幕間 呪い斬り・銀鑰神立浄宗

 レトロモダンな和洋折衷の館は、山と積み上げられた怪しい品物によって、大正浪漫から怪奇博物館へと雰囲気を一変させていた。


 狼・狐・猿・いたち・猫や犬の頭蓋骨、一文銭の束、梓弓あずさゆみ、藁人形に木板にビスクドールとあらゆる種類の人形、地蔵数十体、名前を削られた墓石、呪符で覆った上から四十九本の釘を打ったバット、酒樽、熊・鷲・鷹の爪や貝殻や勾玉を連ねた数珠、神楽鈴、ちがやの輪、杭と木槌、卒塔婆、かつて晒し首に使われた台木……。


 これらは別天べってん邸の藏から運び出された、ほんの一部だ。白い髪縄けなわ結神縁けっしんえんも、元々はここに収蔵されており、ちょうどすぐ取り出せる所にあった。

 小学校に上がる前から遊びに来ていたかやは、次から次へと出てくる品々に最初は喜んでいたが、ワクワクを通りこして呆れてしまう。

 運び出された品々を改めながら、別天は語った。


「私が以前、娑輪しゃりん馗廻きえと戦っていたのはご存じの通り。その中で多くの仲間を失ったけれど、夫は二十年ほど前、やつらの手にかけられてしまったわ」


 教団は基本的に、自ら積極的に敵を攻めるということをしない。

 生け贄に捕らえた獲物は逃すまいとするが、こちらがやめたいと思えば、いつでもやめて、安全な日常へ帰れてしまう。だから、別天は娑輪馗廻に屈した。


「他の仲間はそのまま戦い続けて消息不明になったか、引退したか、亡くなったかよ。今でも連絡がつく人なんて、ほとんどいないわ」寂しげに微笑む。


 例外は二階の書斎『早忌沢はやみざわ文庫』に蔵書を提供した早忌沢だけだが、現在は海外にいるため、どうがんばっても帰国は秋になるそうだ。


「でも、まだ使える物はある」ホールに積まれた道具の中から、別天は棒のように長い袱紗ふくさの包みを持ってきた。「百舌鳥もずさん、あなた確か、剣の心得があるのよね?」


 コップで麦茶をあおりながら、百舌鳥は答えた。


黒葛原つづらはら一文字いちもんじりゅう剣術、免許皆伝の腕前や。一応、剣道も三段まで取ったが。あと、警察で銃剣道もやったな」

「もずもず、剣豪なの?」


 免許皆伝なんて、時代劇でしか聞いたことがない言葉だ。茅はきゃぴっと輝く目で筋骨たくましい青年を見つめた。確かにこの人なら、丸太だって一刀両断できそう。

 同じく麦茶を飲んでいた道眞どうまも、感心したような眼を向け、百舌鳥はまんざらでもなさそうな顔になった。


「まっ、ひとかどの腕前なのは確かやな。俺のせんせはもっと凄い……ちゅうか、これから探す雁金かりがねせんせが、剣の師匠なんや」


 雁金古都ことひさ――三年前に自殺したはずが、三ヶ月、そろそろ四ヶ月前に百舌鳥に電話をかけてきた故人。

 その死は何かの間違いではないと百舌鳥は断言した。であれば、それは肉体を持たず娑輪馗廻によみがえらされた死者、霊餌たまえだ。


 雁金は割腹自殺したと聞いた時、茅は初め意味がよく分からなかった。カップクとは腹を切ることで、雁金は長く苦しんで死ぬ方法をわざわざ取ったという。

 江戸時代やお侍さんじゃあるまいし、いったい何があったら、そんな壮絶な方法で死のうと思うのか? 娑輪馗廻とは無関係に、化けてきそうだと茅は思う。


「あなたに心得があるなら、この刀を使ってちょうだい。元々は夫の正宗まさむねさんの愛刀だったのだけれど、これをお任せするわね」


 別天からその名を聞いて、百舌鳥の顔色がさっと変わった。


「ちょ、ちょっと待たんかい! 別天なんて変わった名字やから、まさかなあ~と思っとったけど、バアさま、別天正宗が旦那やったんか!?」

「どの別天正宗かと言われると困るけど、そうね、示現じげんりゅう実践剣士の別天正宗、ならその通りよ」


 茅は、百舌鳥の背後に稲妻が光るのを見た気がした。いや、絶対光るタイミングだろうここは。足元のリリンコちゃんだって同意してくれるに違いない。


「マジか……ほんまにあの別天正宗の家やったとはな……」

「おじいちゃんって、すごい人だったんだね」

「君がそんなに驚くなんて、珍しいな」


 道眞は自分と同じく、別天正宗のすごさ、というものがピンときていないらしい。仲間だなーと思うと茅は少し嬉しいが、百舌鳥はいら立ったようだ。


「別天正宗はな、四十六歳一発で、剣道八段を取ったんやぞ!?」


 それから百舌鳥は、剣道八段を四十六歳でストレート合格するのがいかに大変かとくとくと語った。


「剣道八段審査会は日本で一番やぎろしい難しい試験で有名なんや。難関試験は弁護士や裁判官を目指す司法試験もよう言われるけど、制度が変わったからな。八段審査の合格率は、1%切るのもざらなんやで。剣道をやっとるヤツなんて優に百万人は超える。その中でも八段は七百人もおらん、ほんま雲の上のお人や」

「もずもず、早口のオタクみたい」


 茅は三割ぐらいしか内容が頭に入ってこない。


「別天正宗は剣術家でもあり、居合いの達人でもあったんや!」

「剣道と剣術と居合いって違うの??」

「そういえばどう違うんだっけ」


 百舌鳥は未知の宇宙生物を発見したように、茅と道眞の顔に視線を行き来させ、「おどれら、そこからか」と口の端を歪める。なんだか非常に失礼だ。

 抗議してやろうかと茅が考えていると、「まあまあ、とりあえずこの刀を見てちょうだい」と別天が話を戻した。


 彼女が袱紗から大小だいしょうこしらえを出すと、百舌鳥の目の色が変わる。スロットマシーンがスリーセブンで止まったように、ファンファーレが鳴りそうだ。


「お、お、おおおおおお……?! もの凄い別嬪べっぴんさんやんけ!」

「別嬪」

「べっぴん?」


 道眞と茅が面食らっていると、百舌鳥はがばっと刀を取ってざっと拵えに目を走らせた。ふうふうと呼吸も荒く、頬が上気して赤く染まる。

 こういうのを、人は変態と言うのではなかろうか。でもまあ、なんだか大人の男のひとが楽しそうなのは良いことだなあ、と茅はのほほんと見守った。


「間違いあらへん、黒漆くろうるし鮫皮さめかわに赤の蛇腹じゃばら糸組いとぐみ上巻あげまき!? 基本は白い鮫皮に、あえて一手間の黒漆塗り! それでいて蛇腹の柄巻であえてそれを見せない粋……ッ。キリッと勇ましい赤もええ……。目貫めぬき柄頭つかがしらはそろいの朱金か。鞘は黒曜石のように艶やかな黒乾くろかわき石目塗いしめぬり……鍔は奇抜ながら品のある、彼岸花を模した椀形わんがたつば……」

「もずもずが早口のオタクになった」


 何を言っているのか茅にはまったく分からない。一方、刀剣に興奮する変態こと百舌鳥は別嬪さんの魅力を狂おしく訴えた。


「ええい! この良さが分からんのかおんどりゃらは! つかだけ見ても、手の込んだ最高級の黒漆鮫皮なんやぞ!」

「日本刀は専門外だからな、僕は。黒い鞘と赤い柄ってことしか分からない。あと、椀型鍔だっけ、彼岸花の中心から刀身が生えるような形は面白いね」

「その形、あたしも好き!」はいはいと茅は挙手する。

「人を変態扱いしくさって、口の中が黒甘塩っぱいわ。……まあええ。別天のバアさま、抜いてもても……ええか?」


 まるで「お宅の娘さんをお嫁に下さい」と頼みこむような語調だった。


「いいけれど、ちょっと返してちょうだいね。これは特殊な仕掛けがあるの」


 別天は刀を受け取って、鯉口こいぐちのあたりを操作した。

 正確には鍔と鯉口の間にもう一枚、何か金属の仕掛けがある。カチリと音がすると、「これで抜けるわ」と百舌鳥に渡した。

 彼は鯉口を切らず、しげしげと刀と別天を見比べる。


「気になっとったけど、ぱっと見はごく普通の二尺三寸(約70センチ)の打ち刀のようなのに、柄に対して鍔と鞘が一回りでかいな。なんでこんな細工を?」


 百舌鳥はそう言うが、茅にも道眞にもあまり違いは分からなかった。別天が「〝サスラヒメ〟の話しはしたわね?」と確認する。

 彼岸花は全体に毒があり、球根には多量のデンプンが含まれる。別天が言うサスラヒメは、教団から盗んだ不死不滅の彼岸花〝んだ花〟の劣化コピーだった。


「サスラヒメの球根を毒抜きせず清酒にした〝サスラの霊酒くしびき〟は、私たちの切り札だったわ。今は空だけど、鞘の中に霊酒を入れて、神餌かみえや霊餌を切り伏せたの。鯉口の細工は、中身がこぼれないためよ」

「ほお、すると銃弾も効かん神餌も、こいつなら斬れるんか」


 もちろんよ、と別天は請けおった。


「昔作った霊酒の残りは、まだひと樽、地下倉庫にあったから。今から新しく作るのは時間がかかるけれど、そちらの仕込みもしておくわね」

「おばあちゃん、すごい!」


 茅はぱあっと顔を輝かせたが、別天はその影に位置するように、浮かない表情になった。太陽と月、それも暗く沈んだ荒野を見下ろす月の顔つきだ。


「神餌や霊餌を娑輪馗廻から解放するには、徹底的に切り刻んで、サスラの霊酒に漬けこんで、無理やり消滅させるという方法しか、私たちは取れなかった。……それはきっと、彼らにとって地獄の苦しみだったはずよ」

「ぁ」


 ぶつんっ、と嫌なおもかげが茅の目と鼻の先に浮かび上がる。


――かやぁ……くるしいよぉ……。


 これから煮こむカレーの材料みたいに切り刻まれて、鍋から地面へぶちまけられたような、血と内臓と肉の塊となった父の残骸が。

 現実はお彼岸屋敷の玄関ホールだが、心の眼は過去の記憶を覗きこんでいた。傷口から血があふれるように、毛穴から冷たい汗が流れ出す。息が詰まって、目をそらしたくてたまらない光景に、少女は捕まってしまった。


「そやけど、今は葬儀屋の霊廻たまえしきがあるんやろう。俺が斬って、葬儀屋が喰う。それで確実に、死者を安らかに眠らせられるちゅうわけや。ええ話とちゃうか」


 百舌鳥の声をたよりに、茅は自分を現実へと引きずり戻す。あれはもう終わったこと、父は今では安らかに眠っている、だから大丈夫、大丈夫だ、と。


「そうね。そうだわ」


 きゅっと内側からつねるように、別天は口端を持ち上げて笑った。

 祖母は退しりぞくことを決めるまで、どんな壮絶な戦いをしてきたのだろう。今の自分と同じような思いをした時、どうやって乗り越えてきたのか、聞かせて欲しい。

 ただ、今は茅自身にそれを問う勇気はない。祖母の傷口に触れるようで。


「では、拝見」


 百舌鳥は鯉口を切ると、すらりと刀身を引き抜いた。ほう、とため息をもらす。


「バアさま、鞘走留さやばしりどめ鍍銀とぎん(銀メッキ)の銅やな?」

「さすがねヤマトさん、一目で分かっちゃうのね」

「この姫さんは実用品やからな。やわな金銀なんて着せられへんやろ」


 とうとう刀をお姫さま扱いし始めた。


「さやばしりどめ、って何?」茅が訊ねる。

「刀身の根っこにな、金属のカバーがあるやろ。この金具が鞘走留や。腰巾こしきんがねとかはばきとか言うヤツもおる」

「へぇー」茅は聞いた端から単語を忘れた。


 説明しながらも、百舌鳥はためつすがめつ、様々な角度から刀身を眺める。ぽーっと湯上がりのように肌が上気して、どれだけ興奮しているのか。


「人の骨身を切るための刀やな。刃紋がすっきり浮かび上がるV字型の断面ちゃうくて、ハマグリを合わした形に研がれとる。しかも何人か、血ぃ吸うてそうや」


……その後の百舌鳥の力説を要約するとこうだ。

 包丁は肉や野菜を切るために、刀は人を斬るために作られる。人体を的当てゲームにし、形骸化した剣道とは違う世界の代物だ。

 少し感傷的な言い方をすれば、その刀には〝魂が宿って〟いた。

 ハマグリ型に剣を研ぐのは、見映えも悪いし時間も労力もかかる。だが、こいつは間違いなく刀架けに収まっている美術品ではない、と。

(※法律上は美術品として登録されているので、実は銃刀法違反に引っかかるのだが。娑輪馗廻は警察の手に負えない、ということで黙認となった)


「気に入った。いや、惚れた! バアさま、この姫さんのは?」

「刀工・御赦免ごしゃめん浄宗きよむね作、銀鑰ぎんやく神立かんだち浄宗きよむね。元々は朝比奈神社という所に奉られていた御神体を、ご厚意でもらい受けた後、拵え直したの」

「銀鑰……神立浄宗……」


 一音一音、百舌鳥はじっくりその名を噛みしめた。

 彼はきっと、この刀を大事にしてくれるだろう……大事にしすぎて抜かない、なんてことはないと思うが。茅はそこが少し、心配になった。

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