第三輪 神遂(かむやらい)、鬼やらい

第16話 ハヤサスラが連れていく

「霊魂を……食べる!?」

「えっ、えっ? おとうちゃん、食べられちゃうの!? なんで!?」


 オウム返しに驚く道眞どうまと、絶句するかやの横で、百舌鳥もずはハァ? と首を傾げていた。この場の誰も、別天べってんの提案を予想していなかっただろう。


「一つ一つ説明するわね。まず羽咋はくいさん、あなたと甥の敬一郎ちゃんは、娑輪しゃりん馗廻きえの邪法によって動く屍・神餌かみえになった。漢字で書けば神の餌、つまりは生け贄よ」


 神餌という言葉は教団の施設内で、道眞も百舌鳥も何度となく目にし、耳にした言葉だ。それをハッキリと説明されたのはこれが初めてである。


「死体が動くなんて……ウソみたい」


 半信半疑といった孫の肩を、別天は優しくさすった。


「ええ、にわかに信じがたい話なのは確かだわ。でも、茅ちゃんは……今のお父さんを見たでしょう? 羽咋さんも百舌鳥さんも、実際に体験したわよね?」


 道眞は「はい」とうなずく。遠くでは、妙に現実感のない蝉の声がし始めていた。


「邪法によってこの世に縛りつけられた死者たちは、他の死者や生者の魂を食物じきもつとし、貪欲に求め続ける。すなわち〝魂餌食たまえじき〟。それを逆に利用することを、私はずっと考えていたの」

「連中は人を殺しては、死人同士で共食いさせとんのけ。完全にイカれとるわ」

蠱毒こどくみたいだな」

「あ、それ聞いたことある」


 道眞の独り言に茅が反応した。


「虫を壺とかに閉じこめたら、最後の一匹になるまで共食いさせて、最強の毒虫を作るってやつでしょ? 漫画で読んだ……」


 父親の惨殺体を見た直後にしては気丈な子だ。父の姿を頭から追い出すために、必死で意識をそらしているのかもしれない。

 まだショックで茫然自失していても、おかしくないはずだが……いや、それとも躁状態なのだろうか? 道眞はますますこの少女が心配になった。


「よく知っているね、茅ちゃん」

「へへ」


 笑みを作る口が、ぱっくりと開いた傷のように見える。本来なら愛くるしいはずの笑顔にさえ、道眞は不安をかき立てられてしょうがない。

 百舌鳥なら、今のこの子を何味で表現するだろうか。


「蠱毒が分かるなら話は早いわ」別天が続けた。「肉体を持った死者が神餌、肉体がなく霊体だけなのが霊餌たまえ。その双方を喰らい続けた頂点の捕食者が聖者しょうじゃ。喰らうことで相手を支配し、霊魂を使役する不死の亡者王。それが彼らの教主よ」

太蝕天たいしょくてん娑馗しゃき聖者ですね」

「ええ。甥は正式な手順を経て神餌にされたのでしょうね。でも羽咋さんはそうではなかった。なぜかは分からないけれど、何かイレギュラーなことが起きたみたい」

「イレギュラー?」


 はっと道眞と百舌鳥の脳裏によぎるのは、キヨイと名乗った謎の存在だ。

 百舌鳥ヤマトに取り憑いた、彼ではない何者か。血の涙を流し、わらう童子。神餌になった道眞と、瀕死の百舌鳥それぞれの命をつなげた……。


(あれが、僕を僕のまま神餌にしたのか?)

(キヨイが霊餌なら、あいつは教団に帰依しとるんか?)


 考えこむ道眞と百舌鳥をよそに、別天は話し続ける。


「なぜ羽咋さんが神餌にも関わらず、御殪ころしを観世音かんぞんに帰依していないかは一旦置いておきましょう。重要なのは、貴方なら〝霊廻式たまえしき〟出来るかもしれない、ということよ」

「タマエ〝ジ〟キではなく、タマエ〝シ〟キですか」


 そう、と眼帯の老婦人は力強くうなずいた。興奮しているのか、やや頬が赤い。


「食べるという行為は死者の魂を鎮め、死のケガレを祓うと信仰されているわ」

「お食い別れや精進しょうじんとしもそうですね。しかし、死者が死者を食べる、というのは……あまり気持ちの良い話ではありません。僕の仕事は葬儀屋ですし」


 感覚的には〝禍々しい〟というのが道眞の正直な気持ちだ。


「あなたは自分を門だとイメージしてみて。この世からあの世への通り道、無理やりとどめられた魂を食べる――すなわち霊と体に死者を取りこむことで、娑輪馗廻から引き剥がし、生々流転する本来の流れへと還すのよ」

「門……」


 ちら、と生出おいずる――と言うよりは、いまだ動き続ける、無惨な残骸――に眼を向ける。ずいぶんと声は小さくなったが、相変わらず苦しみを訴えていた。

 あんな状態で無理やりこの世に縛りつけられているなら、道眞は何が何でも解放してやりたい。娑輪馗廻を潰す前に、まずはそれが第一だ。


「相手を屈服させるか、その無念を理解し、晴らすことが出来れば、わ。けれど、邪法に穢された霊魂はいわば猛毒。喰らえはしても、不死身ではない生者には耐えきれない」

「だから神餌、それも御殪ころしを観世音かんぞんに帰依していない者が必要なんですね」

「そう、そうなのよ!」


 感極まった風に別天は距離を詰め、道眞の手をがしっと握りしめた。


「お願いよ、羽咋さん。娑輪馗廻と戦い、敗れたこの数十年で、私が見た初めての存在――帰依していない唯一の神餌! あなたにしか敬一郎ちゃんは救えない! 動く死体なんて、葬儀屋さんのお仕事じゃないかもしれないけれど、でも……」

「落ち着いてください、別天さん」


 ひとまず道眞は彼女をなだめる。

 この眼帯の老婦人は、長らくあの教団と敵対していたらしい。そして道眞は、彼らに対抗できる有力な存在であるとみなされている。


(だとしたら、なんとも明るい話じゃないか)


 教団によって、動く屍となった我が身を嘆く気持ちがないはずもなし。だが、その自分が彼らに一矢報いる存在になれるなら、こんなに喜ばしいことはない。


「あたしからも、お願いします!」茅が割りこんだ。「ひどい目にあって大変なところだと思いますけど、おとうちゃんは今も苦しんでいるから……」

「おんどりゃら、ええから落ち着かんかい! パチパチ赤紫興奮しすぎで舌が痛えわ!」


 しっしと犬でも追い払うように百舌鳥が手を振ると、茅も別天もけげんな顔をしながら従った。このゴリラ野郎……と内心思いつつ、道眞は別天に向き直る。


「僕に断る理由なんてありません。別天さん、霊廻式のやり方を教えてください」

「ありがとう……ありがとう、羽咋さん」


 一つしか無い目を潤ませて、眼帯の老婦人は深々と頭を下げた。孫娘の茅もそれにならう。まだ何もしていないのに、そんなことをされると道眞は恐縮してしまう。


「まずは敬一郎ちゃんの前に行かないとね。茅ちゃんは、ここで待っていてちょうだい。……理由は、言わなくても分かるでしょう?」

「……うん」


 茅を少し離れた場所に残し、三人は生出の死体のもとへ向かう。それは相変わらずバラバラにされた人体と草木が混ざった、悪趣味な福笑いじみていた。

 何事かまだうめいているようだが、ほとんど蝉の鳴き声にかき消されている。それでも、彼が今も苦しみ続けていることは分かった。


「甥は霊感のたぐいや知識は持っていないのだけれどね。血なのかしら。最後の最後に、私に自動書記で助けてって言ったわ」


 自動書記について説明する気はないらしく、別天は口を挟ませなかった。


「帰依したとしても、まだ元の敬一郎ちゃんが残っているのよ。あなたはどこでも好きな場所から噛みついて、食べながらそれを見つけるだけ」

「食べるって……本当にそのまま? 人間の肉を?」

「神餌の体は、普通の物質とは違うの。パリパリと軽くいけるはずよ。そもそも、あなたの内臓は生きていた時と同じ働きはしないから……申し訳ないけれど、生前の常識はぜんぶ捨ててちょうだい」

「分かりました」


 死体を山ほど見てきた道眞は、その衛生管理や腐敗の進行具合にも詳しい。それを踏まえると、この体はほとんど生きているときと変わらない気がした。

 なんだか全てが疑わしい気持ちになって、自分の頭を両手でつかむ。ぐっと引っぱると、生乾きのカサブタそっくりの感触で、べりっと首が体から離れた。

 ひっ、と茅の悲鳴が背後から鋭く響く。


「アホンダラ! 何しよるんや!」百舌鳥に背中を蹴られた。

「いや、自分が本当に死んでいるのか、ちょっと心配になって」体勢を立て直す。

「それはしょうがないわね……」


 別天も苦笑いすると、すぐに凜と表情を引き締めた。


「まずは私が祝詞を奏上するわ。その後、羽咋さんは私が唱えることをいっしょにくり返して、唱え終わったらどこでもいいから、甥の体に噛みついてちょうだい」

「分かりました」


 道眞がうなずくやいなや、別天はぱん! と柏手かしわでを打ち鳴らした。

 うるさかった蝉の鳴き声が、一瞬でならされたように静寂になる。

 コォーォーォ――と、別天の喉から不可思議な鶏鳴けいめいがした。続いて、すらすらと祝詞を読み上げる声が。


かむろぎかみろみの御言みこともちて、伊邪那岐いざなぎの大神おおかみ筑紫つくし日向ひむか非時ときじくかぐの花、小戸をど阿波岐原あはぎがはらみそぎはらひたまひし時にせる、祓戸はらへどの大神々おほかみがみ。もろもろの曲事まがごと罪穢つみけがれを、祓ひたまへ清めたまへとまをす事のよしを、ひと、ふた、み、よ、いつ、むゆ、なな、や、ここの、たり、もも、ち、やほよろずの神々とともに、あま斑駒ふちこまの耳ふり立てて、聞こしめせとかしこかしこまおす。悪しきを祓ひて、どうぞ南無なむ速佐須良媛はやさすらひめのみこと


 澱みのない奉唱ほうしょうは堂に入り、まだ素性の知れない別天がその道のプロであろうとうかがわせた。道眞も百舌鳥も茅も、蝉たちさえも厳粛な気持ちで祝詞に聞き入る。


「ここからは、あなたもくり返して」


 パン、と再び柏手を打つ別天に道眞はならう。


「もろもろの曲事まがごと罪穢つみけがれあらむをば、祓へたまへ清めたまへ、速佐須良はやさすらひめ。ざばりかえばれ、南無なむ速佐須良はやさすらひめのみこと、ざなじがえなけ、南無なむ速佐須良はやさすらひめのみこと


 ハヤサスラヒメは謎の多い神だ。道眞が知る限りでは大祓おおはらえのことばに名があるだけで、古事記にも日本書紀にも言及されておらず、祀る神社すらない。

 分かっているのは、根の国にて穢れを消滅せしめる女神だということ。


「もろもろの曲事まがごと罪穢つみけがれあらむをば、祓へたまへ清めたまへ、速佐須良はやさすらひめ。ざばりかえばれ、南無なむ速佐須良はやさすらひめのみこと、ざなじがえなけ、南無なむ速佐須良はやさすらひめのみこと


 道眞は、本来なら生出の肩があったあたりをつかんだ。枯れ枝と青草の間から、逆さになった鼻と左目が覗いている。

 その少し上には、ぱっくり割れたザクロのような首の断面。食道や気管といった赤い筒と、頸椎けいついの黄色っぽい灰色に、道眞は力いっぱい歯を立てた。

 ぱきん、ぱりぱり、こりっ、と思いのほか軽い噛み心地が返る。まるで空気がたっぷりと入った砂糖菓子のようだ。そして口にも鼻にも血なまぐささを感じない。


(――うまい――)


 生出の肉片や骨片や血液は、舌の上でしゅわっと蒸発してしまう。すっと鼻に抜ける馥郁ふくいくたる香りは、極上の美酒を思わせた。


(素朴に、純粋にうまい。これが、神餌の体か)


 人体を口にするという行為に覚えていた躊躇ちゅうちょが、これでさっぱり無用になった。夢の塊でも食べたような、嘘を飲んだようなこれが、霊魂の食感か。

 さくさくと草も歯も、ぱりぱりと枝も血も、こりこりと骨も葉も、ところ構わず噛みついて、飲みこむまでもなく消えていく。

 生出の体ではない部分、草木は口の中で青白い炎を立てて、灰に変わっていた。だが道眞は熱さを感じていない。一方で、腹には不思議な満足感が広がっていた。


「茅ちゃん、最期のお別れだ。お父さんに言っておきたいことはあるかな」


 生出を食べ終わるまで、あと一口というところで道眞は手を止める。「最期のお別れです」という言葉を、仕事で何千何万回、言っただろうか。

 うつむき加減になっていた茅は、やがてぽつぽつと語りだした。


「おとうちゃんさ、学校の宿題で『なんであたしに茅ってつけたの?』って聞いたら、『植物の茅には、〝子供の守り神〟、〝みんなでいっしょにいたい〟って意味があるからだよ』って教えてくれたよね」


 茅はうんと背伸びをするように、今の自分より一回り大きくなろうとするように、がばっと頭を上げた。ポニーテールが勢いよく跳ね、目がフライパンに入れたての卵のように潤んでいる。目玉焼きは一向に焼けず、逆回しに生卵へ近づくばかり。

 それでも、ギリギリの所で目は目の形を保っていた。


「おとうちゃんと、おかあちゃんは離婚しちゃったけど、二人ともずっと茅の両親なのは変わらない、って約束もしたよね。あたし、おとうちゃんが考えてくれた、この名前が大好き。おとうちゃんも大好き!」


――愛しているよ、茅――


「さよなら……またね」


 道眞が喰らった最期の一口、茅に呼応するような声は、幻だったのだろうか。ただ、彼はもう死ぬに死ねない地獄からようやく解放されたのだと、それだけは確信を持って断言できる。霊魂を取り入れた道眞のはらが、そう言い切るのだ。

 後にはわずかな灰と、少ない骨片だけが残されていた。

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