思うが」


 今思えばヘンな食事だったよ、と彼は苦笑いしているが、美咲はまだ半信半疑だった。

 そもそも彼の言う海軍兵学校というのが何の学校なのかもイマイチ美咲にはピンと来ていないのだが、同級生を「貴様」と呼ばなかったら先輩に殴られたり、若い女性を「おばさん」呼ばわりする習慣があったり、朝食はパンと味噌汁withスプーンだったり……。とにかくワケの分からない学校、という印象ばかりが先に立っている。


「……ハリー・ポッターの魔法学校の方が、まだ得体が知れてますよね」

「魔法学校? この時代にはそんなものがあるのか?」

「ありませんって。映画の話ですー」


 言いながら、焦げた面がなるべくバレないように鮭を解体していると、『お二人さんは今朝も元気らな』とダイニングの入口からアズキの声。

 あやかし達の中ではそれなりに早起きである彼は、例によって空いた椅子にぴょんと跳び乗って、挨拶も早々にパンを催促してくる。なんだか餌付けしてるみたいだなあと思いながら、美咲はアズキのために用意してあった食パンを出した。


「そうだ、味噌汁も要ります?」

『へ? パンと味噌汁なんて合うわけないらろ』

「……ですよねー」


 ちらっと天宮を見ると、彼は「だから」と言い訳顔。


「俺が好き好んでパンと味噌汁を合わせてたわけじゃない。兵学校の方針がそうだっただけだ」



(以下、執筆打ち切り)

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形にならなかった作品たち 板野かも @itano_or_banno

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