第23話 凍てつく憤怒の屍者
「なんや、
「失礼だぞ、君」
玄関ホールに入るなり、ぶしつけなことを言う
百舌鳥は刑事だが停職中で、茅はそれを仕事しない仕事についてる無職さん、と解釈している。ので、相変わらず彼がネクタイとYシャツ姿なのが少し可笑しかった。
だから、ちょっと失礼なことを言われても怒らない。十四歳はオトナなので。
身辺整理のために一度京都へと戻った道眞は、昨日のうちにこちらへ戻ってきていた。今日は雪の結晶のような六角を、円形に描く
「名古屋のおかあちゃんと、ずっと連絡がつかないの」
ホールのソファに腰かけ、膝に黒猫を抱えながらオーバーオール姿の茅はそう告げる。今日はカントリーに、セミロングの髪を低めの位置で二つ結びにしていた。
「捜索願は」
とソファに腰かけ問う百舌鳥に、別天が「もう出したわ」と答える。
「占ってみたけれど、結果は芳しくないわね。何か妨害が仕掛けられているの」
「妨害?」
道眞が初耳という風に聞き返した。
「結界が張られている、とでも言えば良いかしら? 茅ちゃんのおうちのとその周りだけ、不自然に
「それは、やはり
ええ、と迷いなく別天はうなずく。
ああ、やっぱりおばあちゃんは、この人たちが帰ってくるまで自分にこの話をする気は無かったのだ――そんな苦々しさが茅の胸に広がった。
膝上の黒猫、リリンコのすべすべふかふかした毛を撫でて、心を落ち着かせる。
リリンコも普通の猫ではないらしいが、特別な力なんてなくても、この
「ねえ、おばあちゃん。あたしまだここに泊まってていいんでしょ。だったら、少しは何か手伝わせてよ。あたしだって、おとうちゃんのカタキを取りたいもん!」
「茅ちゃん……」
大人たちはやっぱりなあ、とでも言うように、互いに目を合わせた。
茅を母親の元に返せば、それでひとまず安全圏に置きつつ、本人も妙な気も起こさないだろう……という目論見はこれで崩れ去ったはずだ。
だったら今こそ、自分をチームの一員として迎え入れるべき時ではないか。
「僕としては、あまりお勧めはしたくないんだけれど」
「危ないことはしないよ、ドードー!」
茅はローテーブルに手をついて、向かい合わせの道眞につめよった。膝のリリンコはぎゅむっと押し潰されそうになって、別天の方へ避難する。
「みんなの邪魔にならないようにする! ほら、調査したり戦ったりしたら、疲れるでしょ。みんなが帰ってきたら、あたしがマッサージしたり、ご飯作ったりするの。調べ物のお手伝いだって、言ってくれれば大丈夫だから!」
「それはありがたいけれど」
すっと道眞の眼が細くなった。割れた硝子が指に入って、ちょっと遅れてから刺さったと気づくような、とても鋭い眼差し。
「茅ちゃん、本当は僕たちに無理やりついて行こう、と思っているだろう?」
ぐっと喉を突かれたように体を反らし、茅はソファに沈みこむ。優しそうな顔でこちらの図星を突きながら、道眞は責める手を緩めない。
「君は泣き落としとか、車にこっそり乗りこむとか、なんとかして、とか。なんとかなるだろう、とか。そんな考えで、僕たちから譲歩を引きずり出したいんだ」
頭の中をまるごと見透かされることが、こんなに恥ずかしいなんて初めて知った。茅は人前で服を脱がされたような気分で、ううっ、とうめく。
「茅ちゃん。僕は、決して君を、危険な場所には連れて行かない」
びしっと二人の間に見えない線が引かれたかのようだ。道眞の断固とした意志が、視線が、茅にとりつく隙を与えない。
本当に硝子みたいに、どこもかしこも一つの色で澄んだ人だな、というのが茅の道眞に対する印象だ。割れると鋭く、けれど防弾仕様のように強固。
けれど、この硝子がいくら硬くても、つるつるつかみ所がなくっても、自分はそこに食らいついていかねばならない。父の仇を取るために。
「気の済むようにさせちゃったらどうや」
百舌鳥が出し抜けに助け船を出し、茅はそちらを見やった。筋骨たくましい大きな体で、人にイタズラでも仕掛けているみたいに、ニヤニヤ笑っている。
別天が「まあ」と小さく驚きの声をこぼした。
「十四言うたらガキもガキやけど、それなりに自分ってモンがある。あんまり子どもを舐めるなや。無理に抑えつけると、とんでもない行動を起こすからな。ほったら、俺らに目ぇ届く範囲で、好きにさせちゃった方がマシや」
茅は意外な援軍に、こくこくこくこく首を振って同意する。道眞は額を手のひらで押さえて、ため息をつくように抗議した。
「百舌鳥。君の意見は、もしかして少年課に配属された経験か何かの裏付けか?」
「親父を殺された時、俺は六歳で、自分も大怪我をして生きるだけで必死やった。もしその時、自分が十四歳の健康な状態やったら、じっとしとらんかったやろや」
「そう、そうだよ!」
茅はもう辛抱ならなくなって、ソファから立ち上がる。両の拳を握り、いまだ承服しかねるという様子の道眞に向かって、堂々と宣言の構え。
「みんなが心配してくれてるのは分かるよ。でも、あたしだっておとうちゃんのカタキを討ちたいし、おかあちゃんだって行方不明なのに、一人だけ留守番なんてぜったいやだ! だから命がけでやる、自分の身は自分で守るから! それに……」
別天も道眞も表情は暗く、茅の参戦を快く思っていないのは明らかだ。どう言えば承服してもらえるか、少女は必死で考えを巡らした。
その時、不意に口をすべらせたのは。
「おとうちゃんのカタキを討てるなら、」
普段ならばとても言わないような失言を漏らしたのは。
やはり、父の死に様を引きずっていたためかもしれない。
「あたし、死んだっていいもん!」
空気が変わった。
淡水に満たされた水槽から海へ放たれた魚は、こんな気持ちになるのかもしれない。全身がびりっとしびれるように、刺々しく冷たい世界。
「茅ちゃん。今、なんて言った?」
優しい人ほど怒ると怖いと言うけれど、道眞はその典型ではないかと茅は思う。百舌鳥は視界の端で口を押さえていた。今の彼からは、どんな味がしているのだろう?
「死ぬかもしれないのは、いい。死にそうになっても、まあ、まだいい」
べりり……と、大きく生皮を剥がす音がした。
やめて、と言う言葉が出てこない。芽吹く前に潮水で枯れた種のように、声も言葉もしおれて、それを生みだした心までしなびさせる。
それは、茅がもっとも見たくない人間の形だから。
首の断面から伸びた血の枝が、数センチほど道眞の首を持ち上げる。それがくてり、ともたげて、ろくろっ首のように茅の方に顔を近づけた。
「でも、死んでもいい、はダメだよ。死ぬって、どんなに最悪で取り返しがつかないか、僕やお父さんを見ても、まだそんなことが言えるのかい?」
茅はこのまま全身が固まって、息が出来なくなって死ぬのだと思った。死んだっていいなんて言ったから。嫌だ、父の仇を討つ前に、死ぬなんて嫌だ。
死ぬなんて嫌だ!
でも、目の前のこの人は、もう死んでいる!
「死んだっていいなんて、言うんじゃない。君は生きるんだ」
少女の表情を眼鏡に反射させ、道眞はやや瞑目してから、首を元に戻した。息もできないと思っていたのに、茅の眼は口に代わって呼吸するように涙をこぼす。
ああ、人って息をするために泣くんだと、初めて知った。
「ごめん、茅ちゃん。こんな脅し方は良くなかったね、僕もカッとなってしまった」
別天から渡された箱からティッシュを抜いては涙をふき、鼻をかみ、茅は必死で平静に戻ろうとする。くくくく、と百舌鳥が笑うのが聞こえた。
「葬儀屋ぁ。おどれの言うことは間違っとらんが、それはバケモンのやり口やぞ」
「ああ。深く反省するよ」
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ!」
茅はソファを立って回りこみ、道眞に抱きついた。嵐の海で溺れた者が、ようやく見つけた浮き板にしがみつくような必死さで。
なだめるように、道眞はすっかり柔らかな調子で言葉をかける。
「分かってくれたらいいよ。
道眞は優しく茅の肩をつかむと、その顔が見えるよう自分から離した。
「だから、決して生きるのを諦めないでくれ」
「うん! あたし、約束する」
しょうがないわねえ、と別天が嘆息した。
「茅ちゃんがそこまで言って道眞さんを怒らせるなんて思わなかったけれど、私はヤマトさんの意見に賛成よ。ただし、ここは確実に危険と分かっている時は置いていくし、茅ちゃんもそれを守る。いいわね?」
「ありがとう、おばあちゃん! 大好き!」
今度は祖母に抱きついて、茅は大輪の笑顔を咲かせた。可愛い孫の熱い愛情表現に、まんざらでもなく別天は微笑む。
「バケモン言うたら、キヨイに取り憑かれとる俺もたいがいや。仲良しこよしとは言わんが、頼もしいチームになりそうやな、ゾンビ野郎」
とん、と肩を小突く百舌鳥に、道眞は迷惑そうな苦笑いを浮かべた。ぱんぱん、と手を叩いて別天が宣言する。
「じゃあ、万難を排して準備をしましょうか。これからの戦いに向けて、ね」
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