よっつ、よみじのみちしるべ

第一輪 未知、黄泉ひと知らず

第28話 痛みも悼みも分け合って

 同じ神戸市内とはいえ、予約していたホテルは雁金家から離れた場所にあった。ペット対応、それも猫可の所は限られているのだ。

 移動している間に道眞どうまの体はくっつき、百舌鳥もずも目を覚ましたが、片や服が血塗れ、片や服がズタズタで、一旦車中で着替えるはめになったりもした。

 かや別天べってんも手や服に血がついていたので、本当に大変だったのだ。


「あのダボ、ふざけくさって」

「それは僕の台詞だよ……」


 生出おいずるの霊魂を得て「二人分」になったとはいえ、道眞は少なくとも六度体を切断された。別天が治療用に作ってくれた霊酒くしびきをちびちびと飲む。

 元々は神餌かみえ霊餌たまえ相手に使う毒酒だが、そこから毒を抜いて調合したものらしい。味はハーブ系の酒と野草の汁を混ぜたような、茶で割ったような感じだ。


 到着したホテルで、道眞たちは男女に分かれて部屋を取っていた。同室となった百舌鳥は、なんともくさくさした気分らしく、ぐるぐると室内を歩き回っている。

 彼の前髪は、また小指一本ぶん白くなっていた。どの白髪染めを使っても黒くならないので、もう放っておいている。別天の推測では、キヨイの出現によって生命の根源的な部分、寿命が削られているのではないかとのことだ。


「葬儀屋、初めてうた時のこと、覚えとるか?」


 そう言う彼の眉はぴくぴくと震え、額に青筋を立てていた。ただでさえ険しい目つきをさらに尖らせ、今にも爆発寸前な暴力の気配をまとっている。


「なんだい、出し抜けに。つい最近のことだ、忘れるわけないよ」

「そうか。ほな、今からまた、あれをやるか」


 は? と訊き返す間もあらばこそ。百舌鳥は霊酒を飲んでいる道眞の頬を張った。持っていたグラスを取り落とし、慌ててそれを拾う。

 百舌鳥は両手をポケットに突っこみ、射殺すような眼でこちらを見下した。


「そら、かちまあ殴りし返してこいや、葬儀屋。あの時みたいにな」

「……ふうん」


 胸元にこぼれた酒をぬぐいながら、道眞は即座に意図を察する。


「君さ、僕に殴らせる理由を作ろうとするなよ」


 キヨイが自身と百舌鳥のダメージを、すべて道眞に肩代わりさせていると聞いて、彼が腹を立てないわけがない。

 ならば、自分が道眞によくもやったなと殴る蹴るでもされなければ、勘定が合わないと考えたのだろう、と。


「何の意味もなく殴られるのは腹が立つが、君の罪悪感のために殴ってやるのもしゃくに障る。だから、絶対にやり返さないよ」


 そもそも体を六、八分割された人間の痛みを、殴る蹴るで帳尻合わせできると思わないで欲しい。喉元過ぎたように今はけろりとしている自分は、その辺はやはり死人ならではなのだろう、とも道眞は思うが。


「それで君の拳を痛めるのが目的なら、壁でも相手にしてくれ。ホテルの外でな」


 お前に付き合うつもりはない、とすっぱり突きつけて、道眞は荷物から資料を取り出した。キヨイを利用する案はもう使えない、次の狩り鐘対策を考えねば。

 その間、百舌鳥は動物園の熊のように室内をうろうろしていた。


 彼が大きな体を所在なさげに行ったり来たりさせている様は、部屋の模様替えのために家具でも動かしているようだ。とにかくかさばる男なのである。

 道眞は資料のファイルをぱたんと閉じ、「百舌鳥」と呼びかけながら近づいた。


「やっぱり殴るよ」

「は?」


 反応の鈍い間抜け面を思いっきり拳で打ち抜く。人を殴り慣れていない道眞でも、神餌の頑丈さがその不手際を無視してくれた。便利と言うよりズルい。


「こういうのは良くないよね。一つ、お互い気の済むまで殴り合おうじゃないか。主に痛い目を見るのは君だけど」

「ほおう……よう言うたなおんどりゃ」


 最初の衝撃から我に返った百舌鳥は、陽炎のように怒気を上げながら体勢を立て直した。修羅場をくぐり抜けねばならない仲間同士、鬱憤うっぷんは発散した方が良い。


 それからは、もう、しっちゃかめっちゃかだ。

 生前の道眞なら百舌鳥にケンカで勝てるなど万が一にもなかったが、神餌というアドバンテージが大きい。痛みも疲労もなく、防御力は完璧。

 道眞の気が済むか、百舌鳥が降参するまでの殴り合い。上になったり下になったり、床を転がり、蹴飛ばし、室内の調度にはそこそこ気を遣って。


「こーらー!! なにしてるのさ二人とも!!」


 ばぁんと扉が開いて、茅からストップが入った。



 ホテルの壁はそれなりに優れた防音性能があるが、隣室の茅と別天にまで聞こえるとはただ事ではない。

 狩り鐘が何か仕掛けてきたのかと考えた祖母は一人で確かめようとしていたが、有無を言わせず茅は扉を開け放った。


 そうしたら、大の男二人がなぜか取っ組み合いの大ゲンカをしている。

 中学校の男子たちと変わらない姿――男っていつまでも子どもだよね、とクラスメイトが言ったことは本当だったんだなあと茅は呆れかえった。


「え、と。茅ちゃん、別天先生、これには深い訳が」


 道眞の発言を「言い訳無用!」ぴしゃりと封じ、別天はしずしずと室内に踏み入る。あっ、おばあちゃんが怒っているの初めて見た~と思いながら、茅はその後ろで扉を閉めた。


「二人とも、お座りなさい」

「はい……」

「…………はい」


 道眞と百舌鳥はおとなしく、床の上で正座する。別天はハアとため息をついた。


「あなたたち、いくつだと思ってらっしゃるんですか。こちらはまた、あの霊餌が仕掛けてきたのかと肝を冷やしましたと言うのに」

「すいません……」

「お黙りなさい」


 道眞に謝罪することすら許さない。

 別天は決して口調を荒げてはいないが、カンカンになっているのは茅にもよく分かった。百舌鳥はきっと青くて酸っぱいことだろう。

 しばらくこんこんと説教し、別天は最後に「もう殴り合いのケンカはしません」と誓わせて、ようやく二人を解放した。


「そろそろ夕ご飯の時間ね。私たちの部屋でルームサービスをとりましょう」

「は、はい」

「神餌ってのは足もしびれんのか、便利やな」


 別天の雰囲気が、なじみ深く柔らかいものに変わり、やっと茅もほっとする。道眞はすっくと立ったが、対照的に百舌鳥はよろめきつつ立ち上がった。


「なあ、百舌鳥」

「なんや……葬儀屋」


 しゃべるのも億劫だと言わんばかりの、だらしのない返事だ。


「君、警官ならもっと簡単に僕を制圧できたろ? 不死身って言っても構造は人体なんだからさ、関節技とかいくらでも。で、そうしなかった理由も想像できる」

「やめいやめいやめい! それ以上言うなや!」


 ぶんぶんと手を振って拒否する百舌鳥に、道眞は「ん。そうか」と言って引いた。しかし、茅はぴーんと来て、それをそのまま言ってしまう。


「ドードーはもずもずより、二つ上のお兄さんなんだよね?」

「おい」

「道眞お兄さんに甘えたかったら、素直にそう言えば良かったんだよ」

「待て待て待て待て待て待て待て!」


 ふはっと笑いをこぼして、道眞は部屋を後にした。この人も同じことに気づいていたというなら、茅の考えも正解だったと見て間違いないだろう。

 何事か否定をわめく百舌鳥を後ろに、茅も走り出した。



 夕食がルームサービスなのは、道眞の体質を考えてのことだ。彼の体はもはや、神餌と霊餌、そして水分以外のものを食事として受けつけない。


「別天先生、考えたんですが、キヨイが僕を身代わりにしたように、僕が茅ちゃんの身代わりになることはできませんか?」


 具のないコンソメスープをすすりながら、道眞はとんでもない提案をした。茅は口の中のデミグラスハンバーグの味が、急速にせていくように思う。


「キヨイは僕と百舌鳥の血を交換したけれど、血じゃなくても同じ事が再現できると思うんです。茅ちゃんの爪や髪の毛を切って体に入れれば、おそらくは」


 そう、と別天がうなずいた。


「もう思いついていたのね」


 それは、祖母も同じことに思い至っていたことを意味する。


あの霊餌狩り鐘は強力だったわ……キヨイがいなければ、私たちは一瞬で殺されていてもおかしくはない。変な話だけれど、怨霊に守られている百舌鳥さんと、神餌の道眞さん以外、多少の呪物では歯が立たないわ。それは最適の案よ」

「そんなのやだ!!」


 口の中の肉を無理やり飲みこみ、茅は即座に猛反対した。こんなに美味しくないハンバーグは初めてで、このまま一生食べられないくらい嫌になりそう。


「ドードーを身代わりになんてできないよ!」


 言いながら、あれっ? と茅の脳裏に疑問がよぎった。そもそも、片っ端からバラバラになる男の人を運んで、その数時間後にこんなものを食べている自分は。

 とっくにどこか、壊れているのではなかろうか?


「僕たちが相手しているのは不死身の化け物で、いつ即死してもおかしくないって見ただろう? 万が一のため、君を守れる手段はなんでも取る」

「俺も葬儀屋に賛成や。今日は助かったが、死なれても寝覚めが悪いでな」

「茅ちゃん。おばあちゃんも、道眞さんを身代わりにするのは心苦しいわ。でも、もし道眞さんと茅ちゃんのどちらかしか助けられないなら、私はあなたを先に助ける」


 味方がどこにもいない。足元でキャットフードを食べているリリンコは、茅をなぐさめてくれるだろうが、発言権はないのだ。


「僕は茅ちゃんのために傷ついてもかまわない。霊廻たまえしきをくり返せば、痛みは小さくなっていく。辛いのはまあ、最初の内だけだ。僕が身代わりになることを承知しないなら、君を戦いに連れて行くことはできない」


 茅がまだ十四歳の子どもだから。

 無惨に死んだ生出敬一郎の娘だから。

 何かがあった時、大人たちはその事実に耐えられない、と。


「甘ったれないでよ」


 ああ、この人たちは弱いんだな、と茅は不意に悲しさを覚えた。自分が傷ついて我慢すれば済むと思って、楽な方を選ぶだなんて。


「おばあちゃんも、ドードーも、もずもずも、お互いが怪我したり大変なことになるのは仕方ないって思ってる。仲間だから、大人だから。でもあたしは子どもだから遠ざけたいって、甘ったれてない? 自分たちが満足して、安心して、おとうちゃんにあの世で謝らなくていいように。そんな身代わりなんていらない!」

「甘ったれているのはどっちだい」


 道眞の声には毛ほどの揺らぎもない、絶対零度の氷壁だ。茅はぞっと、氷の海に放りこまれて、断崖絶壁を見上げる気持ちになる。


「茅ちゃん。僕らが君を危ない目に遭わせたくないのも、君がお父さんの仇討ちをしたいのも、どっちもどっちのワガママだ。人はそのぶつけ合いで争いになる。君のお父さんは、ままに振る舞う娑輪しゃりん馗廻きえに殺された」


 頭の中によみがえる父の末期を、茅は必死で振り切った。


「茅ちゃん、よく考えて、自分で決めてくれ。僕と百舌鳥は不可抗力で一蓮托生になったけれど、君は選べる。すべて僕たちに任せてお彼岸屋敷で夏休みを過ごすか。自分の仇討ちのために僕を使か」

「……ばかにしないで!」

「ほな、身代わりで決まりか?」百舌鳥はニタっと嫌な笑みになる。「甘えたいなら素直にしろ、ってさっき自分でも言うたやんな」


 茅はとっさに反発したものの、そんな風に確認されると躊躇ためらわずにはいられない。道眞は百舌鳥の言葉を、冷え冷えと鋭利な語調で引き継いだ。


「そのどっちも選べない、僕を身代わりにしない無防備なままで戦いについていきたい、なんて。その程度の生半可なワガママなら、最初から黙っていなさい」


 それでは確実に命を落とすだろう、という言外のメッセージは、茅にもはっきり届いた。ようは、覚悟が足りないと責められている、咎められている。

 それは。


(あ、なんだ。あたしも、この人たちと同じじゃん)


 さっきは大人たちは弱いんだな、と悲しくなったが。何のことはない、道眞を自分の身代わりにしたくない気持ちも、茅自身の弱さなのだ。


「……ばか」自分も、大人たちも。「ばかばかばか! ドードーのばか!」


 テーブルを立ち、茅は道眞に横合いから殴りかかった。すぱーんと力のこもらないビンタを見舞い、じゃれつくような拳に、めいっぱいの怒りとやるせなさを込めて。

 みんな弱くて、馬鹿で、中でもこの人は一等突き抜けている。

 一度死んだからなのか、元からこういう人なのかは分からないけれど、たぶんその両方ではなかろうか。羽咋道眞という動く死体さんは。


「……ありがとう」


 ぺこり、頭を下げる。


「あたしは、おとうちゃんのカタキ討ちをあきらめない。だから羽咋道眞さん。あたしのワガママのために、あたしを守って」


 そうして夕食後、茅は髪と爪を少し切ることになった。

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