第18話 お彼岸屋敷にて

「――想形おもがた見子まみこ!」


 急ブレーキとともに、知らない名前を別天べってんが叫んだ。


「は。今さら迂生うせい俗名ぞくみょうを持ち出してなんとする? 不肖の曾孫そうそんよ」

「曾孫!?」


 闇に浮かび上がる娑馗しゃき聖者しょうじゃの影は、驚く道眞どうまらを一顧だにせず、隣の百舌鳥もずに錫杖の先を向けた。座席にかかる重心の移動から、彼は身を乗り出しているのだろう。

 聖者の声音は優しげで、いっそ慈愛という言葉さえ連想させた。


「百舌鳥ヤマト。其の方は可愛いわらしのお気に入りじゃ、そのまま俗世に戻るが良い。本来ならば羽咋はくい道眞は逃さぬところであったが、童が其の方らの命を繋げてしもうた。であれば一蓮托生、片方がみまかれば、もう片方もみまかる道理」

「なんやと……!?」


 軽トラックで崖下へ転落した時、車外へ投げ出された百舌鳥は確かに喉を木の枝に貫かれていた。確実に致命傷だったはずなのに、それが消えていたのだ。


(童……キヨイのことか。あいつは百舌鳥を死なせたくないようだしな)


「俗流とはいえ神餌かみえは惜しいが、迂生うせいも童にはかなわぬ。降参、降参じゃ」


 そう言う娑馗聖者の声はとろけるように甘く、いとおしげに百舌鳥を見つめているのだろう、と視力を失った道眞は想像する。


「ゆえに其の方らはよく生きよ。堂々と大手を振って、飲み、食い、憂さを晴らして、童が其の方らを刈り取る時まで、たのしゅうにな。では、さらば」

「待てッ!」


 闇の中で道眞は鋭く声を上げる。閉ざされた視界の中で、巨大なうろがふっとかき消えるのを感じた。「三度まみえることはなかろうよ」という言葉を残して。


 娑馗聖者が帰ると同時に、辺りの空気が変わっている。静寂しじまもやのベールが一枚剥がれて、草木も虫も太陽も、闇の中でもくっきりとその存在を主張していた。

 別天と茅が比叡山に来て、異界に引きこまれていた道眞と百舌鳥に会えたのは、何のことはない、娑輪馗廻の側から解放したからに過ぎないのだ。


「嘘……突然出て、突然消えちゃった」


 テレポートのような超常現象を前に、かやが呆然とする。


「私たちなんて歯牙にもかけないって態度ね。昔からそうだったわ」


 別天が怒気の塊でため息をつく。それは淑やかな彼女の口から出たとは思えないほど、ずっしりとした憎悪と熱い怒りがこもっていた。



 道眞と百舌鳥と生出の三人が娑輪馗廻に拉致され、別天たちと会うまでの経緯がざっと共有されると、何となく車内は沈黙に支配される。

 茅が疲れて寝入った後は、三人も雑談する気になれなかった。


 比叡山から湖岸道路へ入ると、夏のびわ湖が広がっている。さぞかし絶景だろうが、視力を失った今の道眞には眺めようもない。

 それからさらに小一時間が経ったころ、ようやく車が停まった。茅が一足先に車を降りた気配がし、意気揚々と宣言する。


「ようこそ、〝お彼岸屋敷〟へ!」

「お彼岸屋敷?」

「確かに、屋敷言うだけのでかさやな」


 図体のばかでかい百舌鳥は、車中でなかなか窮屈な思いをしたらしい。車外に出て、うーんと伸びをする気配がする。


「へっへっへー。おばあちゃんの家はちょっとしたペンションみたいな感じだよね。門から玄関まで庭があって、洋館っぽいっていうか、和洋折衷のお屋敷!」

「そんなに大きいのかい」


 びわ湖の湖畔には別荘も多いから、別天家もそのたぐいなのかもしれない。


「真ん中の横長いのが本館で、その右と左に西館と東館があって、上から見たらカタカナのコの字の形をしているよ。で、お部屋が十個以上あるの」

「なんだか自慢みたいで恥ずかしいけれど、見えない道眞さんにはちゃんと説明しておかないといけないわね」


 孫娘の勢いに別天が苦笑する。茅は道眞の手を握った。


「じゃ、中を案内するね」

「ありがとう、茅ちゃん」

「だってドードーは、あたしの恩人だもん」


 道眞が父の生出おいずる霊廻たまえしきしたことを言っているのか。礼儀正しいというか、義理堅い少女だ。これが、生出の愛した娘か。


「あらあら、百舌鳥さんも働き者ね」

「これぐらい屁でもあらへん」


 別天との会話から、百舌鳥は荷室ラゲッジの荷物を運び出しているらしい。

 屋敷の客室には、それぞれにシャワーが備えつけられている。山歩きと惨劇で、血と土にまみれた道眞と百舌鳥は、まず汚れを洗い落とすところからだた。


「……それでなんで、俺が葬儀屋をあろうてやらなあかんのや」

「今さら文句言うなよ」


 盲目状態の道眞は、一人でシャワーを浴びることすらおぼつかない。

 百舌鳥がやらなければ、後は赤の他人の老婦人と女子中学生だけで、彼にお鉢が回って来るのは必然だった。

 まあ逆の立場なら、承知はしても毒づきたくなる気持ちは道眞にも分からなくはなかった。介護と割り切ってやってもらうしかない。


「僕の場合、湯灌ゆかんになるのか……? ともかく、洗剤を僕の手につけてくれたら、後は自分でやるよ。君は適当にシャワーをかけてくれたらいい」

「おう、野郎の体なんてまさぐってられるか」


 しかしその前に、服を脱ぐという問題がある。


「着物ってのはじゃまくさいのう」

「おい、あんまり乱暴に脱がさないでく」


 れ、と言いかけた時、びりっと音がした。


「ああ!? この丹後ちりめん、今年おろしたばかりなんだぞ!?」

「はあ? まだ着るつもりやったんか、こんな物。血やらなんやら汚れまくって、使い物にならんやろ!」

「それは! そうだが! 端切れは小物に仕立て直したりとか色々できるんだ! 本当に君は、ゴリラより脳みそがゴリラだな!」

「おどれ、また人をゴリラ呼ばわりしくさって……」


 おっとまた殴る気かと道眞は身構えたが、一拍の間があって百舌鳥が嘆息した。


「……そやけど、ああ、服を破いたんは俺が悪かった。うん」

「そう言ってくれて嬉しいよ」


 さっきよりは丁寧な手つきで百舌鳥が着物を脱がしていく。ちなみに眼鏡は別天が「ちょっと借りるわね」と持っていった。

ごっつでかい……」という小さな声が聞こえ、ふふんと道眞は誇らしい気持ちが湧く。

 何がとは言わないが。



 シャワーを浴びてさっぱりすると、別天が着物を用意してくれていた。何でも亡くなった夫が和装好きで、そのお下がりがたくさんあるらしい。

 着物は構造上、多少体型が変わっても長く着られる。とはいえ基本はおあつらえオーダーメイドなので、身丈が合わないと格好はつかないのが苦しいところだ。


 もちろん、そんな贅沢を口にするわけはない。道眞はバスローブ一丁で、広々としたホールの一角に座っていた。

 眼鏡の細工が終われば道眞の視力が復活するそうなので、服はその後自分で着ろ、と百舌鳥が逃げたためだ。他人の家でこんな格好で一人待つとは、なんとも心細い。

 覚えていろよあのゴリラ刑事、と内心ぶつくさ言うこと小一時間。


「お待たせ、道眞さん!」


 ぱたぱたと軽やかな足音とともに別天がやってくる。眼鏡ができたと言う彼女に顔を差し出すと、すっと耳の上をつるがこする感触がした。

 目を開くと、チャーミングに笑う別天の顔がある。

 彼女は山歩きのウィンドブレーカーから、秦荘はたしょうつむぎの着物に着替えていた。軽やかな藍色に、金魚の柄がワンポイントであしらわれている。


「……見える!」


 和洋折衷のホールを見回すと、大正浪漫ただようレトロモダンな雰囲気だった。

 内装に使われている木材には、使いこまれたしっとりとした艶があり、落ち着いた赤の緞通だんつうが敷かれている。腰かけているソファは座面の低い銘仙めいせん柄だ。

 天井の照明には乳白色のカバーと金属の飾りがつけられ、明るすぎないオレンジの光が、やわらかくホール全体を包みこんでいる。


「すごい……どうなっているんですか、これ」

「千里眼の超コンパクト役に立たないバージョン、の応用って所かしら」

「簡単に無茶苦茶なことを言われますね。先生は魔法使いですか?」

「まさか」


 ころころと笑い声を立てながら、「そうだったら良かったのにね」とつぶやく声には濃い陰影と老いがあった。それより、と別天が窓の外を指す。


「見て、道眞さん。あれが〝お彼岸屋敷〟の由来よ」


 ぐるりと回廊に囲まれた中庭は、建物の外側から見えも出入りもできない部分だ。そちらへ面した窓からは、一面真っ赤な花畑が広がっていた。

 見た瞬間に汗が吹き出す心地がしたが、死体となった道眞にはもはやその機能はないらしい。代わりに、心を冷や汗がつうっと濡らす。

 夏の太陽に刃向かうような、赤い赤い彼岸花がびっしりと。窓の外で揺れていた。


「さて、道眞さんの用意が出来たら、色々とお話ししましょうね」


 道眞は客室を借りて、渡された和服に着替える。こき萌黄もえぎの麻の着物に、うす萌黄もえぎ半幅はんはばおび。どちらも近江おうみちぢみだ。化繊かせんで充分なのに、と嬉しさ半分で恐縮する。


 階下のホールへ降りると、窮屈そうに小千谷おぢやちぢみの浴衣を着た百舌鳥がいた。

 井桁いげた千鳥ちどり文様もんようの生地が、今にも破れそうで不安になる。肉のカーテン、という言葉が道眞の脳裏をよぎった。


 ローテーブルを挟んで向かいのソファには、黒猫を抱いた茅が座っている。

 登山ルックからTシャツとサロペットに着替えており、その目は、少し泣きはらしたように赤い。それを指摘しようとする者は、誰もいないだろう。

 道眞は少し考えて、下座であろう一人掛けソファに腰かけると、キッチンから別天が出てきた。盆に切り子硝子のティーセットと、サンドイッチを載せている。


「ローズヒップとハイビスカスよ。ビタミンCとクエン酸は疲れに良いから」

「ありがとうございます」


 しかしハーブティーの澄んだ赤は、どうしても窓の外の彼岸花を意識させた。全員に茶と軽食が行き渡ったところで、別天が「さて」と切り出す。


「あなたたち、教団で〝さんだはながごしんりょ〟という言葉を聞かなかった?」

「嫌になるっちゅうくらいな」


 百舌鳥に同意して道眞もうなずく。別天は中庭に面した窓を指さした。 


「これが、その〝んだ花〟よ。の花、非時而ときしくにしてきたれり。何処いとこの花ならむ。いまし自ら求むべし。日本書紀では橘、つまり蜜柑のこととされているけれどね」


 道眞は、青い目玉の彼岸花に睨まれた時を思い出す。別天邸のそれに眼球はないようだが、これも何かのきっかけがあれば、こちらを睨むのだろうか。


「その花がなんでここにあるんや?」


 百舌鳥の疑問に、こくりと茶を一口してから別天は答える。


「私が彼らの本拠、実顕じっけんから盗み出したのよ。隣に普通の彼岸花を植えておくと、翌年からは二度と枯れない花になるから」


 それをくり返し増やしてこの数になった。ただ、土や水の問題なのか劣化して、本物の「んだ花」のように青い目玉はついぞ芽吹かなかったらしい。

 茅が「なんでそんなことしたの?」と当然の疑問を口にする。


「毒をもって毒を制す、よ。彼らが教典・娑輪しゃりん馗廻きえ観音経かんのんきょう、またの名を冥路めいろ歴程れきていに従って、初めて死者蘇生の邪法に成功したのがこの花だったの」


 そして同時に、すら媛――〝サスラヒメ〟と名付けた枯れない彼岸花は、不死の神餌と霊餌を傷つける猛毒と化す、と別天は語った。

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