第26話〝狩り鐘参〟りに行きましょう

 チーム・リリンコがおもむいた雁金かりがねは、ごく平凡な平屋の日本家屋だ。ロープで囲われ、『売り物件』と看板が掲げられていた。

 合い鍵は百舌鳥もずが所持しているので、中に入って儀式を行うことになっている。何しろ三角コーンを被るなんて、目立ちすぎるので。


「せんせには、毎日のように家に通っては飯を食わしてもろたり、寝泊まりさせてもろたりしとったからな。破門を申し渡された後も、まったく連絡がつかなんだから、返せ言われることもなかったちゅうワケや」


 これまで雁金家で〝がねさん〟〟に出会った者は、家の前や敷地内に侵入して儀式を行ったそうだ。


「もし、〝狩り鐘さん〟と雁金先生が同一人物なら、自宅を調べれば成仏への手がかりにも迫れそうね。まずは二手に分かれて、お家にお邪魔しましょう」


 四人と一匹が一度に押しかけるのも、やはり目立ちすぎる。別天の提案で、まずは道眞どうまと百舌鳥が先行して侵入することとなった。

 二人が黄色いロープをまたぐ所を、茅は「悪いことしてる~」という気持ちで車内から見守る。そういえば小学生のころ、空き家を探検したこともあった。


 数十分ほど待ってから、茅は黒猫のリリンコといっしょに祖母について侵入する。玄関には二人分のスリッパがきちんと並べられていた。


「道眞さんの仕業かしら」


 くすりとこぼす祖母に心で同意しながら、茅は雁金家に上がり込んだ。

 二人が通った廊下はホコリが舞い上がった後があり、そこかしこに灰色の雲が溜まっている。床板のぎしりというきしみは、いかにもオバケ屋敷っぽい。

 集合場所はこの家の居間だ。間取りは百舌鳥が手描きで作図したものを見せてもらったので、だいたいの位置関係は分かる。


 祖母が住むお彼岸屋敷は広いから、使っていない部屋がいくつもあった。和洋折衷の館と平屋の日本家屋ではまったく別物だが、寂しい感じはよく似ている。

 廃屋と言うほどボロボロではないが、人が住んでいたと思うにはがらんとしていて。でも、掃除すればまだまだ使えそうだなと茅は思った。


「もずもず! ドードー! お待たせ~」


 畳の居間にはちゃぶ台が捨て置かれ、部屋の隅に座布団が積み重なっている。夏の日差しは雨戸に遮られ、懐中電灯がないと昼間でも暗い。

 隣は仏間になっており、仏壇の中に女性の写真が飾られている。おそらく、あれが雁金の妻・里子だ。暗い廃屋の中に放置された遺影に、茅は少しゾッとする。


「それじゃあ始めるか」


 百舌鳥は赤い糸を巻いた厚紙カードを取り出すと、糸を長く出して鈴に通した。それを首から下げて、あぐらをかく。

 ただでさえ鴨居に頭をぶつけそうなほど背の高い百舌鳥は、座っていないととても三角コーンはかぶれない。


〝狩り鐘さん〟の儀式を誰がやるかについては、しばらく意見が分かれていた。正確には真っ先に茅は除外され、意見を述べる権利すら与えられなかったが。

 次に除外された道眞は神餌かみえのため、儀式が意味をなすか怪しいという理由だったが、彼はその後もみんなと意見をかわしていた。大人はずるい。

 最後に百舌鳥が「狩り鐘が俺のせんせなら、自分がやるのんが筋や」と主張したため、儀式の実行者は彼となった。何を切ってもらうかも、もう決めてある。


「もずもず、気をつけてね」


 茅が心配の声をかけると、三角コーンから「おう」とくぐもった声が返った。大人の人が空き家に侵入してこんな格好でいるなんて、かなりシュールだ。

 それにしても三角コーンは「!」に似ている。字の形と言うより、その意味をもっと正確に形にしたような感じだ。町のそこかしこにあるのも、見る人に注意を促すためなのだから、三角コーンはやはり「!」の形なのだろう。


「しっかし、俺が大真面目にこんなことするハメになるとはなあ」


 百舌鳥がつぶやくと、「まったくだね」と道眞が同意した。


「でも、僕たちはもう娑輪しゃりん馗廻きえによって、呪術と怪異の世界に踏みこんでいるんだ。常識に囚われず、油断なく儀式をやろう」

「分かっとるわい」


 呪術と怪異の世界、それは茅がこれまで住んでいた現実とは決定的に異なっている。怖くて冷たくて危険な、自分から大事なものを奪っていく闇の領域。

 でも、祖母は怯える茅にも、道眞と百舌鳥にも、取るべき態度をレクチャーしてくれた。基本は朝起きて夜寝る、規則正しい生活に三度の食事。適度な運動。

 そして様々な心構えを。



 別天が言うには、幽霊というものはこの世に「存在しない」。

 概念や観念としては存在するが、未練や無念を抱えてさまよい、生きた人間に害を及ぼすようなものではない、と。

 もしもいるとすれば、それは娑輪馗廻の邪法によって生み出された〝霊餌たまえ〟だ。


「霊というもの自体は存在するけれど、それがはっきり形を持って作用するには、自然の状態ではありえないのよ。雷が自然界にはあっても、電化製品のような働きがひとりでには起こらないのと同じにね」


 滋賀から神戸への道中、別天は怪異との戦いに向けて、道眞たちに心構えを説いた。長距離の移動なので、スズキ・ハスラーの運転は百舌鳥が担当している。

 猫のリリンコは、後部座席で茅の膝上だ。

 本来、ドライブに猫を連れて行くならペット用キャリーケースに入れるのが正しいことだが、霊猫れいびょうとでも言うべきリリンコはその限りではない。


「人間も電化製品も、電気が流れているから電気で壊される。同じように、霊と戦うには霊的な攻撃が有効になるわ。これが肉体を持った死者・神餌との大きな違いね」


 肉体を持った死者、のくだりで、茅は父のことを思い出さずにはいられない。それを隣に座る道眞に悟られませんように、と願いながら何食わぬ顔をした。


 死者と言えば、道眞がこうして座っているのも変な話だ。彼は葬儀屋なので、死体というものにはとことん詳しかった。


 道眞が社長をやっていた羽咋はくい葬儀社では、必ず手袋をつけてご遺体を扱う。死体は皮膚が大変弱くなっており、ちょっとしたことで体液が漏れてしまうから、社員と遺族を感染症から守らなければならないからだ。

――だから自分は寝るところはガレージでいいし、この家の家具には座らないと道眞が言い出した時、茅だけではなく別天も百舌鳥も驚いた。


『ライフルも効かんバケモンが、普通の死体とおんなじように血ぃ流すわけがあらへんやろ。それとも分かっとって、生きた人間に遠慮しとんのけ? あほくさ』

『道眞さん、あなたの気遣いは嬉しいけれど、帰依しないまま己をつなぎ止めるなら、できるだけ生前と同じ生活を送ることをお勧めするわ』

『そうそう、バイ菌が気になるなら、毎日ちゃんとシャワーあびればいいんだよ!』


 三者三様の説得を受け、道眞はこれまでと変わらず家具を使い、食卓を共にする生活を送ることとなった。例外として、夜は別天に封印を施されて眠りに就く。

 娑輪馗廻に帰依していない神餌とはいえ、いつ自我を失ってしまうかは分からない。だから別天の管理下を離れないように、と道眞と彼女で話し合って決めた。


「霊的な攻撃ってのは何するんや? まさか神に祈るってんとちゃうやろな」


 ハンドルを操りながら百舌鳥が訊ねると、助手席の別天はくすりと微笑んだ。


「いいえ、そのまさかよ。祈る、という行為と呪うという行為は表裏一体。相手に害をなそうと一心に祈り、念じ続ける。それはただ心に強く思うだけじゃ駄目で、きちんとした手順を踏む必要があるの」

「うちから持ってきた色んな道具とか、呪文とか?」と茅。

「そう。人間は、言葉や数字があるから、複雑な思考をすることができるわ。祈りも呪いも、それに応じた言葉とかずがある。これを術とすうと言うわ」


 あら、ちょっと話を難しくしすぎたわね、と別天は咳払いする。リリンコが茅の足元に設置されたペットトイレで用を足し、百舌鳥は窓を開け放った。


「念じる以上に大切なのは、それをこと。虚仮こけの一念岩をも通す、という言葉があるでしょう? 本来はどんなに優れた所がない人でも、思いをいちずに行えば大きな仕事ができる、という意味だけれど。ここはそのまま受け取って」

「念を通す、というのは教団でも聞きましたね」と道眞。


 トリアゲ婆という老婆が謎の呪文を唱えて、道眞は目鼻口耳から血を流したそうだ。完全に念が通っていたら、どうなっていたのか? 茅は気になって訊ねた。


「人がうるしにかぶれるように、念が通ると、怨念の邪気にかぶれると言われているの。呪いは殴る蹴るより、毒薬のようなイメージなのよ」

「で、その念を通すのんが、まず普通の人間技とちゃうって認識でええんけ?」


 百舌鳥に促され、別天は話を進めた。


「念を通すとは、相手の〝心の虚を突く〟ことよ。呪いや祟りは、その人が自分は呪われていると自覚したり、祟りを恐れる心につけ込んで働くの。物実ものざねという道具を使って呪う術もあるけれど、そこは一旦置いておくわね」


 そして、ここからが大事なことだけど、と別天は前置きする。


「誰かに恨まれる身に覚え、やましさ、恐れ、それが心の虚なの」

「じゃ、あたしたちは、霊餌を呪って倒すの?」不安になって茅は口を挟んだ。「呪いって返されたりするよね? 人を呪わば穴二つ、って言うし」


 おじけづいたわけではない。だが、茅は父のように好きで化け物にされたわけでもない霊餌と呪い合うようなことは、さすがに避けたかった。


「ええ。だから霊餌を呪うのではなく、成仏を祈るの」


 祖母の答えに、茅はほっとする。


「霊餌は無念の思いや未練を娑輪馗廻に利用され、この世に縛りつけられた魂。彼ら死者とよくよく向き合って、その未練を晴らすことで、解き放つことができる」

「すると、〝狩り鐘さん〟が百舌鳥の恩師である雁金先生だとすれば、僕らにとってかなり有利な状況になりますね」と道眞がまとめる。


 この先、どれほどの霊餌や神餌と戦い、彼らを解放していけば、娑輪馗廻やその教主が自分たちの前に現れるか分からない。長い戦いの手始めに、〝狩り鐘さん〟と雁金が同一人物であれば、かなり事を運びやすいだろう……。

 当の雁金とゆかりのある百舌鳥は「はん」と何か得心したような声を出す。


「幽霊と戦う言うからもっとオカルトなこと想像しとったけど、思たよりマシな話やな。相手のこと調べ上げて、落とす。そら警察の取り調べとおんなじや」

「確かに、言われてみればそうね」


 別天は深くうなずいた。


「そして、最後に僕がべる」


 肉体を持たない霊餌であっても、道眞が霊廻たまえしきすることは変わらない。それがあったから、茅の父も救われた。けれど。


(おとうちゃんを食べた時、どんな感じだったんだろう)


 少なくとも、あの時の道眞は不味いものを無理やり食べている、という感じではなかった。たぶん、父は美味しかったのだと思う。でも、その味は想像がつかない。

 きっとただの血と肉ではないはずだ、不死身の肉体は。だからといって、それを道眞に訊くのは怖かった。気になるのに気が進まない、二律背反のねじれ。

 茅の眼に、道眞は速く次の魂を食べたがっているように、見える。二人に決して気を許しちゃ駄目、と言った祖母の言葉を、今さらのように実感した。



 そうして、儀式が始まる。

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