第3話 見知らぬ幼なじみ

 いつもは静かな住宅街にまで、救急車やパトカーのサイレン、ヘリコプターの音がたえまなく鳴り響いていた。


 やはり現実になってしまった土砂崩れによる脱線事故。

 日登世ひとせにとって、とても、とても長い一日になった。


 事故の速報がニュースサイトに流れてからようの声を聞くまでの数時間。

 後悔なのか自責なのか、どう表現したらいいのかわからない混沌とした感情の渦にひきずりこまれ、まったく生きた心地がしなかった。

 知らない番号から着信があったときは本気で心臓が止まるかと思ったが、燿のスマホは事故が起きたときに落としてしまったそうで、病院に駆けつけた母親のスマホを借りて日登世に連絡をよこしたらしい。


 のちの発表によると、重軽傷者は五十名以上にのぼったものの、さいわい死者はひとりも出なかったということだ。


 *


 翌日。


「ヒトちゃん! きてくれたんだ」


 足を骨折した燿は二週間ほど入院することになったのだが、彼の負傷は事故そのものではなく、パニックになった乗客に突き飛ばされた子どもをたすけようとした結果らしい。子どもにケガはなかったというからまあ、よかったといっていいのだろう。


「べつに。外の空気吸いに出たついでだから」


 日登世は今日も長袖長ズボン、手袋にフェイスマスクの完全防備だ。日中外に出るなんていつぶりだろう。

 しかし適切な温度がたもたれている病室だと少々暑苦しい。


「なんでもいいよ、きてくれるなら」


 燿はニコニコとご機嫌である。差しいれのドーナツをあっというまにたいらげてしまう程度には元気なようだった。

 その能天気な顔を見ていると、心配しただけ損したような気分になるのはなぜだろう。


 また、日登世が読み、現実となった事故が『今日』だったのか、それとも『凶』だったのかも判然としないままだ。


 もし相手にさわらなくても『凶』が見えてしまうのだとしたら、ひきこもっていても防ぐことができなくなるということだ。これからずっとこんなことがつづくのかと思うと暗澹たる気持ちになる。


「あのさ、ヒトちゃん。おれずっと考えてたんだ。阿澄あすみ家の女性に伝わる力がもしほんとうに『呪い』なんだとしたら、解除する方法もあるんじゃないかって」

「え」

「それで、類似した力がどこかほかに伝わってないかとかすこしまえから調べてんだけどさ、やっぱそう簡単にいかなくて。だから民俗学とか宗教学とか、そういうの本格的に研究できる大学に行こうと思ってんだよね」

「……バカじゃないの」

「ひどい」

「だって」

「わかってる。呪いかどうかなんて現状では確かめようがないし、まったくのムダになるかもしれない。それでもさ、このままなにもしないでずっと力におびえて暮らすくらいなら、すこしでも解決できる可能性をさぐってみるのも悪くないんじゃないかな」

「そうじゃなくて。なんでヨウちゃんがそこまですんの」


 へたしたらこの先の人生をきめるかもしれない大切な選択をそんなふうにきめていいのか。自分たちはたたの幼なじみだ。そこまでする義務も義理もない。


「うーん、そうだなぁ……」


 燿は言葉を探すようにしばらく天井を見あげて、やがてぽつりとつぶやいた。


「おれ自身のため、かな」

「……どういう意味」

「深い意味はないよ。ヒトちゃんが苦しんでるの見るのはおれもつらいし。それにおれ、もともと伝承とか民話とか、そういうの好きだから」


 そういいながら、どこかとり繕うようにほほ笑んだ燿は、仕切り直すようにわざとらしく咳ばらいをした。


「つきましては、ヒトちゃんにもお願いがあります」


 思いのほか真剣な口調でそう切りだされ、日登世は目を瞬かせた。


「これから、どっちの『きょう』でも、なにか見えたら記録をつけてほしいんだ。なにがどんなふうに見えたのか、できるだけくわしく」


 この人は誰だろう。日登世は一瞬、本気でそう思った。

 きのうまでの燿となにも変わらないようで、まるで知らない人のように感じる。

 いや、そうじゃない。

 これまで自分がちゃんと見ていなかっただけなのだと、ふいに思いあたってしまってがく然とした。

 力が目覚めてそろそろ四年。毎日毎日、問答無用で見えてしまう正体不明の『きょう』におびえて、誰にもふれないように神経をとがらせて、もうずっと家族や燿、目のまえにいる人たちに向きあえていなかったような気がする。


「ヒトちゃん?」

「あ、うん。わかった。記録つけるよ」

「え」

「なによ」

「ヒトちゃんが素直だ」

「……ケンカ売ってる?」

「あはは。それでこそヒトちゃん」


 日登世が知っている燿は、自分がやりたくないことは決してやらない人間だった。誰かのために自分を犠牲にするという発想自体がない。たすけたいからたすける。いつもそれだけだった。

 だからこそ、なのだろうか。先ほど『おれ自身のため』と迷うように答えた彼に、日登世はひどく違和感をおぼえた。文字どおりの意味ならば、じつに燿らしい言葉であるはずなのだけど。

 考えすぎだろうか。

 きのうの今日で過敏になっているだけかもしれないが――。


「記録とるのはいいけど、ヨウちゃんも読むの?」

「できればそうしたい」

「じゃあ読ませない」

「すいませんごめんなさい。読みたいです読ませてください」

「やだ」

「ええぇ……ごめんて」


 だめだ。やはりこの、猜疑心といってもいいような違和感を持ったまま燿の提案に乗るわけにはいかない。かんちがいならそれでいい。とにかくこの違和感を解消したい。

 日登世は静かに深呼吸をして、まっすぐに幼なじみをみつめた。すこしばかり色素の薄い瞳が困りはてている。


「なら教えて。ヨウちゃんは、なにを隠してるの?」


 燿はピシッと音がしそうなくらいわかりやすく固まった。

 日登世は待った。その返答いかんによって、彼との関係がおおきく変わってしまうかもしれない。


 どれくらいの時間だったのか。

 まばたきひとつせず硬直していた燿はやがて気が抜けたように、脱力した笑顔を見せた。


「まいったな。まあ、いいタイミングかな。いちおう先にいわせてもらうと、隠すつもりはなかったんだ。いう機会がなかっただけで」

「だからなにを」

「おれも『見える』人間なんだ」



     (つづく)


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