第43話 涙の鏡が怒りを照らす

「かーや、ちょっと見ない間に、なんか大人っぽくなったんじゃない? 霊餌たまえ狩りできっと色んな経験をしてきたんでしょ。後でゆっくり聞かせて欲しいな。でも、その前に母さん、かーやにも神餌かみえになって欲しいの」

「あ、ぁ」


 ぺたん、とかやは腰砕けになって座りこんだ。この三週間、ずっと案じ続けていた最悪の事態。しかも、つい昨夜に祖母が亡くなったばかり。

 別天べってんが以前占った所、茅の自宅に空間の歪みがあると言っていたが……やはり娑輪しゃりん馗廻きえは、茅の母を拉致監禁して、洗脳を済ませていた。


「あああ! あぁぁぁああ! ぁぁぁああぁあっあ……あ! あぁ……! うぅぅうぅぅわ……あ……ああぁぁぁあ……ああああぁああああぁああああ!!」


 茅は頭を激しく振って、目の前の現実を否定しようとした。腕に抱えていた猫を取り落とし、身をよじって首を縦に、横に、脳を振り潰しそうな勢いで。


追切おいきり茅。其の方の父・生出おいずる敬一郎けいいちろうは栄えある神餌となったのに、そこの二人によって早々に奪われてしもうた。残念でたまらぬゆえ、縁をたどって追切泉を神餌にいざなったのだ。……本来、女性であれば我らが子孫を一人でも産み落としてから、儀式を受けてもらうところだったのだが、今回は急いだ。くくっ」

「かーや、こっちにきて。いっしょに永遠になろう! お姉ちゃんもいるのよ!」


 追切泉の声はあくまではつらつとして、レクリエーションを誘ってでもいるかのようだった。だがここは深い竪穴の底で、辺りは何をするか分からない数百名の狂信者たちに囲まれている。その状況で、洗脳された身内からの甘言。

 ここに連れてこられた時点で、道眞たちはいる。


「瑞穂おねえちゃん、いるの?」


 茅が頭を振るのをやめ、ぽつと問うた。

 両親が離婚する前に亡くなった姉、生出瑞穂……生出も生前、亡くした娘への思いに引きずられ、教団に捕らわれた。


「そうよ、かーや! 今はあなたの方がお姉ちゃんになっちゃったけれど、姉妹だもの、仲良くできるわよね? 羽咋はくいさんがこっちに来てくれたら、敬一郎さんだって呼び戻せるわ。ねえ、だから茅、羽咋さんと百舌鳥さんを説得して?」

「わかった」


 茅は抑揚のない声で答え、道眞と百舌鳥は身構えた。道眞はかつて、生出が教団の洗脳を受け、おかしくなってしまった時のことを思い出す。


「でも、その前にお母さん、もっと顔をよく見せて?」

「いいわよ」


 教団の白装束に身を包んだ追切泉は、ぱたぱたと軽やかな足取りでやってきた。休日に母子でピクニックにでも出かけた、のどかな一場面のようだ。

 その顔に、茅は鏡に集めた明かりを照射した。灯籠のぼんやりとした光も、一点に集中させれば、真っ白に眼を焼く閃光だ。


「ぎゃあああぁっあぁぁっ!?」


 ぶしゅっと肉が焼け焦げる音がして、脂の臭いが辺りに漂う。紫陽花鏡あじさいかがみの光を受けて、追切泉の顔面は真っ赤に焼けただれ、目も鼻もなくなった。


「お前はおかあちゃんじゃない! おかあちゃんも、おねえちゃんも、もう死んだ! あんたたちが殺したんだ! ぜったいに許さない!」


 茅は鏡を掲げたまま、大粒の涙を流して叫んだ。その涙一つ一つが、まさに照魔鏡。輝かんばかりの生と正の光が、少女の内側から放射されていた。

 その光を、怒りとも言う。


「ドードー、食べて! こんなやつら、ぜんぶ食べて食べて食べ尽くして!!」

「ああ……ああ!」


 霊廻たまえしきも、たま餌食えじきも、しょせん同じ穴のムジナ。あるいは、コインの裏表。

 行き着く果てが聖者しょうじゃでも、死者をよみがえらせる力を持つのであれば、あるいはすべての死者を正しく葬れるのではないか。


 百舌鳥は愛刀の鯉口を切り、鞘を抜き払った。彼岸花の剣・神立かんだち浄宗きよむねの刀身から、サスラの霊酒くしびきが細かな飛沫となって散る。


「かあぁやぁあ、なんっで……こおおんなひ……っどおいこと、すうる……のお?」


 焼けただれた顔のまま、追切泉の神餌が茅につかみかかろうとする。

 ギシャアアア! と黒猫が威嚇の叫びを上げると、リリンコを中心にして盾のように、赤い波紋が広がった。追切泉の手がばちんっと撥ねつけられる。

 この赤目黒猫は霊力があるとは聞いていたが、道眞たちの前で披露するのは初めてだ。……それだけ、状況が悪いということかもしれない。


 横合いから、百舌鳥は横なぎの一撃を放った。黒葛原一文字流剣術、ひとしきの構えからくり出される剣閃だ。

 追切泉の上半身と下半身が、ズレる。小さな、しかし確実な違和感の元、違和はひたすらズレを大きくして、ついには泣き別れとなる。

 どこまでが百舌鳥の腕前なのか、霊酒の効果かは判別がつかないが、気にしている場合ではない。道眞は追切泉の上半身を抱き起こした。


「泉さん。あなたは、本当にこれで良かったと思っているのか?」

「だって、もう誰も失わなくて済むんですもの。変わらなくて良いの。いつまでも、みんないっしょに居られたら、それが一番でしょう?」


 追切泉の言葉に、道眞は異論がないとは言い切れない。

 なぜ人は死ぬのか、生態系の維持、世代交代、理由はいくらでも。だが、出来るからと言って、本当にそれをやってしまっていいものか?


「いいわけがない!」


 道眞は自らの思考を否定した。少なくとも、霊餌になった者は皆苦しんでいる――道眞自身も、それをよく知っているからこそ、断言できる。

 死は絶対に動かないものなら、生は絶対に止まらないものだ。

 その二つがぶつかって、綾を織りなすのがこの世のならい。


 生と死の間には明確な境界線があり、それは決して犯してはならないものだ。始まりと終わりがあるように、何事にも因縁と結果がある。それと同じ事。

 始まりと終わりをごっちゃにすれば、道理は破綻する。

 始まりアルファにして終わりオメガであるのは、神の身なればこそだろう。


「さても頑迷なことよなあ。であれば、迂生のはらに、まあるく収めてしまおうか。追切泉刀自とじのみこと、これに」


 娑馗聖者の手招きに、泉は「はいっ」と嬉々として応じた。道眞の腕を上半身の力だけで振り切り、素早く這いずる様は虫のようだ。

 ばかん、と聖者は扉のように大きく口を開いた。

 人間が立ったまま通れそうな、人体の構造を無視した造形に、泉は自ら飛びこむ。遅れて、よろめき歩く下半身が。

 ぱくりと顎門あぎとが閉じ、白金の美貌に戻った娑馗聖者の口元に、赤い滴が名残を残す。あまりにも――あっけない一幕だった。


「お……お、かあ……ちゃん」


 へたりこむ茅に、道眞はなんと声をかけるべきか逡巡する。だが、今は目の前のやつらに、言うべきことを言うのが先だ、と判断した。


「あんたら、死者を救うのが目的だって言うけれど、実際は真逆のことをしているじゃないか。死者は尊ぶべきと言いながら、その実、お前たちは彼らを見下している。誰よりも死者を踏みにじっている! ただの都合の良い道具にして!」


 心の底の底、内腑ないふに突き当たる所から、噴き出してくる情動、真情。


「よみがえらされた人たちが、生前と変わらず穏やかに過ごせているなら、それでもいいさ。だが、実際はどうだ……かつて抱いた無念の思いを、未練を、果たせる宛てもないまま、妄執に取り憑かれて虚しい行いをくり返している」


 たとえば、決して返ってこない人を待ち続けて、どこから来たか尋ねる怪異。

 たとえば、死んだ家族を蘇らせようと、人の首を斬って集める怪異。

 たとえば、死んだ我が子を探して、妊婦の腹を裂き続ける怪異。

 みんな、みんな、救われない。


「あんたらがやっていることは、死者を地獄に落としているだけだ!」

「黙りやれ! 其の方に何が分かると言うのだ!」


 娑馗聖者が初めて鷹揚な態度を崩し、怒りと共に錫杖を突き鳴らした。話しながら、道眞は気配を消した百舌鳥が、ぐるりと聖者に近づいていることに気づく。

 時間を稼がねばならない。


「これ以上なく分かってるさ。死んで、生き返らされるのは。ずっと呼吸を忘れていることがあって、とっさに声が出てこない。体温はいつも常温。特製の眼鏡がなければ目も見えない。見た目は同じでも、もう二度と元の体には戻れない」


 百舌鳥が〝丨々こんこん〟と言っていた歩法は独特だ。体重を均等にかけるから、靴底は偏ることなく真っ平らすり減る。よほどの体幹がなければ出来ないことだろう。

 それは、ゆっくり動いているように見えるのに早く、いつの間にか相手の懐へ入る。〝心の距離〟が違うのだ、と百舌鳥は以前言った。

 今も、百舌鳥は娑馗聖者のすぐ傍に近づいている。


「葬儀屋として、人として、決めた。お前ら娑輪馗廻は、廃絶してやる!」

「――ヤッ! トオオオ!――」


 道眞の宣言と同時に、百舌鳥は背後から娑馗聖者に一太刀を浴びせた。

 大上段からの唐竹割り。毛髪とは頑丈なもので、たとえば斬首刑のさいに髪の毛があるだけで、刀剣がそれに阻まれて首を断てないと言う。


 だが、百舌鳥は最初から髪の硬さも計算に入れていた。ふつり、ふつりと切り散らされる毛束は、宙に舞うその姿まで眼を奪う流麗。

 一拍置いて、ぶしゅ、と後頭部から、続けて背中から血がしぶく。


 途端、漆黒の瀑布ばくふが百舌鳥に叩きつけられた。聖者の血と髪が奔流となって、百舌鳥を背後の湖へと押し流したのだ。道眞と茅は思わず前へと駆けだした。

 その足に、血だまりのように広がる黒髪が絡みつく。


「うわあああっ!」

「きゃあっ」


 リリンコがくうをつんざく声を上げて結界を張った。二度、三度、赤い波紋に触れた髪はぱっと燃え散り、悔しげに震えるが、四度目には突破される。

 二人と一匹は髪の大河に足を取られ、百舌鳥ともども湖に落とされた。確かこの湖は、中央の小島まで歩いて行ける浅瀬だったはずだ。なのに今は、足がつかない。

 雪解け水のような冷たい水中で、遠く娑馗聖者の声が聞こえる。


――お前たちはすでに、娑輪馗廻からは逃れられぬ。どこへ逝こうとも、九つの道を彷徨さまようしかないと知れ。


 娑輪馗廻は教団の名であり、死者蘇生の邪法であり、死者蘇生を行う聖者を生み出す儀式そのものだった。自分たちの戦いも、結局はその輪の一つにすぎない。

 さぞかし娑馗聖者は勝ち誇っていることだろう、と道眞は思う。

 だが、別天が魂餌食から霊廻式を生みだしたように、いずれ自分たちも、娑輪馗廻を逆に利用し、その行いを廃絶する。これは決定事項だ。


 廃絶すべし、娑輪馗廻。水底へ沈みながら。道眞はくり返し唱える。


 廃絶すべし、娑輪馗廻。

 廃絶すべし、娑輪馗廻。

 廃絶すべし、娑輪馗廻――。

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