2-6 この街の理由

 弥三郎やさぶろうばばの金色の瞳に見据えられ、美咲はソファの上で身を縮こまらせていた。今にもこの化け猫に食べられてしまうのではないかという恐怖に、膝の上できゅっと握った両手が小刻みに震えている。


(この街に骨を埋める覚悟とか、わたし知らないし……!)


 そりゃあ、少なくともしばらく住むつもりで東京から出てきたワケではあるけども――。

 こういうところが自分の行き当たりばったりガールたる所以ゆえんなのだと、改めて実感させられる。普通はもっと、何か余程の憧れやこだわりがないと、知らない街に単身出てくるなんてしないだろうし……。


(この街に来た理由、イケメンズだしなぁ……)


 普通の人が聞いても呆れるだろうし、ましてこのおっかない化け猫婆様にそんなことを言おうものなら、「この街を舐めてるのかい、東京者め」なんて怒られて、ぺろりと平らげられてしまうかも。

 どうしよう――と思ったところで、隣から天宮の声がした。


「そういえば、聞いていなかったな」

「え?」

「君が何故この街に来たのかだ」


 ちらりと目を上げて彼の横顔を見る。美咲の震えをよそに、彼は悠然とカップを傾けながら、鋭い流し目をこちらに向けてくる。


「浮気男に振られて出奔しゅっぽんしたというのは聞いた。だがなぜ新潟なんだ? 東京から離れたかったなら、どこか他の街でも良かったはず」

「えと……それは」


 天宮と弥三郎婆と、そしてオオカミ執事のヒカリをちらちらと順に見て、美咲は混乱に身をよじった。


(なんで、なんで天宮さんまで一緒になって尋問してくるの!?)


 弥三郎婆一匹ひとりの視線だけでも厳しいのに、何も彼までそれに手を貸さなくても……!

 だが、次の瞬間、天宮がかすかに口元をつり上げたのを見て、美咲は気付いた。

 そうか――。

 彼は自分をいじめているんじゃない。何を話せばいいのか分からない自分に、助け舟を出してくれているんだ。


(……それだったら)


 彼の助けに応えないと。

 美咲はぐっと拳を握り直し、再び口を開いた。

 上手な言い訳なんて何も思いつかないが、とりあえず喋り始めれば何か出てくるだろうと思って。


「……イケメンズが、いたから」

「イケメンズ?」


 弥三郎婆が怪訝そうな目でその単語を聞き返してくる。やっぱりイケメンズが理由なんてダメか、と思った矢先、執事のヒカリが傍らから如才なく説明を加えていた。


「イケメンを集めた男子アイドルのグループでございますよ、婆様。新潟にも暖簾のれんを出しているようです。確か、他にイケメンズ大阪やらイケメンズ博多やらもあるとか」

「へぇ。いっちょ前に全国展開ってやつかい。いかにも東京の芸能屋の考えそうなことさね」


 あたしゃ昔から東京者のそういうところが好かないんだよ、と吐き捨てて、婆は立て続けに問うてきた。


「あんた、まさか、そのイケメンズとやらのためにわざわざ新潟に出てきたのかい?」

「……わたし、そのくらい行き当たりばったりで、テキトーな人間なんですよ」


 苦笑いを交えて言ってみたが、笑っているのは美咲だけ。

 無意識に天宮の顔色をうかがうと、真顔の彼と目が合った。「こいつマジか?」と、いや、彼はそんな口調では言わないだろうが、とにかく「正気か?」という目をしている。


(……ですよねー、やっぱり)


 誰に話しても納得してもらえるはずがない。自分の行き当たりばったりぶりを散々知っている自分自身ですら、さすがに今回は行き過ぎたと思っているくらいなのだから。


(でも、まあ、事実だし……)


 美咲がこっそり溜息をついた直後、今度はヒカリの声。


「なぜ新潟なのかという答えになっていませんよ、美咲様。イケメンズなら他の都市にもいるじゃないですか」


 それは彼なりの意地悪だったのか、それとも天宮と同じく助け舟を出してくれたのか。美少年の問いかけを聞いた瞬間、火花が閃くように、美咲の脳裏に蘇った光景があった。

 前にイケメンズファミリーのドキュメンタリー番組で見た、イケメンズ新潟のスター達の素直な語り――。


「確かにね。東京の娘っ子が、なんでまた新潟くんだりの支店を応援しに来るんだね」

「……それは、えっと」


 弥三郎婆とヒカリ、そして天宮の視線が注がれる中、美咲は三たび思い切って喋り始める。

 どうせ行き当たりばったりの人生なんだし、後は野となれ山となれ、だ。


「イケメンズ新潟のメンバー達は……なんだか、他の支部のメンバーより目がキラキラしてて。地元が好きなんだな、っていうのが、見てて伝わってくるんですよ」

「ほぉ?」

「ドキュメンタリーとか見てても、そうなんです。イケメンズの支部って、基本的にはその地域の出身の子がメンバーになるんですけど。イケメンズ新潟の子達は特に、皆でこの小さな街を盛り上げようとしてる感じが……あ、小さな街とか、ごめんなさい」


 失言したと思って美咲は慌てて口元を覆ったが、化け猫は気を悪くした様子もなく、ひひっと軽く笑った。


「その通り、未だに仙台にすら及ばない小さな街さ」

「……仙台がライバルなんですか?」

「いいから続きを聞かせなよ。イケメンズ新潟の小僧どもが何だって?」

「は、はい」


 思いのほか、この話に食いついてくれている……?

 緊張を拭いきれないまま、美咲は続けた。


「今の話の通り……大阪とか名古屋とか博多とかは大きな街ですけど、新潟ってそこまでじゃないじゃないですか。普通だったらイケメンズの支部なんか作られないっていうか。ファンは皆びっくりしてたんですよ。なんでそんなところに?って。実際、札幌に先に出来るって話もあったくらいで、なんかそれが流れて新潟になったらしいんですけど」


 婆が興味を持って聞いてくれているのを確認しながら、恐る恐る喋っていると、一息ついたところで天宮が口を挟んできた。


「俺からすれば、そこまでおかしいとも思わんがな。新潟といえば昔から海運の要所だったわけだし、明治の頃は人口最多の県だったこともあるだろう」

「へ? そうなんですか?」

「山本長官も長岡の出身だったしな」

「ヤマモト長官? って誰?」

「……いや、いい。続けてくれ」


 呆れ顔になって続きを促す大尉どのに、美咲は思わず頬を膨らませる。そんな自分達の掛け合いを見て、ヒカリがくすくす笑っていた。

 今ので何だか少し気が楽になった、ような気がする。


「……それで、イケメンズ新潟の地元メンって、東京に行きたくても出る機会がなかった子とか、芸能界に憧れてても、イナカに生まれたから諦めてた子とかが多いんですよ。そういう子達にとっては、イケメンズ新潟が出来るってなって、地元に居ながらメジャーアイドルになれるのって、すごい革命的だったっていうか」


 ドキュメンタリーや雑誌のインタビューで彼らが語っていたそのままの受け売りを、美咲は喋った。芸能活動へのチャンスに乏しい地方都市だからこそ生まれた、青年達の青春の物語を。脚色なしの本音だと信じたい、彼らのこの街へのこだわりを。

 東京のスターに憧れを抱きながらも芸能界への一歩を踏み出せずにいたカグラ、決まっていた海外留学を蹴ってイケメンズ新潟のオーディションに賭けたヒムカ、地元の有力者の息子だからと揶揄されながらも己の身一つで親の七光と戦うミナト……。イケメンズになる前も、なってからも、彼らの意識の中核には「この街のグループだからこそ」という思いがある。


「きっと、イケメンズ新潟が出来なかったら、一生芸能人になんてならなかったかもしれない子達……。そんなメンバー達が、地域のイベントとかで地元に恩返ししようと思って頑張ってるのを見て、なんかすごくイイなって。最初はただイケメン目当てで見てただけですけど、段々、この子達は他の支部のメンバー達とは違うなって思えてきて」


 それは美咲の正直な思いだった。……どんなに行き当たりばったりの自分でも、スタッフの募集が出ていたのがイケメンズ大阪やイケメンズ博多の事務所だったりしたら、わざわざその街に行こうなんて思わなかっただろう。


「そんな皆が愛する新潟って、きっと素敵な街なんだろうって。一度も来たことなかったですけど、どこか知らない街に引っ越すならここがいいなって、ずっと思ってたんです」

「ほぉ……」


 イケメンズの話しかしていないけど、ひとまず、この街に来たかった理由の説明にはなっただろうか……。

 一通り喋り終えて、手のひらの汗を服で拭いながら弥三郎婆の顔を見ると、婆は得心した表情で「ナルホド」と頷いてくれた。


「あながち、ただの気紛れでもないってことかね」

「……あの、美咲様。そのイケメンズ新潟でございますが」


 ふいに言葉を横入りさせてきたのは、美少年執事のヒカリ。


「大変残念なことに、本日付けで解散が発表されておりますよ。ホラ」


 彼がスマホの画面をすいっと差し出してくる。そこにはイケメンズファミリーの新潟撤退を告げるニュースサイトの見出しがでかでかと表示されていた。

 スマホなんか持ってるんだ、と驚く美咲をよそに、弥三郎婆は「あれまあ」と目を見開いている。天宮までもが目をしばたかせ、スマホの画面を覗き込んでいた。


「ひひっ、どうするね、お嬢ちゃん」


 婆が意地悪く笑って問うてくる。


「あんたとこの街の接点、いきなり消えちゃったじゃないか。東京に帰るかい?」

「いえ、あの、解散のことは知ってました。でも……」


 まだスマホのニュースを読んでいる天宮の姿を、気付かれないようにちらりと横目に見て、美咲は婆に答えた。


「わたし、たぶん、今後もこの街にいると思います」


 イケメンズ新潟がなくなっても、ここに居たい理由。

 それは、自分を助けてくれた彼のことを、もっと見ていたいと思ってしまったからだ、と。

 勿論、そんなことは恥ずかしくて口に出来なかったが――


「ひっひっ、そういうことかい。分かりやすいじゃないか」


 人間よりずっと長い時を生きてきたのであろう化け猫の婆様は、美咲の胸の内を分かったように、愉快そうに笑ってくれた。

 その笑い声に、天宮が「ん?」とスマホから顔を上げる。


「何が分かりやすいんだ?」

「美咲様のアイドルはイケメンズだけではないということでございますね」

「……よく分からんが、まあ、芸能人など掃いて捨てるほどいるだろうからな」


 スマホをヒカリに突き返し、堅物軍人は澄ました顔で言う。


「ひとまず、そんなところだ、化け猫どの。彼女のことは、再び死にかけんようにムジナ達と俺で面倒を見る」

「……ひひっ。まあ、好きにしたらいいだろうさ」


 弥三郎婆の反応は、思いのほか柔らかかった。

 美咲はぱちぱちと何度も瞬きをして婆を見る。なんだか拍子抜けのような気もするけど、本当にこの程度の話でよかったのだろうか……?


「……あの、わたし、合格なんですか……?」


 そろっと手を上げて聞いてみると、婆は「え?」とわざとらしく首を傾げてきた。


「あたしゃ別に、あんたをテストしてたワケじゃないよ。あんたのことを知りたかっただけさ。若い者の話を聞くのは楽しいからねえ」

「へ……?」

「ひっひっ、そこの軍人の坊やが初めて来たときは、あたしの尋問ごっこに少しも動じなくてつまらなかったからねえ。その点、あんたはおどかし甲斐があったよ」

「え、え……?」


 つまり、ここまでのやりとりは、審査でも何でもなくこの婆様のお遊び……?

 へなっと身体から力が抜ける感じがした。この妖怪ヒトに気に入られなければ最悪食べられると思ったからこそ、思い切ってイケメンズのことまで熱弁を振るったのに……!


「た、食べられるかと思ったじゃないですかっ!」


 美咲が思わず黄色い声を張り上げると、弥三郎婆は一瞬キョトンとした目をして、それから今までになく愉快そうに笑い出した。


「ひゃっひゃっ、食べられるぅ? 人間なんて不味いモノ、今時好き好んで食うあやかしが居るかね!」

「えっ、でも、弥三郎婆さんは人を食らうあやかしだって、アズキさんがっ」

「そりゃ、あの小童こわっぱがあんたをからかってるんだろうさ。ひっひひ、人間をおどかすのはあやかしの本分だからねえ」


 あるじの笑いに合わせて、執事のヒカリもにこにこと笑みを浮かべている。

 なんてこと。勝手に怖がって空回りしていたのは自分だけ……?


「そんなぁ……」


 肩を落とした美咲の隣で、天宮がぽつりと呟く。


「まったく、人を食った話だな」

「……あ、それ海軍ジョークってやつです?」


 そうコメントする気力くらいしか、美咲には残っていなかった。



 ◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆



「……ほんっと、さーんざんな目に遭いましたよ」


 弥三郎婆の店を出て商店街を帰るさなか、美咲は道端の小石をカツンと蹴りながら言った。薄暗い建物から出た直後の目に、昼の日差しが眩しい。


「だーれかさんが、弥三郎婆は人を食うとかテキトーなこと言うせいでっ」

『けけっ。人をだまくらかすのはムジナの本業ら』


 美咲達の前を歩くアズキは、双子の片割れのタカラから何かの賭けでせしめたらしいチューインガムを器用に膨らませている。

 もう、と美咲が口を尖らせたところで、後ろから天宮が聞いてきた。


「なあ、入鹿さん。さっきから思っていたんだが、イケメンとは何だ?」

「へ?」


 美咲は思わず振り返って彼の顔を見た。本気で知らないという目をしている。


「文脈から若い男のことなのは分かるが。メンというのは英語のmenメンか」

「えー……イケメンっていうのは……」


 美咲は返答に迷った。あなたみたいな人のことですよ、とは、流石に言えるはずもなく。

 照れ隠しとばかりに、自分のスマホをぐいっと彼に押し付ける。


「ほら、スマホあるから調べてくださいっ」

「いや、俺はフリック入力とかいうのが苦手でな。君が教えてくれれば済むじゃないか」

「なんでフリック入力知っててイケメンを知らないんですか?」


 知識の偏りに思わず突っ込んでいると、アズキが振り返ってきた。


『大尉、イケメンってのはMMKエムエムケーなヤツってことら』

「なるほど。まあそんな意味なのは大体分かっていたが」


 いきなり意味不明な単語で納得している二人に、美咲は反射的に声を上げる。


「MMKってなんです!? イケメンのことMMKって言うんですか!?」

「海軍用語で『モテてモテて困る』の略だ」

「ウッソだぁ! 絶対ウソでしょ! 軍隊でそんなこと言うワケないじゃないですか!」

「本当に言ってたんだぞ。モテる男はMエム、振られてばかりのヤツはFエフってな」

「絶対信じませーん」

「スマホで調べたらどうだ」


 再び突き返されるスマホを受け取り、どうせウソだろうと思いつつもネットの画面を開く。「MMK 海軍」で検索すると、本当にその言葉の解説が出てきた。


「MMKとは、旧海軍の隠語で『モテてモテて困る』の意味……。ええぇ、なにそのJKみたいなノリ」

「なんだ、JKとは」

「女子高生のことですー。ていうか、絶対おかしいでしょ、海軍の人って。なんで軍人さんが女子高生みたいな言葉使ってるんですか」

「さあ。水兵セーラーだからじゃないか?」

「……ちょっと上手いこと言おうとしないでくださいよ!」


 きっとMMKだったのだろうイケメンと丁々発止言い合いながら、賑やかさを増してきた真昼の商店街を歩く。多くのあやかしが棲まう新潟の街を。

 非日常に飲まれっぱなしの昨日と今日。きっとこれからも沢山のおかしなことに出くわすのだろうけど、イケメンズが居なくなっても、自分にはこの街を選びたい理由がある。

 明日もここで生きてみようと、美咲は思った。



(第3話へ続く)

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