第27話〝狩り鐘散〟らばる五臓六腑
「
光が差さない廃屋の茶の間。懐中電灯に照らされた中心で、あぐらをかいた
「人を呪うには腕二つ、人を呪えば首三つ、人を呪って玉四つ」
ちり、と首に巻いた鈴が鳴るが、握ったハンドベルは沈黙するのみ。
「五つの鐘を鳴らしたら、六つの子を振りましょう。七つ足音聞こえたら、狩り鐘さんお切りください」
やっぱり長い呪文だなあ、と
「〝閻魔童子〟のキヨイをお切りください。お代は私のこの首です」
――かぁん!
けたたましく、ひび割れた和音が響き渡る。
ハンドベルでも鈴の音でもない、半鐘の音だ。室内をうろうろしていたリリンコが、全身の毛を逆立ててフーッ! とうなる。
目の前のものを信じられない気持ちで、茅は指さした。
「ドードー! 首が!」
道眞の首が不自然に振り返ったと思えば、右から左へズレて、畳の上へ転がり落ちる。よろっ、と首のない体が動いて、自分の頭へ手を伸ばした。
何をどうしたら、頭と体が別々に動かせるのか茅にはまったく分からないが、喉からしゃっくりのような声が出る。たぶん、悲鳴になりそこなったオタマジャクシだ。
「やぁあぁぁめぇ……っ! ろおぉぉおおおっ!」
百舌鳥が立ち上がり、三角コーンの中からくぐもった声が響く。
ばちん! と弾ける音がしてコーンが二つに割れ、中から虚ろな眼をした青年――キヨイが顔を出した。これが、最終的に百舌鳥が儀式の実行者となった理由だ。
目的がどうあれ、キヨイが百舌鳥を生かそうとする以上、その命に危機が及べば〝狩り鐘さん〟と戦うに違いない、と。むろん、危険な賭けではあったが。
計算外なのは、いきなり道眞の首が落とされたことだった。
「おぉ…おおっ! ぉおおぉおおおぉぉっ」
叫ぶキヨイの口の中、二つに裂けた舌の奥から何かプラスチックのようなものがせり上がる。それをべっと自分の手に吐くと、現れたのは裁ちバサミだった。
「ヤマは、オレのだあ!」
ハサミを手に、キヨイは仏間の方へ向かって叫んだ。濃度を増した闇がぶわっと広がり、コールタールのような黒がにじみ出して、何かが立ち上がる。
異常なものが現れるのを実感して、茅の体は鳥肌立っているし、凄まじい悪寒に襲われている。その一方で頭の片隅は冷静に、ああそうかあ、と思っていた。
(〝狩り鐘さん〟を呼ぶのにコーンをかぶるのは、自分もかぶってるからなんだ)
現れた〝狩り鐘さん〟が被っている三角コーンは、中央に警報ランプのような、真っ赤に輝き血走る、大きな目が一つ、ついていた。
単にくぐもっているというだけではない、
『オ……ォオ代……ヲォヲ! 寄コオォ……ッセェ!』
首から下は血に汚れたレインコートで、髪の毛の束や切り落とされた指、手首、足首、爪などなどの「お代」をじゃらじゃらと吊り下げている。
そして左手には抜き身の日本刀、右手には鞘。
「オマエ、キライ」
鬼火を灯す眼で狩り鐘を睨むキヨイは、ぶんっと無造作に裁ちバサミを投げた。ごろりと畳を転がってかわしながら、狩り鐘は間合いを詰める。
肉と服、それぞれ素材の違う繊維がまとめてちぎれる音を立て、ぶつっとキヨイの腕からハサミの握りが生えた。彼はそれを引き抜き投げる。
今度は狩り鐘がぶら下げていた手首を貫通し、右の脇下に突き刺さった。
「ちょきん」
その一言で、ばつりと狩り鐘の右腕が切り落とされる。どぷんっ、としぶいた赤黒い血が仏壇を盛大に汚した。それらはほとんど、茅にとっては瞬きの間だ。
『グウゥウワアアアアァッ!?』
「ヤマ、オレの。ドーマも、オレの。や~らな~い」
ぶつ、ぶつ、ぶつ、と音を立てて、キヨイの両腕から裁ちバサミが六つ生える。血がついているそれを痛がる風もなく、彼はまた一本引き抜いた。
別天が呪文を唱えながら、白髪の縄・
「
黒猫のリリンコとともに、茅はすかさずそこへ飛びこむ。道眞は自分の頭を首に戻し、懐から取り出した赤い包帯で固定した。
包帯は不死不滅の彼岸花・サスラヒメで染められている。この赤包帯は道眞の体のメンテナンス用に、別天が新しく製作したものだ。
狩り鐘がちゃぶ台を投げ、キヨイが投げバサミで両断する。その隙を利用し、狩り鐘は懐に入りこんだ。その手には振りかぶられた日本刀。
『ヤアアアァ…ッ…!! トォ…オオオォ…オ…オォオ!』
――かぁん!
大上段からの一刀両断、半鐘の音。
刃を振り抜かれたはずのキヨイは、しかし「キヒヒッ」と笑っている。
「……いぃっいいっやああぁ!?」
間を置いて、何が起きたか理解した茅が悲鳴を上げる。
一見すると人が横たわっているだけのように思える所が、タチが悪い。それが決定的にズレてしまっていると気づいた時の、肌の奥から、腹の底から泡立つ感覚。
道眞は頭頂から股間まで綺麗に両断され、少し重心をかけていた右側に折り重なって倒れていた。左右のずれから断面が覗いて、どろっと血があふれ出す。
茅はえずきそうになるのを堪えて、必死で口を押さえた。
「道眞さん、しっかり!」
別天は青年の開きを助け起こし、手に持っていた包帯を体にくくりつける。
「ぐ……ううう、うう……」
衣服は無事なようだが、声音そのものが引きつるようなうめきが痛々しい。
「落ち着いて、敬一郎ちゃんを
半分でも、これは普通の人間なら生きていない怪我だと茅も道眞も思っただろう。
別天はとにかく、道眞を励まそうと話しかけながら、こぼれた内臓を体の中へ詰め直していた。その間にもキヨイと狩り鐘の攻防は続く。
――かぁん!
居間を飛び出し、廊下でやり合っている音が聞こえ、道眞の左腕が切断された。
「おばあちゃん! きっとキヨイはドードーを身代わりにしてるんだよ!」
「分かっているわ!」
道眞の左腕に赤い包帯を巻き、別天は結神縁を回収した。
「百舌鳥さんを捕まえてここを出ましょう。茅ちゃんは道眞さんとリリンコちゃんをお願い、できるだけ体は忘れないようにして、切れたら包帯でつないであげてね」
「う、う、う、うんっ」
つまり撤退ということだ。
百舌鳥が狩り鐘に「キヨイ」を切ることを願い、代償に「自分の首」を差し出すことで、キヨイを怪異との戦いに利用するという案までは良かった。
だが百舌鳥とキヨイのダメージを、すべて道眞が肩代わりさせられるとは、チーム・リリンコの認識は甘かったらしい。べちゃっと血を吐いて道眞はうめく。
「こ、れえぇがぁ……、トモダチイッの……すうぅるう、こおぉ……っと、おお……っか、あ、ぁ? キ……ヨオ…イ!」
「ドードー、しっかり、して」
茅は指先がかじかんだように冷たく、感覚がない。それでも腕の中の道眞が、陸に揚げられた魚のように、ひっきりなしに跳ねているのは見目にも明らかだ。
いくら半分に減っているとはいえ、こんな風に体を切られて、死ぬことも気絶することも出来ないなんて、どんな感じなのだろう? 茅はその事実が怖い。痛みが怖いと言うより、そんな痛みがこの世に存在する、ということが。
誰かが痛くて苦しんでいるということよりも、何のために神さまはそんな苦痛を用意してしまったのだろうと考えると、それは底なしの悪意しかない気がするのだ。
痛みそのものが、世界が自分に対して悪意を持っている証拠みたい。
「やだ……こんなの、やだよう」
誰かが、生きているから苦しいんだ、と言った。偉い人だったかもしれないし、普通の人だったかもしれないが、そんなことを茅は聞いた気がする。
ならば痛みは、生きている罰なのかもしれない。道眞も父も、死んでいるのに生きていなくて、殺されたのに死んでいなくて、おかしいから、普通よりもっと苦しむ。
母もいずれ、この終わりの見えない地獄の列に並ばされてしまうのだろうか?
「やぁ、だあ……よぉおぉ……」
――かぁん!
両脇を持って道眞を運ぼうとすると、右肩がばつんと外れた。
がっくんがっくん体を跳ね上げ、悲鳴を噛み殺した口から道眞は血を流す。銃弾が効かない神餌の体も、神餌自身になら傷つけられるらしい。
ぼろぼろと、涙の粒が眼の中からはじき出される。
「こんなの……いぃやぁあぁだぁっ!」
――かぁん!
――キレイはキタナい、キタナいはキレイ、オマエはキザむ!
ぎゃらぎゃらぎゃらぎゃらと、人の物ではない不愉快な笑い声がした。きっとキヨイは、父の生出をバラバラにした時もこんな風に笑ったに違いない。
何の根拠もないのに、茅はハッキリと確信する。
――かぁん!
膝から下の足が外れ、廊下にずるりと内臓がこぼれた。茅は一人で全部を運んでいくのは諦めて、とにかく「本体」を車に連れて行くことだけを考える。
便臭ともまた違う、人の体の中の、におい。汗とか、おしっことか、そういう臭いの底にいつも漂っていた何かと同じだと気づいて吐き気がする。
どうか誰かに見つかりませんようにと願いながら、別天に渡されたキーで車のロックを解除した。放りこむのは座席ではなく、あらかじめシートを敷いた
「ごめん、ねぇ、ドー……ドー」
頭や腕や足や内臓を拾い、荷台の彼にパズルの要領で合わせていく。赤包帯を巻いていると、別天が結神縁でぐるぐる巻きにした百舌鳥を引きずって出てきた。
彼は意識がないようだが、言われるがままにふらふらと歩いて車に乗る。近所の家からは誰も出てこないが、あまりのことに声を掛けられないのではないか。
きっと通報だってされただろう。警察が来るよりも先にと、別天は大急ぎで道眞に応急処置をして雁金家から離れた。
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