第二輪 毒味するもの、餌食の行方
第22話 焦げつく少女と矛盾冷蔵
七月三十日、朝七時。
木材の飴色と
中にはパイプベッドが置かれ、浴衣姿の青年――
「……ほんとに死んでるみたい」
茅がこぼした感想は、常ならば不謹慎な発言だ。
だがこれは生ける死者、動く屍という矛盾の体現であるのはもちろん、道眞の状態は「眠っている」などというものではない。
閉じられた
茅が見ている前で、別天は
「これより
道眞の両手は胸の前で組まれ、首とまとめて縛り上げられていた。それを丁寧な所作で別天がほどいていく。
「ここの、や、なな、
両手を体の脇に伸ばすと、次は足首の縄。
「むゆ、いつ、よ、
コップに汲んだ清水で指先を濡らし、道眞の両目蓋をすっと横一文字に撫でる。ガーゼで拭えば、墨汁は跡形もない。
「行者、今、
ぱんっと別天が
「おはようございます」
「おはよう、道眞さん」
「おはよ、ドードー」
死体が動いて、しゃべって、自分はそれに挨拶しているなんて、おかしくておかしくて、茅は笑ってしまいそうだった。だが楽しい笑いではない。
(死んでいるのに動いているって、どんな気持ちなんだろ。おとうちゃんは帰依させられちゃったから喜んでいたけど、おばあちゃんに助けてって言った……)
そして体すらなくなっても、まだこの世にいる霊餌の気持ちとは。分からない、茅にはまったく分からないが、たぶんずっと分からない方が良いのだろう。
羽咋道眞は生ける死者だ。
たとえ
◆
七月二十八日。
「茅ちゃん、道眞さんとヤマトさんには、決して気を許しちゃ駄目よ」
二人が身辺整理のためお彼岸屋敷を出た直後、別天は孫娘にそう告げた。玄関ホールで見送りに立ったままだから、よほど急いで教えたかったらしい。
「なんで? 二人とも、悪い人じゃないんでしょ」
その時の茅にはよく分からない忠告だった。出会って間もないが、少女は自分の倍ほども生きている男たちに、信用と頼もしさを感じていたから。
道眞は礼儀正しく、優しげで安心できる人。百舌鳥は、ちょっと乱暴だけどそこが中学の男子みたいで親しみが持てる人、という印象だ。
しかし祖母は、「そう、悪い人じゃない」とひどく真剣な顔で言う。
「人の善し悪しじゃなくて、存在自体が危険なの」
「
ええ、と眼帯の老婦人はうなずく。
「たとえ帰依していなくとも、道眞さんは動く死体。あの人は眠る必要がないから、夜の間は私が封印させてもらう、と本人にも伝えたわ。それにヤマトさんに取り憑いているキヨイも、得体が知れない……二人とも、いつ自分の意志に関わらず、私たちに危害を及ぼすか分からないのよ。だから、二人きりになったりしちゃ駄目」
約束してくれる? と別天は小指を出した。
「分かったよ、おばあちゃん」
ゆびきりげんまん、ウソついたら針千本飲ます。
ゆびきった。
◆
そして再び三十日……茅は割り当てられた自室のベッドでごろごろしながら、スマホを見て着信を待っていた。いまだに、母の泉と連絡がつかないのだ。
室内にはゲーム機や、人体模型パズル、ペーパークラフトなど、祖母や父と遊ぶつもりで持ってきたオモチャが、所在なく転がっていた。
道眞と百舌鳥に出会ってから二日が経っている。そんなに長く連絡がとれないなんて、絶対におかしいし、初めてだ。
昨日は祖母の別天とともに、警察署へ行って捜索願を出すことになった。茅の自宅である
体の端っこの端っこ、爪一枚ぐらいの細いふちが真っ黒になって、じわじわと自分の身が炭に近づいていくのに、どうしようもない……そんな状態だ。
「どうして?」
茅が口に出した言葉は、一度に色んなことを問うている。どうして、いつもの夏休みじゃないんだろう。どうして、父はいなくなってしまったのだろう。
どうして、母の安否も分からないのだろう。
最期に父は安らかだったから、その死を受け容れられていると茅は思う。けれど、少し前……あの凄惨な姿は、どうしてもまぶたの裏まで焼きついていた。
バラバラ死体と言葉にするのは簡単だ。でもあれは、そんなんじゃない。
手も足も顔も乱切りにして、ぐるぐる混ぜ合わせた後、引きずり出したあばら骨にぶっかけた、ゴミ屑のように扱われた父の姿は。
(ダメダメダメ、思い出すな、あたし!)
自分の顔がカッターナイフで切り刻まれて、血と涙をわんわん流しながら助けを求めたら、うんことおしっこをかけて笑われたような最悪な気分。
それでも、何倍もマシだ。だってその場合は、まだ誰も死んでいないのだから。父は、生きていないのに死んでいて、殺されたのに死んでいなかった。
「ワケわっかんない……」
ぼす、と茅は枕に顔を埋める。
(おかあちゃんは、おとうちゃんみたいに、娑輪馗廻にさらわれてないよね?)
何度も打ち消した考えが、いつまで経っても晴れない黒雲のように頭にのしかかる。コールタールのような粘性の液体からできた、べとべとした嫌な雲が。
祖母は地図を広げ、紐で吊した昔のお金を振り子にして無事を占ってくれた。
すると、茅の自宅と、その上で停まった古銭がぶすぶすと焦げだしたのだ。虫眼鏡で光を集めでもしたように、白い煙まで立てて。
――大丈夫よ、茅ちゃん。
別天はそれだけ答えて何も教えてくれないが、良くない兆しだということぐらい、自分にも察しがつく。はっきりと言ってくれれば、と茅は唇を噛んだ。
道眞も百舌鳥も、茅を心配してくれているのは彼女も分かっている。だが、「子どもだから」「危ないから」と大事なことから遠ざけられるのは嫌だ。
納得できない。納得なんかしない。自分はもう十四歳で、子どもと言うには大きくて、大人と言うには若すぎて、つまりとっても損する年頃なのだ。
だったらこの事件にがっぷり噛みついて、絶対に離さない。
祖母から百舌鳥が帰ってきたと知らせを受けたのは、それから少し後だった。
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