第二輪 満願、かなったり

第41話 閻魔童子霊廻式次第

「そうか、お前には兄弟だけで、友達ってものを知らないんだな」


 百舌鳥もずの体を乗っ取ったミナトは、かつて〝トモダチ〟と呼んだ道眞どうまを最初の食事、〝たま餌食えじき〟と定めた。

 道眞はこれまで七体の霊餌たまえ霊廻たまえしきし、霊的には八人分の大きさを持つ。それは、霊餌や神餌かみえからは素晴らしいエサに見えると別天べってんは以前言った。


(しかし、どう戦う……? 別天先生のような術の心得なんて僕にはないし、今手にあるのはこのショベルくらいだ)


 これまでの霊餌狩りでも、物理的にはほぼ無敵に近い道眞は、力業で事をなしてきた。だが、ミナトが使う裁ちバサミは、ライフル弾を物ともしない神餌の肉体を紙のように切り刻んでしまう。どこまで対処できるか、分かった物ではない。


「ミナト! こっち向いて!」


 素直にかやの声に反応すると、血涙の顔を真っ白な光が照らした。


「ぐうぅぅっぁああっあぁああっ……!?」


 血の涙が白い煙を立てて蒸発し、百舌鳥の前髪から色が抜ける。それは、いつもキヨイ/ミナトが肉体の主導権を手放した時に起きた現象だ。

 がくんっと百舌鳥が草地に膝をつき、糸が切れた人形のようにうなだれる。


「茅ちゃん、その鏡は!?」


 光の源は、茅が掲げた手鏡の反射だった。

 紫陽花をあしらった、落ち着いた紫のデザインだ。


「〝紫陽花鏡あじさいかがみ〟だよ! 照魔鏡が早忌沢はやみざわさんの所にあるってのは、嘘! おばあちゃんが、黙って持っていなさいって渡してくれたの」


 魔を照らし、正体を暴く照魔鏡。その最たるものを、別天は孫の茅に託しつつ、道眞と百舌鳥には嘘をついた。用意周到な老婦人にまたも助けられたのだ。


「くそっ……ミナトはどこや!?」


 意識を取り戻した百舌鳥が、体勢を立て直しながら辺りを見回した。道眞は車に駆けこみ、袱紗に包んだ日本刀・神立かんだち浄宗きよむねを彼に渡す。

 道眞、百舌鳥、茅の三人は、油断なく互いを背中合わせに三角陣を組んだ。リリンコは茅の傍に、弓なりの威嚇ポーズで立つ。


「……あそこ!」


 茅が鏡で照らしたのは、ミナトの遺骨だ。地を這うような黒いもやが絡みつき、骨が一本一本、形を組み立てていく。辺りが急速に薄暗くなった。

 そして、闇がぜる。

 真上にあった枝葉を吹き飛ばし、どす黒い瘴気が暗黒の柱となって立ち昇った。それがぎゅっと凝縮し、人の形になる。


 それは、串刺しにされて宙に浮く、裸の子供だ。


 垂れ流される血液と尿がホウキを濡らし、虚ろな眼窩には赤黒い血涙をたたえた刑死者のごとき異様。口からは、裁ちバサミの持ち手がはみ出ていた。


「それが……われのほんまの姿か、ミナト……」


 愕然がくぜんと百舌鳥がつぶやく。これまでは常に、彼の体を乗っ取って出現していたから、霊体としての姿を見るのは初めてだ。


『ヤマ……ヤマ……ごはん、いっしょ……できないなら、オマエをクう!』


 半分こできないなら、独り占め。ずっとこんな状態で、なのに片割れはそれを覚えてもいなくて。それは――おぞましさよりも、哀れを感じさせた。


「百舌鳥、もう楽にしてやろう。僕たちの手で」

「今まで色んな霊餌と戦ってきたんだもん! やれるよ!」


 道眞と茅の声援を受け、百舌鳥は「ああ」と彼岸花の剣・神立浄宗の鯉口を切った。鞘に満たされたサスラの霊酒くしびきが、刃から飛び散る。馥郁ふくいくたる清酒の香り。


「ヤッ! トオオオオオ!」


 たんっと間合いを詰める間もあらばこそ、百舌鳥の踏みこみとミナトの仕掛けはガチリと時を同じくした。気合い一閃、投げられた裁ちバサミを両断する。


『ヤマがおもいダしたから、オレもおもいダした。ずっとずっと、ヤマ、うらやましかった! ヤマばかりずるい! ずるい! ずるい!』


 口や腕から生えた裁ちバサミを抜きながら、ミナトはぎゃらぎゃらとわらった。


『ヤマ、イタくなれ! キタナくなれ! オレがタべるから、ヤマをタべるから、オレのハラ、ナカでずっとずっとクルしめ!』

「ああ、そうしちゃるのが義理なんやろな」


 投げバサミは避けるとまたこちらに飛んでくるから、確実に落とす。金属と金属が空中で火花を散らし、真っ二つに切られたハサミが地面に転がった。


「そやけどな、われを楽にさせる方が先や。そのホウキを引っこ抜いちゃるから、ちっと横になれや、ミナト」

『なーんで? ラク、って、な~に?』


 心底不思議でならない、という風に串刺しのままミナトは言う。


「なんでもクソもあるかぁっ!」


 黒葛原つづらはら一文字いちもんじ流剣術・裏五筆は流手ながれてひとしきの構え――横なぎの太刀でもってホウキの首を断つ。かくん、とミナトは小さな体を傾がせて、地に足をつけた。


『あああぁぁあ! ウルさい! うるサい! タスけてほしくなんかない!』


 ホウキから、動脈を切断されでもしたように血が吹き出す。粘度が高く、重い。それに眼をつぶされないよう腕で防ぎながら、百舌鳥は突きを放った。


 金属のぶつかり合いと、瘴気を燃やす霊酒の青白い火。

 がぎゃっと大きな音を立てて、巨大な裁ちバサミが突きを受け止めた。六歳児であるミナトの身長、その二倍ほどもあるハサミの刃が欠ける。


『ヤマ、ずっとオレ、ワスれてた! ヤマはナニもワからない! シらない! だからシね! シね! シね! シんじゃえ! もうナニもワかるな!』

「これでもくらえーっ!」


 横合いから、茅が鏡に日光を集めて二人を照らした。びくん! と棒を呑んだように――実際に、串刺しにされているが――ミナトが動きを止める。


『あぁあっ!?』


 それは絶好の隙だった。


 武術とは、畢竟ひっきょう、「間」に「合わせる」ことに尽きると雁金かりがねは言った。相手との距離、タイミング、心の隙間。いかなる術理も、間を外せば無意味と化す、と。

 完璧な間合いに、完璧な一太刀。それですべてが事足りる。

 片方は上々。残る片方は、百舌鳥次第。


「ヤァッ! トオオ!」

『ひぃああぁあぁぁっ!!』


 ずぐん、と切っ先がミナトの肩口を切り下ろす。血の代わりに黒い灰が舞い、かん高い悲鳴に百舌鳥は胸をかきむしられた。


(あかん、こんなんではぜんぜん足らん。師匠のように落とせん!)


 一秒間を一〇〇〇ミリ秒に引き延ばす鈍磨した時間感覚の中で、百舌鳥は必殺の一太刀を模索する。手本は十一歳のあの日、師が見せた憑きもの落とし。

 ものすごい速さで遠くからやってきて、また気の遠くなるどこかへ去って行く、一陣の風。ざわざわしたいやなものを、残らず持っていく爽快な一閃。

 免許皆伝を受けても、破門にされてからも、あれと同じ一太刀を放てた試しはない。それでもやるしかないのだ、今、ここで!


――死が救いやなんやのはクソや、死にたいヤツはくたばったらええ。そやけど生きる側の足を引っぱるんやったら、俺が全員ブチ殺しちゃる。


 道眞と初めて会った時の己の言葉が、不意によみがえった。ああ、哀れなこの弟は、まさに生きる側の足を引っぱる死者だ。

 けれど、そうさせたのは自分だ!


『ヤマ! ヤマ! ヒきサいてやる! キタナいオヤジみたいに! バラバラのブチブチに! チにおぼれて、ナいてナいてナきつづけろ! それイガイのぜんぶ、ワスれて、クルしむためにシにつづけろ! ヤマ! ヤマ! ヤマあぁぁあっぁ!』


 ミナトは巨大な裁ちバサミで、道眞のショベルと打ち合う。ぎん、ぎん、がごん、と重々しい金属音が木々を揺らした。

 道眞の片腕が切り落とされたと思ったら、それを自分で蹴り上げ、してくっつける。霊餌を喰らい続け、霊的には八人分の大きさとなった彼には、もはやこの程度は大した傷にはならない。

 思えば遠くまで来たものだ。


 百舌鳥はこれまで、ずっと弟のことを忘れて生きてきた。

 地獄しか知らずに死んだミナトの何倍も、美味い物を食べて、不安を抱えず惰眠だみんを貪って、熱い風呂を浴び、友達を作って、大人になった。

 そのどれか一つも、ミナトに分け与えてやれなかった。ミナトはずっと、ヤマトと食事を半分こするのを楽しみにしていたというのに。


『オマエだけシアワせになって! オレにはナニも! ひとつも! こんなにツラいのに! カナしいのに! オマエずっとシらない!』


 これからも、与えてやることはできない。


『イきてられるやつは、みんなシんじゃえ! オレはイきられなかったのに! イきたかったのに! もっとイきたかったのに!』


 それが、死ぬということだ。


『ユルさない! ユルさない! ダレも! ナニも! オレにはかぞいろさまだけ! みんなみんなシんじゃえ! なんでシぬかも、わからずシんじゃえ!』


 なのに弔うことさえ、今までしてやれなかった。


(すまん、俺ばかり幸せになっとって、すまん)


――だが、それでも。


 ずぐん、と巨大な裁ちバサミが道眞の胴体を貫いた。


「葬儀屋ぁ!?」

「ドードー!!」


 ハサミの刃が開いて、傷口をより広げる。着物をべっとりと血反吐に汚しながら、道眞は幼子の手に爪を立て、しかとつかんだ。


「――やれえッ! 百舌鳥!!」

『オマエ、じゃまぁぁ!』


 ミナトがもがくが、道眞は決して手を離そうとしない。その上から、茅は紫陽花鏡で照らした。ミナトが聞くにたえない金切り声で叫ぶ。

 息を吐き、呼吸を整え、百舌鳥は〝丨々こんこん〟の歩法で間合いを詰めた。


「お――おお、おお!」


 黒葛原一文字流・表五筆は主略しゅりゃくともしの構え――いわゆる晴眼せいがんの構えというやつだ。バラバラに向いていた糸束が、ぴんと一点にまとまり、張られる感覚。


 無念無想。


「――ヤッ! トオオオオオ!!――」


 手応えあり。


『うわああぁぁぁあぁああっあああぁぁあああぁぁっあぁぁああっ』


 十五年の剣術人生で、最高最善、完璧な一太刀だった。


 闇が晴れ、木漏れ日がくっきりと夏の明るさを取り戻す。立ち込めていた瘴気が無くなり、薄汚れてはいるが、服を着た幼い子供が立っていた。

 百舌鳥ミナト、享年六歳の青くてかたい魂。


「ミナト。俺はわれを決して赦さん。だから、われも俺を赦さんでええ」


 百舌鳥は神立浄宗の刃を手首に押しつけ、切り傷を作って納刀した。

 たらりと、赤く生き血があふれ出す。切った手首を口元に押しつけられ、反射的に血潮をすすった幼子は、『……うまい……』と恍惚のため息をもらした。


「われは俺の体を乗っ取っては生出おいずるをズタズタにして苦しめ、別天べってんのバアさまを殺した。だから、お望み通り、一生恨んで恨んで憎み続けちゃる」


 百舌鳥の語りを聞きながら、血をすすりながら、ミナトは微笑んでいるようだ。赤黒い涙はまだ流れ続けているが、もはや穏やかな気配を漂わせている。


「二度と、われを忘れへん」

『ほんと?』


 小さく、壊れそうに細い肩を、百舌鳥はつかんで引き寄せた。


「俺のすべてを喰わせちゃる。だから、われを喰わせてくれ」


――相手を屈服させるか、その無念を理解し、晴らすことが出来れば、わ。


 別天の言葉がよみがえる。これだけは、道眞ではなく自分がやらねばならない、と百舌鳥は確信していた。

 だが、それはミナトの返答次第だ。ことによると、もう一太刀浴びせねばならないかもしれないが、……おそらくその心配はないだろう。


『ずっとほしかった、ヤマがほしかった。オレのことをわすれたヤマのこころに、またもどってきてほしかった』

「もう一人にはせん、これからは、俺がずっといっしょや」


 ざわざわしたもの、ミナト自身に取り憑いていた悪意、憎悪、悲哀、そうした負の重量は絶ちきられた。だから。


『いいよ。ヤマ、オレをタべて』


 百舌鳥はミナトの首筋に歯を立てた。

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