第17話 休み、憩い、しかしその間もなく
灰は草木と
大切そうと言うよりも、寂しそうな手つきで。
「
スマホをしまいながら問う別天に、「はい」と道眞は返した。
「死んでしまった貴方は、身の振り方についてこれから考えることがたくさんあると思うわ。しばらくは私の家でゆっくりして……できれば、これからも私と一緒に、
「言われるまでもありません。僕自身、彼らと戦えるなら戦うつもりでしたし」
自分で言っていて、映画のような台詞だなと道眞は内心苦笑する。
単なる葬儀屋の自分が、〝戦う〟だって? いや、これは葬儀屋として生きてきた自分にとって、決して避けられない〝闘い〟だ。
道眞は
「ありがとう、羽咋さん……本当に、ありがとう」
別天の感謝には、一語一語が地層のように、長い時間かけた思いが込められているかのようだった。それがいくつも重なって、自然と道眞も頭が下がる。
死体となった自分は、もう家にも職場にも戻れないだろう。一旦実家に連絡をつけて、羽咋葬儀社取締役の引き継ぎを手早く済ませなくてはならない。
何より、家族を娑輪馗廻に巻きこみたくない。
道眞は軽く
彼らは生出の生年月日から父親の名前、出生地まで知っていた。その気になれば道眞の実家にも、手を出せるかもしれないが……。
「別天のバアさま、俺も一枚噛ましてもらおか。娑輪馗廻には大~事な用があるからな。詳しい理由は、後で説明するわ」
彼は彼で、死んだはずの恩師が娑輪馗廻に捕らえられたことや、自分に父の仇とおぼしき悪霊が取り憑いている。その事情は、この場で説明するには複雑すぎた。
「百舌鳥さんもそう言ってくれて、嬉しいわ!」
木漏れ日の中で別天が笑うと、白菊のように優雅だ。ただ、表情に似合わぬ黒い眼帯が、優雅さの中に一点墨を落とす。彼女も相当、複雑な事情がありそうだ。
「じゃ、
「故人を送る……呪縛された魂を解き放つにふさわしい言葉、ですか」
思案すると、道眞の胸に浮かび上がるものがあった。
「……〝
「あら、万葉集ね。いいじゃない」
さすがに別天は詳しい。万葉集・巻の十七、
「万葉集って、和歌だよね。なんて意味?」
「
言ってから、道眞はしまったという顔をした。
「いや、これは最後に恋人への思いを歌っているから、ちょっと変になるな」
「ふふ、でも気持ちがこもっていていいわよ」
「ともあれ、しばらくは別天さんから教わった祝詞を使わせていただきます」
こうして道眞と百舌鳥は、別天の自宅まで同行することとなった。
かたや京都伏見、かたや兵庫尼崎と、それぞれ離れた位置で娑輪馗廻に拉致されており、送ってもらえるのはありがたい話だ。
おまけに、二人そろって血塗れの泥まみれに無一文。家についたらシャワーも貸してくれるとのことで、再三感謝の念に堪えない。
別天の愛車は、シックな赤のスズキ・ハスラー。レトロモダンな雰囲気が彼女とよく似合っている。道眞は近くの道路標識に『
「嘘だろ……比叡山の中まるごとくり抜いたって言うのか?」
居並ぶ鳥居と、青い目玉の彼岸花。今思い返すと悪い夢のような光景だ。まったくだと百舌鳥が同意するが、別天が「それは違うわ」とエンジンをかけつつ言った。
「
「バケモンの次は異次元か。とことん何でもアリやな」百舌鳥が毒づいた。
ふと道眞は気がつく。
日本人の髪は、ただ老いただけの
「……そんな場所に、別天さんはどうやって来たんですか? 確か自動書記で、生出さんが助けを求めていたと言っておられたと思いますけれど」
茅が助手席に座り、全員がシートベルトを締める。車を発進させながら、別天は道眞の疑問に答えた。
「心霊治療家の別天
「まだ暗いのにおばあちゃんに起こされて、びっくりしちゃった」
やはり別天は霊能者だったのか。道眞は納得しつつも、「茅ちゃん、そんなこと突然言われて、よくついてきたね」と苦笑した。
世間は夏休み、ラジオ体操というものが今もやっているかは知らないが、ゴロゴロ惰眠を貪っていたくなってもおかしくはない。
「んー……胸騒ぎがしたって言うのかな。なんか、自然と行かなきゃって思ったの。あたしにもついに、おばあちゃんみたいな霊感が芽生えたのかも?」
ぎゅ、と。茅は生出の骨を入れたポケットを押さえた。
「こんなことになるなんて思わなかったけど、来て良かった。ありがと、羽咋おじさん、百舌鳥おじさん」
おじさん。
三十前の道眞は、女子中学生の彼女には倍の年齢である。確かにそのような年齢と判定されるのは道理だが、それでも、少し胸がチクリとする言葉だった。
ぼそりと、後部座席で隣り合う百舌鳥が抗議する。
「俺はまだ二十六や」
「え? ハタチになったらみんなおじさんでしょ?」
ああ、若さよ、君の凶器は灼熱の太陽のごとくすべてを焼け野原にす。
「なんだ、君、僕の二つ下か」
「やったらなんや、葬儀屋のおじさん。仲間を見つけたみたいに
茅の無邪気さから必死で意識をそらすと、百舌鳥が八つ当たりめいて毒づいた。おとなげなくも、彼は茅に再度抗議する。
「とにかく、茅やったな。俺をおじさん呼ばわりするんはやめんかい。他の呼び方ならなんでもええ」
「なんでも? 本当になんでも?」
「ああ。俺に二言はあらへん」
ふぅん、という茅の感嘆詞に道眞は不穏なものを覚えた。
「じゃあ、百舌鳥さんだから、もずもずって呼ぶね!」
「なんやそらぁ!?」
ズボッと音を立てて、百舌鳥が墓穴にはまるさまを道眞は幻視する。
「二言はないんだよね~?」
「うん。こればっかりは君の負けだぞ、もずもず」
スパァン! とハリセンもないのに、異様にいい音を立てて道眞は頭をはたかれた。痛みはないあたり、死体であることが役立つのが少し悲しい。
運転席で別天がくすくすと笑っている。自分の甥が無惨なことになったとはいえ、一番悲しいのは娘である茅だろう。
多少無理はしているかもしれないが、あの〝
「ほったら葬儀屋はなんや!? こいつもなんかあだ名があらへんと不公平やろ!」
「羽咋さん? うーん、ハクハクだと変だし、パクパクは……なんか不謹慎」
茅は真面目に困ったのか、しばしうなった。
「あ、下の名前でもいいかな? 道眞さんだから、ドードー!」
「ドードー鳥か、なかなか
「別にそれでいいよ」
自分が女子中学生にドードー呼ばわりされる困惑より、あの百舌鳥が「もずもず」呼ばわりされる面白さが圧倒的に勝った。
「そういえば別天さんが心霊治療家なら、別天先生とお呼びした方がいいですね」
「あら、羽咋さん。先生だなんて照れるわね」
会話が一段落したところで、別天が思い出したように食事が勧めた。
「……神餌って、霊魂以外で食事するのかな」
とっくに夜は明けているはずなのに、なんだか外が暗い。不思議に思いながら、道眞は自分の体について改めて悩んだ。別天が「心配しないで」と声をかける。
「人体の六割以上は水分って言うでしょう? 固形物は胃腸に溜まるだけでしょうから危ないけれど、水分は
「日本茶党です」
チャーミングな笑顔がバックミラーに映っていた。長らく娑輪馗廻と戦い、そして敗北したという別天はまだ謎が多い。
けれど、別天は信じられる人間だと道眞は感じていた。ルイボス茶のペットボトルを開けてみると、なるほど味覚はまだ生きている。それにしても……。
「変ですね、なんでこんなに暗いんだろう」
蝉の鳴き声はうるさいほどなのに。
肌には重たく日差しを感じるのに。
なぜか、周りは真っ暗闇だ。別天がヘッドライトをつける様子もない。
「別天先生、運転、大丈夫ですか」
「……どうしたの? 羽咋さん。今は朝で、とってもいい天気よ」
「はん」
ぐい、と百舌鳥の大きな手が自分の顔をつかむ感触がする。いつの間にか、車内の様子すら分からなくなっていた。「瞳孔反射なし」と無機質に百舌鳥がつぶやく。
「しょせんは死体やな、瞳孔が開きっぱなしやで。目ぇ見えんくなるわけや」
「なんだって!?」
道眞が狼狽しかけると、「あらあら、困ったわね」と別天がのんびりした声を上げた。どうやらこの程度のことは、彼女には織り込み済みらしい。
「神餌の中には、視力がない人も多かったわ。臭いや音で生きた人間を探しあてたり、力が強くて視力を取り戻したり、色々。甥はなり立てだったから見えたのね」
励まそうとするように、別天は下の名前で呼びかけた。
「道眞さん、あなたの眼のことは私がなんとかするわ。見えないのは不安でしょうがないでしょうけれど、
「ありがとうございます」
葬儀社では、損傷した死体の見た目を整えるサービスを行っている。だが別天の言うような、動く死体に視力を取り戻させる方法は、まったく未知の技術体系だろう。
仙人のように底知れない女性だ。そもそも、なぜ娑輪馗廻と戦っていたのか。負けた、と言ったのも気になるが、考えることが多すぎた。
どうせ目は見えないのだ、この体に睡眠が必要かは知らないが、少し休もう。
道眞がそう考え、背もたれに身をあずけた矢先だった。
――しゃりん、と。
金属が涼やかに跳ねるその
道眞の眼には真っ暗闇の中、ひときわ深く大きな虚無の闇がそびえて見える。
別天が運転する車の前に、小袖も緋袴も千早もすべて黒い、巫女姿の女が立っていた。長い黒髪に丸眼鏡、琥珀の目に四つの虹彩と瞳を持つ異形。
娑輪馗廻教主・
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