2.屋上

※蒼衣と八代の高校時代の話。本編番外編の「たった一切れのケーキから」 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885628131/episodes/16816700428548844692 の時系列になります


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「すっげー美味い!! シャキシャキの林檎の甘酸っぱさも、キャラメルのほろ苦い感じも、ふわっと香る良い香りも、生地のきめ細やかさも全部美味い!!」

 一つ、二つ。細長いパウンドケーキを切り分けたそれが、八代の手でひょいと持ちあげられ、全て彼の胃の中に納まっていく。

 たとえ太陽光の届く学校の屋上とはいえど、十一月の外気温は冷たい。なにもこんなところで食べなくても、と思う天竺蒼衣は、セーターを着こんだブレザーをさすり、少しでも暖を取ろうとしていた。

 また日が落ちていないだけマシだが、冷えたコンクリートの上に三角座りしているのもそれはそれで落ち着かないものである。だがしかし、目の前で自分の作った菓子を幸せな様子で食べる友人から離れるのが惜しい、という気持ちが、寒さよりも勝ったのは事実だった。

 彼が食べているのは、秋に出回る紅玉と、お小遣いをはたいて買った砂糖……カソナードを使ったりんごとキャラメルのパウンドケーキ――蒼衣手製の菓子である。

「すごく気に入ってくれてうれしいけれど……飽きない?」

「飽きない。一本まるごとかじりたいくらい」

「ほへえ」

 はー手が止まらねえ~、などと言いながら、八代は再びパウンドケーキに手を伸ばす。あまりにも単純明快な賞賛の言葉を真っ直ぐ受け取るのが恥ずかしくて、蒼衣はブレザーの裾からセーターをいじったまま、しかしおいしそうに自分の作った菓子をほおばる八代から目が離せないでいた。

 春、クラスメートとして知り合った東八代に、蒼衣はひょんなことから菓子作りを趣味にしていることを知られてしまった。中学時代、それが原因でいじめられた苦い過去があったが、八代は馬鹿にするどころか、蒼衣の作る菓子の味にほれ込んでしまったのだという。それ以来、蒼衣の試食係として立候補した八代に、作った菓子を持っていくのが日常となった。

 ただ、いつもならば昼食時や放課(そういえば、愛知県外では授業と授業の間の時間は、休み時間というらしい)に食べるはずなのだが、何故か今日は帰宅前に屋上へ引っ張られてしまった。

「そういえば、なんでわざわざ屋上で?」

「んっふっふふ、体育館の向こう側、見てみろよ」

 最後の一切れを口にした八代が、指をさす。そこには――。

「わあ、っ……!」

 目に飛び込んできた光景を見た蒼衣は、頬を撫でる冷たい風のことも忘れ、感嘆の声を上げる。

 防砂林の役目なのか、体育館近くに植わっているカエデの木。それらが、紅葉して美しい茜色のグラデーションを描いている。

 だんだんと夕日に変わっていく太陽と溶け合う風景は、ここがただの県立高校の屋上だということを忘れてしまうほどに見入ってしまう。燃えるような、とは紅葉の表現でよく使われるが、まさに蒼衣が見ているのはそんな風景だった。

「これ、これが見せたくてさぁ。蒼衣って、こういう自然のなんてーか、綺麗なもの好きだろ?」

 八代の問いに、紅葉に見入っていた蒼衣は一瞬にして現実に引き戻された。

「あれ、違った?」

「いや、違わない……んだけど、ど、どうして知ってるのかなって。そんな、その、僕の……」

 好きなものを、とはっきりと言えず、言葉を濁す。

 そんなことは、八代に話した記憶はない。まだ知り合って半年ほどしか経っていないし、中学時代に、菓子作り同様「女っぽい趣味だ」とからかわれた記憶がよみがえる。

 しかし八代は特にニヤついた顔もせず「ああ、えっとさ」と語り出した。

「校外学習でハイキングコース行ったじゃん。そんときに、よく周りを見渡して眺めてたりとか、草とか花を見ては写真撮ってたし」

 確かにそうだった、と蒼衣は自分のことのくせに膝をたたいた。

「この紅葉は部活の先輩から教えてもらったんだ。すっげー綺麗だから、いつものお菓子のお礼じゃないけど蒼衣に教えようと思って。ほんと綺麗だなー、学校で紅葉狩りできるなんて、俺たちラッキーだな。おまけにお菓子も美味いし」

 ニコニコと楽しく話す八代を見て、蒼衣は思う。

 思えば、東八代は最初に話したときから、蒼衣のことを悪くからかったり、馬鹿にすることはない。それどころか、さりげなく様子を見て察してくれるし、こうして気遣いもしてくれる。

「……ありがとう」

 自分には出来過ぎた友人だ、と引け目を感じながらも、それでも蒼衣は、無理を言って新天地に来た実感を改めて感じていた。寒さなど、この幸福感ですべて飛んでいきそうだ。

「ん、俺こそお菓子食わせてくれてありがとうなんだけど……? あっやっべそろそろ太陽沈むじゃん今気づいたけど寒い! 寒いっつうの! ごめんな蒼衣、帰ろうぜ!」

「ううん、僕の方こそ、たくさん食べてくれてありがとうね。冷えないうちに帰ろう、八代」

 風は冷たいけれど、心はまるで焼きたてのパウンドケーキみたいにホカホカと温かい。そんなことを思いながら、蒼衣はゆっくりと立ち上がった。

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