第42話 聖者の資格、娑輪馗廻の境地
――邪法に穢された霊魂はいわば猛毒。喰らえはしても、不死身ではない生者には耐えきれない。
血の味も、脂の味もしなかった。
肉の柔らかさも、骨の硬さもなかった。
ただパリパリと軽い歯ごたえの後は、雲のようにおぼつかない、ふわふわした感触が口いっぱいに広がる。ほとんど噛む間もなくしゅわっと消えるそれは、
そして、口の中から声がする。
『オレ、ワかった。ヤマにシアわせでいてほしかっただけなのに。ずっとさみしくて、カナしくて、クルしくて、ワかんなくなってた』
結局のところ、ミナトの悪罵は本心ではない。
すべては裏返しにすぎなかった。師の
『ジブンでジブンのこと、ワスれてたから。オモってたことと、ずーっとずーっとぎゃくのこと、してたから。こんなにクルしかった』
舌の上にさまざまな味が広がる。つらい記憶の黒しょっぱさ、懐かしい思い出の赤苦さ、己を忘れられた青酸っぱさ、胸が張り裂けそうな白辛さ。
そして温かな、黄甘さ。
万華鏡のように、万感の思いが大輪の花となって、ずしりと
こんなもの、決して他の誰かに食わすまい。渡すまい。これは自分の
『もう、ぜったい、わすれないでね』
最後の一口が、喉元でささやいた。もちろん、と飲み下す。その味も歯応えも、苦く辛い記憶と共に、己が血肉のみならず、骨まで刻まれるだろう。
◆
『
うなる読経の声が、洞窟の高い天井にびんびんと反響し、腹の底までずっしりと響いた。流れ続ける滝の音をものともしない、何百人という信者が唱えるそれは、拉致監禁された時の忌まわしい記憶を呼び起こす。
光源は吊るされた提灯と、石灯籠や赤いロウソクばかりの薄暗がり。
嘘だろ、という言葉は道眞の口を突かなかった。
「あの儀式場か!」
もはや瞬間移動ぐらいでは驚かない。百舌鳥がキヨイ/ミナトを
果たして、道眞たちの正面、湖の前には黒い巫女装束の
「よくぞ! よくぞ
娑馗聖者は
四つの虹彩と四つの瞳まで、喜色に輝いているのが離れていても分かった。
「おんどりゃら、俺がミナトを喰うたのも、計画の内やったのか?」
百舌鳥の顔からは急速に血の気が抜けている。立つのも辛そうな様子だが、やはり生身の体で
娑馗聖者は「ふ、ふ、ふ!」とはしゃいだような笑い声を立てた。
「計画、と言うほど立派なものではないさ。其の方らはいくつも撒いた種のうち、たまたま芽吹いて、花をつけただけ。甘美な果実までもう一押し、というところよ。百舌鳥ヤマト、
しゃりん、と娑馗聖者は錫杖を振り鳴らした。
背後の湖に流れこむ滝が止まり、水のカーテンに隠されていた黒い鳥居の断頭台――
「今こそ
「ざ……っけんなや! バケモンに、なる……ぐらいなら、ミナトの魂ご、と……成仏、しちゃる!」
怒鳴る百舌鳥の声には張りがない。拒絶の言葉に、娑馗聖者は鷹揚に
「神餌になるのが厭ならかまわぬ。まだ人の身でありたいならば、ほれ、そこの」
白蛇のように長くつややかな指が、つ、と道眞を指した。
「よく肥えた神餌がおるだろう?
道眞はすでに七体の神餌と霊餌を喰っている。最初に生出敬一郎を、次に〝狩り鐘さん〟を。だが、聖者となる条件はそろったのに、娑馗聖者は彼を呼ばなかった。
おそらく、神餌よりも生者の方が、聖者として格上なのだろうと道眞は推測した。
「神餌も霊餌も、〝餌〟の一字がつくことを疑問に思わなかったかえ? これぞすべて娑輪馗廻。食物連鎖、あるいは輪廻転生のごとき捕食関係よ。神餌も霊餌も、〝娑馗聖者〟を生み出すための大いなる儀式にすぎぬ」
腹の底から苦々しい怒りが噴き出し、道眞は泡をふくほど怒鳴り出しそうだ。唇を噛んで堪えながら、自分たちが掌の上で踊らされていた事実を受け止める。
「三度
しかし、道眞には理解しかねる。
「どうしてこんなことをするんだ? 何のために死者の眠りを妨げ、けしかける。聖者なんてものを作って、何がしたいんだ! あんたら!」
娑輪馗廻と娑馗聖者の目的が見えない。宗教的狂気と言えばそれまでなのかもしれないが、道眞は問わずにはいられなかった。
「羽咋道眞、そちにもその気があれば、聖者となれるぞ? すでに神餌と霊餌双方を喰らったのだからな。ゆえに敬意を表して答えて進ずる」
「前置きが長いねや……!」
百舌鳥の悪態にほほほと笑い、娑馗聖者はのたまった。
「我らの目的は、あまねく衆生救済よ」
「うわっ、ラスボスみたいなこと言い出した」
それまで黙っていた茅が茶々を入れる。道眞たちと違って、初めて訪れる場所に、大勢の信者。異様な状況に少し固まっていたらしい。
赤目黒猫のリリンコを腕に抱きしめつつ、茅はエンガチョ、と舌を出した。
「死は救済でなくては、世に救いと言うべきものはなし。したがって、惨たらしい死などあってはならぬのだ。もし、非業の死を遂げたものあるならば、その無念を晴らすが聖者の使命。死者をよみがえらせる力こそ、聖者の権能!」
娑馗聖者は茅を無視して言葉を続けると、今度は百舌鳥を指さした。
「百舌鳥ヤマト。そちの愛しき兄弟は、
娑馗聖者が言う通り、これまで遭遇してきた霊餌はすべて、悲惨な死を遂げた者ばかりだった。たとえば道を誤り、割腹自殺をした
父親に虐待死させられた
「人類が自然の摂理に逆らって幸福の追求を始めた時から、倫理道徳、弱者救済の観念が生まれた。であれば、死者を救済することは、人として当然の行いではないか。非業の死を遂げた者は、物語の中では怨霊と化して祟りをなす。だが現実には、自然には、そのような奇跡は起きやせぬ。だから、聖者が恨みを晴らす機会を作るのだ」
――死者こそは、この世でもっとも弱い弱者である、と。
娑馗聖者は説法でもするように、とうとうと語った。道眞に体重を預けていた百舌鳥が、自分の足に力を入れて腹の底から怒鳴りつける。
「ふざけんなや! 無関係な人間をさんざ巻き添えにしくさって」
「それで
しゃりん、と錫杖を突き鳴らし、娑馗聖者は笑った。
「無念の死を、すべての死者を、誰もが
錫杖を天へ突き上げ、娑馗聖者は呵々大笑する。その口ぶりから察するに、死者をよみがえらせる娑輪馗廻の邪法は、聖者によって可能となるらしい。
別天の話では、死者蘇生は不死不滅の彼岸花〝散んだ花〟を薬にすることで可能になったと言う。彼らが崇める御殪観世音が、その力の根源ということだろうか?
聖者も、太蝕天一人とは限らないようだ。だが、今は考えても仕方がない。
「弱者救済とか聞こえの良いことを言って! 結局お前らは、勧善懲悪のお涙頂戴を作っては、放ったらかしにしているだけじゃないか。葬儀を舐めるなよ。弔いを侮るなよ。僕は葬儀屋だって、言ったよな?」
何がそんなに面白いのか、と道眞は腹の中がふつふつと煮えたぎる心地だ。葬儀屋として、言ってやらなければならない。
百舌鳥が倒れてしまわないようバランスを取りながら、娑馗聖者を指さす。
「お前たちがしていることは、救済でもなんでもない。生者も死者も
「哀れな俗流の神餌よ。其の方は残念ながら、御殪観世音菩薩さまの法悦を知らぬ。人はただ生きているだけで間違い、苦しみ、道を誤る。俗世の迷妄に囚われるな」
こいつらと話すことはもうない。道眞たち三人は口に出さないまま意見を一致させた。百舌鳥が愛刀・
あたりには何百人という白装束の信者。場所は地の底と言っても差し支えない洞窟。以前はあえて逃されたが、自力で脱出するのは絶望的だ。
「ところで一人、会わせたい者がいるのだがな」
道眞たちが進退を見極めているのを察したように、娑馗聖者は一人の信者を前へ呼んだ。一枚布を垂らしただけの覆面に隠されて、顔は分からない。
平信者の格好をした女性が覆面と頭巾を外すと、ベリーショートの髪の、華やかな顔立ちが現れた。邪教の施設内に不似合いな、はつらつとした人だ。
こんな場所でなければ、道眞も好感を抱いただろう。だが、なぜ娑馗聖者はこの女性を会わせたがったのか。その疑問は、女性の第一声で氷解した。
「かーやっ」
「おかあ……ちゃん……?」
茅が道眞たちと出会ってから、ずっと音信不通、行方知れずだった茅の母。
――
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