第2話 呪いのハイブリッド

 十三歳を迎えたその日から、日登世ひとせの日常は壊れはじめた。


 最初は、夢で見た出来事をなぞるように一日がすぎるようになった。

 そして誰かにさわるたび、あるいはさわられるたび、脳内に不吉な映像が流れるようになった。

 炎に包まれる友だちのアパート。

 自転車で転ぶクラスメイト。

 空き巣にはいられる祖父母の家。

 いい伝えなんて、ただのつくり話だと思っていた。

 それが自分の身に起こったなんて信じたくなくて、誰にもいえなかった。

 しかし見えてしまったそれらは、すべて現実のものとなった。


 日登世はしだいに、自分がふれたせいで相手が不幸に見舞われたのではないかという錯覚にとらわれるようになった。

 日に日に憔悴していく日登世のようすに、両親もようやく娘の身になにが起こっているのかを知った。

 祖父母もまじえ、日登世の力は阿澄家に伝わる巫女の『読む力』なのだと懸命に説明し、やがて彼女も納得したものの、それはなんの救いにもならなかった。

 そうして、日登世のひきこもり生活がはじまった。


 呪いのハイブリッドだね。

 事情を知った際、ニコニコとそんなことをいい放った無神経な幼なじみを殴り飛ばしたのが、日登世が素手で人にふれた最後である。

 ちなみにそのとき見えた『凶事』はほぼリアルタイム。つまりは日登世に殴られてひっくり返る姿であった。


 ひきこもりといっても、むかしとちがって、あらゆることがオンライン上で完結できる時代である。

 高校は通信制でスクーリングもオンライン可能なところをえらんだ。将来的には仕事も在宅でできるものをえらべば、先祖たちほど自分を孤独に追いこまずとも生きていけるのではないかと、日登世も最近ではそう思えるようになってきたのだが――。


「おはよう、ヒトちゃん!」

「寄るなさわるな近づくな」

「大丈夫! ほら! 手袋、長袖、肌出てない!」

「そういう問題じゃない」


 長袖長ズボン手袋にくわえ、日登世は鼻から首まですっぽり隠せるフェイスマスクをつけている。

 朝に晩に、毎日飽きもせず必ず部屋に押しかけてくる幼なじみ対策だった。呪いのハイブリッドだといって、日登世に殴られたのは他でもないこの男、影仲かげなか ようである。

 ひきこもり生活をはじめて以来、今では日登世の両親から家の合鍵を渡されているほど信頼を得ている。どうかしていると思う。


「……ヒトちゃん? どうした?」

「どうもしない」

「なにか見たんだね」


 日登世はときどき、この幼なじみのことをひどく不思議に思う。

 デリカシーないし、図々しいし、繊細さとは無縁なところにいるのに、日登世になにかあると妙に敏感に察知する。


「べつに。早く行かないと遅刻するよ」


 今朝がた脳裏に流れた光景がよみがえる。

 満員電車。土砂崩れ。悲鳴。ブレーキ音。


 あれは今日読みなのか、それとも凶読みなのか。

 なにしろ両方の力を持つ巫女は日登世がはじめてだ。

 通常の『凶読み』は、相手にふれなければ発動しない。

 しかし今朝見た光景は日登世の日常ではない。電車など日登世はまず乗らないし、父は車通勤だ。

 身近にいる人間で日常的に電車をつかっているのは、三駅先の高校にかよっている燿だけだった。


 もしここで燿をひきとめたらどうなるのか。凶読みだとしたら、やはり燿のまわりにいる誰かに移ってしまうのか。

 ではこのまま行かせたら、燿は無事帰ってこられるのか。

 どくりと心臓が不吉に乱れた。


「ヒトちゃん」


 燿の手袋に包まれた手が、やはり手袋に包まれた日登世の手に重なる。反射的にひこうとした手を思いがけない強さで握りしめられた。


「大丈夫。心配いらない」


 口をひらこうとして、だけどなにをいえばいいのかわからず、こまかく震える呼気だけが唇からもれた。


「いいよ、なにもいわないで。大丈夫。気をつけるから」


 なにが起こるかも聞かないで、どう気をつけるというのか。


「なにかが起こるってわかってれば、いざってときパニックにならないで冷静に対処できる。かもしれない」


 日登世の心の声が聞こえたわけでもあるまいが、燿はにこりとそうつづけた。

 楽観的というか、ポジティブというか、バカというか。


「そんな、適当な」


 日登世はかすれた声でようやくそれだけ口にした。


「適当なくらいがちょうどいいんだよ」


 自信満々にうなずく燿に安心するどころかますます不安がつのる。

 それでも日登世は燿をひきとめることも、見えた『きょう』の内容を伝えることもできないまま、「行ってくるね」と手を振る彼を見送った。



     (つづく)


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